解題
清水の観世音に妻を祈請したる男、御夢想の女にあひしと思ひてその女の家に行き、女に逃げらる。
二九十八
▲男「罷出でたる者は、このあたりに住居する者でござる。この年まで定つた妻がござらぬ。清水の観世音はつまぐわんおんぢやと申すほどに、まゐつて、妻の事を祈請(きせい)致さうと存ずる。そろりそろりと参らう。程無うお前でござる。拝みまうせう。今宵はこれに通夜を致さう。はあはあ。さてもさてもかたじけない事かな。あらたな御夢想がござりました。急いで西門(せいもん)へ参らう。さればこそこれにござる。まづ問ひまうせう。これはごむさうのお妻でござるか。お宿は何方(いづかた)でござるぞ。お迎(むかひ)にまゐらう。
▲女「わが宿は春の日ならぬ町のうち、風のあたらぬ里とたづねよ。
▲男「春日なる里とはきけど室町の、かどよりしてはいくつめぞ。
▲女「あゝ二九。
▲男「申し申し、これははやお帰りやつた。あゝ二九。さては十八軒目ぢや。まづまゐつて迎へませう。参るほどにこれぢや。十八軒目、こゝぢや。御夢想のおつまのやどはこれでござるか。則ち迎にまゐつた。乗物とも馬とも思召(おぼしめ)して、身共に負はれて下されい。
《おうて行く。》
すなはち、是が某の宿でござる。下りさせられい。さらばめでたう盃亊を致さう。さらば身共たべてさしませう。
《四五杯飲む。》
もはや納めませう。さらばそのかづきを取らせられい{**1}。いやいや、五百八十年添ひまするもの。平(ひら)に取られい。申し申し、どこへござる。
▲女「ちと談合してまゐらう。
▲男「いやいや、何の談合がいらうぞ。どちへもやらぬ。
▲女「いや、用がある。
▲男「どこへ。やるまいぞやるまいぞ。{*2}
底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の五 二 二九十八」
校訂者注
1:底本は「そのかだきを」。底本頭注に「かだき――刊本かくあれど、『かづき』なるべし」とある。
2:底本は簡略に過ぎ、特に結末が不審である。『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917刊 国会図書館D.C.)所収「二九十八」を見ると、省略と異同があるものの、途中まではほぼ同じ流れで進むが、最後、女の醜さに驚いた男が逃げ出し、女がそれを追うという、「釣女」と同趣向の狂言であることがわかる。したがって、底本が結末の男女を逆としているのは、誤りであると思われる。
2:底本は簡略に過ぎ、特に結末が不審である。『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917刊 国会図書館D.C.)所収「二九十八」を見ると、省略と異同があるものの、途中まではほぼ同じ流れで進むが、最後、女の醜さに驚いた男が逃げ出し、女がそれを追うという、「釣女」と同趣向の狂言であることがわかる。したがって、底本が結末の男女を逆としているのは、誤りであると思われる。
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