解題
 西の宮の蛭子と比叡山の大黒とを勧請す。蛭子と大黒と倶に来りて、各由来を述べ、釣針・小槌を与ふ。

蛭子大黒天(えびすだいこくてん)

▲アド「罷出でたる者は、津の国辺(くにへん)に住居(すまひ)致す者でござる。某(それがし)富貴(ふつき)になりたう存じて、西の宮の蛭子三郎殿と、比叡山三面の大黒殿へと、祈誓をかけてござれば、まづ吉日(きちにち)を択び、勧請せよと、示現を下(おろ)させられてござる。幸(さいはひ)今日(こんにち)は最上吉日でござる程に、注連(しめ)などを張り、家内(けない)を清め、勧請致さうと存ずる。まづ注連を張りませう。やあ、なかなか好うござる。
《蛭子と大黒とさがりばにて出る》
{*1}大黒と蛭子とこゝろをあはせつゝ、数(かず)の宝を取持つて、衆生にいざや与へん。この衆生にいざや与へん。
▲アド「これへ四辺(あたり)も輝く体(てい)にて御出でなされたは、どなたでござる。
▲蛭子大黒二人「これは汝が常々信仰して歩(あゆみ)を運ぶ、西の宮えびす三郎、比叡山の大黒殿にてあるぞとよ。
▲アド「はあ、有難うござります。先(まづ)これへ御来臨なされて下され。
▲大黒「やいやい、汝は常常信仰するほどに、富貴(ふつき)になして取らせうぞ。
▲アド「それは有難うござります。
▲蛭子「やいやい、身共もそちを楽(たのし)うして取らせうぞ。
▲アド「忝(かたじけな)うござります。それにつきまして申し上げたい事がござります。終(つひ)に御両殿の御由来を承りませぬ。語つて聞かさせられましたらば、愈(いよいよ)信仰申したうござります。
▲蛭子「はて扨、汝は今までそれを知らぬと云ふは、ちと不信心でおりやる。語つて聞かさう。よう聞け。
▲アド「畏つてござる。
▲蛭子「抑(そもそも)伊邪那岐、伊邪那美尊、天(あま)の岩倉にて、男女の御かたらひをなされ、日神(ひのかみ)、月神(つきのかみ)、蛭子(ひるこ)、素盞嗚尊を設け給ふ。蛭子とは某(それがし)がことなり。天照太神より三番目の弟なればとて、西の宮のえびす三郎と斎(いは)はれ、威光を現す。貧なる者には福を与へ、富貴(ふつき)に守る事なり。何ぼうゆゝしきえびす三郎殿にてはなきか{*2}。
▲アド「御由来承り、いよいよ有難う存じます。又大黒殿の御由来を承りたうござる。
▲大黒「なかなか、語つて聞かさう。好う聞け。
▲アド「畏つてござります。
▲大黒「抑(そもそも)比叡山は、尊(たつと)き御山なり。此山に守護神なくてはかなはじと、伝教大師祈り給へば、この大黒殿顕はるゝ。伝教、この山には三千人の衆徒あり、大黒は一日に千人を扶持し給へば、三千人を守り給ふ守護神をと、重ねて祈誓し給へば、其時この大黒殿、忽ち三面六臂と顕れければ、伝教尊(たつと)く思ひ、この大黒を、比叡山の守護神と斎(いは)ひ、仏法今に繁昌せり。信仰せよ信仰せよ。汝に福を与へうぞ。
▲アド「これは弥(いよいよ)有難う存じます。
▲二人「やいやい、汝、宝を与へて今よりは、大富貴(だいふつき)になして取らせうぞ。
▲アド「はあ忝うござります。
▲蛭子《謡》《舞働有り。鼓うちあげて。》
{*3}「いでいで宝を与へんとて
《舞働あり。》
いでいで宝を与へんとて、商(あきなひ)みやうが、作り冥加、万(よろづ)の幸(さいはひ)あらする釣針を、魚ながらこそは取らせけれ。
▲大黒《謡》《舞働大鼓打あげて》
「その時大黒進み出で、
《舞働あり。》
その時大黒進み出でて、七珍万宝入れおきたる袋を汝にとらせけり。猶も宝を打ちだす打出の小槌を、同じく取らせ。
▲二人「これまでなりとて、えびす大黒帰らんとせしが、猶も所の福神(ふくじん)と、ならんならんと、この所にこそ納(をさま)りけれ。

底本:『狂言記 上』「続狂言記 巻の二 一 蛭子大黒天

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校訂者注
 1:大黒と云々――「与へん」迄、曲がかり。
 2:ゆゝしき――「えらい」。「立派な」。
 3:いでいで――以下総て、曲にかゝる。