解題
 酒好きの悪太郎、酔ひ臥したる間に、をぢに坊主にされ、折から来りし僧の弟子となる。

悪太郎

《悪太郎、酒に酔ひて出るあく坊のごとく。》{**1}
▲あく太郎「をぢご内におぢやるか。
▲をぢ「また悪太郎がきた。
▲太郎「お見舞申しまうする。
▲をぢ「そのやうに酒に酔ひて、気の毒ぢや。酒をとまれ。
▲太郎「御意見かたじけない。とまりませう。
▲をぢ「よい合点ぢや。すきととまれ。
▲太郎「明日(みやうにち)からとまりまうせう。酒の暇乞に、一盃下されい。
▲をぢ「暇乞ぢや程に。ふるまひ申さう。
《いろいろ云うて五六ぱい飲む。》
▲太郎「もはや、さらばさらば。
《また酔ひて寝る。》
▲をぢ「さいぜん悪太郎が酒にゑうて去(い)んだ。道にがな寝まうせう。見に参らう。されば余念もなく寝てゐる。仕様がある。坊主にしておきませう。
《悪坊の如く坊主にして。》{**2}
そちが名を南無阿弥陀仏とつける。さやうに心得、さやうに心得。
《太郎、目さまして肝つぶし。》
▲太郎「これはいかなこと。この様に釈迦如来のしておかしられたものであらう。
▲僧「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
▲太郎「さてさて、はやく某の名を知つて、何者やら呼ぶが。
▲僧「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
▲太郎「やあやあ。
《僧、いろいろに念仏申し、太郎、返事いろいろにする。》
▲僧「其方(そのはう)は何者なれば、某の名号を唱へれば、返事をめさるぞ。
▲太郎「某は悪太郎と云ふ者ぢやが、酒に酔ひ寝たれば、この如くにしておいて、おれが名を南無阿弥陀仏と、付けるといふと思うたれば、目がさめた。其方が呼ぶによつて返事をする。
▲僧「其方は何も知らぬ。西方十万億の阿弥陀仏といふお仏がまします。名号を唱へてあれば、死してのち、極楽といふ所へ往生するによつて、愚僧も諸国修行して念仏を申しまうする。
▲太郎「仔細あることぢや。某も其方の弟子となつて、お供して諸国へまゐりたい。連れて下されい。
▲僧「やすいこと。つれだち申さう。
▲太郎「この容態をうたうて参らう。
《ふし》今よりうき世の事を思ひきつて、只一すぢに阿弥陀を頼うで念仏申し、修行にいざや出でうよ、いざや出でうよ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の二 五 悪太郎」

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校訂者注
 1:底本は「▲あく太郎「酒に酔ひて出るあく坊のごとく。をぢご内におぢやるか。」、頭注に「酒に酔ひて云々――元来割注にすべき語なるべし」とある。
 2:底本は「坊主にしておきませう。悪坊の如く坊主にして、そちが名を南無阿弥陀仏とつける。」、頭注に「悪坊の如く云々――これも同上」とある。