解題
大晦日に米と古小袖を貰ひし男、背に負ひて帰る。人を負へるが如し。途中、立衆五人、これをとがむ。
米市(よねいち)
▲シテ「これは、この辺(あたり)の者でござる{**1}。一日々々と暮(くら)す程に、今日ははや、大晦日になつてござる。世間を見ますれば、仕舞(しまひ)好うして、歳暮の礼などに歩(あり)く人もあるに、私は仕舞ふことは措(お)いて、何を一色(ひといろ)、年とり物を調(とゝの)へもいたさぬ。気の毒な、しまひかねた事でござる。又こゝに誰殿と申して、私に御目をかけらるゝ御方がござる。何時(いつ)もこれから定めて、年とり物を御合力(ごかふりよく)なさるゝが{*1}、今に沙汰がない。これから参らねば、何とも年を取らうやうもない。只今から参つて、御気の附くやうに申して、貰うて参らうと存ずる。その下心で、この棒を持つて参る。まづ急ぎ参らう。やれやれ誠に、来る年も来る年も、この如くにしまひかねて、迷惑な事でござる。まゐるほどに是ぢや。ものもう。御案内も。
▲アド「表に案内とある。誰ぢや。
▲シテ「いや、私でござります。
▲アド「やあ、わごりよか。定めてしまうて、歳暮の礼に出られたか。
▲シテ「いや、まだ仕舞ひましたやら、しまひませぬやらでござります。
▲アド「はて扨、今日は大晦日、もはや日も晩じたに{*2}、まだしまはぬとは。それも常々働(はたらき)がふせいなによつてぢや{*3}。
▲シテ「私も随分常にも稼ぎますれど、何と致しましたやら、この如くにしまひかねまして、迷惑致します。
▲アド「はて扨、それは苦苦しいことぢや。それにつき、いつも其方(そなた)へ遣(つかは)す合力米(かふりよくまい)は行(い)たか。
▲シテ「いや{**2}、まだ参りませぬ。
▲アド「何と、まだ行かぬか。それなら云ひつけてやらう。
▲シテ「それは忝うござります。
▲アド「やいやい、いつも誰へ遣(つかは)す合力米はやつたか。何と、蔵をしめ松飾(まつかざり)をした。ちとでも出たはないか。何と、半石(はんせき)の又半石出たがあるか{*4}。それは少(すくな)いなあ。なうなう、蔵をはや締めて、飾(かざり)をしたによつて、出たが無いと云ふが、半石の又半石あるが、これなりともまづ遣(や)らうか。
▲シテ「それは忝うござる。それ程ござれば、ざつと年を、夫婦(めうと)の者が取ります。
▲アド「それなら、遣らうほどに、まづそれに待ちやれ。これこれ、これを遣る程に取つて行(い)て、姥(うば)にも見しやれ。
▲シテ「忝うござります。取つて帰り、喜ばしましよ。
▲アド「又春、蔵を開いたら、早々遣らうぞ。
▲シテ「それは愈(いよいよ)忝うござります。それにつきまして、今日路次で、近附(ちかづき)に逢ひましたれば、棒を言伝(ことづ)てました。棒にかけて参りましよ。
▲アド「いかにも、よかろ。
▲シテ「申し申し、これ程なものが、此方(こちら)にも一つござればようござるが、片荷(かたに)ずつて持たれませぬ。
▲アド「さうであらう。
▲シテ「やあ、幸(さいはひ)どれからぞ負うて参つたやら、負縄(おひなは)がござる。負うて参りましよ。
▲アド「一段よかろ。手をかけてやろ。さあ立て。
▲シテ「はあ、丁度よいわ。
▲アド「まづ早う帰つて仕舞(しま)やれ。
▲シテ「毎年々々御蔭でしまひます。忝うござリます。もはや御暇(おいとま)申します。
▲アド「お行きやるか。ようおりやつた。
▲シテ「はあ。なうなう、嬉しや嬉しや。まんまとまづ合力米は貰うた。さりながら、いつもおごう様から{*5}、女ども方(かた)へ、古著(ふるぎ)の御小袖を下さるゝ。これは忘れさせられたか、沙汰がない。これも序(ついで)にお気の附くやうに申して、貰うて参らう。申し申し、ござリますか。
