解題
 左京と右京と二人、北野参りす。途中、いであひし下京者を招きて、供せしめんと太刀を持たせしに、却て二人、さんざんの目にあふ。

二人(にん)大名(だいみやう)

▲左京「罷出でたるは隠れもない大名。さるお方と、北野参(まゐり)を致そと、約束を致してござる。まづそろそろ参り、誘はうと存ずる。いや、程なうこれでござる。内にござるか。
▲右京「えい、こゝな、何と思うて、お出(いで)でござるぞ。
▲左京「内々(ないない)、約束を致した北野へ参りませう。
▲右京「まことにさうでござる。まづ、這入らつしやれい。
▲左京「いやまづ参りませう。
▲右京「したらば、某(それがし)も参りませう。して、こなたは、人を連れさつしやれぬか。
▲左京「作病を起し居つて{*1}、供にうせなんでござる{*2}。
▲右京「なう、某が者も内に居らず、何と致したものでござろぞ。
▲左京「いや、思ひ付けました。道へ出ましたら、如何様(いかやう)な者も、とらまへて、無理に供に致さう。
▲右京「これが一段ようござろ。
▲下京の者「罷出でたるは、下京辺の者でござる。今日は廿五日、北野へ参らうと存ずる。まづそろそろ参ろ。
▲左京「なう、あれをごろんぢやつたか。似合はしさうな奴が通る。彼奴(きやつ)を供に連れうと存ずる。
▲右京「一段でござろ。
▲左京「やいやい。
▲下京者「此方(こなた)の事でござりまするか。
▲左京「おんでない事。
▲下京者「何の御用でござりまする。
▲左京「して、そちは、どれからどれへ行くぞ。
▲下京者「北野へ参りまする。
▲左京「一段の事ぢや。某も参る程に、同道致そ。
▲下京者「いや、お侍と私は、似合ひませぬ。先へ参りまする。
▲左京「確(しか)と供をせまいか。これでもせまいか{*3}。
▲下京者「あゝいや、お供致しませう。
▲左京「いや、かやうに致したは、戯事(ざれごと)ぢや。さあさあ、おぢやれおぢやれ。
▲下京者「はあ、参りまする。
▲左京「なうなう、右京殿、こなたの持たつしやつた太刀を、彼奴(きやつ)に持たさつしやれい。
▲右京「おう{**1}、まことに、これを提げて来てくりやれ。
▲下京者「畏つてござる。
▲右京「来い来い。やいやい、おのれは、それは油筒(あぶらづつ)を提げたやうに、何とした持ちやうを為(す)るぞ。はいてうせう{*4}。
▲下京者「はあ。
▲右京「やいやい、がたがた云ふと思へば、まことに、脛(すね)にはいてうせをる。
▲下京者「は、かうでござりまするか。
▲右京「持ちやうを知らずば、をすやう。金(きん)の太刀は、右の手にさしあげて持つものぢややい。
▲下京者「かうでござりまするか。
▲右京「おう、さうよさうよ。来い来い。
▲下京者「やれ扨、にくい事を致する。二人の奴等(やつら)、がつき逃すまいぞ。
▲右京、左京「はて扨危い。これは何事をするぞ。
▲下京者「おのれが、町人(まちびと)ぢやと思うて、なぶつたと、ものが違はうぞ{*5}。
▲右京、左京「やい、危い{*6}。何をするぞいやい。
▲下京者「やい、えい、お大名の、両方につくばうて居るなりを見れば{*7}、そのまゝたゞ雞(にはとり)のやうな。其所(そこ)で蹴合(けや)ふ真似をせよ。この太刀を取らせうぞ。
▲右京「やい、其処な町太郎{*8}、大名が鶏の真似などをするものではない。
▲下京者「して、定(ぢやう)せまいか。
▲左京「はてはて、右京殿、さつしやれいの。
▲下京者「急いでせう。
▲右京、左京「あゝ、くわつくわつ、くわくわくわつくわ。
▲下京者「扨も扨も、好い慰みかな。そのびらひらとした物、脱いで、こちヘおこそ。
▲右京「大名の、これは脱ぐものではない。
▲下京者「実正(ぢつしやう)、おのれ脱ぐまいの。
▲右京「あゝ、脱ぎます脱ぎます。
▲下京者「おのらが脱ぎ居つて、蹲(つくば)うて居るなりは、そのまゝたゞ、おきやがりこぼしのやうな{*9}。おきやがりこぼしの真似をせい。
▲右京「某は知らぬいやい。
▲下京者「知らずばをすよ。それで見居れ。
《ふし こうた》{**2}京に京にはやる{*10}、おきやがりこぼし、よい殿見れば、殿さへ見れば、やよ、は、合点か、がてんか、つい転ぶ、
と云ふ亊ぢや。
▲右京「何として、そないな、頭(づ)を振つてせうぞ。
▲下京者「知らずば某が真似をせう。さあ。
《こうた》京に京にはやる、おきやがりこぼし、よい殿見れば、殿さへ見れば、やよ、合点か合点か、つい転ぶ。
▲下京者「扨も扨も好き慰みぢや{**3}。なう、侍。して、この太刀が欲しうおぢやるか。
▲右京、左京「おんでない事。
▲下京者「ほしくばよさりの、ほしをとれ{*11}。
▲右京、左京「やいやい、やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言記 上』「狂言記 巻の四 十 二人大名

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底本頭注
 1:作病(さくびやう)――「仮病」。
 2:供にうせなんで――「うせ」は、「参る」を卑しく云ふ。
 3:これでもせまいか――刀に手をかけなどして嚇す也。
 4:はいてうせう――「佩いて行け」也。
 5:ものが違はうぞ――町人が怒り出せる也。
 6:やい、危い――町人が刀を抜いて大名に手向かへば也。
 7:つくばうて――蹲ること。
 8:町太郎――たゞ町人を呼べる名。
 9:おきやがりこぼし――玩具の起上小法師也。
 10:京に京に云々――此の小歌、曲がかり。
 11:よさりのほしをとれ――「宵の星を取れ」。「欲し」を「星」に掛く。

校訂者注
 1:底本は「おう まことに」。
 2:底本は「▲ふし こうた」。
 3:底本は「扨も扨もすき慰みぢや」。底本頭注に、「すき慰――『好き慰』の誤か」とある。