三人長者(さんにんちやうじや)(脇狂言)
▲アト「これは、近江の国、蒲生の長者でござる。
▲小アト「大和の国、一森長者でござる。
▲アト「何と思し召す。この様に、一所(しよ)に願ひが叶うて、国元へ下ると申すは、めでたい事ではござらぬか。
▲小アト「仰せらるゝ通り、互ひに首尾よう長者号を拝領すると申すは、忝(かたじけな)い事でござる。
▲アト「扨、ついでながら、この辺をすこし見物致して、その後(のち)、国元へ下らうと存ずるが、何とでござらう。
▲小アト「これは、一段とようござらう。
▲アト「それならば、しばらく休足(きうそく)致さう。これへござれ。
▲小アト「心得ました。
▲シテ「河内の国、せゝなぎ長者と申す者でござる。この度、都へ登り、上頭(うへとう)へ願ひ、長者号を拝領致し、十分の仕合(しあはせ)で、唯今、国元へ下る。まづ、そろりそろりと参らう。誠に、年月の念願、この度成就いたし、この様な嬉しい事はござらぬ。国元の一家一門、さぞ悦ぶと存ずる。
▲アト「これへ、歴々と見ゆる人が通られまする。言葉をかけませう。
▲小アト「ようござらう。
▲アト「申し申し。
▲シテ「此方(こなた)の事でござるか。
▲アト「見ますれば、御仁体でござる。どれからどれへ通らせらるゝ。
▲シテ「私は、河内の国、せゝなぎ長者と申す者でござる。この度、長者号の願ひに罷りのぼり、十分の仕合(しあはせ)で、ただ今、本国へ帰る事でござる。
▲アト「成程、承り及うでござる。私は、近江の国、蒲生の長者でござる。
▲小アト「某(それがし)は、大和の国、一森長者でござる。
▲シテ「これは、不思議な所でお目に懸つてござる。すなはち、都で、御両人の事も承つた。何と思召す。この上は、三人とも、此所(こゝ)に逗留致し、長者になつた謂(いは)れを、互ひに噺し合(あは)うと存ずるが、何とござらう。
▲アト「これは、一段とようござらう。
▲シテ「それならば、まづ、下にござれ。
▲二人「心得ました。
▲シテ「扨、一森殿から、まづ語らせられい。
▲小アト「心得ました。まづ、某を一森(いちもり)長者と申す事は、葛城や高間の山の麓に、一の森・二の森・三の森とて、三つの森あり。中にも、一の森の林は、稲荷大明神を勧請の地なるにより、我、常々、正直の頭(かうべ)をかたぶけ、造酒(みき)・洗米(せんまい)をそなへ、信心に、富貴繁昌を祈りければ、かたのごとく御利生(ごりしやう)あつて、程なく、栄華栄耀の身となり、方(はう)八町に館を建て、蔵に蔵を打ち、五穀万宝、満ち満ちたり。なんぼうおびたゞしき謂(いは)れにては候はぬか。
▲シテ「扨々、奇特な系図でござる。
▲アト「身共も語りませう。
▲シテ「一段とようござらう。
▲アト「まづ、某が先祖は、近江の国蒲生の何某(なにがし)とて、隠れもなき貧者にて、余り苦しき浮住居(うきずまゐ)、朝夕(てうせき)の煙、絶えだえなりしに、とかく仏神に祈り、福徳を得んと思ひ、山王権現に、一つ七日(にち)、通夜申しけるに、満ずる暁、権現、枕神に立たせ給ひ、汝、先立ちし二親に不孝なる天罰にて、かゝる貧賤の身となる。この後(のち)、法華経を読誦して、父母に供養せば、二親、たちまち仏果を得、汝は富貴の身とならんと、忝くも夢の御告げを承り、それより、懇ろに菩提を弔ひしかば、めつきめつきと仕合(しあはせ)なほり、某が代(だい)に到りては、金銀米銭、満ち満ちたり。末広がり、蒲生の長者と仰がれ申す。なんぼう奇特なる事にては候ぬか。