▲アド「やあ、わごりよはまだ往(い)なぬか。
▲シテ「もはや帰りますが、女どもが、おごう様へお言伝(ことづて)申しましたを、失念致しました。
▲アド「それは何と云ふ言伝ぞ。
▲シテ「まづ近い正月でござります、定めて正月お小袖が、出来ましたでござりましよ、姥(うば)らは寒うてこそ居りますれ。春暖かになりまして、御小袖を見に参りませうでこそござりますれと申して、御言伝(おことづて)を申しましてござります。
▲アド「それはようこそ言伝をしられた。それにつき思ひ付けた。いつもおごうが方(かた)から、其方(そなた)の女房へ古著(ふるぎ)を遣(つかは)すが、それは行(い)たか。
▲シテ「いや、まだ是も参りませぬが、それはようござります。
▲アド「いやいや、よいと云ふ事はあるまい。云ひつけてやろ。これこれ、いつも遣る物忘れた。さあさあ取つて行かしめ。おごうが方(かた)から、著古(きふる)したれど遣(つかは)すと云うて、女房衆へやりやれ。
▲シテ「これは結構なお小袖を、忝うござります。女どもに見せて喜ばしましよ。さてこれを、どうして持つて参りましよ。後(うしろ)の俵と相応致さぬ持物(もちもの)でござる。
▲アド「まことに相応せぬが、やあ、致しやうがある。こちへおこしやれ。此俵に打ちかけてやらう。これこれ、ようおりやる。それでは俵もかくす、その儘人を負うた様なわ。
▲シテ「やあ、人を負うたやうなと仰せられますが、時分柄(じぶんがら)でござる。若(も)し道で人が咎めましたら、何と致しましよ。
▲アド「それはよいことがある。若し人が咎めたらば、俵藤太のお娘御{*6}、米市(よねいち)御寮人(ごれうにん)の御里帰りぢやとおしやれ。
▲シテ「さてもさても、まづは俵につき米市、面白うござります。それなら女共も、待ち兼ねて居りましよ。かう参りましよ。まづは御蔭で年を取ります。春は早々夫婦連(めうとづれ)で御礼に参りましよ。
▲アド「いかにも、早々御出やれ。さらばさらば。
▲シテ「はあ。なうなう、嬉しや嬉しや。まんまと二色(ふたいろ)ながら貰うた。まづ帰つて女共に見せて喜ばせう。まことに結構なお方ぢや。あの様な人が無ければ、身共は立たぬ。はあ、大勢歳暮の礼に行く人が来るよ。
▲立衆「何(いづ)れもござるか。
▲立衆四人「皆々これに居ります。
▲立衆「いざ、歳暮の礼に参らう{**3}。
▲四人「なかなか、参りましよ。
▲立「なうなう、あれを見させられたか。人を負うて参る。何人ぢや。尋ねて見ましよ。
▲四人「ようござろ。問はせられ。
▲立「これこれ其処な人。
▲シテ「こちのことか。何事ぢや。
▲立「其方(そなた)の負ひまして居るは、どなたぢや。
▲シテ「何と、この御方か。
▲立「なかなか。
▲シテ「是は俵藤太のお娘御、米市御寮の御里帰(おさとがへり)ぢや。
▲立衆「夫(それ)ならちと用がある。待つてくれさしませ。
▲シテ「用はあるまいが。待てなら待たう。さればこそ咎むるわ。
▲立「なうなう何(いづ)れも、米市御寮は承り及うだ美人ぢや。いざ盃を望みましよ。
▲四人「一段ようござろ。
▲立「これこれ、御寮人のことは承り及んだ美人ぢや。盃を戴きたいと皆云はるゝ。どうぞ頼む。盃をさしてたもれ。
▲シテ「はてさて、わごりよ達は人体(じんてい)と見えたが{*7}{**4}、この途中で、その様な事がなるものか。それはならぬぞ。
▲立「尤もさうでおりやれども、これはよい所で御目にかゝつた。どうでも盃が戴きたい。どうぞ好いやうに申して、さしてたもれ。
