夷毘沙門(えびすびしやもん)(脇狂言)

▲アト「この辺りに住居致す、有徳な者でござる。某(それがし)、美人の独り娘を持つてござる。誰にはよるまい、氏素性気高うして、富貴にあらうずる者を、聟にとらせて下されいと、鞍馬の毘沙門天、西の宮の夷三郎殿へ、祈誓申してござれば、まづ、高札(かうさつ)を打てよと、御示現を蒙つてござる。急ぎ、高札を打たうと存ずる。
《一セイ》▲毘沙門「{*1}そもそもこれは、鞍馬の毘沙門とは、我が事なり。さる程に、辺り近い所に有徳な者があつて、美人の独り娘を持つて、誰にはよらず、氏素性(うぢすじやう)気高うして、富貴な者を聟にとらせてくれいと、某に祈誓する。まづ高札を打てよと、示現を下(おろ)いた。惣じて某程、氏素性気高うして、富貴な者はあるまい程に、参つて聟にならうと存ずる。
▲アト「表に案内がある。案内とは何方(どなた)でござる。
▲毘「高札の表について、鞍馬辺より聟の望(のぞみ)で参つです。
▲アト「鞍馬辺と仰らるゝは、もし、多門天にてばしござるか。
▲毘「まず、その様な者ぢや。
▲アト「さてさて、これまでの御来臨、ありがたう存じまする。まづ、奥へ御移座(ごいざ)なされませ。
《一セイ》▲シテ「{*2}そもそもこれは、西の宮の夷三郎殿にて、おりやらします。こゝに有徳な者、美人の独り娘を持つ。氏素性気高く、福寿そなはりたる聟をとらせてくれいと、我に祈る。まづ高札を打ていと、示現を下(おろ)いた。およそ、某程の福人はあるまいによつて、参つて聟にならうと存ずる。誠に、舅は仕合者(しあはせもの)ぢや。某が聟になつてござらば、その身の事は云ふに及ばず、隣郷までも富貴する事は、うたがひもない事ぢや。何かと云ふ内に、これぢや。さればこそ、これに高札がある。扨も扨も、黒々に書いた。まづ、これは某が引くです。西の宮より聟の望で参つた。
▲アト「さう仰らるゝは、もし、夷三郎殿でばしござるか。
▲シテ「遅い推、遅い推。夷三郎、これまで出現してあるぞ。
▲アト「これまでのお出、ありがたうござる。さりながら、最前、鞍馬の毘沙門天、先に聟の望で、お出なされてござる。
▲シテ「何、毘沙門が来た。あれは、仏体を得た者ぢや程に、聟の望というては、来まい事ぢやが。
▲毘「舅々。
▲アト「はあ。
▲毘「表に聟せんさくのあるは、何事ぢや。
▲アト「西の宮の夷三郎殿のお出でござる。
▲毘「何じや、西の宮のさぶが来た。
▲アト「早、これへお通りなされてござる。
▲毘「やいやい、それへ来たは、西の宮のさぶかいやい。
▲シテ「さう云ふは、鞍馬の毘沙か。
▲毘「舅々、あのさぶが此所(こゝ)へ来たを、急度推量した。
▲アト「何と御推量なされてござる。
▲毘「某が聟入をする事が、西の宮の果(はて)まで隠れがなうて、定めて、生肴が大分いらうと思うて、魚を商売に来た者であらう。
▲シテ「舅々、あの毘沙の此所(こゝ)へ来たを、夷三郎が急度推量した。
▲アト「何と御推量なされてござる。
▲シテ「この度、某の聟入が、鞍馬の山のづゝとの奥まで、隠れがなうて、定めて、生肴が大分散りばはうによつて、虫をおこさせてはなるまいと思うて、山椒の皮を売りに来たと存ずるよ。
▲アト「互ひの御雑言はお止めなされて、とかく、何(いづ)れなりとも、御威光めでたい富貴なお方を、聟に定めたうござる。
▲毘「舅々、これはよい所をおしやつた。惣じて、我と我が事は、云ひにくい。さぶが身の上を、語つて聞せう。
《語》それ、多門といつぱ、四王寺(わうじ)の主(しゆ)として、須弥(しゆみ)の衆生を守り、貧なる者に福を与へ、富貴万福に栄えさするも、偏(ひとへ)に、この多門が守る故なり。さるによつて、年の初めの初寅と祝はれ、威光を顕はす。又、あのさぶが身の上を語つて聞せう。神と言はれば、いかなる森林にも住まずして、市の中に住んで、草鞋(わらんず)履き物に踏み越えられ、たまたま思ひてせんとては、小船に取り乗り、沖の方へ出、穂すべの先にて造酒を呑み、絹の立つはつし、布の立つはつし、着たる分に、衆生済度はなるまいぞ。
▲シテ「それこそ、衆生済度の為なれいで。某が身の上を、語つて聞かせう。
《語》伊弉諾・伊弉冉の尊、天(あま)の岩倉の苔むしろにて、男女夫婦の語らひをなし、日神(にちじん)・月神(げつじん)・蛭子(ひるこ)・素戔嗚(すさのを)の尊を儲け給ふ。蛭子とは、某が御事。天照太神(てんせうだいじん)より三番目の弟なるによつて、西の宮の夷三郎殿と祝はれ、氏素性、誰にか劣り申すべき。又、あの毘沙は、仏とならば、人間近き所に住みもせで、鞍馬のづゝとの山の奥に住んで、敵も持たぬ詰要鎮、この先以て無用なり。その上、あの毘沙には、主(しう)があるぞとよ。
▲毘「主があらう事は。
▲シテ「増長広目多門持国と云ふ時は、大仏は、汝が為に主ではないか。
▲毘「主でない。
▲シテ「いや主ぢや。
▲毘「突かうぞよ。
▲シテ「釣らうぞよ。
▲アト「{*3}いかにやいかにや、聞き給へ。誠の聟に成りたくば、宝を我にたび給へ。
▲毘「いでいで宝を与へんとて、
{舞働一段。太鼓打上。}
▲毘「いでいで宝を与へんとて、悪魔降伏、災難を払ふ、鉾を舅にとらせけり。
▲シテ「和殿におれも劣るまじ
{舞一段。太鼓打上。}
▲シテ「和殿におれも劣るまじとて、造り冥加、商ひ冥加、万の幸ひあらする釣針を、魚ながらこそは、とらせけれ。
▲毘「猶も舅に欲しがりて、甲を脱いで、舅にとらせ、
▲シテ「烏帽子を脱いで、舅にとらせ、
▲二人「何れも劣らぬ福殿なれば、何れも劣らぬ福殿なれば、この所にこそ納まりけれ。ヤ、エイヤイヤ。
{と、両人、くわつし留めで、入るなり。}

