餅酒(もちざけ)(脇狂言)

▲アト「加賀の国の御百姓でござる。毎年(まいねん)、御嘉例として、大晦日境(おほつもぐりさかひ)に持つて登り、元日に上頭(うへとう)へ捧ぐる、実相坊(じつさうばう)の菊酒でござる。去年は、木の芽峠の大雪に障(さゝ)へられ、当年まで延引致したれば、只今持つて登らうと存ずる。誠に、去年上ぐる御年貢を、当年まで延引致したによつて、御前(ごぜん)の首尾が何とござらうぞ、心元ない事でござる。何とぞ、首尾よう納めて参ればよいが。いや、これまで参つたれば、いかう草臥(くたび)れた。しばらくこれに休らうて、似合(にあは)しい者も通らば、言葉を掛けて同道致さうと存ずる。
▲シテ「越前の国の御百姓でござる。毎年、御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に上頭へ捧ぐる、円鏡でござる。去年は、木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年まで延引致したれば、只今持つて登らうと存ずる。まづ、急いで参らう。誠に、戸ざゝぬ御代と申すは、今この時でござる。天下治まり、めでたい御代なれば、上々(うへうへ)の御事は申し上ぐるに及ばず、下々(したじた)までも、存ずるまゝの、めでたい折柄でござる。
▲アト「これへ一段の者が参つた。言葉を掛けう。なうなう、これこれ。
▲シテ「この方の事でおりやるか。
▲アト「成程、そなたの事ぢや。和御料(わごれう)は、どれからどれへお行きある。
▲シテ「身共は、用を前に当てゝ、後(あと)から前(さき)へ行く者でおりやる。
▲アト「これはいかな事。誰あつて、用を後ろに当てゝ、前(さき)から後へ行く者はない。真実は、どれからどれへお行きある。
▲シテ「まづ和御料は、どれからどれへお行きある。
▲アト「身共は、加賀の国の御百姓でおりやる。毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日上頭へ捧ぐる、実相坊の菊酒でおりやる。去年は、木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年まで延引致した。遅なはつてはあれども、今持つて登る事でおりやる。
▲シテ「すれば、そなたの隣の者ぢや。
▲アト「隣りでは、遂に見ぬ人ぢやぞや。
▲シテ「越前の国の御百姓でおりやる。
▲アト「はあ、扨は国隣りといふ事か。
▲シテ「中々。
▲アト「して、何と。
▲シテ「毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に上頭へ捧ぐる円鏡でおりやる。去年は木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年まで延引致した。遅なはつてはあれども、今持つて登る事でおりやる。
▲アト「扨は、さうでおりやるか。言葉を掛くるも、別の事ではない。何と、同道召さるまいか。
▲シテ「幸ひ、独りで連れ欲しう存じた。成程、同道致さう。
▲アト「それならば、いざ、お行きあれ。
▲シテ「何が扨、そなたが先(せん)ぢや。そなたからお行きあれ。
▲アト「先と仰(お)しやる程に、身共から参らうか。
▲シテ「一段と良からう。
▲アト「さあさあ、おりやれ。
▲シテ「心得た。
▲アト「扨、ふと言葉を掛けたに、早速同心召されて、この様な嬉しい事はない。
▲シテ「牛は牛連れ、馬は馬連れといふが、そなたも百姓、身共も百姓。
▲アト「それそれ。
▲シテ「このやうな似合うた良い連れはあるまい。
▲アト「あはれ、御舘も一緒であれかし。
▲シテ「よし御舘は違はうとも、都までは、とつくりと同道致さうぞ。
▲アト「いや、何かと云ふ内に、早、都ぞや。
▲シテ「誠に都ぢや。
▲アト「乃ち、身共が上ぐる御舘はこれぢや。
▲シテ「はあ、和御料が上ぐる御舘は、早これか。
▲アト「中々。
▲シテ「身共が上ぐる御舘は、まだづつと上(かみ)でおりやる。
▲アト「その様な事を存じたらば、路次でお茶なりとも申さうものを。かつて存ぜなんだ。
▲シテ「それは互ひでおりやる。又戻りにも、此所(こゝ)で待ち合(あは)せて、最前の所までは、とつくりと同道致さうぞ。
