夷大黒(えびすだいこく)(脇狂言)

▲アト「帰る嬉しき古郷(ふるさと)に、帰る嬉しき古郷(ふるさと)に、行きて妻子に逢はうよ。これは、河内の国交野(かたの)の里に、住居(すまひ)する者でござる。某(それがし)、親に孝を尽くす故にや、次第に富貴の身となつてござる。さりながら、猶も子孫繁昌に致す様に、比叡山三面六臂の大黒天に、祈誓申してござれば、西の宮夷三郎殿へ参詣申せと、新たに御夢想を蒙つてござる。それ故、すぐに西の宮に参詣申してござれば、家の内に勧請申せと、乃ち、三郎殿のお告げでござる。かやうのありがたき事は、ござらぬ。まづ、急いで帰つて、勧請致さうと存ずる。誠に、信心あるは徳ありと申すが、日頃、某が正直に致すによつて、かやうの御利生もござると存じて、別(わ)けて忝い事でござる。いや、何かと申す内に、私宅ぢや。かやうの事は、妻子にも知らさぬ事ぢや。まづ、密(ひそ)かに注連飾りを張り、勧請致さうと存ずる。一段と良い。まづ、様子を伺はうと存ずる。
{下り段、二人出るなり。一の松にて留る。太鼓打上。}
▲シテ「大黒と、大黒と、夷は心合(あは)せつゝ、多くの宝取り持つて、衆生にいざや与へん、衆生にいざや与へん。
▲アト「これへ、賑々(にぎにぎ)とお出なされたは、何方(どなた)でござる。
▲恵「これこそ、西の宮にて契約したる、夷三郎。これまで顕れ出であるぞとよ。
▲シテ「これは、比叡山三面六臂の大黒天なるが、汝が歩みを運び、信仰する故に、福を与へんと思ひ、これまで出現してあるぞとよ。
▲アト「はあ、ありがたう存じまする。とてもの事に、家の内へ御来臨なされませ、扨、恐れ多うござれども、何とぞ、御両所様の御威徳を、この家の内に仰せ残されて下さるならば、ありがたう存じませう。
▲恵「さあらば、追つ付け、威徳を語らう。よう聞け。
▲アト「畏つてござる。
▲恵「《語》そもそも夷三郎といつぱ、伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)の尊(みこと)、天(あま)の岩倉の苔筵(こけむしろ)にて、男女夫婦の語らひをなし、日神(にちじん)・月神(ぐわつじん)・蛭児(ひるこ)・素盞(すさのを)の尊を儲け給ふ。蛭児(ひるこ)とは、某が事。天照太神(てんせうだいじん)より三番目の弟なるによつて、西の宮の夷三郎と崇(あが)められ、氏素性、誰にか劣り申すべき。貧なる者には福を与へ、富貴万福に栄えさするも、皆、某が守る故なり。なんぼう奇特なる子細にてはなきか。
▲アト「これは、ありがたい御系図を承つてござる。乃ち、大黒天へも願ひまする。
▲シテ「某は、さぶ殿の系図には劣らうずれども、追つ付け、語らうぞ。
▲アト「それは、ありがたう存じまする。
▲シテ「《語》そもそも、比叡山延暦寺は、伝教大師、桓武天皇と御心を一つにして、延暦年中に開闢し給ふ。されば、一念三千の機を以て、三千人の衆徒を置き、仏法、今に繁昌なり。その時、伝教大師、三千人を守らん天夫(てんぷ)をと、祈誓し給ふ。その時、この大黒、出現す。伝教のたまはく、いや、大黒は、一日に千人をこそ扶持し給へ。この山には、三千の衆徒あれば、それを守らん天夫をこそ、安置あるべけれと、ありしかば、その時この大黒天、大きに怒りをなし、いで、さらば奇特を見せんとて、忽ち三面六臂と現ず{*1}。これこそ三面六臂の謂(いは)れなり。なんぼう奇特なる事にては、候はぬか。
▲アト「扨々、これもありがたい事でござる。いよいよ行く末、繁昌にお守りなされて下さりませ。
▲恵「さあらば、宝を与へて取らせうぞ。
▲シテ「某も、宝を与ようぞ。
▲アト「ありがたう存じまする。
▲恵「{*2}治まる御代のお肴に、
{舞ひ働き一段。太鼓打上。}
治まる御代のお肴に、夷は釣りを垂れんとて、鼠啼(ねずな)きをしつゝ棹を垂れ、めでたいを釣り上げたる、宝を和殿に取らせけり。
▲シテ「その時、大黒進み出で、
{夷の通り、舞ひ一段。太鼓打上。}
その時、大黒進み出て、打出の小槌を押つ取りのべて、大地を丁々と打つあとよりも、七珍万宝湧き出たる、数の宝を袋に入れて、汝にこそは取らせけり。
▲二人「いづれも劣らぬ夷・大黒、帰らんとせしが、又立帰り、猶も所の福殿とならむ、猶も所の福殿とならむと、この所にこそ収まりけれ。
{ヤ、エイヤイヤ、と、くわつし留めで、入るなり。}

校訂者注
 1:底本は、「現(あらは)す」。
 2:底本、ここ以降、全て傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.

