唐人相撲(たうじんずまふ)(二番目 三番目)
▲アト「これは、日本の相撲取でござる。某(それがし)、さる仔細あつて、この所に久々罷りあり。古郷(ふるさと)懐かしう存ずる折節、今日はこの殿(でん)へ御幸(みゆき)と承つてござる。御暇(おいとま)を奏聞申さうと存ずる。
{真の乱席にて出るなり。シテに長柄さしかける先へ、小童、正釼持つ。小唐人、列(なら)び押さへ、通辞。}
▲ツウジ「皆々承り候へ。今日(こんにち)、この殿へ御幸にて候ふ間、奏聞ありたき面々は、罷り出で、申し上げ候へ。その分、心得候へ、心得候へ。
▲アト「いかに奏聞申し候。
▲ツウジ「《唐音》奏聞とは何事にてあるぞ。
▲アト「これは、日本の相撲取でござる。久々、此処に逗留致してござる。あまり古郷懐かしうござる程に、この度、帰国仕(つかまつ)りたうござる。この段、お取り合(あは)せをもつて、仰せ上げられて下されい。
▲ツウジ「御機嫌をもつて、申し上げうずるにてあるぞ。しばらく待ちませい。
{こゝにて、シテ、唐音あつてから、通辞、王の前に座し、日本人帰国の心持ち、唐音使ふ。王、通辞に向うて唐音使ふ。通辞、受くる。}
▲ツウジ「日本人、居まするか。
▲アト「これに居まする。
▲ツウジ「その由、奏聞申したれば、乃ち、御暇を下さるゝとの御事ぢや。ありがたう存じませい。さりながら、名残に今一度、相撲を叡覧なされうずるとの御事ぢや。身拵へをして、相撲を取りませい。
▲アト「畏つてござる。
{通辞、唐音にて小唐人へ触るゝ。唐人、皆々唐音。アト、太鼓座にて素袍をとる。}
▲ツウジ「拵へが良くば、日本人、あれへ出ませい。
▲アト「畏つてござる。
{と云ひて出る。それより代はり代はり、小唐人出る。通辞、指図し、相撲を取らせる。皆々、唐人負くる。ことごとく、行司は通辞なり。王、相撲の内、通辞を呼びて、褒美を云ふ。唐音あり。}
▲ツウジ「日本人、居まするか。
▲アト「これに居まする。
▲ツウジ「殊の外、相撲を出かしまするとあつて、御感心なさるゝ。ありがたう存じませい。
▲アト「冥加に叶ひましてござる。
▲ツウジ「暫く休息致しませい。
▲アト「畏つてござる。
{通辞、小唐人へも唐音。「精を出せ」と云ふ心持なり。}
▲ツウジ「日本人、出ませい。
▲アト「畏つてござる。
{又、相撲あり。王、相撲の間、色々心持ちあり。扨、相撲過ぎて、王、通辞呼び寄せて、心にて「王、相撲を取らん」といふ心を、唐音にて云ふなり。}
▲ツウジ「日本人、この度は、帝王がお取りなされうとの御事ぢや。ありがたう存じませい。
▲アト「恐れ多うござれども、勅諚なれば、ありがたう存じまする。
▲ツウジ「お身拵へをなさるゝ内、しばらく待ちませい。
▲アト「畏つてござる。
{これより、楽。笛吹き出す。シテ、屋台の上にて一段舞。唐団扇・腰帯・狩衣・半切。着附け、悉く楽に合(あは)せて、段々渡す。小唐人、次第々々に受け取り、次へ廻す。衣装、皆脱ぎて、通辞を呼ぶ。但し、中頃の工夫に、王、楽一段舞つて、小唐人を呼びて、囁(さゝや)く。小唐人、次の小唐人二人を招きて、前後より右の衣装を手伝はせ、脱がせるなり。扨、通辞を呼ぶ。唐音あり。楽止めて、以上。通辞、畏つて、日本人を出し、行司をする。王、手合(てあひ)、常の通り。飛び違つて、扨、日本人取りつかんとする。王、日本人を払ひ除(の)けて、台の上へ逃げて登る。小唐人、大勢出て、日本人を除ける。王、通辞を呼ぶ。唐音を使ふなり。}
▲ツウジ「やいやい、勅諚には、下々(しもじも)の分として、玉体に触(さは)りましたによつて、むさう思し召さるゝとあつて、逆鱗甚だしい。さるによつて、重ねて御身に荒菰(あらこも)を纏(まと)はせられて、相撲をお取りなされうとの御事ぢや。しばらく待ちませい。
▲アト「畏つてござる。
{又、楽吹き出す。小唐人二人、菰に紐を付けて、正面に持ち出し居る。一段巻いて、楽の内に菰の穴を見て、手を入れんとする。危ふき心持ち、仕様あるべし。しかしながら、あまり長きは悪(あ)し。遂に菰の穴へ両手を通ずるなり。小唐人二人出、後ろにてとくと結びて入る。王、台の方へ行きて、腰を掛け居る。初め・中、大様(おほやう)にする事、専一なり。扨、通辞を呼ぶ。唐音。楽止まる。通辞出で、畏(かしこま)る。王、唐音あり。}
▲ツウジ「日本人、出ませい。
▲アト「畏つてござる。
{と云うて出て、平伏する。通辞、行司する。常の通り、飛び違つて相撲取る。アト、引き廻し、小股とる。王、急(せ)きて唐音使ふ。小唐人、大勢寄つて引き付け、日本人を叱る心なり。}
▲ツウジ「日本人、退出せい。
▲アト「畏つてござる。
{と云うて入るなり。扨、大勢小唐人、王を抱き抱へて入るなり。但し、王入る時、手車に乗せて入るもよろし。中返り、殊の外危ふし。無きにはしかじ。三番か、強(し)ひて五番かなり。古来は衣装も甚だ軽(かろ)き事なり。今、当世美し過ぎたり。随時考ふべし。}
底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.)
