解題
祇園会の当番、山の相談す。冠者、差出る。遂に稽古にかゝり、冠者は鬼の役、主人は罪人となりて、冠者、主人を打擲す。
鬮罪人(くじざいにん)
▲主「これは、此辺(このあたり)の者でござる。当年は、某(それがし)が祇園会(ぎをんゑ)の当番に当つてござる。もはや余日もござらぬ程に、今日は各(おのおの)呼びに遣(つかは)し、山の相談を致さうと存ずる。やいやい、太郎冠者(くわじや)、あるかやい{**1}。
▲シテ「はあ、お前に居ります。
▲主「念なう早かつた。汝呼び出すは別儀でない。祇園会も近日ぢやほどに、今日は各呼びに遣し、山の相談極(きは)めうと思ふ程に、汝は各呼うで参れ。
▲シテ「畏つてござる。
▲主「又、汝は何時(いつ)も、ものにさし出てわるい。差出(さしで)な。
▲シテ「畏つてござる。
▲立衆「何(いづ)れもござるか。いざ、今日は誰殿へ、山の相談に参らう。
▲立衆「いかにも参りましよ。さあさあ、ござれござれ。
▲シテ「やあ、はやこれへお出でなされた。御苦労でござります。
▲立衆「御当(ごたう)めでたうござる。
▲主「何れも、御苦労に御出(おいで)でござる。扨、祇園会も近日の事でござる。今日は、山の相談極(きは)めませうと存じ、呼びに進ずる処でござつた。どれからなりとも、思ひ寄らせられた山を云うて御覧(ごらう)ぜ。
▲立衆「いやいや、まづ御亭主から、思ひ寄りを仰せられ。
▲主「それなら、身共の存じ寄りを、申して見ましよ。私の存じますは、まづ山は山でござる。その山に五條の橋をいたし、判官殿の、千人切(ぎり)をなさるゝ様子を致しては、何とござろ。
▲立衆「これは、一段とようござろ。よい山でござる。
▲シテ「申し申し、この山は毎年(まいねん)出る山で、すなはち町の名も、橋弁慶の町と申します。覚(おぼえ)のないことでござる。
▲立衆「まことに、是は太郎冠者が申す通(とほり)でござる。毎年(まいねん)ある山ぢや。
▲主「やあ、又差出居(さしでを)るよ。如何様(いかさま){**2}、これは彼奴(あいつ)が云ふ如く、ある山でござる。又、何(いづ)れもの思ひ寄りを云うて御覧(ごらう)ぜ。
▲立衆「それなら、身共の存じ寄りを申して見ましよ。まづ、山は致して、その山より、郭巨が、黄金(こがね)の釜を掘り出した所を、致しては何とござろ。
▲主「これは一段ようござろ{**3}。珍しい山でござる。これに致さう。
▲シテ「これは如何(いか)なこと。又これに極(きはま)りさうな。申し申し、これは好うござりますまい。これをよかろと仰せらるゝは、合点が参りませぬ。釜といふ物は、家々にあるものでござる。それを掘り出したと云うて、とつとも申しますまい{*1}。これは無用でござる。
▲立衆「まことに、あれが云へば、これは好うない山ぢや。いらぬものに致さう。
▲主「やあ、又差出居(さしでを)る。おのれを頼うで、評議なさるゝか。あつちへはいつて居ろ。いやいや{**4}、この山がようござろ。
▲立衆「これはようござるまい。とかく、太郎冠者が才覚者ぢや。やいやい太郎冠者、こゝへ出よ。
▲シテ「何事でござります。
▲立衆「そちは才覚な者ぢや。何ぞ思ひ寄りがあるか。云うて見よ。
▲シテ「それなら、申して見ましよ。まづ、私の存じまするは、山を拵へ、その裾を野にいたし、其所(そこ)へ罪人を出し、それを、鬼が、山へ上れ上れと、責むる所を致して、囃子物には、鼓、太鼓、鉦(かね)、笛、囃し立てたらば、一つは賑(にぎや)かに珍しうござりましよか。何とござろ。
▲立衆「扨も扨も、たくんだりたくんだり{*2}。これは一段よかろ。これに極(きは)めましよ。
▲主「いやいや、これは悪かろ。めでたい神事に、罪人の、鬼のと云ふ事はなりますまい。無用でござる。