▲シテ「扨も扨も、聞き事でござる。さらば、某も噺しませう。某をせゝなぎ長者と申す事は、浅き所へ水流るゝを、せゝらぎと申す。されば、某は、生れつき正直正路(せいろ)にして、老いたるを敬ひ、いとけなきを憐れみ、友に交はりて争はず、へり下り驕らず、物事にへつらはず、貧敷をあなどらず、慈悲を忘れず、善に誇らず。されば、天の憐れみにや、ある夕暮に、何心もなく杖を持ち、かのせゝなぎをせゝりけるに、光明かくやくたる物をせゝり出す。見れば、閻浮提金(えんぶだごん)の大黒天なり。これはめでたき福の神と悦び、斎(いは)ひ籠めしよりこの方(かた)、七珍万宝、雨と降り湧き、隠れ蓑に隠れ笠、打出の小槌の威徳を持つて、庭には金銀の砂(いさご)を敷き、四方に四面の蔵を打ち、活計歓楽に誇る事も、ひとへに、せゝなぎ大黒天の御利生(ごりしやう)なれば、河内の国、せゝなぎ大福長者と呼ばはれ申す。なんぼう正しい謂(いは)れにては候はぬか。
▲アト「これは、承り事でござる。
▲小アト「いかさま、奇特な系図でござる。
▲シテ「扨、かやうに、三人の長者が、此所(こゝ)へ集まると申すは、不思議な事でござる。これと申すも、天下安全の印(しるし)なれば、いざ、酒宴を始めて、その後は、三人ともに、高らかに名乗つて、国元へ帰らうと存ずるが、何とござらう。
▲アト「これは、一段とようござらう。
▲シテ「しからば、私、お酌に立ちませう。
▲二人「一段とようござらう。
{と云ひて、シテより段々、酌に立つ。色々面白く、酒・謡あるがよし。シテ、小舞舞ひたるもよし。色々、口伝。}
▲シテ「かゝるめでたい折なれば、三人つれ舞(まひ)に舞ひませう。いざ、立たせられい。
▲二人「心得ました。
▲シテ「めでたかりける、
▲三人「時とかや。
{三段の舞、常の如し。三人、ツレ舞。但し、一人、シテばかりにても。太鼓打上。}
▲シテ「あれなる長者の名はいかに。
▲小アト「大和の国に隠れもなき、一森長者とは、我が事なり。
▲シテ「こゝなる長者の名はいかに。
▲アト「近江の国に隠れもなき、蒲生の長者とは、我が事なり。
▲小アト「そこなる長者の名はいかに。
▲シテ「高き屋に、高き屋に、登りて見れば煙立つなる、民のかまどは賑(にぎは)ふ家に、いつも物は沢山なる、せゝなぎ長者とは、我が事なり。
▲二人「いづれも劣らぬ三人の長者、高らかに名のり、いづれも劣らぬ三人の長者は、国々指してぞ帰りける。
底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.)
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三人長者(サンニンチヨオジヤ)(脇狂言)
▲アト「是は近江の国蒲生の長者で御座る▲小アト「大和の国一森長者で御座る▲アト「何と思召す、此様に一ツ所に願ひが叶ふて、国本へ下ると申すは、目出たい事では御座らぬか▲小アト「仰らるゝ通り、互に首尾よう長者号を拝領すると申すは忝けない事で御座る▲アト「扨ついでながら、此辺をすこし見物致して、其後国元へ下らうと存ずるが何とで御座らう▲小アト「是は一段とよう御座らう▲アト「夫ならば、しばらく休足致さふ是へ御座れ▲小アト「心得ました▲シテ「河内の国せゝなぎ長者と申す者で御座る、此度都へ登り、上頭へ願ひ長者号を拝領致し、十分の仕合で、唯今国元へ下る、先そろりそろりと参らう、誠に年月の念願此度成就いたし、此様な嬉しい事は御座らぬ、国元の一家一門嘸悦ぶと存ずる▲アト「是へ歴々と見ゆる人が通られまする、言葉をかけませう▲小アト「よう御座らう▲アト「申々▲シテ「此方の事で御座るか▲アト「見ますれば、御仁体で御座る、どれからどれへ通らせらるゝ▲シテ「私は河内の国せゝなぎ長者と申す者で御座る、此度長者号の願ひに罷のぼり十分の仕合で唯今本国へ帰る事で御座る▲アト「成程承はり及ふで御座る、私は近江の国蒲生の長者で御座る▲小アト「某は大和の国一森長者で御座る▲