▲アト「必ず、その筈でおりやる。
▲シテ「もう、かう参る。
▲アト「何と、お行きあるか。
▲シテ「中々。
▲二人「さらばさらば。
▲シテ「とは云ひたけれども、身共が上ぐる御舘も、これでおりやる。
▲アト「扨々、ざれ事をはたさぬものぢや。してそなたは、時の御奏者で上ぐるか、但し、引き付けがあるか。
▲シテ「身共は、時の御奏者で上ぐる。
▲アト「身共は引き付けがあるによつて、身共から上げやう程に、しばらくそれにお待ちあれ。
▲シテ「心得た。
{アト、下に居て、扇を広げ、出る。この間に、奏者出るなり。}
▲小アト「今日(こんにち)の奏者でござる。
▲アト「物も、案内も。
▲小アト「何者ぢや。
▲アト「はあ。加賀の国の御百姓でござる。毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に捧げまする、実相坊の菊酒でござる。去年は木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年まで延引致してはござれども、只今持つて登つてござる。御前の首尾を、宜しう頼み存ずる。
▲小アト「御蔵(みくら)の前へ納めませい。
▲アト「畏つてござる。
{正面へ出て、納むる心持ちあり。}
▲小アト「やいやい、百姓は汝一人(いちにん)か。
▲アト「まだ御門前(ごもんぜん)に、越前の国の御百姓がをります。
▲小アト「上頭へは、一緒に申し上げう。これへ出よと云へ。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「何と、上げさしましたか。
▲アト「成程、上げておりやる。そなたの事を申し上げたれば、上頭へは一緒に仰せ上げられうとのお事ぢや。あれへお出あれ。
▲シテ「して、御奏者はどれにござる。
▲アト「づつと奥にござる。
▲シテ「心得た。
{下にて扇を広げ、}
▲シテ「百姓の怖(お)めたは、悪いものぢや。のし切つて参らう。物も、案内もう。はあ、この辺りではないさうな。物もう、頼みませう。
▲小アト「何者ぢや。
▲シテ「はあ。越前の国の御百姓でござる。毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に捧ぐる円鏡でござる。去年は木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年まで延引致してはござれども、今持つて登つてござる。御前の首尾を、宜しう頼み存じまする。
▲小アト「御蔵の前へ納めませい。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「何と、上げさしましたか。
▲シテ「あゝ、そなたは、御奏者は奥にござると仰(お)しやつたが、口にござつて、よい肝をつぶした。
▲アト「身共が上げた時には奥にござつたが、それは、定めて今の間に、口へ出させられたものであらう。
▲シテ「何を仰(お)せある。口にござつた。
▲アト「いや、奥にござつた。
{と云ひて争ふ内に、奏者云ふなり。}
▲小アト「両国の御百姓、かくの通り。はあ、はあ。やいやい、両国の御百姓。
▲二人「そりや、召すわ。はあ。
{ト云つて、二人出る。}
▲小アト「両国の御百姓に、去年上ぐる御年貢を、当年まで延引致したとあつて、曲事(くせごと)に思(おぼ)し召す。さりながら、同じ日の同じ時に、持つて登つたとあつて、御感(ぎよかん)に思し召す。さうあれば、折節、お歌の御会の砌(みぎり)なれば、両国のお百姓に、御年貢によそへて、歌を一首づつ詠め、との事ぢや。急いで詠みませい。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「これは、お煩(わづら)ひに、置かせられたが、良うござりませう。
▲小アト「汝は、何と聞いた。
▲シテ「折節、お歌の御会の砌なれば、両国の御百姓に、御年貢を下されうと、承はつてござる。
▲小アト「いやいや、さうではない。汝は、何と聞いた。
▲アト「折節、お歌の御会の砌なれば、両国の御百姓に、御年貢によそへて、歌を一首づゝ詠め、との御事ではござらぬか。