▲シテ「申し申し、とかくこの様な珍しい山は、悪うござろ。橋弁慶が珍しう、ようござろ。
▲主「おのれは憎い奴の。又其所(そこ)へ出居(でを)つて、あつちへ引込(ひつこ)うで居れ引込うで居れ{**5}。とかくこれは悪うござろ。無用になされ。尤も、鬼にはなりてもござらうが、罪人にはなりてがござるまい。
▲立衆「それは、いつもの様に、鬮取(くじとり)に致しましよ。やいやい、太郎冠者、さあさあ鬮を拵へて来い。
▲シテ「畏つてござる。さらば、御取りなされませい。
▲立衆「まづ頼うだ人へ持つて行け{**6}。
▲シテ「畏つてござる。さらば、御取りなされませ。
▲立衆「こなたもお取りなされませ。
▲シテ「申し申し、これは一つ余りました。
▲立衆「それは、汝取れ。
▲主「いやいや、彼奴(あいつ)には取らしますまい。
▲立衆「いつも当屋から、人が一人づつ出ます。汝取れ汝取れ。
▲シテ「それなら取りましよ。扨、此方(こなた)には何のお役でござります。
▲立衆「身共は、笛の役ぢや。
▲シテ「これは御苦労でござります。此方(こなた)には、何のお役でござる。
▲立衆「身共は、鼓ぢや。扨、当屋殿には何の役でござる。
▲主「いや私は、何やらまだ見ませぬ。
▲立衆「それなら、見て進ぜう。どれどれ、おこさせられ。はあ、当屋罪人。
▲シテ「鬼はこれに候。
▲立衆「さあさあ、もはや余日もない。太郎冠者、拵へて稽古せい。
▲シテ「畏つてござる。如何に罪人{**7}。急げ急げとこそ。
▲主「おのれは憎い奴の。身共を序(ついで)に打擲するか。
▲立衆「まづ堪忍なされ。これはどうした事ぞ。
▲主「扨も扨も、憎い奴でござる。よい序(ついで)と思ひ、打擲いたし居る。憎い奴でござる。
▲立衆「尤でござる。云ひつけましよ。まづ待たせられ。やいやい太郎冠者、なぜに打擲するぞ。
▲シテ「いや、もはや責めますまい。
▲立衆「それはなぜに。
▲シテ「何所(どこ)の国か、罪人が鬼を打擲すると云ふ事は、無いことでござる。責めますまい。
▲立衆「それも尤ぢや。さりながら、杖の当らぬ様にせい。
▲シテ「それは、責むる勢(いきほひ)に、当るまいものでもござらぬ。とかくあの様に睨まるれば、責められませぬ。こゝに風流の面(おもて)がござる。これ被(き)て責めましよ。頼うだ人にも、罪人の体(てい)になつて、責められさせいと云うて下され。
▲立衆「心得た。なうなう、只今の、太郎冠者が云うたを、聞かせられたか{**8}。
▲主「なかなか{**9}、聞きました。最早(もはや)これでようござる。
▲立衆「とてもならば、その体(てい)をなされ。拵へて、進ぜう。
▲シテ「如何に罪人。地獄遠きにあらず、極楽遥(はるか)なり。急げ急げとこそ。
▲主「やあ、また打擲し居つた。罰当りめ。何とせう。
▲シテ「あゝ、許させられ許させられ{**10}。
▲主「やるまいぞやるまいぞやるまいぞ。
底本:『狂言記 下』「狂言記拾遺 巻の二 十 鬮罪人」
底本頭注
1:とつとも申しますまい――「賞讃すまじ」の意。
2:たくんだり――「たくむ」は「計画」の意。
校訂者注
1:底本は「あるかい」。
2:底本は「▲主「如何様」。
3:底本は「ようござろ珍。しい」。
4:底本は「▲主「いやいや」。
5:底本は「▲主「とかくこれは」。
6:底本は「頼う人」。底本頭注に、「頼う人――頼うだ人の誤写なるべし」とあり、それに従った。また、底本に句点はない。
7:底本は「▲シテ「如何に罪人」。
8:底本に句点はない。
9:底本に読点はない。
10:底本に句点はない。
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