解題
 山賊が山越えする女に遇ひ、却て女に武器を取られ逃る。

女山賊(をんなやまだち)

▲山だち「このあたりに隠れも無いせつぱでござる{*1}。この頃は仕合(しやはせ)がわるい。今日は山だちを致いて、仕合(しやはせ)を直しまうせう。山賊(やまだち)の習(ならひ)で、取りよい物を取つたがよい。むづかしい物をば、取らぬやうにするが習(ならひ)でござる。まづこの所にゐまして、よいとりものが通らば取らう。
▲女「わらはは、このあたりの者でござる。山ひとつあちらに、親を持つた。久しう見舞ひませぬ。今日は見舞に参らう。久々たよりもなし、案じてござらう。
▲山だち「いや、女が何やら包(つゝみ)を持つて通る。これを取りまうせう。やいやい、がつきめ。
▲女「おそろしや、何者ぢや。
▲山だち「何者ぢや。おのれが持つた物、こちへおこせい。
▲女「わらはが物をおこせい。遣ることはならぬ。
▲山だち「憎いやつの。おこさずは仕様がある。はやう言葉のあまい内におこせい。
▲女「御政道の正しい御代に、あのすつぱめ、やる事はならぬ。
▲山だち「某(それがし)には山だちを御免ぢや。おこしをれ。
▲女「おゆるしの、仔細があるか。
▲山だち「なかなか。苦しうない書物(かきもの)がある。
▲女「書物があらば、読うで聞かせい。
▲山だち「読うできかせう。ようきけ。くもの上の金藤左衛門山だちの事、とりよい物をば取るべし。むづかしいものは通せ通せ。
▲女「やれやれわがまゝな事云ふ。これは妾(わらは)が物ぢや。やることはならぬ。
▲山だち「おこさずは長刀で切つて捨てう。
▲女「なるまいなるまい。
▲山だち「しかとおこさぬか。
▲女「おんでもないこと。ならぬ。
▲山だち「おのれおのれ、打殺してやらう。
▲女「これは何事をしをるぞ。なう、かなしや。
▲山だち「どこへ。おのれ。
《おひまはして、女にげて、そのまゝすつぱにとリつき、ねぢあひて長刀とる。》
▲女「妾を女と思ふとも、おのれ、男にまさらうぞ。
▲山だち「あゝ、ゆるせゆるせ。
▲女「その刀もこちへおこせい。
▲山だち「これはやることはならぬ。
▲女「刀をおこさずは、長刀にのするぞのするぞ{*2}。
▲山だち「あゝかなしや。助けい助けい。やるぞやるぞ。
▲女「まづ、わらはがさいて。おのれ、上著(うはぎ)も脱いでおこしをれ。
▲山だち「もはや堪忍してくれ。
▲女「ていど、おこさぬか。
▲山だち「いやいや、やるやる。これこれ、その長刀かやせ。
▲女「どこへ。おのれ、人の切りはじめに切つて捨てう。
▲山だち「あゝ悲しや。助けてくだされ助けてくだされ。
▲女「どこへ。やるまいぞやるまいぞ。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の五 六 女山賊

前頁  目次  次頁

底本頭注
 1:せつぱ――「すつぱ」に同じ。
 2:のするぞ――薙ぐこと。