解題
 さんざんの仕合にて所のすまひもならぬ男、甚兵衛にすゝめられて上の山に二王と現れ、参衆に見あらはされる。

二王(にわう)

▲男「罷出でたる者は、この在所の者でござる。此中(このぢう)は、さんざんの仕合(しやはせ)で、もはや所のすまひもならぬ。山一つあちらに、甚兵衛殿と申して、御懇(ごねんごろ)の御方がある。参つて妻子の事を頼うで、田舎へ参らばやと存ずる。そろそろ参りませう。仕合(しやはせ)がなほつたならば、又やがて戻りませう。まゐる程にこれぢや。ものも。案内も
▲甚兵衛「やら、案内もがある{**1}。誰(た)そ。
▲男「某でござる。
▲甚兵衛「何と思うてござりたぞ{**2}。
▲男「此中(このぢう)仕合(しやはせ)がわるうて、もはや在所のすまひもなりませぬ所で、田舎へ参りまする。妻子のことを頼みまする。
▲甚兵衛「それは笑止な事ぢや{*1}。何とぞ田舎へやらぬ様にしたい事ぢやが。
▲男「それがしも是非に及ばぬ所で、田舎へまゐる。
▲甚兵衛「身共が思ひよりた亊がある{**3}。上の山へ、天から、貴(たつと)い二王がお降(ふ)りなされた。何事も能(よ)うかなふと、ふれをまはしてやらう程に、二王になつて居る才覚をめされい。
▲男「これは忝うござる。
▲甚兵衛「参りがあらう所で、賽銭をとつて、もとでにして稼がしめ。
▲男「さらば、二王になる拵(こしらへ)をして参らう。万事たのみまする。
▲甚兵衛「心得た。早うゆかしめ。申し申し、上の山へ、天から貴い二王が降(ふ)り給うたと申す。皆々参られいや参られいや。
▲在所者「在所の者でござる。上の山へ、二王が降りなされたと申す。参りまうせう。申し申し、ござるか。
▲つれ「何事ぞ。
▲在所者「山へ二王が天からおふりなされたと申す。ござれ。参りまうせう。
▲つれ「なかなか、お供申しませう。
▲在所者「珍しい事でござる。これこれ、拝みませう。
▲つれ「某も拝みませう。
▲在所者「この刀を進じまする。相撲に勝つやうに頼みまする。
▲つれ「身共も刀を進じまする。力が無いほどに、力をつけて下されい。
▲在所者「さらば下向致さう。
▲つれ「心得ました。
▲男「やれうれしや。この刀を見せませう。申し申し。
▲甚兵衛「何と何と。
▲男「参りがあつて、この刀ども貰ひました。
▲甚兵衛「それそれめでたい。又早う行(い)ておぢやれ。
▲男「畏つてござる。
▲参衆「皆々ござるか。
▲参衆「こゝに居まする。
《二三人出る。》
▲参衆「上の山へ二王が天よりお降りなされて、おびただしい参りぢや。ござれ。参りまうせう。
▲つれ「なかなか。いづれもお供申しませう。
▲参衆「まことにこれぢや。
《皆々拝む。》
この二王は生きてござるやうな。
《いらうて見る。》
いや、身動(みいご)きを二王のめされた。いざ、こそぐつで見まうせう{**4}。こそこそや、こそこそや、こそこそ。いや、これはすつぱぢや。
▲男「いや二王ぢや。
▲参衆「盗人(ぬすびと)よ。
▲男「二王ぢや二王ぢや。
▲参衆「やるまいぞやるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の五 四 二王

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底本頭注
 1:笑止――「気の毒」。

校訂者注
 1~4:底本のまま。