解題
 連歌の宗匠に都の伯父を頼まんとて、冠者を都に上す。さつくわ、伯父と偽り、冠者と倶に下る。主人、さつくわを見知る。

さつくわ{*1}

▲主「これは、このあたりの者でござる。某(それがし)此辺の人々と申(まをしあは)せ、連歌を興行仕(つかまつ)つてござる。近日それがしに当つてござる。この辺の人々、このあたりの人を、宗匠にお頼みなさるれども、某の気に入らぬ。又こゝに、都に伯父を一人持つてござるが、これは、殊の外連歌が上手でござるほどに、呼びに遣(つかは)し、宗匠に頼まうと存ずる。太郎冠者あるか。
▲冠者「おまへに{**1}。
▲主「念無うはやかつた。近日、某が連歌の当(たう)にあたつた。それについて{**2}、都に伯父を一人もつたが、殊の外連歌が上手ぢや。これ、このたびの宗匠に、頼まうと思ふ。その方(はう)は都へ上つて、伯父御を御同道申して来い。
▲冠者「畏つてござる。
▲主「やがて戻れ。
▲冠者「はあ。さてさて、火急な事を仰せ付けられた{**3}。まづ急いで参らう。やあさて、某は未だ都を見物致さぬ。此度、幸(さいはひ)に見物致さう。さればこそ都ぢや。いや、某は、はたと失念仕(つかまつ)つた。をぢご様が、いづくにござるやら存ぜぬ。よう問うて参れば、ようござつたものを。やあ、さすが都ぢやわ。問う事も答ふる事も、呼ばはれば事が調(とゝの)ふと見えた。さらば、身共も呼ばはらう。なうなう、そこもとに頼うだ人の、伯父御はござらぬかござらぬか。
▲さつくわ「これは都に隠れもない、みごひのさつくわと申して、心の直(すぐ)に無い者でござる。あれへ田舎者と見えて、何やらわつぱと申す。ちとたづさはつて見やうと存ずる。なうなう、これこれ。
▲冠者「はあ。こちの事か。
▲さつくわ「いかにも、わごりよの事ぢや。この広い都を、何をわつぱとおしやる。
▲冠者「私は田舎者でござる。頼うだ人の、伯父御様を尋ぬる事でござる。
▲さつくわ「さて、その伯父御を見知つてゐやるか。
▲冠者「いや、存ぜぬによつて、斯様(かやう)に申します。
▲さつくわ「さてさて、其方(そなた)は仕合人(しやはせびと)ぢや。都に人多いとはいへども、そちが尋ぬる伯父はそれがしぢや。
▲冠者「さては、こなたがをぢ様でござるか。
▲さつくわ「其通(そのとほり)ぢや。
▲冠者「さて、頼うだ人申されまする。此間(このあひだ)、あの辺(へん)の御方々、連歌を興行致してござる。近日それがしが、当(たう)にあたつてござる。又こなたは連歌を好うなさるゝ程に、此度(このたび)の宗匠になされたいとあつて、私おこされました。
▲さつくわ「いかにも、行きたいものなれども、某はちと暇入りがある程に、えまゐるまい。
▲冠者「いやいや、少々のお暇入(ひまいり)ならば、どうぞお出なされませいと、くれぐれ申されました。
▲さつくわ「それなら、成程下らう。
▲冠者「いざ、お出なされませい。
▲さつくわ「まづ行く。
▲冠者「それは慮外でござる。
▲さつくわ「さて、頼うだ人は、連歌を好うするか。
▲冠者「ようせらるゝと見えまして、あの辺の衆が気に入りませぬ。
▲さつくわ「さて、程は遠いか。
▲冠者「いや、何かと申す内にこれでござる。これにお待ちなされませ。
▲さつくわ「心得た。
▲冠者「申し、頼うだ人ござりますか。
▲主「やあ、太郎冠者が戻つたさうな。戻つたか戻つたか。
▲冠者「たゞ今帰りました。
▲主「やれやれ骨折(ほねをり)や。何と伯父御はお出なさるゝか。