▲小アト「成程、その通りぢや。急いで詠みませい。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「いや、これこれ。歌とは何の事ぢや。
▲アト「まづ、案じてお見やれ。
▲シテ「はあ、案ずれば、出(づ)るか。
▲アト「中々。
▲シテ「案ずれば、出(づ)るよなう。
▲アト「かうもあらうか。
▲シテ「はや出たか。
▲アト「まづ、申し上げて見やう。
▲小アト「何と。
▲アト「呑みふせる。
▲小アト「呑みふせる。
▲アト「酔ひのまぎれに年一つ、打越し酒の二年酔ひかな。
▲小アト「一段と出来た。さあさあ、汝も詠め。
▲シテ「はあ、歌と申すものは、今の様なものでござるか。
▲小アト「中々。
▲シテ「かうもござりませうか。
{と云ひて、「呑みふせる」を云ふなり。}
▲小アト「やいやいやい、そこなやつ。
▲シテ「はあ。
▲小アト「それは、あの者の詠うだ歌ぢや。なぜに、汝が御年貢によそへて詠まぬ。
▲シテ「でも、歌と申すものは今の様なものぢやと、仰せられたによつて、詠みました。
▲小アト「あゝ、これこれ。そなたの御年貢によそへねばならぬ。
▲シテ「扨は、身共が御年貢によそへねばならぬか。
▲アト「中々。
▲シテ「はて、むつかしい事ぢやなう。
{と云ひて、案ずる。}
▲シテ「かうもござりませうか。
▲小アト「何と。
▲シテ「年の内に。
▲小アト「年の内に。
▲シテ「餅は搗(つ)きけり一年を、去年(こぞ)とや食はん今年とや食はん。
▲小アト「一段と出かいた。両国の御百姓、かくの通り。はあ、はあ。やいやい、時のお笑草に仰せ出だされたを、一段と出かしたとあつて、御感に思し召す。さうあれば、万雑公事を御赦免なさるゝぞ。
▲二人「それは、ありがたう存じまする。
▲小アト「喜ベ喜ベ。
▲二人「はあ。
▲アト「心がはれりとした。
▲シテ「心が心がはれりとした。
{と云ひて、二人、大きに笑ふ。}
▲小アト「やいやい、御前近いに、何を声高(こわだか)に云ふ。はあ、はあ。さればこそ、申さぬ事か。あまり汝等が大きな声をして笑ふによつて、この度は、大きな歌をもう一首づゝ詠め、との御事ぢや。急いで詠みませい。
▲二人「畏つてござる。
▲アト「あゝ、和御料が、あまり大きな声をして、笑ふによつてぢや。
▲シテ「何を云ふ。汝が、くはくはらめくによつてぢや。
▲アト「はて、和御料ぢや。
▲シテ「はて、そなたぢや。
{と云ひて、互ひに争ふ。}
▲小アト「やいやい、両人共に、論は無用。急いで詠みませい。
▲二人「畏つてござる。
▲アト「かうもござりませうか。
▲小アト「何と。
▲アト「盃は。
▲小アト「盃は。
▲アト「空と土との間(あい)の物、富士をつきずのはうにこそ呑め。
▲シテ「大空に。
▲小アト「大空に。
▲シテ「はゞかる程の餅もがな、生けらう一期(いちご)かぶり食らはん。
▲小アト「一段と出かした。両国の御百姓、かくの通り。はあ、はあ。やいやい、前世(ぜんせ)下された事はなけれども、お流れを下さるゝ。これへ寄つて頂戴せい。
▲二人「それはありがたう存じまする。
▲小アト「扨、汝等は、冥加に叶うた者どもぢや。
▲シテ「何(いづ)れ私どもは、冥加に叶ひました者どもでござりまする。
▲小アト「さあさあ、汝も呑め。
▲アト「ありがたう存じまする。
▲小アト「引き違へて、三献(さんこん)づゝ呑め。
▲シテ「猶以つて、ありがたう存じまする。
{二人、三献づゝ呑む。小アト、つぐなり。}
▲小アト「扨、この上は、お暇(いとま)を下さるゝ程に、洛中を賑々(にぎにぎ)と、舞ひ立ちにせい。
▲二人「畏つてござる。
▲アト{*1}「松の酒屋(さかや)や梅壺の、柳の酒こそすぐれたれ。
▲シテ「年々に、つき重ねたる舞の袖。
▲二人「かへす袂や、ねすらん。
{三段の舞。太鼓打上。}
▲二人「やらめでたう、やらめでたう。そもそも酒は、百薬の長として、寿命を延ぶ。その上、酒に十(とを)の徳あり。旅行に慈悲あり、かんきに衣あり、推参に便りあり。扨又、餅は、万民に用ゐられ、白金黄金(しろかねこがね)所領持ち、白金黄金所領持ちの上に、猶国持ちこそめでたけれ。

校訂者注
 1:底本、ここ以降、全て傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.