シテ「是は不思議な所でお目に懸つて御座る、乃ち都で御両人の事も承はつた、何と思召す此上は三人共此所に逗留致し、長者になつた謂れを互に噺し合ふと存ずるが何と御座らう▲アト「是は一段とよう御座らう▲シテ「夫ならば先下に御座れ▲二人「心得ました▲シテ「扨一森殿から先語らせられい▲小アト「心得ました、先某を一森長者と申す事は、葛城や高間の山の麓に一の森二の森三の森とて三つの森あり、中にも一の森の林は稲荷大明神を勧請の地成るにより、我常々正直のかうべをかたぶけ、造酒洗米をそなへ、信心に富貴繁昌を祈ければ、かたのごとく御利生あつて、程なく栄華栄ようの身となり、方八町に館を建て蔵に蔵を打五穀万宝満ち満ちたり、なんぼうおびたゞ敷謂にては候はぬか▲シテ「扨々奇特な系図で御座る▲アト「身共も語りませう▲シテ「一段とよふ御座らう{*1}▲アト「先某が先祖は、近江の国蒲生の何某とて隠れもなき貧者にて、余り苦敷浮住居朝夕の煙たえだえ成しに、兎角仏神に祈り福徳を得んと思ひ、山王権現に一つ七日通夜申しけるに、まんずる暁権現枕神にたゝせ給ひ、汝先きだちしふた親に不孝なる天罰にて、かゝる貧賤の身となる、此後法華経を読誦して、父母に供養せば二た親忽ち仏果を得、汝は富貴の身とならんと忝なくも夢の御告を承り、夫より懇ろに菩提を弔らひしかば、めつきめつきと仕合なほり、某が代に到りては金銀米銭みちみちたり、末広がり蒲生の長者とあふがれ申す、なんぼう奇特なる事にては候ぬか▲シテ「扨も扨も聞事で御座る、さらば某も噺しませう、某をせゝなぎ長者と申す事は、浅き所へ水流るゝをせゝらぎと申すされば某は生れつき正直正路にして、老いたるを敬ひ、いとけなきをあはれみ、友に交りてあらそはず、へり下りおごらず、もの事にへつらはず、貧敷をあなどらず、慈悲をわすれず、善にほこらず、然れば天のあはれみにや、ある夕暮に何心もなく、杖をもちかのせゝなぎを、せゝりけるに光明かくやくたる物をせゝり出す、見ればゑんぶだごんの大黒天なり、是は目出度福の神と悦び、いはひこめしより此方七珍万宝雨と降りわき、障れみのに隠れ笠打出の小槌の威徳を持つて、庭には金銀のいさごをしき、四方に四面の蔵を打くわつけい歓楽にほこる事も、偏にせゝなぎ大黒天の御利生なれば、河内の国せゝなぎ大福長者と呼はれ申す、なんぼう正しい謂にては候はぬか▲アト「是は承はり事で御座る▲小アト「いかさまきどくな系図で御座る▲シテ「扨此様に三人の長者が此所へあつまると申すは不思議な事で御座る、是と申すも天下安全の印なれば、いざ酒宴を始めて其後は三人共に高らかに名乗つて国本へ帰らうと存ずるが、何と御座らう▲アト「是は一段とよふ御座らう▲シテ「然らば私お酌に立ませう▲二人「一段とよふ御座らう{ト云てシテより段々酌に立色々面白く酒謡あるがよしシテ小舞舞たるもヨシ色々口伝}▲シテ「かゝる目出たい折なれば、三人つれ舞に舞ませう、いざ立せられい▲二人「心得ました、▲シテ「目出たかりける▲三人「時とかや{三段の舞如常三人ツレ舞但し一人シテ計にても太鼓打上}▲シテ「あれなる長者の名はいかに▲小アト「大和の国に隠れもなき、一森長者とは我が事なり▲シテ「爰なる長者の名はいかに▲アト「近江の国に隠れもなき、蒲生の長者とは我事なり▲小アト「そこなる長者の名はいかに▲シテ「高きやに登りて見れば煙たつなる、民のかまどは賑はふ家に、いつも物は、沢山なる、せゝなぎ長者とは我が事なり▲二人「いづれもおとらぬ三人の長者高らかに名のり、いづれもおとらぬ三人の長者は、国々さしてぞ、帰りける。
校訂者注
1:「よふ御座らう」は、底本のまま。
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