解題
年の瀬を越えかねたる夫婦、お寺へ行き、長老の教にて、俄に出家の姿し、三人倶に施主の家に行きてお布施を貰ふに、金ならで昆布なり。
昆布布施(こんぶふせ)
▲アド「この辺(あたり)に住居(すまひ)致す、志の深い者でござる。仔細ある程に、出家達を申し入れ{*1}、布施を致さう。御出家衆に五貫、比丘尼に三貫、まづ高札(たかふだ)を打たうと存ずる。
▲男「罷出でたる者は、この辺(あたり)に住居(すまひ)致す者でござる。一日(にち)々々と食(くら)ひて、はや押し詰めてござる。隣には正月のこしらへして、お小袖の、何のかのと云うて、夥(おびたゞ)しうこしらへをなさるゝが、某(それがし)は年をとらうやうがござらぬ。石で手を詰めたやうな事ぢや。又どなたへ参つて、無心を申さう様もないことは、方々(はうばう)の方(かた)を塞(ふさ)げた所で{*2}、何ともならぬ。まづ女共を喚(よ)び出し、談合致さう。これの、居さしますか。
▲女「妾(わらは)を喚ばせらるゝは、何事でござる。
▲男「そなたを喚(よ)び出すも、別の事でない。早(はや)押し詰めてあれども、年をとらうやうがないが{**1}、何としたものであらうぞ。
▲女「妾(わらは)は、こなたの、どうもなされうと思うて居たれば、それは扨、何と致さうぞ。いつもいつも、扨苦々しい事でござる。どうぞして、三ヶ日の用意を、なさるゝことはなりませぬか。
▲男「いや、どうもならぬ。わごれ才覚さしませ。
▲女「こなたさへさやうに仰せらるゝに、妾が何として才覚致さうぞ。どれへぞ行(い)て、無心云うてなりとも、年をとるやうになされい。
▲男「最早(もはや)方々の門(かど)を塞げた処で、何処へ無心云はうやうもないが、何とせうぞ。お寺様へ無心云はうか。これも節々(せつせつ)のことぢやところで、何とせうぞ。
▲女「お、おう、お寺様へがよからう。こなたが厭ならば、妾(わらは)ばかり行(い)てなりとも、借つて参らう。
▲男「お、おう、それもよからうが、そち一人(ひとり)遣らうより、某と二人行(い)て、どうぞ云うて、少しなりとも借つて参らう。いざおりやれ。
▲女「心得ました。
▲男「又お寺様は、何としても、余の所ヘよりも心安い。お宿にござれかしぢやまで{*3}。これぢや。ものも。ござりますか。
▲長老「案内とは誰(た)そ。
▲男「いや某でござりまする。
▲長老「や、誰{**2}、ようおりやつた。何と思うておぢやつたぞ。
▲男「近い正月でござりますが、歳暮の御礼に参りました。
▲長老「はや仕舞うて、歳暮の礼におりやつたか。
▲男「なかなか、御礼申しまするが、
《といふうちに、》
▲女「お寺様、妾も御礼に参りました。
▲長老「や、二人(ふたり)ながら礼にわせたは{*4}{**3}、早う仕舞はせたものぢやあらう。
▲男「その事でござりまする。仕舞ひかねまして、節々の事でござれども、ちと御無心申しに参りました。最早(もはや)何ともなりませぬほどに、どうぞして、三ヶ日年をとりまするほど、貸させられて下されませい。
▲長老「それは苦々しい。どうぞしておましたいが{*5}、少しもない程に、どれへなりとも、無心を云はしませ。
▲女「申しお寺様、此度の事でござる。三ヶ日さへたてますれば、又どうもなりまする程に、少し貸して下されませい。
▲長老「なうそなた達は、聞分(きゝわけ)のない。出家の詐(いつはり)を云はうか。有りさへせば、貸さないでわ。少しもない。
▲男「尤でござりますれども、最早(もはや)どなたへ無心を申さうやうもござらぬ。春になりましたらば、急度(きつと)返弁申しませうほどに、どうござるとも、年をとらせて下されませい。
▲長老「まだおしやる。愚僧は其様な者ではない{**4}。あらば如才があらうか。扨何卒(なにとぞ)して。なうそなたが扨、出家なればよい事があれども。
▲男「はあ、それはまづ如何(いか)やうな事でござりますぞ。
▲長者「いや、その事ぢや。此辺(このあたり)に志の深い人が有るが、志をせうず。出家衆には五貫、又比丘尼は三貫づつ{**5}、布施をせうと云うて、高札(たかふだ)を打たれた。
▲男「や、それはまことでござるか。
▲長老「なかなか。
▲男「して、俄なりの出家にも{*6}、その通(とほり)でござりまするか。
▲長老「をゝ、出家でさへあらば、違ふ亊はあるまい。
▲男「何と致しませうぞ。出家になりませうか。なう嬶(かゝ)。
▲女「やあ、軽忽(きやうこつ)な事。いかに手前がならぬと云うて、さうはなりますまい。
▲男「いや、さうではない。五貫取れば、どこぢやと思はしますぞ。お長老様、なりませう。
▲長老「どうなりともぢやが、女房衆に談合めされい。いづれはや、五貫取ればよい事ではあるまで。
▲男「あゝなりませう。嬶(かゝ)、なるぞ。
▲女「なう、如何に年を取ることがならぬと云うて、様(さま)をかゆるといふことはあるまい{*7}。
▲男「いや、又後はどうも致さう。お長老様、髪を剃つて下されい。
▲長老「剃つてもやらうが、女房衆合点か。