▲シテ「はてさて、聞き分(わけ)もない。その様な聊爾なことがあるものか{*8}。それはならぬことぢや。さりながら身共はさう思へど{**5}、又お御寮の何と思召(おぼしめ)すも知らぬ。まづ伺うて見よ。とつとそちへ寄つて居りやれ。
▲立「心得た心得た。伺うて、なるやうにしてたもれ。
▲シテ「必ずこちを見やるな。申し申し、あれに居られます若い衆が、こなたのこと聞き及び、是非とも御盃を頂きたいと申されます。はあ、御尤でござります。私もさやうに存じました。その通(とほり)申しましよ。これこれ若い衆、伺うたれば、たとへ人が云ふとも、その様なことを取り次ぐものか、なかなかてもないと云うて{*9}、殊の外おむづかるによつて、ならぬぞ。
▲立「はてさて、それは聞(きこ)えぬ。其所(そこ)をわごりよに頼む。よいやうに申して、是非とも、御盃をさしてたもれ。
▲シテ「身共も如才でない{*10}。ならうかと思うて申し上げたれど、おむづかるによつてならぬ。思ひ切りやれ。ならぬぞ。ふつつりとならぬ。
▲立「やあ、わごりよは若い者共が、これ程いろいろと最前から頼むに、聞(きこ)えぬ。此上は厭(いや)でも応でも、盃をせねばならぬ。若(も)しならねば、目に物見せうぞ。
▲シテ「それは無理な事を云ふ。目に物見せだてしたと云うて、何程の事があらう。おいてくれ。
▲立「悔(くや)むなよ。
▲シテ「悔むことはないぞ。
▲立「おのれ憎い奴の。たつた今思ひ知らせうぞ。さあさあ、いづれも、とかく埒が明かぬ。皆寄せさせられ。
▲四人「心得ました。
▲五人「えいとうえいとうえいとう。
▲シテ「おのれら何程の事があらう。
▲五人「扨も扨も、強い奴でござる。何とせうぞ。
▲立「これこれ、身共は後(うしろ)から廻つて、あの御寮人を連れて参らうほどに、又いづれもは、一度寄せさせられ。
▲四人「心得ました。えいとうえいとうえいとう{**6}。
▲シテ「えいとうえいとう、えいえい、おう。
▲四人「さてもさても、強い奴でござる。
▲立「はあ、これは騙された。俵ぢや。何の役に立たぬものぢや。何(いづ)れも帰らせられ帰らせられ。
▲四人「扨も扨も、騙されたことかな。
▲シテ「やいやい、これと盃がなるならせいでな。
▲立「おのれ、これと盃がなるものか。いらぬやい。
▲シテ「やあやあ、盃をせいでな。さうもおりやるまい。それなら、これは身共取つて帰つて、年取物(としとりもの)にするわやい。
底本:『狂言記 下』「狂言記拾遺 巻の五 八 米市」
底本頭注
1:御合力(ごかふりよく)――「御加勢」の意。「おめぐみ」。
2:晩(ばん)じた――「くれた」。
3:ふせい――「不精」。精を出さぬこと。
4:半石(はんせき)の又半石――五斗の半分なり。二斗五升也。
5:おごう様――女の尊称也。こゝは「奥様」のこと。
6:俵藤太云々――藤原秀郷を俵(元は田原)藤太と云ふより、こゝはその秀句を用ゐたる也。
7:人体(じんてい)――相当の人柄。
8:聊爾(れうじ)――「粗相」。
9:なかなかてもない――「勿論盃はならぬ」の意。
10:如才(じよさい)――原本、「如在」に作る。
校訂者注
1:底本は「者でござる、」。
2:底本は「いや まだ」。
3:底本に句点はない。
4:底本は「見えたがこ、の途中で」。
5:底本は「さう思へど 又お御寮の」。
6:底本は「えいとう(二字以上の繰り返し記号二つ)、」。
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