解題
大名が猿引に遭ひて、その猿を靭にかけんと言ふ。猿、終に許されて舞ひ、大名、刀其他を猿引にやる。
靭猿(うつぼざる)
▲大名「八幡大名。冠者ゐるか。
▲冠者「これにつめてござる。
▲大名「今日は遊山に出う。供をせい。
▲冠者「よい日和にて面白いな。
▲猿引「これはこの辺に住む猿引でござる。町へ猿を引いて出まうせう。
▲大名「冠者、よい猿の。
▲冠者「見事な猿を引いてまゐる。
▲大名「やいやい、その猿はどこへつれてゆくぞ。
▲猿引「某は猿引でござる。町へ猿まはしに参りまする。
▲大名「猿引ぢや。冠者、この靭にかけう{*1}。これこれ猿引、無心ゆひたいが聴かうか{**1}。
▲猿引「何なりとも承りませう。
▲大名「過分におぢやる。お礼申さう。
▲猿引「迷惑な。
▲大名「その猿の皮を貸せ。この靭にかけう。
▲猿引「ざれごと御意なされまする。
▲大名「いやいや、真実ぢや。
▲猿引「生きてゐる猿の皮が、からるゝものでござるか。冠者殿頼みまする。
▲大名「四五年すぎて返(かや)さう。
▲猿引「猿引づれと思うて、我儘をおしやる。ならぬ。
▲大名「やいやい、名字をもくびにかけた者が、礼まで云うた。貸さずば、猿もおのれも射殺してやらう。
▲猿引「まづ冠者殿、とりさへて下され。猿を進上致しませいでは。
▲大名「はやう皮をおこせい。
▲猿引「私が打つて、皮に傷のないやうにして、進上仕(つかまつ)らう。
▲大名「早う早う。
▲猿引「猿よ、よう聞け。ちひさい時から飼うて、今殺すは迷惑なれども、あのお大名の、皮をかると御意ぢや。いま殺す。それがし恨みな。えい。
▲大名「皮はおこさずに、なぜ泣くぞ。
▲猿引「冠者殿、死ぬる事は知らいで、艪を押すまねかと思うて、艪を押しまする。畜生でも不憫や。
▲大名「合点した。泣くが道理泣くが道理。ゆるす、殺すなと云へ。
▲冠者「ゆるさしらるゝ。
▲猿引「忝うござる。猿、お大名様へ御礼御礼。冠者殿へもお礼。
▲大名「冠者にまで礼をした。
▲猿引「死をたすけ下されましたお礼に、猿をまはしませう。
▲大名「まはせまはせ。
▲冠者「まはさしめ。
▲猿引「畏つた。
《ふし》猿は山王真猿(まさる)めでたい{*2}。まつきおろしの春の駒か{*3}{**2}、鼻をつるべて参りたるぞや。白銀黄金御知行まさる{*4}。めでたきまゝよ、ひんだのをどりは{*5}、一をどり一をどり。こなたのお庭をけさ見れば、こなたのお庭をけさ見れば、黄金の桝で米(よね)をはかる、黄金の桝で米をはかる。三日月なりの鎌ほしや、三日月なりの鎌ほしや。妻もろともに草を苅(か)らう、妻もろともに草を苅らう。舟の中には何とおよるぞ、舟の中には何とおよるぞ。苫を敷寝に、楫を枕に、苫を敷寝に、楫を枕に。
《歌一つづつで、刀、上下、扇、皆猿引にやる。》
一のへいだて一のへいだて、二のへいだて、三の黒駒、しなのをどり。俵を重ねて、めんめんに{*6}、俵を重ねて、めんめんに、俵を重ねて、めんめんに、たのしくなるこそめでたき。
底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の五 三 靭猿」
底本頭注
1:靭――矢を盛る器。
2:猿は山王――猿は日吉神社の使はしめと云ふ。
3:まつき――「牧」也。
4:まさる――増す意に「猿」を掛く。
5:ひんだ――「飛騨」也。
6:めんめん――米を「めゝ」と云ふより、「面々」と続く。
校訂者注
1:底本に句点はない。
2:底本のまま。
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