解題
一名「釣針」。西の宮のえびすに妻を申し受けんとて、大名、冠者をつれて参る。西門の一の階にて上臈と下女とを釣る。
釣女(つりをんな)
▲との「冠者(くわじや)居たか。
▲冠者「はつ、御前に。
▲との「汝が知る如く、この年まで定まる妻がない義ぢや{*1}。承れば、西宮(にしのみや)のえびす三郎九郎殿は、げんふくしやと承る{*2}。これへ参り、妻を申し受けうと思ふ。汝供を仕(つかまつ)れ。
▲冠者「まことに仰せらるればさやうでござる。西の宮のきびす三郎殿は、げんふくしやでござる。是へ参らつしやれて、定まる妻を申し受けさつしやれたらば、ようござろ。幸(さいはひ)私も、此年まで定まる妻がござらぬ。序ながら申し受けませう。急いでござりませい。
▲との「はつておのれは、率爾な事を云ふ者ぢや{*3}。えびす三郎殿とこそいへ、どこにかきびす三郎殿と云ふものぢや。
▲冠者「殿様は何にも知らしやれませぬ。絵に書いた折には、えびす三郎殿。木で作つた折にはきびす三郎殿{*4}。あの西の宮のは木で作りました処で、それできびす三郎殿と申しまする。
▲との「あゝ、いかい物識(ものしり)でおぢやるよ。それはともあれ、急いで参ろほどに、供を仕(つかまつ)れ。
▲冠者「畏つてござる。
▲との「やいやい、身はこの道不知(ふち)案内な程に、道すがら、名所旧蹟どもを語れ。
▲冠者「まづ、此所(こゝ)が山崎でござる。
▲との「まことに聞き及うだよりは名所さうな。
▲冠者「はや此所が尼ヶ崎、あれに見えるが西の宮でござる。
▲との「はあ、いかう早う来たな。向(むかふ)の山は何山ぢや。
▲冠者「はつ、あれは山でござりまする。
▲との「こゝな奴は、山は山ぢやが何山ぞ。
▲冠者「はて、何山でござる。
▲との「扨は名を知らぬと見えた。
▲冠者「いや、名は覚えました。淡路の島山漕ぎ来る船はおもしろや、でござる。
▲との「はて、長い名ぢやな{*5}。して、西の宮はまだか。
▲冠者「最早(もはや)、この森の内でござる。
▲との「然(さ)らばお前へ参ろ。手水(てうづ)々々。
▲冠者「はつ。
▲との「まづ、鰐口取りつかう。ぢやぐわんぢやぐわん。いかに申し上げ候。これまで参ること余の義にあらず。この年まで、定まる妻を持ちませぬ。えびす三郎殿のおかげにより、定まる妻を授けて下されい。あら、尊とや尊とや。やい、太郎冠者、汝も拝め。
▲冠者「畏つてござる。ぢやぐわんぢやぐわん。いかに、きびす三郎殿へ申し候。私も定まる妻を持ちませぬ。私に似合ひました妻を授けて下されませい。あら尊と尊と。
▲との「やい太郎冠者、二夜三日(ふたよみつか)通夜をせう。汝もまどろめ。
▲冠者「畏つてござる。
▲との「やい太郎冠者。はや御告(おつげ)があつた。汝が妻になる者は、西門(さいもん)の一の石階(きざはし)にあらうほどに、連れて帰れと仰せられた。ありがたいことな。
▲冠者「これはいかなこと、私がお告(つげ)も、すこしも違ひませぬ。いざござれ、西門へ参ろ。
▲との「早う来い来い。これはいかなこと、妻ではなうて、何やら竹の先に縄が付けてある。不思議な事ではないか。
▲冠者「あゝ、合点でござる。殿様の、その年して女房狂ひはいらざるほどに、この縄で首括(くく)つて、死なつしやれいと仰しやることでござろ。
▲との「こゝなたわけめは、何事を云ふぞ。某(それがし)悟つた。総別(そうべつ)三郎殿は、何にても欲しいものは、釣針にて釣らせらるゝと承る。これは釣針であらう。これにて釣れと仰しやる事ぢやあらう。汝急いで釣れ。
▲冠者「はあ、まことによい悟(さとり)でござる。さらば釣つて見ませう、えい。
《はやしごと》釣ろよ釣ろよ{*6}。御かつさま釣ろよ{*7}。
申し申し、掛(かゝ)りさうにござるが、年頃は幾つばかりなを釣りませうぞ。
▲との「はて、こゝな奴めは、彼方(あなた)次第にして釣れ。
▲冠者「それならば、殿様のは五十計(ばかり)、私のは十七八のを釣りませう。
▲との「云はれざることを云はうより、三郎殿次第にして釣れ。
▲冠者「畏つた、えい。
《はやしごと》釣ろよ釣ろよ。おかつさま釣ろ。下女添へて釣ろよ。十七八を釣らうよ。
ありや、掛つたわ掛つたわ。殿様々々、掛り事は掛つたが、何としませう。
▲との「いや、輿(こし)乗物と云うても俄になるまい。めんめんの背(せなか)に負うて往(い)なう{*8}。
▲冠者「それが好うござろ。さらば、対面さつしやれい。定めて先なはおかつさま、後なは下女でござろ。めんめんに対面致さう。
▲との「やい太郎冠者、汝は先へ連れて往(い)ね。身は後から往なうほどに、ふるまひの用意をして置け{*9}。
▲冠者「畏つてござる。いかに申しまする。こなたと私とは、一期(ご)末代、所帯が先(せん)ぢやぞや。この被衣(かづき)を取らつしやれい。対面いたさう。
▲下女「いやいや。
▲冠者「てんと聞(きこ)えぬ{*10}。この上からは、恥(はづ)かしい事もござるまい。是非とも被衣取つて、対面致さう。あはゝ、恥(はづか)しいが道理々々。私さへ恥しうござる。いざござれ。負うて往(い)にませう。殿様々々、先へ参つてこしらへまする。早うござれ。
▲との「太郎冠者めが喜ぶが道理々々。某も対面致さう。この被衣を取らつしやれい。
▲上臈「いやいや。
▲との「いやと云ふ事はあるまい。是非とも取らつしやれい。これはいかなこと、其方(そなた)はおとごぜか{*11}。あらこはやなう。
▲上臈「怖いと云ふことがあるものか。やるまいやるまい。
▲との「三郎殿もきこえぬ人ぢや。やいやい、太郎冠者、おかつさまがかはつたは。そちのをこちへ返(かや)せ。
▲上臈「返(かや)せと云ふ事はあるまい。
▲との「なう、おそろしや。
▲上臈「やるまいぞやるまいぞ。
底本:『狂言記 上』「狂言記 巻の四 四 釣女」
底本頭注
1:妻がない義――「無い」と「内儀」の洒落。
2:げんふくしや――「現福者」。福を授くる神。
3:率爾(そつじ)――「軽卒」。
4:木で作つた云々――「きびす」と云へるも例の狂言也。
5:長い名――之れも一種の興言也{**}。
6:釣ろよ云々――曲がかり。
7:御かつさま――「奥方様」。
8:めんめん――「面々」也。「おのおの」。
9:ふるまひ――「酒宴」。
10:てんと――「さつぱり」。
11:おとごぜ――「乙御前」。醜婦のことにいふ。
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