張蛸(はりだこ)(脇狂言)

▲シテ「大果報の者。
{名乗り。アトを呼び出す。都へ張蛸を買ひにやる。云ひ付くる所、「末広」に少しも違はず。}
▲シテ「扨、好みがある。
▲アト「それは、如何様(いかやう)の御好みでござる。
▲シテ「随分皮の厚い、いぼの揃うた、中へ木を曲(ま)げ入れたを求めて来い。
▲アト「畏つてござる。
{これより、しかじか云ひて、都へ着き、張蛸を呼ばゝる。小アト出て、色々あり。「張蛸を見せう」と云ふまで、「末広」の通りなり。}
▲小アト「田舎者をまんまと騙してはござれども、何を張蛸ぢやと云うて、売つてやらう物がない。こゝに、古い太鼓がある。これを、面白可笑しく申して、売つてやらうと存ずる。なうなう、おゐやるか。
▲アト「これにをります。
▲小アト「これこれ。
▲アト「はあ、これが張蛸でござるか。
▲小アト「いや、それは少しの聞き違ひぢや。張蛸ではない、張太鼓(はりだいこ)でおりやる。
▲アト「扨は、張太鼓でござるか。
▲小アト「中々。
▲アト「扨、好みがござる。
▲小アト「それは、如何様(いかやう)の御好みぢや。
▲アト「まづ、皮の厚い、いぼの揃ふ、中へ木を曲げ入れたを求めて来い、と申し付けられました。
▲小アト「それは、御功者(ごゝうしや)な事ぢや。御好みにも、悉く合(あは)せてやらう。まづ、皮の厚いと云ふは、この皮の事。薄い皮は、太鼓の音(ね)が悪い。これは、随分厚い皮で張つたによつて、この音(ね)を聞かしませ。何と、良い音(ね)ではあらうが。
▲アト「いかさま、良い音(ね)でござる。
▲小アト「扨、いぼもお見やれ。良う揃つてある。太鼓の筒は、木を曲げ入れた。何と、良い細工ではないか。
▲アト「成程、尤でござる。さりながら、近日に一族達を節(せち)に呼ばせらるゝ。料理に使ふ様に仰(お)しやりましたが、張太鼓も料理に入りますか。
▲小アト「不審、尤ぢや。御振舞をなさるゝに、料理ばかりの御馳走でも済まぬ。御客への御慰みに、この太鼓を御出しなされて、面白う囃して踊らせらるゝ。そのために、御求めなされねばならぬ事でおりやる。
▲アト「これは、尤でござる。求めませう。代物(だいもつ)は何程でござる。
▲小アト「万疋でおりやる。
▲アト「それはあまりに高直(かうぢき)にござる。もそつと負けて下され。
▲小アト「張太鼓に限つて負けはない。嫌ならば、おかしめ。
▲アト「それとても、求めませう。乃ち、代物は三條の大黒屋で渡しませう。
▲小アト「成程、大黒屋。存じてゐる。あれで請け取るであらう。
▲アト「も、かう参る。
▲小アト「何と、お行きあるか。
▲アト「中々。
▲二人「さらばさらば。
▲小アト「なうなう。まづ、お待ちあれ。
▲アト「何事でござる。
▲小アト「あまり気さくな買ひ手ぢや程に、添へをしておませう。
▲アト「それは忝うござる。これへ下され。
▲小アト「いやいや、手へ渡す物ではない。その張太鼓に付いての囃子物がある。教へてやらうもの、と云ふ事ぢや。
▲アト「何と申す事でござる。
▲小アト「張太鼓と申すは、中へ木を曲げ入れ、両に皮を当てさせ、廻りにいぼのあるをこそ、張太鼓と申すよ、げにもさあり、やよがりもさうよの。といふ事ぢや。
