解題
都に訴訟かなひて帰国せんとする殿、因幡堂の鬼瓦を見、「宛然、女房どもの顔ぢや。」と泣く。
鬼瓦(おにがはら)
▲との「人の御存じの者。久々都に詰め申して、御訴訟もかなひ、国へお暇で罷下(まかりくだ)る。冠者あるか。
▲冠者「お前に。
▲との「久々在京してある。則ち、御訴訟申す事どもかなうた。おいとまで国へ下る。常々因幡堂を信じてあるにより、御利生(ごりしやう)と存ずる。お暇乞に、参詣してから下らうと思ふ。供いたせ。
▲冠者「畏つてござる。
▲との「国へ下ると、因幡堂を建てうと思ふ。
▲冠者「ようござりまうせう。
▲との「まゐりついた。拝みませう。
▲冠者「御尤でござる。
▲との「この堂の様に、国にも建てう。よく見て来い。
▲冠者「心得てござる。
▲との「飛騨の匠が建てたと聞いたが、見事な堂ぢや。
▲冠者「よい恰好な堂でござる。
▲との「あの屋根の角にある物は何ぢや。
▲冠者「鬼瓦と申す物でござる。見事にいたしてござる。殿様はなぜ泣かしらるゝぞ。
▲との「おにがはらは、そのまゝ女房どもの顔ぢや。それで泣く。
▲冠者「見ますれば、お内儀様によく似せてござる。
▲との「目の皿程に見ゆる{*1}。よく似た。
▲冠者「口の耳せゝまで{*2}大きなも{**1}、御内儀さまぢや。
▲との「いつの間に女房どもを、何者がうつして、あそこには置いたぞ。
▲冠者「不思議な事でござる。
▲との「冠者、よい仕合(しあはせ)で国へ帰る。めでたい。泣く所ではない。めでたう笑うて下向いたさう。
▲冠者「それは一段めでたう{**2}、ようござりませう。
▲との「笑へ笑へ。
底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の三 九 鬼瓦」
底本頭注
1:皿程――大なる形容。
2:耳せゝ――完骨也。耳の後に高く出でたる骨。
校訂者注
1:底本は「口の耳せゝまで、大きなも御内儀さまぢや」。
2:底本は「めでたう。ようござりませう」。
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