解題
 一名「梟」。兄弟の男あり。弟、まづ梟にとりつかれ、山伏を頼みしに、兄も亦つかれ、竟に山伏もとりつかる。

梟山伏(ふくろやまぶし)

▲兄「《ワキ正面にて名乗る。》
罷出でたる者は、この辺(あたり)に住居(すまひ)する者でござる。某(それがし)弟を一人持つてござるが、此中(このぢう)山へ柴刈にやつてござれば、何と致したやら、唯うつかりとなり、鳥の鳴く様なことを、時々申す。何とも気の毒な事でござる。それにつき、爰(こゝ)に私に目を懸けらるゝ先達がござる{*1}。今日はこれへ参り、様子を申して、物の憑(つ)いたことならば、祈りのけて貰はうと存ずる。まづ急ぎ参らう。扨も扨も、気の毒な事でござる。参る程にこれぢや。案内申さう。如何にこの内へ、案内申し候。
▲シテ「ふしぎの窓の前{*2}、十帖の床(ゆか)のほとりに、ゆがの法水をたゝへ、三日(にち)の月を澄(すま)す所に、案内申さんと云ふは誰(た)そ。
▲兄「私でござります。
▲シテ「やあ、わごりよは、何と思うておでやつたぞ。
▲兄「唯今参りますは、別義でもござりませぬ。私の弟の太郎を御存じでござりますか。 
▲シテ「なかなか、存じたが、何とした。
▲兄「此中(このぢう)、山へ柴を刈りにやりましたれば、殊の外ほうけまして{*3}、只うつかりとなりました。御大義ながら、おいでなされまして、御祈祷なされ下されますならば、忝(かたじけな)うござりましよ。
▲シテ「それは気の毒な。不憫なことぢや。この間は別行(べつぎやう)の仔細あつて{*4}、何方(いづかた)ヘも参らねども、そなたが事ぢや、行(い)てやらうまで。
▲兄「それは忝うござります。かうござつて下されませ。
▲シテ「なうなう、何と太郎は、只うつかりと計(ばかり)して、物も云はぬか。
▲兄「さやうでござる。時々、鳥の鳴く様な事ばかり申します。
▲シテ「それは不憫な事ぢや。
▲兄「何かと申しますうちに、これでござる。まづ、かうお通りなされませ。
▲シテ「心得た。何と太郎は何所許(どこもと)にゐるぞ。
▲兄「奥に居ります。連れて参りましよ。
▲シテ「連れておりやれ。
▲兄「畏つてござる。これでござります。
▲シテ「これは殊の外うつかりとした体(てい)ぢや。まづ脈をとつて見やう。これは殊の外な邪気ぢや。一加持(ひとかぢ)してやろ{*5}。
▲兄「忝うござります。
▲シテ「それ、山伏と申すは、山に寝起(ねおき)をする故に山伏と名づく。兜巾(ときん)と云つぱ、真黒に染めたる布を、襞を折り頭(かしら)に戴く故に、兜巾と申す。又此珠数は、むざとしたる珠数玉(じゆずだま)を繋ぎて、苛高(いらたか)の珠数と名づく。かほど尊き山伏が、一祈(ひといのり)いのるものならば、などか奇特のなからん。ぼろおんぼろおんぼろおん。いろはにほへと、ぼろおんぼろおん。
▲太「ほゝん。
▲シテ「なうなう、今の聞きやつたか。何やら鳥の鳴く真似をした。何と思ひ当る事はないか。
▲兄「されば、此中(このぢう)山へ参りました時、梟の巣落(おと)し致したと申しましたが{**1}、若(も)し梟が憑きましたか存じませぬ。
▲シテ「それそれ、今のは梟の鳴く声、はや気遣(きづかひ)しやるな。梟の嫌ふ烏の印がある{*6}。これを結びかけ祈つてやろ。
▲兄「それは忝うござります。
▲シテ「如何に悪心なる梟なり共、今一祈(ひといのり)祈るなら、などか奇特のなかるべき。ぼろおんぼろおんぼろおん。橋の下の菖蒲は、ぼろおんぼろおん、誰(た)が植ゑた菖蒲ぞ。ぼろおんぼろおん。
▲太「ほゝん。
▲兄「ほゝん。
▲シテ「これは如何な事。又兄にうつり居つた。扨も扨も気の毒な事かな。待ておのれ。如何に{**2}、あなたへ移り、こなたへ移る梟なりとも、明王(みやうわう)のさつくにて祈るなら{*7}、などか奇特のなかるべき。ぼろおんぼろおんぼろおん。ちりぬるをわか。ぼろおんぼろおんぼろおん{**3}。ほゝんほゝん{**4}。

底本:『狂言記 下』「狂言記拾遺 巻の一 四 梟山伏

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底本頭注
 1:先達――「山伏」。
 2:ふしぎの窓の前――この句、曲にかかる。謡曲にては、「九識の窓の前、十乗の床のほとりに、瑜伽の法水をたゝへ、三密の月を澄ます所に」云々を云ふを例とす。
 3:ほうけまして――失神すること。
 4:別行(べつぎやう)の仔細――特別の修行祈祷をなせること。
 5:一加持(ひとかぢ)して――「加持」は「祈祷」也。
 6:印――呪文を唱へて、指を色々の形に組み合すこと。祈祷の法也。
 7:さつく――「索」也。「縄」のこと。

校訂者注
 1:底本は「申しましたが 若し」。
 2:底本は「▲シテ「如何に」。
 3:底本に句点はない。
 4:底本は「▲シテ「ほゝん」。