校訂者注
 1:底本、「そもそもこれは、鞍馬の毘沙門とは、我が事なり」に、傍点がある。
 2:底本、「そもそもこれは、西の宮の夷三郎殿にて、おりやらします」に、傍点がある。
 3:底本、ここ以降、全て傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.

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夷毘沙門(ヱビスビシヤモン)(脇狂言)

▲アト「此辺りに住居致す有徳な者で御座る、某美人の独り娘を持て御座る、誰にはよるまい、氏素性気高うして。富貴に有うずる者{*1}を聟にとらせて下されいと、鞍馬の毘沙門天西の宮の夷三郎殿へ祈誓申して御座れば、先高札をうてよと御示現を蒙つて御座る、急ぎ高札をうたうと存ずる▲毘沙門「《一セイ》抑是は鞍馬の毘沙門とは我事也、去程に辺り近い所に有徳な者が有て、美人の独り娘を持て。誰にはよらず{*2}氏素性気高うして。富貴な者を聟にとらせて呉いと。某に祈誓する先高札をうてよと示現をおろいた、惣て某程氏すじやうけ高ふして。富貴な者は有まい程に。参つて聟に成うと存ずる▲アト「表に案内が有る、案内とは何方で御座る▲毘「高札の表に就鞍馬辺より聟の望で参つです{*3}▲アト「鞍馬辺と仰らるゝは若多門天にてばし御ざるか▲毘「先其様な物ぢや▲アト「扨て扨て是迄の御来臨難有う存じまする、先奥へ御移座被成ませ▲シテ「《一セイ》抑是は、西の宮の夷三郎殿にて。おりやらします、爰に有徳な者。美人の独り娘をもつ。氏素性気高く、福寿そなはりたる聟をとらせてくれいと我に祈る、先高札を打ていと示現をおろいた、凡そ某程の福人は有まいに依つて。参つて聟に成うと存ずる、誠に舅は仕合者ぢや、某が聟に成て御座らば、其身の事は云ふに及ばず、隣郷迄も富貴する事はうたがひもない事ぢや、何かと云ふ内に是ぢや、去ばこそ{*4}是に高札が有る、扨も扨も黒黒に書た、先是は某が引です{*5}西の宮より聟の望で参つた▲アト「さう仰らるゝはもし夷三郎殿でばし御座る{*6}▲シテ「おそい推おそい推夷三郎是迄出現して有るぞ▲アト「是迄のお出有難う御座る、乍去最前鞍馬の毘沙門天先に聟の望でお出被成て御ざる▲シテ「何毘沙門が来た、あれは仏体を得た者ぢや程に。聟の望といふてはこまい事ぢやが▲毘「舅々▲アト「はあ▲毘「表に聟せんさくの有るは何事ぢや▲アト「西の宮の夷三郎殿のお出で御ざる▲毘「何じや西の宮のさぶが来た▲アト「早是へお通り被成て御座る▲毘「やいやい、夫へ来たは西の宮のさぶかいやい、▲シテ「さう云ふは鞍馬の毘沙か▲毘「舅々あのさぶが此所へ来たを急度推量した▲アト「何と御推量被成て御座る▲毘「某が聟入をする事が。西の宮の果迄隠れがなうて。