地蔵舞(ぢざうまひ)(二番目)
▲シテ「これは、諸国修行の坊主でござる。某(それがし)、未だ都を見物致さぬ。この度思ひ立ち、都へ登らうと存ずる。誠に、出家と申すものは、心安いものでござる。衣一重(いちゑ)、珠数一連ござれば、どれからどれへ参らうと、儘でござる。いや、これまで参つたれば、日が暮れさうな。宿を借りたいものぢやが。いや、何やらこれに、高札がある。まづ、読うで見よう。何々。往来の一人(ひとり)旅人に宿を貸す事、固く禁制なり。はあ。宿を貸すなと書いてある。何としたものであらうぞ。いや、この高札を見ぬ体(てい)で、宿を借らうと存ずる。幸ひ、これに家がある。まづ、案内を乞はう。
{と云ひて、案内を乞ふ。出るも、常の如し。}
旅の坊主でござる。一夜(いちや)の宿を貸して下されい。
▲アト「易い事でござれども、この在所の入口に高札があるが、お見あらなんだか。
▲シテ「いや、何も見ませんなんだ。
▲アト「この所の大法で、往来の一人旅人に、宿を貸す事はならぬ。日の暮れぬさきに、どれへなりともお行きあれ。
▲シテ「御大法は御尤でござれども、出家の事でござる。ひらに一夜、貸して下され。
▲アト「はて、ならぬと云ふに。くどい事を仰(お)せある。
▲シテ「おゝ、いかう腹を立つる。何としたものであらう。いや、方便を以て、宿を借らうと存ずる。申し申し。最前の御方、ござるか。
▲アト「御坊の声ぢやが。えい、御坊。まだどれへもお行きあらぬか。
▲シテ「いや、私は出家の事でござるによつて、野になりとも、山になりとも、臥せりませうが、この笠が、一夜預けたうござる。
▲アト「笠程の事は、心安い。どれになりとも、置いて行かしめ。
▲シテ「師匠の譲りの笠でござる。座敷の真中(まんなか)に置いて下されい。
▲アト「心得ました。さあさあ、座敷の真中に置きました。
▲シテ「忝うござる。明日(みやうにち)早々、取りに参りませう。
▲アト「明日(あす)早々、取りにお出あれ。
▲シテ「も、かう参る。
▲アト「何と、お行きやるか。
▲シテ「中々。
▲アト「良うおりあつた。
{シテ、「はあ」と云ひて、笠を直してある所に行き、笠を着て下に居る。}
▲アト「座敷に人影が見ゆる。誰ぢや知らぬまで。えい、御坊。宿を貸す事はならぬと云ふに、なぜそれにお居ある。
▲シテ「そなたに宿を借りは致さぬ。
▲アト「それ程座敷の真中に居て、宿を借らぬとは、どうした事でおりある。
▲シテ「最前、この笠をそなたに預けたではござらぬか。
▲アト「成程、笠は身共が預つた。
▲シテ「すれば、今宵一夜、この笠の下には、何も置かせられまいによつて、笠に宿を借りてござる。
▲アト「それならば、笠より外(ほか)へ出た所は、何と召さるゝ。
▲シテ「笠より外へ出た所があらば、切つてなりとも、はつてなりとも、お取りあれ。
▲アト「それならば、こゝが出たわ。
▲シテ「出まい。
▲アト「こゝが出た。
▲シテ「出まい。
▲アト「こゝが出た。
▲シテ「出まい。
{両肩・背中を、アト、扇にて「こゝが出た」「こゝが出た」と、三度云ふ内、「出まい」「出まい」と、シテ云ふなり。}
▲アト「松茸の生えた様な。
{と云ひて、笑ふ。}
扨々、御坊は面白い人ぢや。大法を破つて宿を貸さう。笠をとつて、ろくにお居あれ{*1}。
▲シテ「いや。も、これが良うござる。
▲アト「窮屈さうで悪い。ひらに、笠をとらしめ。
▲シテ「この窮屈なが、良うござる。
▲アト「これはいかな事。大法を破つて宿を貸さうと云ふに。さあさあ、ひらに笠をおとりあれ。
▲シテ「それならば、とりまするぞや。
▲アト「早うおとりあれ。
▲シテ「なうなう、嬉しや嬉しや。あり様は、窮屈にござつた。
▲アト「さうでござらうとも。まづ、それにゆるりとござれ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「扨、御坊。身共は寝酒を好いてたぶるが、こなたも一つ参らぬか。
▲シテ「私は、飲酒戒(おんじゆかい)を保つて、禁酒でござる。
▲アト「それは、残り多い事ぢや。それならば、身共ばかりたべませう。
▲シテ「こなたばかり参るか。