唐人相撲(トオジンズモオ)(二番目 三番目)
▲アト「是は日本の相撲取で御座る、某去る仔細有つて此所に久々罷在、古郷なつかしう存る折節{*1}、今日は此殿へ御幸と承はつて御座る、お暇を奏聞申さうと存る{真の乱席にて出るなりシテに長柄さしかける先へ小童正釼持小唐人列押へツウジ}▲ツウジ「皆々承り候へ、今日此殿へ御幸にて候間、奏聞有度面々は罷出申上候へ、其分心得候へ心得候へ▲アト「いかに奏聞申候▲ツウジ「《唐イン》奏聞とは何事にて有ぞ▲アト「是は日本の相撲取で御座る、久々此所に逗留致て御座る、余り古郷なつかしう御座る程に、此度帰国仕りたう御座る、此段お取合せをもつて仰上られて下されい▲ツウジ「御機嫌をもつて申上うずるにてあるぞ、しばらくまちませい{爰にてシテ唐イン有てからツウジ王の前に座し日本人帰国の心持唐音つかう王ツウジに向うて唐音つかうツウジ受る}▲ツウジ「日本人居まするか▲アト「是に居まする▲ツウジ「其由奏聞申たれば、乃ちお暇を下さるゝとのお事ぢや、有難う存ませい去ながら、名残に今一度相撲を叡覧なされうずるとのお事ぢや。身拵をして相撲を取ませい▲アト「畏つて御座る{ツウジ唐音にて小唐人へ触る唐人皆々唐音アト太鼓座にて素袍をとる}▲ツウジ「拵がよくば日本人あれへ出ませい▲アト「畏つて御座る{ト云て出る夫よりかはりがはり小唐人出るツウジ指図し相撲を取らせる皆々唐人負ることごとく行司はツウジなり王相撲の内ツウジを呼て褒美を云唐音あり}▲ツウジ「日本人居まするか▲アト「是に居まする▲ツウジ「殊の外すまふを出かしまするとあつて御かんしんなさるゝ、有難う存ませい▲アト「冥加に叶ひまして御座る▲ツウジ「暫く休息致ませい▲アト「畏つて御座る{ツウジ小唐人へも唐音精を出せと云心持なり}▲ツウジ「日本人出ませい▲アト「畏つて御座る{亦相撲有王相撲の間イロイロ心持有扨相撲過て王ツウジ呼よせて心にて王相撲をとらんと云心を唐音にて云なり}▲ツウジ「日本人此度は帝王がお取りなされうとのお事ぢや、有難う存ませい▲アト「恐れ多う御座れ共勅諚なれば有難う存まする▲ツウジ「お身拵を被成るる内、しばらくまちませい▲アト「畏つて御座る{是より楽笛吹き出すシテ屋台の上にて一段舞唐団扇腰帯狩衣半切着附悉く楽にあはせて段々渡す小唐人次第々々に請取り次へ廻す衣装皆ぬぎてツウジを呼、但し中頃の工夫に{*2}王楽一段舞つて小唐人を呼てさゝやく小唐人次の小唐人二人を招て前後より右の衣装を手伝せぬがせる也扨てツウジを呼唐音あり楽とめて以上{*3}ツウジ畏つて日本人を出し行司をする王手合常の通り飛違て扨日本人取りつかんとする王日本人を払除て台の上へ逃て上る小唐人大勢出て日本人を除る王通辞を呼唐音をつかうなり}▲ツウジ「やいやい、勅諚には下々の分として玉体にさはりましたに依つて、むさう思し召るゝと有つてげきりん甚しい、去るに由つて、重て御身に荒らこもをまとはせられて相撲をお取なされうとのお事ぢや、しばらくまちませい▲アト「畏つて御座る{亦楽吹出す小唐人二人こもに紐をつけて正面に持出しいる一段まいて楽の内にこもの穴を見て手をいれんとするあやふき心持仕様有べししかしながら余り長きは悪しついにこもの穴へ両手を通するなり小唐人二人出うしろにてとくとむすびて入る王台の方へ行て腰をかけいる初中大様にする事専一なり扨ツウジを呼唐音がくとまるツウジ出でかしこまる王唐音あり}▲ツウジ「日本人出ませい▲アト「畏つて御座る{ト云うて出て平伏するツウジ行司する常の通飛違つて相撲取アト引廻し小股とる王せきて唐音つかふ小唐人大勢よつて引つけ日本人をしかる心なり}▲ツウジ「日本人退出せい▲アト「畏つて御座る{ト云ふて入るなり扨大勢小唐人王をいだきかゝへて入るなり但し王入る時手車にのせて入るもよろし中がへり殊の外あやふし{*4}なきにはしかじ三番かしひて五番かなり古来は衣装も甚かろき事なり今当世美し過たり{*5}随時可考}
校訂者注
1:底本は、「打節(をりふし)」。
2:底本は、「中かうの工夫に」。文意が取り難い。
3:底本、ここで改行があり、前後のつながりが不審。或いは誤脱があるか。
4:底本は、「中がへり殊の外あやふし」。文意が通じない。
5:底本は、「今当世美し処たり」。文意が通じない。
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