解題
 源頼朝、石橋山に破れて、船に乗り、土肥真平其の他七騎にて落ち行く事を、男一人にて語る。

七騎落(きおち)

扨も、源氏の御大将に、兵衛佐頼朝は、石橋山の合戦に、かけ負けさせられ、一まづは御開きあるべきと{*1}、御船(おふね)に召され、土肥の次郎真平を召し、いかに真平、味方の勢は如何程あるぞと仰せければ、その時真平、さん候、たゞ七騎と申し上ぐる。其時頼朝、父義朝の江州へ落ちさせ給ふも七騎、今頼朝が落つるも七騎、思へば忌まはしき次第なり、誰か一人(にん)船よりも、択(え)つて下(おろ)し候へ真平と、仰せければ、その時真平、畏つて候とて、御前をずんど立ち、船のせがいを見渡せば{*2}、一番に田代殿、二番にはちんかいの四郎{*3}、三番に土屋の三郎、四番に土佐坊、五番に岡崎、我等親子の者なれば、皆君に命を参らせんと思ふばかりの勢なれば、誰か一人(にん)船より下し申さんと、案じやすらふ所に、頼朝御覧じて、いかに真平、何とて遅なはるぞ、急げ急げとあれば、その時真平、畏つて候とて、いかに岡崎殿に申す、船より下(お)り候へと申しければ、その時岡崎、某(それがし)年寄りて、君の御用にたつまじき者と思召し、さやうに候か、某は船より以てまつたく下(お)りまじき、所詮、たゞ命二つ持ちたる人をば、船より下し候へ真平殿とあれば、又その時真平、世の中に命二つ持ちたる人の候ものか。その時岡崎、さん候、御諚(ごぢやう)にては候へども、昨日(きのふ)までは某も、命二つ持ちて候、一つは君に参らせて候、親子は一生二つの命にてはなく候か、真平、とあれば、その時真平、あやまつて候岡崎殿とて、我が子の遠平に向ひ、いかに遠平、汝船より下(お)り候へと申しければ、遠平聞いて、某幼少にて、君の御用に立つまい者と思召し、さやうに候か、某は、船よりは下(お)り候まいと申しければ、その時真平、君の仰、父が命を、背く者ならば、人手にはかけまじきとて、腰の刀に手を掛け、すでに刺し違へんとせしところに、お前なりし土佐坊、中へ飛んで入り、これは何事をし給ふぞ、まづ止(とゞ)まり給へと申しければ、その時真平、所詮たゞ、某船より下(お)り申さんと、すでに下(お)りんとせし所に、遠平見て、父御下(お)りさせ給ふならば、某、船よりも下(お)り申さんと申しければ、真平聞いて、今こそ我が子の遠平なり、汝船よりも、急いで下り候へ、命を全(また)う持ち、君に廻(めぐ)り逢はうと思ヘ、某は、君を御代(ごよ)に出だし申すぞ、治定(ぢぢやう)なりと、船は沖へと漕ぎ出だす。こゝに又、平家方にて名を得し、和田の小太郎義盛は{**1}、源氏に目をいれる侍なれば{*4}、此度頼朝を貢ぎ申さんとて、頼朝の御(おん)船に追付(おつつ)かんとせし処に、遠平は涙の態(てい)にて居たりしが、頓(やが)て遠平を生捕る態(てい)にもてなし、頼朝の御(み)船に追ひつき、君の御目にかゝる。頼朝御覧じて、勢は増したり、目出たかりけると、斜(なのめ)ならず御喜(おんよろこび)のをりから、船底に隠し置きたる遠平を取り出し、真平殿に褒美こそは出さんとあれば、君御覧じて、いかに真平、かほどめでたきをりからなれば、一(ひと)さしとの所望なり。畏つて候とて、御前をずんと立ち、
《舞》{*5}一張の弓のいきほひたり。東南西北の敵をやすく平げ、皆々、御免なされ候へ。

底本:『狂言記 上』「狂言記 巻の一 九 七騎落

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底本頭注
 1:御開き――落ち行くこと。
 2:せがい――舷に棚の如く付けたる板。
 3:ちんかいの四郎――謡曲には「新開」とす。
 4:目をいれる――「目をかける」なり。味方をすること。
 5:一張(ちやう)の弓――以下、曲にかゝる。

校訂者注
 1:底本は「小太郎義盛は 源氏に」。