▲アト「成程、良う覚えました。
▲小アト「惣じて、人の主(しゆ)といふものは、機嫌の良し悪(あ)しがあるものぢや。機嫌の悪い時、今の囃子物を面白う諷(ふう)して囃したらば、早速御機嫌は直る事でおりやる。
{扨、暇乞ひして、アトしかじか云ひて廻り、主を呼び出し、「張太鼓を求めて来た」と云ひて見せるまで、「末広」に同じ事。すべてこの類、いづれも同断なり。}
▲シテ「汝は都へ登つて、子供への土産に、太鼓を求めて来たさうな。まづ、その張蛸を見せい。
▲アト「成程、御尤でござる。さりながら、お前もお覚え違うてござる。張蛸ではござらぬ。張太鼓でござる。
▲シテ「あれは何をぬかしをる。
▲アト「乃ち、御好みにも悉く合ひましてござる。まづ、皮の厚いと申すは、この皮の事でござる。薄い皮は、太鼓の音(ね)が出ませぬ。何と、良い音(ね)でござらうが。
▲シテ「気が違うたさうな。
▲アト「廻りに、いぼも良う揃うてござる。
▲シテ「呆れもせぬ事をぬかしをる。
▲アト「中へ木を曲げ入れて、上々の張太鼓を求めて参つてござる。
▲シテ「何ぢや、張蛸ではない、張太鼓ぢや。
▲アト「成程、太鼓でござります。
▲シテ「扨ても扨ても、うつけたやつかな。知らずば、なぜに問うて行かぬ。張蛸といふは、根本(こんぽん)、魚類の事ぢや。おのれ、節(せち)の御料理にこの太鼓を遣(つか)うて、何と喰はるゝものぢや。
▲アト「でも、都の者が、張蛸ではない、御慰みに囃子物をして遊ばせらるゝ太鼓の事ぢやと申したによつて、求めて参つてござる。
▲シテ「まだぬかしをる。おのれ、その年になるまで、魚類の蛸と、もて遊びになる太鼓との差別を知らぬか。
▲アト「お前も又、魚類なら魚類と、初めから云うたが良うござる。
▲シテ「推参なやつの。身の内には叶はぬ。出て行かう。
▲アト「あゝ。
▲シテ「まだそこにをるか、まだそこにをるか。扨、憎いやつかな。
▲アト「これはいかな事。以ての外の御機嫌ぢや。都の者が何かと申した時は、げにもと存じたが、今頼うだお方の仰せらるゝを聞けば、都のすつぱが、過分の値(あたひ)を取らうために、口調法(くちてうはふ)を以て身共を抜きをつたものであらう。これは、何としたものであらうぞ。いや、さすが都の者ぢや。抜かば、只も抜かいで、まづかうあらうと思うて、御機嫌を直す囃子物を教へてくれた。あれは、何とやら云ふ事であつたが。張太鼓と申すは、中へ木を曲げ入れ、両に皮をあてさせ、廻りにいぼのあるをこそ、張太鼓と申すよ、げにもさあり、やよがりもさうよの。かうであつた。さらば、囃して御機嫌を直さう。
{これより囃す。シテ段々うき、太郎冠者を見て笑ふ。}
▲シテ「太郎冠者、都で抜かれをつて、某(それがし)が機嫌を直さうと思うて、面白い囃子物をする。こりや、出ずばなるまい。
{と、立て膝・右肩脱ぎ。}
▲シテ「いかにやいかにや、太郎冠者。
▲アト「そりや、御声ぢや。
▲シテ「都で抜かれたは腹が立てど、囃子物が面白い、まづ内へつゝと入つて、泥鰌の鮓(すし)をほ、頬張つて、諸白(もろはく)を呑めかし。
{アト、「両に皮をあて」より囃す。「末広」の通り。}
▲シテ「とかくの事はいるまい、早う来て餅喰らへ。
{「末広」の通り、留め。}