▲アト「中々。
{アト、盃を持ち、自身につぎて酒を呑むを、シテ、伸び上がりて見て、舌鼓を打ちて、けなりがり、「ほゝ」と云ふなり。}
▲シテ「あゝ、うまさうに参るわ。
▲アト「うまい事でござるが、何と、一つ参らぬか。
▲シテ「いかないかな、なりませぬ。
▲アト「そなたが参らば、相手にせうものを。残り多い事ぢや。身共は、も一つたべませう。
▲シテ「まだ参るか。
▲アト「中々。
▲シテ「過ぎませうぞや。
▲アト「何の、過ぎるものでござらう。
{と云うて、又呑む。シテ、初めの通り、けなりがる。}
▲シテ「あゝ、うまさうに参るわ。
▲アト「うまい事でござる。
▲シテ「その盃を、これへ貸して下されい。
▲アト「心得ました。
▲シテ「そこ元に、六條{*2}か若和布(わかめ)はござらぬか。
▲アト「成程、六條がある。進ぜう。それそれ。
▲シテ「それを、ちと、これへついで下されい。
▲アト「こなたは最前、飲酒戒を保つて禁酒とは、仰(お)せあらぬか。
▲シテ「尤、左様に云うてはござれども、この六條か若和布に浸して、酒塩(さかしほ)と申してたぶれば、苦しうない事でござる。
▲アト「それは一段の事ぢや。さあさあ、参れ。
{と云うてつぐ。受ける。挨拶、常の如し。}
はあ、御坊は一つ参るの。
▲シテ「一つたべまする。
▲アト「それは良い事ぢや。も一つ参れ。
▲シテ「も一つたべませう。
{アト、又つぐ。シテ受ける。アト、「さゞんざ」謡ふなり。}
扨、これをそなたへ進じませう。
▲アト「いただきませう。
▲シテ「たべよごしてござる。
▲アト「苦しうござらぬ。
{と云うてつぎ、盃を下へ置き、}
扨、一つ受け持つてござる。御坊、何ぞ、肴が所望でござる。
▲シテ「私は、出家の事でござるによつて、何も肴は持ちませぬ。真経か阿弥陀経でも読みませうか。
▲アト「真経や阿弥陀経が、何と肴になるものでござる。何ぞ、御坊の立ち姿が見たうござる。
▲シテ「それならば、倅の時分に習ひました、小舞を舞ひませう程に、地を謡うて下されい。
▲アト「心得ました。
{と、シテ、小舞あり。春雨舞、良し。}
よいや、よいや。
▲シテ「不調法を致してござる。
▲アト「さりながら、今のはあまり短うござる。何ぞ、もそつと長い事を、舞はせられい。
▲シテ「それならば、地蔵舞を舞ひませう程に、囃して下されい。
▲アト「心得ました。
▲シテ「地蔵舞を、見まいな見まいな。
▲アト「地蔵舞を、見まいな見まいな。
▲シテ「地蔵の住む所は、伽羅陀山(からたせん)に安養界、地獄・餓鬼・畜生、修羅・人天・耶摩・堵卒天、廿五有(う)を廻つて罪の深き衆生(しゆぜい)を、錫杖をおつ取つて、掻い掬うてぼつたり、突い掬うてびつたり。昔釈迦大師の、忉利天に登つて、御説法の砌(みぎり)に、忝くも如来の、黄金(こがね)の御手(みて)を差し上げ、地蔵坊のつむりを、三度(さんど)までさすつて、善哉(ぜんざい)なれや地蔵坊、末代の衆生を、汝に預け置くなりと、仰せを受けて以来、走り廻り候へど、誰やの人か憫(あは)れみて、茶の一服もくれざるに、この御座敷へ参りて、三度入り{*3}で十盃、あひの物で十四盃、縁目{*4}に任せて、二十四杯たべければ、糀の花が目にあがり、左の方(かた)へよろよろ、右の方へよろよろ、よろよろよろとよろめけば、慈悲の涙せきあへず、{*5}衣(ころも)の袖を顔に当て、衣の袖を顔に当てゝ、六道の地蔵が、酔ひ泣きしたを、御覧(ごらう)ぜ。
{と云うて、拍子を踏み、ぐわして留めて{*6}、入るなり。}
校訂者注
1:「ろくにゐる」は、「あぐらをかいて楽にすわる」の意。
2:「六條(ろくでう)」は、「六条豆腐」のこと。
3:「三度入り」は、普通サイズの盃。「あひの物」は、「三度入り」と、より大きな「五度入り」との間のサイズの盃。
4:「縁目」は、意味不詳。
5:底本、「衣の袖を顔に当て」から最後まで、全て傍点がある。
6:「ぐわす」は、「えい」「やあ」などの掛け声を掛けて片膝をつく所作。がつし留め。
底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.)