▲冠者「私が御供致して参りました。
▲主「これはこれは、でかいた。おともは幾人程(いくたりほど)あるぞ。
▲冠者「いや、御身すがらお出なされました{*2}。
▲主「これはいかな事。あのをぢごは、かりそめに出さつしやるにも、人の二三十人は連れておいでぢやに。身すがらは合点がゆかぬ。まづ物の蔭からお姿を見せい{**4}。
▲冠者「さらば御覧(ごらう)ぜられい{**5}。
▲主「さればこそ。おのれ、まづあれを連れて来るものか。あれは都にかくれもない、みごひのさつくわと云うて、大(だい)の盗人(ぬすびと)ぢや。汝は、みごひと云ふいはれ知るまい。総じて世の盗人は、人の目顔を忍うで取る。あれは人の物を、盗みても取る。乞うても取る。それ故見乞(みごひ)と云ふ。さつくわとはぬす人の唐名(からな)ぢや。
▲冠者「でも、伯父御様ぢやと申したによつて、つれて参りました。
▲主「まだぬかす。あれはぬす人ぢや。
▲冠者「盗人にきはまりましたか。
▲主「おんでもないこと{*3}。
▲冠者「さてさて、憎いやつぢや{**6}。私をだましました。行(い)て搦めて参りませう。
▲主「やいやい、総じて、あの様な者を、暴立(あらだ)つれば、却つてあたをする。こちへ通せ。某があしらうて返さう。
▲冠者「えい。いらぬもの。おかれいで。や。なう、わごりよは、都にかくれもない見乞のさつくわとやら云ふ盗人ぢやげな。面恥(つらはぢ)ない。よう伯父御ぢやと云うてわせた。
▲さつくわ「え。こゝな。それがしがかう有らうと思うて、行くまいと云ふに、是非ともと云うて連れて来て、その様なこと云やる。もはやこれから帰る。
▲冠者「や。なう、そのやうな人を暴立(あらだ)つれば、あたをしやるげな。頼うだ人のあしらうてかへさうと仰せらるゝ。かうお通りやれ。
▲さつくわ「いや、不首尾な所へは、いやでおりやる{**7}。
▲冠者「まづお通りやれ{**8}。
▲さつくわ「それなら通るほどに、首尾を頼む。
▲冠者「心得た、さつくわ。
▲主「しいしい。さて、はるばるの所ようこそお出なされた。まづ、ろくにござれ{*4}。
▲さつくわ「はあ。私も田舎に、甥を持つてござるによつて、もし、彼が所から呼びにまゐつたかと存じ、ふと下りて、面目もござらぬ。
▲主「総じて人違(ひとたが)へと申す事は、ある事でござる。某これに居ませうけれども、太郎冠者をこれに置きまする。ゆるりとお話しなされ。お料理申しつけませう。
▲さつくわ「それは忝(かたじけな)う存じます。
▲主「やい太郎冠者、お伽(とぎ)致せ。
▲冠者「畏つてござる。さあさあ、ろくにお居やれ。
▲さつくわ「心得た。
《はやしかたの前からよぶ。》
▲主「しいしい。
▲冠者{**9}「や、呼ばるゝ。いて参らう。はあ、なんでござる。
▲主「若(も)し、何が好きぞと問はば、鴬がすきぢやと云へ。
▲冠者「畏つてござる。さあさあ、ろくにおゐやれ。
▲さつくわ「心得た。さて、頼うだ人の、何ぞお好(すき)があるか。
▲冠者「小鳥がお好(すき)ぢや。
▲さつくわ「小鳥の内にも、何がおすきぞ。
▲冠者「物ぢやわ。
▲さつくわ「物とはなんでおりやる。
▲冠者「これほどな鳥ぢや。藪のうちをちらりちらりとする鳥、えゝ、ぐひすでおりやる。
▲さつくわ「これはいかな事。ぐひすと云ふ鳥はつひに聞いた事がない。
《また呼ぶ。》
▲主「しいしい。
▲冠者「や、呼ばるゝ。なんでござる。
▲主「おのれ、ぐひすと云ふ鳥があるものか。鴬ぢやわいやい。
▲冠者「いやなう、鴬でおりやる。
▲さつくわ「さうでおりやらう。
《また呼ぶ。》
▲主「しいしい。
▲冠者「又呼ばるゝ。いて参らう。
▲主「また何がすきぢやと云はゞ{**10}、鷹がすきぢやと云へ。
▲冠者「畏つてござる。まだすきがあるわ。
▲さつくわ「何でおりやる。
▲冠者「鷹がすきぢやわ。
▲さつくわ「まことに、たかはお大名の好かれいでかなはぬ物でおりやる。何と、よう取るか。
▲冠者「取るとも取るとも。昨日も肴町へ行て、鯣(するめ)二連と鰹十節(とふし)とつて来たわ。
▲さつくわ「あの鷹がや。
▲冠者「なかなか。
▲さつくわ「これはいかな事。
《またよぶ。》
▲主「しいしい。
▲冠者「や、呼ばるゝ。行(い)て参らう。何でござる。
▲主「おのれ、鷹が鯣や鰹を取るものか。
▲冠者「でも、さて昨日お台所の鷹之介がとつて参りました。
▲主「やい、あれはせいが高いによつて、異名をたかたかといふ。何かと云ふ内にふるまひが出来た。給仕は、たれを使うたものであらう。
▲冠者「私をお使ひなされませ。
▲主「今差合うて使ふ者がない。おのれなりとも使はう程に、身共が云ふやう、為(す)るやうにせい。
▲冠者「あの、こなたのまねをや。
▲主「まだぬかす。座敷へうせをれ。只今は無調法な者を使ひまして、面目もござらぬ。太郎冠者、さかづきを出せ。
▲冠者「只今は。
《右の通りくり返し、太郎冠者いふ。》
▲主「さかづき出せとは、おのれが事ぢや。
《また主のいふやうに太郎冠者いふ。》
▲主「おのれは何をぬかす。
《冠者またいふ。》
▲主「や、さいぜん某が云ふ様、為るやうにせいと申してござるほどに、それで身共がまねをする。
《冠者またいふ。》
▲主「さてさて気の毒な事かな。
《冠者またいふ。》
▲主「えゝ、腹の立つ事ではある。
《太郎冠者うつ。冠者またいふ{**11}。さつくわをうつ。》
▲主「あゝ痛みませう。こちへござれ。
▲さつくわ「いや、苦しうござらぬ。
《冠者またいふ。》
▲主「はなし居(を)れいの。
《冠者またいふ。》
▲主「や、ものを云はすによつてぢや。
《冠者をふみこかし。》
それにゆるりとござれ。おふるまひ申し付けう。
《冠者さつくわをふみこかす{**12}。》
▲さつくわ「や、これは何とする。
▲冠者「なんとするとは。おのれが様な奴は、かうして置いたがよい。それにゆるりとござれ。御ふるまひを申し付けう。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の五 九 さつくわ

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底本頭注
 1:さつくわ――「察化」或は「咲嘩」など書く。本書の校訂者、嘗て『狂言二百番案内』を撰せし時、仮に「擦過」の字を当てたれど、尚明かならず。
 2:御身(おんみ)すがら――「自身一人」。
 3:おんでもない――「勿論」の意。
 4:ろくにござれ――「平に居よ」。

校訂者注
 1:底本は「おまへに、」。
 2:底本は「それについて 都に」。
 3:底本は「仰せ付けられた、」。
 4:底本は「物の蔭からをお姿見せい」。
 5・6:底本に句点はない。
 7:底本は「いやでおりやる、」。
 8:底本は「まづお通りやれ、」。
 9:底本は「▲子者」。
 10:底本は「何かすきぢやと云はゞ」。
 11:底本は「太郎冠者 うつ。▲冠者またいふ」。
 12:底本に句点はない。