解題
 鎮西八郎為朝、鬼が島へ渡り{**1}、宝物を取らんとて、鬼の姫と勝負す。

首引(くびひき)

▲八郎「鎮西の八郎為朝とは、某が事ぢや。おれ程の力は世にござない。鬼が島へわたり、鬼どもと力くらべして、宝物どもを取つて参らう。いかな鬼も、おそらく力は及ぶまい。
▲鬼「人臭いが、異な事ぢや。おのれは何者ぢや。
▲八郎「娑婆の者ぢや。
▲鬼「よい所へ来た。取つて食はう。姫に生きた人を食はせぬ。連れて来て、食ひはじめをさせまうせう。姫姫。
▲姫「なんぞ。
▲鬼「来い来い。よい食物がある。あれあれ、食ひはじめに食へ。
▲姫「わんわん。あゝ、こはやこはや、嚇しをる。
▲おに「にくいやつの。なぜに食はれぬ。
▲八郎「とがもない者を、食はうとおしやるは無理ぢや。勝負をして負けたらば、いかにも食はれまうせうず。勝つたらば宝物を取らう。
▲おに「聞(きこ)えた聞えた。いざ来い。勝負に何をするぞ。
▲八郎「腕押(うでおし)を致さう。
▲鬼「さあさあ来い。
▲八郎「いやいや、お姫様に食はるゝ程に、お姫と勝負しまうせう。
▲鬼「尤ぢや尤ぢや。さあさあお姫。腕押せい。
▲姫「おれは腹押がしたい{**2}。
▲鬼「親のそばで、入らぬこと云はずとも、腕押せい。
▲姫「あ痛や痛や。
▲鬼「おのれは、姫が手をなぜにきつうしたぞ。そろそろしはせいで、痛がるに。
▲八郎「勝負に勝つた。宝物を取りませう。
▲おに「いやいや、まだ余の勝負せい。
▲八郎「今度は臑押(すねおし)致さう。
▲鬼「姫、すねおしせい。
▲姫「あ痛、あ痛。
▲八郎「勝つたぞ勝つたぞ。
▲鬼「いやいや、今一度首引をせい。
▲八郎「心得た{**3}。
▲鬼「姫。首引せい。
▲姫「いやでござる。
▲鬼「まづ、父次第にせい。そろそろと引け。囃す程に、そろそろひけ。鬼どもみなみな出よ出よ、姫がかたが弱いわ。えいさらえいさら。姫がかたがよわいわ。えいさらえいさらえいさらえいさらえいさらえいさらえいさら。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の一 十 首引

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校訂者注
 1:底本は「鬼か島へ渡り」。
 2:底本は「腹押(はらおし)がしたい、」。
 3:底本は「心得た、」。