解題
 盆山を盗みに入りし源蔵、その持主権兵衛に見つけられ、いろいろになぶられ、竟に鯛の啼く声す。


盆山(ぼんさん)

▲源蔵「是は、このあたりに住居(すまひ)致す者でござる。某存じた方に、盆山をあまた持つてゐらるゝ{*1}。一つ所望致せども、しわい人でくれられぬ。あまりほしうござる程に、今晩忍び入つて、案内無しに取つて参らうと存ずる。やあさて、しわい人でござる。あの沢山な盆山の内を、一つなどくれられたとあつて、別の事もござるまいに、さてもさても、しわい人でござる。や{**1}、参る程にこれぢや。これはいかなこと。此中(このぢう)作事を致されたと見えて、中々厳しうて、はいられぬ。裏へ廻つて見やうと存ずる。はあゝ{**2}、表の屋作(やづくり)とは違うて、粗相な事でござる。この葦垣(よしがき)をさへ破れば、あなたは壺の内ぢや。まづ、葦垣を破らう。ざくざく、めりめりめり。さてもさても鳴つたり鳴つたり。何と、人は聞かなんだかぢやまで。いやいや、人音もせぬ。さらばはいらう。さて、盆山はどこにある事ぢやぞ。や、これにある。さても見事な盆山ぢや。これにせう。さてもさても見事なことではあるぞ。
▲権兵衛「なんぢや。ぬす人がはいつたと云ふか。表へも裏へも人をまはせ。一人もやる事ではないぞ。
▲源蔵「これはなんとしたものであらうぞ。
▲権兵衛「がつきめ、やるまいぞ。あのちひさい盆山のそとへ隠れたとあつて、見えまい事は{*2}。や、月夜かげにすかして見れば、たしかに源蔵ぢや。余の盗人とは違うて、心の優しいところがござる。なぶつて返さうと存ずる。盆山のかげへ隠れたを、人かと思へば、まづ、人ではないぞ。犬ぢや。犬ならば、なきさうなものぢやが。
▲源蔵「これは、なかずばなるまい。びやうびやう。
▲権兵衛「びやうびやう。さてもさても、ないたりないたり。犬かと思へば、また犬でもないわ。烏ぢやわ。からすならばなきさうなものぢや。
▲源蔵「これもないてよろこばせう。こかあこかあ。
▲権兵衛「あはゝはゝ。
▲源蔵「さても喜ぶわ。
▲権兵衛「烏かと思へば、又烏でもないわ。猿ぢや。さるならば、身ぜせりをしてなかう事ぢやが{**3}。
▲源蔵「これも啼いてよろこばせう。
▲権兵衛「なかうぞよ。
▲源蔵「きやきやきや。
▲権兵衛「あはゝはゝ。最前から、何かと云へども、皆ことごとくまねをする。何ぞ、まねをせぬ事が申したいが。や、思ひだした。最前から何かと云へども、皆某が目ちがひぢや。よう見れば鯛ぢやぞ。
▲源蔵「また鯛ぢやと云ふわ。
▲権兵衛「鯛ならば、鰭を立てさうなものぢやが。
▲源蔵「これも立てずはなるまい。
▲権兵衛「ありや立てたわ。鯛はひれをたてて後は、必ずなくものぢや。なかうぞよ。
▲源蔵「これはいかな事。鯛のないたを、つひに聞いたことがない。なんとしたものであらうぞ。
▲権兵衛「なかずは鉄砲で打殺(うちころ)すが。
▲源蔵「これは啼かずはなるまい。たひたひたひ。
▲権兵衛「あの、横著者(わうちやくもの)。やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の三 六 盆山

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底本頭注
 1:盆山――箱庭の類。
 2:見えまい事は――反語也。見ゆること。

校訂者注
 1:底本は「や 参る程に」。
 2:底本は「はあゝ 表の」。
 3:底本は「身ぜせりをしなてかう事ぢやが」。