解題
 利兵衛と八兵衛と、大歳に出雲の大社へ参る。福の神あらはる。

福(ふく)の神(かみ)

▲利兵衛「これは、このあたりの者でござる。いつも大歳(おほどし)には{*1}{**1}、出雲の大社(おほやしろ)へ参る。またここには八兵衛殿と申すがござる。これへまゐり、同心致して参らうと存ずる。やあさて{**2}、何卒(なにとぞ)富貴になりたい事ぢや。参るほどにこれぢや。ものも。
▲八兵衛「や、案内がある。たそ。
▲利兵衛「えゝ{**3}、八兵衛殿、内にござろよ。
▲八兵衛「利兵衛どの。さてさてめづらしいお出でござる。何と思うてござつたぞ。
▲利兵衛「さればその事でござる。いつもの通り、出雲の大社(おほやしろ)へ年をとりに参るまいか。
▲八兵衛「一段とようござらう。
▲利兵衛「さあさあござれ。
▲八兵衛「心得ました。
▲利兵衛「こなたも某(それがし)も富貴になりたい事でござる。参る程にこれでござる。
▲両人「只今両人の参る事、別の事ではござらぬ。何とぞ富貴になして下されませ。南無福の神南無福の神。
▲利兵衛「豆をはやしまう{**4}。
▲八兵衛「心得ました。
▲利兵衛「福は内。
▲八兵衛「鬼は外。
▲利兵衛「福はうち。
▲八兵衛「鬼はそと。
▲福の神「福はこゝに福はこゝに。
▲両人「はあ。これはどなたでござるぞ。
▲福の神「このところの福の神。御酒(みき)を上げませ。
▲両人「畏つてござる。御酒(みき)でござる。
▲福の神「南無日本の大小の神祇、別しては松尾(まつのを)大明神{*2}、これは福の神がたベるです。さて、汝等富貴になりたいと云ふ事か。
▲両人「はあ。
▲福の神「富貴になるは、持たいでかなはぬ物がある。それを持つたか。
▲両人「何でござりますぞ。
▲福の神「いや、金銀の持たねばならぬ。
▲両人「いや、それがござりますれば、斯様(かやう)には申し上げませぬ。
▲福の神「それならば、冨貴になるやう、語つて聞かせん、
《謡》いでいで、このついでに、たのしうなるやう、語つて聞かせん。朝起(あさおき)をして慈悲あるべし。夫婦のなかに腹たつべからず。人の来るをもいとふまじ。われ等がやうなる福伝に、いかにもおぶくをけつかうして、さて中酒には古酒を、いやといふほど盛るならば、いやといふほど盛るならば、たのしうなさではかなふまじ{**5}。

底本:『狂言記 下』「狂言記外編 巻の五 十 福の神


底本頭注
 1:大歳――「大晦日」。
 2:松尾(まつのを)大明神――大山咋神を祭る。

校訂者注
 1:底本は「大歳には 出雲の」。
 2:底本は「やあさて 何卒」。
 3:底本は「えゝ 八兵衛殿、内にござろよ、」。
 4:底本のまま。
 5:底本は「たのしうなさではかなしふまじ」。