底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.

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張蛸(ハリダコ)(脇狂言)

▲シテ「大果報の者{名のりアトを呼出す都へ張蛸を買にやる云付る所末広に少も不違}▲シテ「扨好が有▲アト「夫は如何様のお好みで御座る▲シテ「随分皮の厚い、いぼの揃ふた、中へ木をまげ入れたを求めてこい▲アト「畏つて御座る{是よりしかじか云て都へつき張蛸をよばゝる小アト出て色々有張蛸を見せうと云迄末広の通りなり}▲小アト「田舎者をまんまとだましては御座れ共、何を張蛸ぢやと云て売つてやらう物がない、爰に古い太鼓が有、是をおもしろおかしく申て、売てやらうと存ずる、なうなうおいやるか▲アト「是におります▲小アト「是々▲アト「はあ、是が張蛸で御座るか▲小アト「いや夫は少しの聞違ぢや、張蛸ではない、張太鼓でをりやる▲アト「扨ははり太鼓で御座るか▲小アト「中々▲アト「扨て好みが御座る▲小アト「夫は如何様のお好みぢや▲アト「先皮の厚いいぼの揃ふ中へ木を曲げ入れたを求めてこいと申付けられました▲小アト「夫は御功者な事ぢや、お好みにも悉く合せてやらう、先皮の厚いと云ふは此の皮の事、薄い皮は太鼓のねがわるい、是は随分厚い皮ではつたに依つて、此の音をきかしませ、何とよいねでは有うが▲アト「いか様よい音で御座る▲小アト「扨いぼもお見やれ、よう揃て有、太鼓の筒は木をまげいれた、何とよい細工ではないか▲アト「成程尤もで御座る乍去、近日に一族達をせちに呼せらるゝ、料理につかう様におしやりましたが、張太鼓も料理に入ますか▲小アト「不審尤もぢや、お振舞をなさるゝに、料理ばかりの御馳走でもすまぬ、お客へのお慰みに、此太鼓をお出し被成て、面白うはやして踊らせらるゝ、其の為にお求めなされねばならぬ事でおりやる▲アト「是は尤もで御座る、求めませう代物は何程で御座る▲小アト「万疋でおりやる▲アト「夫はあまりに高直に御座る、最卒度まけて下され▲小アト「張太鼓に限つて負はない、いやならばおかしめ▲アト「夫迚も求めませう、乃代物は、三條の大黒屋で渡ませう▲小アト「成程大黒屋存じている、あれで請取で有らう▲アト「最かう参る▲小アト「何とおゆきあるか、▲アト「中々▲二人「さらばさらば▲小アト「なうなう先お待ちあれ▲アト「何事で御座る{*1}▲小アト「余り気さくな買手ぢや程に添をしておませう▲アト「夫は忝う御座る是へ下され▲小アト「いやいや手へ渡す物ではない、其張太鼓に付ての囃子物が有、教てやらうものと云事ぢや▲アト「何と申す事で御座る▲小アト「張太鼓と申すは、中へ木をまげ入れ、両に皮を当させ、廻りにいぼの有をこそ、はり太鼓と申よ、実もさ有、やよがりもさうよのといふ事ぢや{*2} ▲アト「成程よう覚ました▲小アト「惣じて人の主と云物は、機嫌のよし悪が有物ぢや{*3}、機嫌の悪い時、今の囃子物を面白諷して{*4}はやしたらば、早速御機嫌はなほる事でおりやる、{扨暇乞してアトしかじか云て廻り主を呼出し張太鼓を求めてきたと云て見せるまで末広に同事都て{*5}此類いづれも同断なり}▲シテ「汝は都へ登つて、子供への土産に、太鼓を求てきたさうな、先其張蛸を見せい。▲アト「成程御尤もで御座る去ながら、お前もお覚え違て御座る、張蛸では御座らぬ、はり太鼓で御座る▲シテ「あれは何をぬかしおる▲アト「乃お好にも悉く合まして御座る、先皮の厚いと申は此皮の事で御座る、薄い皮は太鼓のねが出ませぬ、何とよいねで御座らうが▲シテ「気が違ふたさうな▲アト「廻りにいぼもよう揃うて御座る▲シテ「あきれもせぬ事をぬかしおる▲アト「中へ木を曲入て、上々の張太鼓を求めて参つて御座る▲シテ「何ぢや張蛸ではないはり太鼓ぢや▲アト「成程太鼓で御座ります▲シテ「扨ても扨てもうつけたやつかな、しらずばなぜに{*6}問うてゆかぬ、張蛸といふは、根本魚類の事ぢや、おのれ節の御料理に、此太鼓を遣うて何と喰はるゝ物ぢや▲アト「でも都の者が、はり蛸ではない、お慰みに拍子物をして遊ばせらるゝ、たいこの事ぢやと申したに依つて、求て参て御座る▲シテ「まだぬかしおる、おのれ其年に成迄、魚類の蛸と、もて遊に成太鼓との差別をしらぬか▲アト「お前も又、魚類なら魚類と、初からいふたがよう御座る▲シテ「推参なやつの、身の内には叶はぬ、出て行う▲アト「あゝ▲シテ「まだそこに{*7}、おるか、まだそこにおるか、扨て憎やつかな▲アト「是はいかな事、以ての外の御機嫌ぢや、都の者が何彼と申た時は、実もと存じたが、今頼うだお方{*8}の仰せらるゝを聞けば、都のすつぱが、過分のあたいをとらう為に、口調法を以て、身共をぬきをつた者であらう、是は何とした者で有うぞ、いやさすが都の者ぢや、ぬかば唯もぬかいで{*9}、まづかう有うと思うて{*10}、御機嫌をなほす、囃子物を教て呉れた、あれは何とやら云事で有たが{*11}、張太鼓と申は、中へ木を曲入、両に皮をあてさせ、廻りにいぼの有をこそ、張太鼓と申よ、実もさあり、やよがりもさうよの、かうで有つた、さらばはやして御機嫌をなほさう、{是よりはやすシテ段々うき太郎冠者を見て笑ふ}▲シテ「太郎冠者都でぬかれおつて{*12}、某が機嫌を直さうと思うて、面白い囃子物をする、こりや出ずばなるまゐ{*13}、{ト立ひざ右肩ぬぎ}▲シテ「いかにやいかにや太郎冠者▲アト「夫りやお声ぢや▲シテ「都でぬかれたは腹が立てど、囃子物が面白い、先内へつゝと入つて、土長の鮓をほ、ほうばつて、諸白を呑めかし{アト両に皮をあてよりはやす末広の通り}▲シテ「とかくの事はいるまい早う来て餅喰へ{末広の通とめ}

校訂者注
 1:底本は、「何事でお座る」。
 2:「やよがりもさうよの」は、底本のまま。同様の表現は、前の「塗付」、後の「目近」等にもある。
 3:底本は、「機嫌のよし悪か有物ぢや」。
 4:底本は、「面白諷(おもしろふ)うて」。文意が取りにくい。或いは誤脱があるか。
 5:底本は、「都で」。
 6:底本は、「なせに」。
 7:底本は、「またそこに」。
 8:底本は、「頼うたお方」。
 9:底本は、「ぬかば唯もぬかいて」。
 10:底本は、「まつかう有うと思うて」。
 11:底本は、「云事て有たが」。
 12:底本は、「都てぬかれおつて」。
 13:底本は、「出すばなるまゐ」。