前頁  目次  次頁

夷大黒(ヱビスダイコク)(脇狂言)

▲アト「帰る嬉敷古郷に、帰る嬉敷古郷に、行て妻子に逢ふよ、是は河内の国交野の里に住居する者で御座る、某親に孝をつくすゆゑにや、次第に富貴の身と成て御座る、乍去猶も子孫繁昌にいたす様に比叡山三面六ツぴの大黒天に祈誓申して御座れば西の宮夷三郎殿へ参詣申せと。あらたに御夢想を蒙つて御座る、夫故直に西の宮に参詣申して御座れば、家の内に勧請申せと。乃ち三郎殿のお告で御座る、か様の難有事は御座らぬ、先急いで帰つて勧請致さふと存ずる、誠に信心有は徳有と申すが{*1}。日頃某が正直に致すに依て。か様の御利生も御座ると存じて、別て忝ない事で御座る、いや何かと申す内に私宅ぢや。か様の事は妻子にも知らさぬ事ぢや、先づ密にしめかざりをはり勧請致さうと存ずる。一段とよい、先様子を伺ふと存ずる{下り段二人出るなり一の松にて留る太鼓打上}▲シテ「大黒と大黒と夷は心あはせつゝ、多くの宝とり持て、衆生にいざやあたへん、衆生にいざやあたへん▲アト「是へ賑々とお出被成たは何方で御座る▲恵「是こそ西の宮にて契約したる夷三郎、是迄顕れ出で有ぞとよ{*2}▲シテ「是は比叡山三面六ツ臂の大黒天成が、汝があゆみをはこび信仰するゆへに、福をあたへんと思ひ。是迄出現して有ぞとよ▲アト「はあ有難ふ存じまする、迚もの事に家の内へ御来臨被成ませ、扨恐れ多う御座れ共。何卒御両所様の御威徳を。此家の内に仰残されて下さるならば有難ふ存じませう▲恵「さあらば追付威徳を語うよう聞け▲アト「畏つて御座る▲恵「《語》抑夷三郎といつぱ{*3}、いざなきいざなみの尊。あまのいはくらのこけむしろにて。男女夫婦のかたらいをなし、日神月神蛭児素盞の尊を儲け給ふ。ひることは某が事。天照太神より三番目の弟成に依つて、西の宮の夷三郎と崇られ、氏素性誰にかおとり申べき貧成者には福をあたへ富貴万福に栄えさするも皆某が守るゆへなり。なんぼう奇特成子細にてはなきか▲アト「是は有り難い御系図{*4}を承つて御座る、乃はち大黒天へも願ひまする、▲シテ「某はさぶ殿の系図{*5}にはおとらうづれ共。追付語らうぞ、▲アト「夫は有難う存じまする▲シテ「《語》抑比叡山延暦寺は伝教大師桓武天皇と御心を一つにして、延暦年中に開闢し給ふ。去ば{*6}一念三千の機を以て。三千人の衆徒を置き、仏法今に繁昌也、其時伝教大師三千人を守らん、天夫をと祈誓し給ふ。其時此大黒出現す、伝教の給はく。いや大黒は一日に千人をこそ扶持し給へ、此山には三千の衆徒あれば、夫を守らん天夫をこそ安置有べけれと有しかば、其時此大黒天大きにいかりをなし、いでさらば奇特を見せんとて忽ち。三面六つぴと現す、是こそ三面六ツぴの謂なり。なんぼう奇特成事にては候はぬか▲アト「扨々是も有難い事で御座る。いよいよ行末繁昌にお守り被成て下さりませ▲恵「さあらば宝をあたへてとらせうぞ▲シテ「某も宝をあたやふぞ▲アト「有難う存じまする▲恵「治る御代のお肴に{舞はたらき一段太鼓打上}治る御代のお肴に夷は釣をたれんとて、鼠啼をしつゝ棹をたれ、めでたいを釣上たる宝を和とのにとらせけり▲シテ「其時大黒すゝみ出{夷の通舞一段太鼓打上}其時大黒すゝみ出て、打出の小槌を押取のへて、大地を丁々と打つ跡よりも、七珍万宝わき出たる数の宝を袋に入て、汝にこそはとらせけり▲二人「いづれもおとらぬ夷大黒帰らんとせしが、又立帰り、猶も所の福殿とならむ猶も所の福殿とならむと。此所にこそ。おさまりけれ、ヤエイヤイヤ{トクワツシ留メテ入ル也}{*7}

校訂者注
 1:底本は、「申すか」。
 2:底本は、「有そとよ」。
 3:底本は、「夷三郎といつは」。
 4・5:底本は、「景図」。
 6:底本は、「去(され)は」。
 7:底本は、「ヤエイヤイヤトタソツン留メヲ入ル也」。