▲男「あれも合点でござらう。五貫取ればようござる。
▲長老「それならば剃らう。
《というて剃るうちに、》
▲女「《はしがゝりにて、》
これは如何なこと。はや剃らるゝ。苦々しい事ぢや。
《などいふ。剃刀取出し、剃る真似して、頭巾被せて、肩衣とらせ、衣をも、小僧というて、へんてつ著せて。》
▲長老「よう似合うた。俄なりの様(やう)にはない。
▲男「あゝ過分にござりまする。して、五貫はまことでござるかの。
▲長老「なかなか。愚僧も只今参るよ。
▲女「なう、こなたは早、坊主にならせられたの。
▲男「をゝ、五貫致さうと存じてなつた。五貫では、まづ五十日も七十日も、ゆるりと過ぐるほどに。
▲女「ま、それならば、最早(もはや)こなたも、その様(やう)にならせられた程にぢやが。まをし、お長老様、比丘尼には三貫でござるか。
▲長老「なかなか。出家には五貫、比丘尼には三貫ぢや。
▲女「まことでござるか。
▲長老「確(たしか)に高札にある。
▲女「それならば、妾も比丘尼になりませう。
▲男「いやいや、某こそかうなつたれ。まだそなたは若い女子(をなご)の、尼になると云ふ事があるものか。無用ぢや。
▲女「さうではあれども、最早(もはや)こなたも出家にならせらるゝ。その上八貫取れば扨、ようござるほどに。お長老様、私も髪をおろしませう。
▲長老「其方(そなた)は無用ぢやがの。
▲女「いや、どうありとも、剃つて下されませい。
▲長老「おきやらいでの{*8}。さりながら、八貫の布施を取れば扨、いかい亊ぢや程に、後はともあれ、まづ剃らば剃らしませ。
▲女「畏つてござる。三貫でござるの。
▲長老「お、おう。
《びなんながら剃る真似し{*9}、綿帽子被くる内に、》
▲男「わごれはおかいで。はあ剃つたわ。
▲長老「さらば、いざ行かう。
▲男「心得ました。
《坊主先。中男坊主、後比丘尼。》
▲男「これは一段の亊致いた。
▲長老「なう、比丘はちと後からわたしませ{**6}。
▲女「心得ました。
▲長老「これぢや。ものも。案内も。
▲施主「案内とはどなたでござるぞ。
▲長老「高札(たかふだ)の面(おもて)について参つた。
▲施主「御出家達か。
▲長老「なかなか。
▲施主「かう通らせられい。
《とワキ座に直し置く。》
▲比丘「《立つて》
ものも。案内も。
▲施主「誰(た)そ。どなたでござる。
▲比丘「高札の面について参つた。
▲施主「お比丘尼か。
▲比丘「なかなか。
▲施主「こなたはこれへござれ。
《とワキ正面に置く。》
▲長老「さらば、勤(つとめ)いたさう{*10}。
《というて勤めする。新発意もつけて申す{**7}。つとめ過ぎて、亭主あしうちに昆布五枚、長老又五枚{**8}、新発意、比丘の前に三枚置く、》
▲長老「御念の入りました。お菓子まで。
▲施主「これが布施でござる。
▲長老「とてものことに、御布施を申し受けませう{**9}。
▲男「これが御布施でござる。
《肝を潰す。》
▲長老「高札には、五貫と三貫と、布施なされうとござる程に、早う御布施を。
▲施主「いや昔からも、この昆布一枚を一貫、二枚を二貫と申す。これを五貫と申す事でござる。早う仕舞うて帰らせられい。
《そこで、肝を潰す。亭主引つ込む。》
▲男「なうお長老様。五貫と三貫取ると仰しやつたにより、坊主になつたれば、これは何事ぞ。
▲比丘「なうお長老様。昆布を何にしませうぞ。元のやうにして、返させられい。
▲長老「いや某も、かうあらうとは思はなんだ。そなたたちも、よかれかしと思うての事ぢや。
▲男「この様(やう)の坊主になして、聞(きこ)えぬ。わ坊主{*11}、ようして返せ。
《というて、坊主を突き倒す。》
▲長老「これは何事するぞ
《というて掴み合ふ。比丘うろたへて男の足とる。》
▲男「これは某ぢや。
《色々ありて、坊主打ちこかし這入る。》
▲長老「やるまいぞやるまいぞ。
底本:『狂言記 上』「続狂言記 巻の三 八 昆布布施」
底本頭注
1:申し入れ――招待すること。
2:方々(はうばう)の方(かた)を塞(ふさ)げた――諸方から融通し尽したる也。
3:お宿にござれかしぢやまで――「留守でなければよいが」の意。
4:わせた――「来た」。
5:おましたい――「進ぜたい」。
6:俄(にはか)なり――「俄出来」のこと。
7:様(さま)をかゆる――剃髪して法体となること。
8:おきやらいでの――「よせばよいに」也。
9:びなんながら――未詳。
10:勤(つとめ)――「読経」。
11:わ坊主――長老を罵る詞。
校訂者注
1・2:底本に読点はない。
3:底本は「礼にわたせたは」。
4:底本に句点はない。
5:底本は「三貫づつ 布施を」。
6:底本に句点はない。
7:底本に読点はない。
8:底本は「長老又五枚新発意」。
9:底本頭注に「申し受けうといふ――原本かく有れど申し受けませうなどあるべき所也」とあり、それに従った。
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