定めて生肴が大分いらうと思ふて魚を商売にきた者で有う{*7}▲シテ「舅々あの毘沙の此所へ来たを夷三郎が急度推量した▲アト「何と御推量被成て御座る▲シテ「此度某の聟入が鞍馬の山のつゝとの奥迄隠れがなうて定めて生肴が大分散ばおふに依て、虫をおこさせては成まいと思ふて、山桝の皮を売りに来たと存ずるよ▲アト「たがひの御雑言はお止め被成て、とかく何れ成共御威光目出たい、富貴なお方を聟に定めたう御座る▲毘「舅々是はよい所をおしやつた、惣て我と我が事は云にくい。さぶが身の上を語つて聞せう「《語》夫多門といつは四王寺の主としてしゆみの衆生を守り、貧成者に福をあたへ富貴万福に栄えさするも、偏に此多門が守る故也。去るによつて年の初めの初寅と祝はれ威光を顕はす、又あのさぶが身の上を語つて聞せう、神といはれば。いか成る森林にも住ずして、市の中にすんでわらんずはき物にふみこへられ、たまたま思ひてせんとては小船に取乗沖の方へ出穂すべの先にて造酒を呑絹の立はつし、布の立はつし着たる分に衆生済度は成るまいぞ▲シテ「夫社衆生さいとの為なれいで某が身の上を語て聞かせう《語》伊弉諾伊弉冉{*8}の尊天まの岩倉の苔むしろにて、男女夫婦のかたらいをなし、日神月神ひるこすさのをの尊{*9}をもうけ給ふ、蛭子とは某が御事天照太神より三番目の弟成るに依て、西の宮の夷三郎殿と祝はれ、氏素性誰にかおとり申すべき。又あの毘沙は仏とならば人間近き所に住もせで。鞍馬のづゝとの山の奥に住んで{*10}。敵も持たぬ詰要鎮、是先以て無用成、其上あの毘沙には主か有ぞとよ{*11}▲毘「主が有う事は{*12}▲シテ「増長広目多門持国と云ふ時は大仏は汝が為に主ではないか{*13}▲毘「主でない▲シテ「いや主ぢや▲毘「突うぞよ{*14}▲シテ「釣うぞよ{*15}▲アト「いかにやいかにや聞給へ。誠の聟に成たくば。宝を我にたび給へ▲毘「いでいで宝をあたへんとて{舞働一段太鼓打上}▲毘「いでいでたからをあたへんとて。悪魔かうぶく災難をはらう鉾を舅にとらせけり▲シテ「和殿におれもおとるまじ{舞一段太鼓打上}▲シテ「わとのにおれもおとるまじとて造り冥加商ひ冥加、万の幸ひあらする釣針を魚ながらこそはとらせけれ▲毘「猶も舅にほしがりて、甲をぬいで{*16}しうとにとらせ▲二人「烏帽子をぬいで{*17}舅にとらせ▲二人「何れもおとらぬ福殿なれば、いづれもおとらぬ福殿なれば此所にこそ納りけれヤエイヤイヤ{ト両人くわつしとめて入なり}

校訂者注
 1:底本は、「有うする者」。
 2:底本は、「誰にはよらす」。
 3:底本は、「参つてす」。
 4:底本は、「去(され)はこそ」。
 5:底本は、「▲シテ「西の宮より」。
 6:底本は、「夷三郎殿てばし御座る」。
 7:底本は、「者て有う」。
 8:底本は、「伊弉伊弉冉(いさなぎいさたみ)」。
 9:底本は、「そさなうの尊」。
 10:底本は、「つくとの山の奥に」。
 11:底本は、「主(しう)か有(あり)そとよ」。
 12:底本は、「主(しゆ)か有(あら)う事は」。
 13:底本は、「主(しう)しはないか」。
 14:底本は、「突(つき)うそよ」。
 15:底本は、「釣(つり)うそよ」。
 16:底本は、「甲をぬいて」。
 17:底本は、「烏帽子をぬいて」。