解題
 一名「土筆」。平八と孫一と遊山に出かけ、歌につきて争ひ、遂に相撲をとる。

七 歌相撲

▲平八「これは、このあたりの者。いつも春になれば、つれを誘ひ、方々へ遊山花見などに参る。好い日和ぢや。いつも孫一殿を誘うて参る。宿におぢやらうか知らぬ。こゝぢや。ものも。お案内。
▲孫一「誰(た)そ、たれぞ。
▲平八「某ぢや。いつものごとく、野へゆさんにござるまいか。
▲孫一「なかなか、毎年(まいねん)の如く、つれだちまうせう。
▲平八「野辺へ遊山に出でては、草も青う見えて、春めいた事の。
▲孫一「心がはればれとして、ようござるぞ。
▲平八「つくづくしが生えました。
▲孫一「まことにおびたゞしい事ぢや。
▲平八「某は一句思ひつけた。
▲孫一「聞きませう。
▲平八「つくつくの首萎れてぐんなり。
▲孫一「ぐんなりぐんなり。
《笑ふ。》
▲平八「何がをかしいぞ。
▲孫一「ぐんなりぐんなり。
▲平八「ぐんなりは、昔もあつた事ぢや。真葛が原に風さわぐんなりと云ふ名歌もあるぞ{*1}。
▲孫一「風騒ぐなりとこそ云へ。ぐんなりぐんなり。
▲平八「異な事を笑ふ人ぢや。
▲孫一「これはしやくやくが出たわ。
▲平八「芍薬の花はみごとなれども、歌によみませぬの。
▲孫一「歌によみましたとも、よみましたとも。難波津にしやくやくの花ふゆごもり、今をはるべにしやくやくの花と、詠うでござる。
▲平八「その歌某も知つた。咲くやこの花ふゆごもり、今を春べと咲くやこの花でこそあれ。しやくやくのはな、しやくやくのはな。
《笑ふ。》
▲孫一「その方は笑ふか。
▲平八「笑はいでなんとせうぞ。をかしやをかしや。
▲孫一「そのやうに笑はゞ、相撲を一番まゐらう。
▲平八「相撲取りには来ぬ。野遊山に参つた。
▲孫一「でも、そのやうに笑ふからは、ぜひとも一番相撲を取りまうせう。
▲平八「その方と取つても、あまり負くることでもあるまい。所望ならば一番まゐらう。
▲孫一「さあさあ。一番取りまうせう。
▲平八「お手つ。勝つたぞ勝つたぞ。
▲孫一「一番とつては知れぬ。今一番とれ、今一番とれ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の二 七 歌相撲

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底本頭注
 1:真葛が原に云々――「騒ぐなり」を撥音にて云へる也。慈円大僧正の歌にて、『新古今集』に出づ。上句は「我恋は松を時雨の染めかねて」。
 2:難波津に云々――この歌、『古今集』序に見ゆ。王仁が仁徳天皇をよそへて詠める歌といふ。