前頁  目次  次頁

餅酒(モチザケ)(脇狂言)

▲アト「加賀の国の御百姓で御座る、毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に上頭へ捧る実相坊の菊酒で御座る、去年は木のめ峠の大雪にさゝへられ、当年迄延引致したれば、唯今持つて登らうと存ずる、誠に、去年あぐる御年貢を、当年迄延引致したに依つて、御前の首尾が何と御座らうぞ心元ない事で御座る、何卒首尾よう納めて参ればよいが、いや是迄参つたればいかう草臥た、しばらく是に休らうて、似合しい者も通らば、言葉を掛て同道致さうと存ずる▲シテ「越前の国の御百姓で御座る、毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に上頭へ捧る円鏡で御座る、去年は木のめ峠の大雪にさゝへられ、当年迄延引致したれば、唯今持つて登らうと存ずる、先急いで参らう、誠に、戸ざゝぬ御代と申すは今此時で御座る、天下納り目出たい御代なれば、上々の御事は申上るに及ばず、下々迄も、存ずるまゝの目出たい折柄で御座る▲アト「是へ一段の者が参つた、言葉を掛う、なうなう是々▲シテ「此方の事で御りやるか▲アト「成程そなたの事ぢや、和御料はどれからどれへお行きある▲シテ「身共は用を前にあてゝ、後から前へ行く者でおりやる▲アト「是はいかなる事、誰あつて用をうしろにあてゝ、前から後へ行く者はない、真実はどれからどれへお行きある▲シテ「先和御料はどれからどれへお行きある▲アト「身共は、加賀の国の御百姓でおりやる、毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日上頭へ捧る実相坊の菊酒でおりやる、去年は木のめ峠の大雪にさゝへられ、当年迄延引致した、おそなはつてはあれ共、今持つて登る事でおりやる▲シテ「すればそなたの隣の者ぢや▲アト「隣りでは遂に見ぬ人じやぞや▲シテ「越前の国の御百姓でおりやる▲アト「はあ扨は国隣りといふ事か▲シテ「中々▲アト「してなんと▲シテ「毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に上頭へ捧る円鏡でをりやる、去年は木のめ峠の大雪にさゝへられ、当年迄延引致した、おそなはつてはあれ共、今持つて登る事でおりやる▲アト「扨はさうでおりやるか、言葉を掛るも別の事ではない、何と同道めさるまいか▲シテ「幸ひ独りでつれほしう存じた、成程同道致さう、▲アト「夫ならばいざお行きあれ▲シテ「何が扨てそなたが先んじや、そなたからお行きあれ▲アト「先んとおしやる程に身共から参らうか▲シテ「一段とよからう▲アト「さあさあおりやれ▲シテ「心得た▲アト「扨て、ふと言葉を掛たに、早速同心召されて、此様な嬉しい事はない▲シテ「うしは牛づれ馬はうまづれといふが、そなたも百姓身共も百姓▲アト「夫れ夫れ▲シテ「此やうな似合ふたよいつれはあるまい▲アト「あはれ御舘も一つ所であれかし▲シテ「よし御舘は違はう共、都迄はとつくりと同道致さうぞ▲アト「いや何彼といふ内に早都ぞや▲シテ「誠に都ぢや▲アト「乃ち身共が上る御舘は是ぢや▲シテ「はあ和御料が上る御舘は早是か▲アト「中々、▲シテ「身共が上る御舘はまだづつとかみでおりやる▲アト「其様な事を存じたらば、路次でお茶なり共申さうものを、曽て存ぜなんだ▲シテ「夫は互でおりやる、又戻りにも此所でまち合せて、最前の所迄はとつくりと同道致さうぞ▲アト「かならず其筈でおりやる▲シテ「もうかう参る▲アト「何とお行きあるか▲シテ「中々▲二人「さらばさらば▲シテ「とはいゝたけれ共、身共が上る御舘も是でおりやる▲アト「扨て扨てざれ事をはたさぬ者ぢや、してそなたは時のお奏者で上るか但し引付があるか▲シテ「身共は時のお奏者で上る▲アト「身共は引付があるに依つて、身共から上やう程に、しばらく夫におまちあれ▲シテ「心得た{アト下に居て扇をひろげ出る此間に奏者出る也{*1}}▲小アト「今日の奏者で御座る▲アト「物も案内も▲小アト「何者ぢや▲アト「はあ{*2}、加賀の国の御百姓で御座る、毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に捧げまする実相坊の菊酒で御座る、去年は木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年迄延引致しては御座れ共、唯今持つて登つて御座る、御前の首尾を宜しう頼み存ずる▲小アト「御蔵の前へ納ませい▲アト「畏て御座る{正面へ出て納る心持有}▲小アト「やいやい、百姓は汝一人か▲アト「まだ御門前に、越前の国のお百姓がをります▲小アト「上頭へは一つ所に申上う、是へ出よといへ▲アト「畏て御座る▲シテ「何と上さしましたか▲アト「成程あげて居りやる、そなたの事を申上げたれば、上頭へは一つ所に仰上げられうとのお事ぢや、あれへお出あれ▲シテ「してお奏者はどれに御座る、▲アト「づつと奥に御座る▲シテ「心得た{下にて扇をひろげ}▲シテ「百姓のおめたはわるい者ぢや、のし切つて参らう、物も案内もう、はあ、此あたりではないさうな、物もう頼ませう▲小アト「何者ぢや▲シテ「はあ、越前の国のお百姓で御座る、毎年御嘉例として、大晦日境に持つて登り、元日に捧る円鏡で御座る去年は木の芽峠の大雪にさゝへられ、当年迄延引致しては御座れ共、今持つて登つて御座る、御前の首尾を宜しう頼み存まする▲小アト「御蔵の前へ納ませい▲シテ「畏て御座る▲アト「何と上げさしましたか▲シテ「あゝそなたはお奏者は奥に御座るとおしやつたが口に御座つて{*3}、よい肝をつぶした、▲アト「身共があげた時には奥に御座つたが、夫は定めて今の間に口へ出させられた者で有らう▲シテ「何をおせある口に御座つた▲アト「いや奥に御座つた{ト云て争ふ内に奏者云也}▲小アト「両国のお百姓かくの通り、はあ、はあ、やいやい両国のお百姓▲二人「そりやめすは、はあ{ト云つて二人出る}▲小アト「両国のお百姓に去年上る御年貢を当年迄延引致したとあつて曲事に思しめす去ながら、おなじ日のおなじ時に持つて登つたと有つて御感におぼしめす、さうあれば、折節お歌の御会の砌なれば両国のお百姓に御年貢によそへて、歌を一首宛よめとの事ぢや、急いでよみませい▲アト「畏つて御座る▲シテ「是はおはずらいに{*4}おかせられたがよう御座りませう▲小アト「汝は何ときいた▲シテ「折節お歌の御会の砌りなれば、両国のお百姓に、御年貢を下されうと承はつて御座る▲小アト「いやいやさうではない、汝は何ときいた▲アト「折節お歌の御会の砌りなれば、両国のお百姓に、御年貢によそへて、歌を一首づゝよめとのお事では御座らぬか▲小アト「成程其通りぢや、急いでよみませい▲アト「畏つて御座る▲シテ「いや是々歌とは何んの事ぢや▲アト「先案じてお見やれ▲シテ「はあ案ずればずるか▲アト「中々▲シテ「案ずればずるよなう▲アト「かうも有らうか▲シテ「はや出たか▲アト「先申上て見やう▲