解題
若衆のために鴬をさしにいでし男、他の男の飼ひたる鴬をさゝんとす。遂にかけろくしてさしそこなひ、太刀刀をとらる。
鴬(うぐひす)
▲アド「罷出でたる者は、この辺(あたり)の者でござる。某(それがし)は鴬を好いて飼ひます。今日は殊の外天気も好うござるほどに、鴬に水を浴びせうと存じ、罷出(まかりい)でた。この先に、谷水の流るゝ所がござる。あれへ持つて参らう。
《道行》まことに、諸鳥様々(さまざま)ござれども、鴬ほど重宝な鳥はござるまい。やあ、此所許(こゝもと)がよかろ。まづ此所(こゝ)に置いて、身共はあれから見物致さう。
《鴬籠は、円床几を持出るなり。》
▲シテ「罷出でたる者は、この辺(あたり)に住む者でござる。某さる方で小人(せうじん)を見初(みそ)めまして{*1}、色々と縁を以つて申してござれば、情(なさけ)深い御方で、お盃を下されてござる。このやうな嬉しい事はござらぬ。余り嬉しさに申す事は、こなたの御用ならば、如何やうの事なりとも仰せられ、命の御用になりとも、立ちませうと申したれば、彼(か)のお若衆の仰せらるゝは、その義ならば別(べち)に望(のぞみ)な事もないが、鴬の好いがあらば欲しいと仰せられた程に、それこそ易い事でござる、進上申さうと申して、請合(うけあ)ひました。それにつき、今日は鴬を差さうと存じて{*2}、この如くに、竿まで持つて罷出でてござる。
《道行》どこ許(もと)になりとも、よい鴬があれかし。差いて進ぜたい事でござる。やあ、これに鴬がある。扨も扨もよい鳥かな。あれは世間に重宝する三光(くわう)とやら云ふ鳥であらう{*3}。何でも差いてくれう。何所(どこ)から差さうぞ。此所(こゝ)から差さうか。こちらから差さうか。
▲アド「やいやいやい。これは聊爾な事をする{*4}。身共が秘蔵の鴬を、なぜに差すぞ。
▲シテ「これはそなたが鴬か。
▲アド「なかなか。身共の鴬ぢや。狼藉な人ぢや。
▲シテ「されば、これには仔細がある。聞いてたもれ。身共はさるお若衆に心をかけ、いろいろと申したれば、情(なさけ)ある御方で、お盃を下された。余り嬉しさに、こなたの御用なら、命なりとも進上と申したれば、その義なら、別に望もない、鴬の好いがあらば欲しいと仰せらるゝ。それ故この如くに、差しに出た事ぢや程に、平(ひら)に差さしてたもれ。
▲アド「尤もそれは聞(きこ)えたれども、あれは某が秘蔵の鴬ぢや。差さす事はならぬ。
▲シテ「はて扨、それは気の毒ぢや。それならかけろくにしてたもらうか{*5}。
▲アド「されば、かけろくには何をするぞ。
▲シテ「此太刀を、え差さずばわごりよにやらうぞ。
▲アド「それなら、なるほど差させう。差いて見やれ。
▲シテ「心得た。太刀は是に置くぞ。扨どれから差いてよかろぞ。此所(こゝ)から差さう。狙ひすまして差いてくれうぞ。南無三宝、差し損なうた。
▲アド「そりや、よう差さぬわ。まづ、この太刀はおれが物ぢや。嬉しや嬉しや。
▲シテ「なうなう、余り残(のこり)多いことぢや。今度はこの刀をやらうほどに、差さしてたもれ
▲アド「又え差しやらねば、その刀を取るぞ。
▲シテ「如何にもその通(とほり)ぢや。さらば差しまするぞ。何でも今度は差いてくれう。黐(もち)をよう延(のば)して置いて差さうぞ。はあ、これは如何な事。又差し損なうた。
▲シテ「さあこそ、この刀も身共が物ぢや。なうなう、嬉しや嬉しや。思ひもよらぬ仕合(しあはせ)ぢや。太刀、刀、鳥も持つて、急いで帰らう。
▲シテ「なう、これこれ、それは余り胴欲ぢや{*6}。それなら、鴬こそ差し損なうたれ、歌を一首思ひよつた。この歌を聞いて、その鴬をくれまいか。
▲アド「これは優しい事をおしやる。如何にも歌によつて、やることも有らうが、してその歌は、何とでおりやる。
▲シテ「物と。
▲アド「何と。
▲シテ「初春の太刀も刀も鴬も、差さでぞ帰るもとの住家(すみか)にとした。鴬をたもれ。
▲アド「尤も歌は出来たが、鴬はやる事はならぬぞならぬぞ。
▲シテ「やいやい、それは余り情(なさけ)ないことぢや。せめて、も一度差さしてくれ。やれ胴欲者。やるまいぞやるまいぞ。
底本:『狂言記 上』「続狂言記 巻の一 五 鴬」
底本頭注
1:小人(せうじん)――「若衆」。
2:差さう――黐竿にて捕ること。
3:三光――啼声を月星日に譬へて、三光といふ也。
4:聊爾――「粗忽」。
5:かけろく――「賭禄」。
6:胴欲――「無慈悲」。
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