小アト「何と▲アト「呑ふせる▲小アト「呑ふせる▲アト「酔のまぎれに年一つ、打越し酒の二年酔かな▲小アト「一段と出来た、さあさあ汝もよめ▲シテ「はあ歌と申す者は、今の様な物で御座るか▲小アト「中々▲シテ「かうも御座りませうか{ト云て呑ふせるを云なり}▲小アト「やいやい、やいそこなやつ▲シテ「はあ▲小アト「夫はあの者のようだ歌ぢや、なぜに汝が御年貢によそへてよまぬ▲シテ「でも歌と申す者は、今の様な者ぢやと仰せられたに依つてよみました▲小アト「あゝ是々、そなたの御年貢によそへてよまねばならぬ▲シテ「扨は身共が御年貢によそへねばならぬか▲アト「中々▲シテ「はてむつかしい事ぢやなう{ト云て案ずる}▲シテ「かうも御座りませうか▲小アト「何と▲シテ「年の内に、▲小アト「年の内に▲シテ「餅はつきけり一年を、去年とやくはん今年とやくはん▲小アト「一段と出かいた、両国のお百姓かくの通り、はあ、はあ、やいやい、時のお笑草に仰出されたを、一段と出かしたとあつて御感に思し召す、さうあれば万ぞう公事を御赦免被成るゝぞ、▲二人「夫は有難ふ存じまする▲小アト「よろこベよろこベ▲二人「はあ▲アト「心がはれりとした▲シテ「心が心がはれりとした{ト云て二人大きに笑ふ}▲小アト「やいやい、御前近いに何をこわ高にいふはあ、はあ、さればこそ申さぬ事か、あまり汝等が大きな声をして笑ふに依つて、此度は大きな歌を、もう一首宛よめとのお事ぢや、急いでよみませい▲二人「畏つて御座る、▲アト「あゝ和御料が、あまり大きな声をして笑らふに依つてぢや▲シテ「何をいふ、汝がくはくはらめくに依つてぢや▲アト「はて和御料ぢや▲シテ「はてそなたぢや{ト云て互にあらそう}▲小アト「やいやい、両人共に論は無用、急いでよみませい▲二人「畏つて御座る▲アト「かうも御座りませうか▲小アト「何と▲アト「盃は{*5}▲小アト「盃は▲アト「空と土とのあいの物、ふじをつきずのはうにこそのめ▲シテ「大空に{*6}▲小アト「大ぞらに▲シテ「はゞかる程の餅もがな、いけらういちごかぶりくらはん、▲小アト「一段と出かした、両国のお百姓かくの通り、はあ、はあ、やいやい、前世下された事はなけれ共、お流れを下さるゝ、是へよつて頂戴せい▲二人「夫は有難う存じまする、▲小アト「扨て汝等は、冥加に叶ふた者共ぢや▲シテ「何れ私共は冥加にかないました者どもで御座りまする▲小アト「さあさあ汝ものめ▲アト「有難う存じまする▲小アト「引違へて三献づゝ呑め▲シテ「猶以つて有難う存じまする{二人三献宛呑小アトつぐなり}▲小アト「扨此上はお暇を下さるゝ程に、洛中を賑々と舞立にせい▲二人「畏つて御座る▲アト「松の酒カ屋や梅壺の、柳の酒こそ、すぐれたれ▲シテ「年々に、つきかさねたる舞の袖▲二人「かへす袂やねすらん{*7}{三段の舞太鼓打上}▲二人「やら目出たうやら目出たう、そもそも酒は百薬の長として寿命をのぶ、そのうへ酒に十の徳あり旅行に慈悲ありかんきに衣あり、推参に便りあり、扨又餅は万民にもちゐられしろかねこがね所領持、しろかねこがね所領持のうへに、猶国もちこそ、目出たけれ。

校訂者注
 1:底本は、「此間に二奏者出る也」。
 2:底本は、「はあゝ」。
 3:底本は、「口に御座て」。
 4:「おはずらいに」は、底本のまま。この箇所、文意がとり難い。
 5:底本は、「▲アト「盃は▲小アト「盃は空と土との」。
 6:底本は、「▲シテ「大空に▲アト「大空に」。
 7:「ねすらん」は、底本のまま。この箇所、文意がとり難い。