地蔵舞(ヂゾオマイ)(二番目)
▲シテ「是は諸国修行の坊主で御座る、某未だ都を見物致さぬ、此度思立都へ登らうと存ずる、誠に出家と申者は、心易い者で御座る、衣一チ重、珠数一連御座れば、どれからどれへ参らうと儘で御座る、いや是迄参つたれば、日が暮さうな、宿をかりたい者ぢやが、いや何やら是に高札がある、先ようで見やう、何々、往来の独り旅人に、宿を貸事かたく禁制なり、はあ宿を貸すなと書てある、何とした者で有うぞ、いや、この高札を見ぬ体で、宿をからうと存ずる、幸是に家がある、先案内を乞ふ{ト云て案内を乞出るも如常}{*1}旅の坊主で御座る、一チ夜の宿を貸て下されい{*2} ▲アト「安い事で御座れ共此在所の入口に高札があるが、お見あらなんだか▲シテ「いや何も見ませんなんだ▲アト「此所の大法で、往来の独り旅人に、宿を貸事はならぬ、日のくれぬさきに、どれへなりともおゆきあれ▲シテ「御大法は御尤で御座れ共、出家の事で御座る、ひらに一夜貸て下され▲アト「はてならぬといふに、くどい事をおせある{*3}▲シテ「おゝいかう腹をたつる、何とした者で有らう、いや、方便を持つて、宿をからうと存ずる申々、最前のお方御座るか▲アト「御坊の声ぢやが、えい御坊、まだどれへもお行あらぬか▲シテ「いや私は出家の事で御座るに依て、野に成共、山に成とも、ふせりませうが、此笠が一夜預けたう御座る▲アト「笠程の事は心易い、どれになりとも、おいて行かしめ▲シテ「師匠のゆづりの笠で御座る、座敷の真ン中に置て下されい▲アト「心得ました、さあさあ座敷のまん中に置ました▲シテ「忝う御座る、明日早々取りに参りませう▲アト「あす早々取りにお出あれ▲シテ「もかう参る▲アト「何とお行きやるか▲シテ「中々▲アト「ようおりあつた{シテはあと云て笠を直して有所に行笠を着て下にゐる}▲アト「座敷に人影が見ゆる、誰ぢやしらぬ迄、えい御坊、宿を貸事はならぬといふに、なぜそれにお居ある▲シテ「そなたに宿をかりは致さぬ、▲アト「夫程座敷のまん中に居て、宿をからぬとはどうした事でおりある▲シテ「最前此笠を、そなたにあづけたでは御座らぬか▲アト「成程笠は身共が預つた▲シテ「すれば今宵一夜此笠の下には何もおかせられまいに依て、笠に宿を借て御座る▲アト「夫ならば笠より外へ出た所は何と召さるゝ、▲シテ「笠より外へ出た所があらば、切て成共、はつてなり共おとりあれ▲アト「夫ならば、爰が出たは{*4}▲シテ「出まい▲アト「爰が出た▲シテ「出まい▲アト「爰が出た▲シテ「出まい{両肩背中をアト扇にて爰が出た爰が出たと三度云内出まい出まいとシテ云ふなり}▲アト「松茸のはえた様な{ト云て笑ふ}{*5}扨々御坊は面白い人ぢや、大法を破つて宿を貸う、笠を取てろくにを居あれ▲シテ「いやも、是がよう御座る▲アト「窮屈さうでわるい、ひらに笠をとらしめ▲シテ「此窮屈ながよう御座る▲アト「是はいかな事、大法を破つて宿をかさうといふに、さあさあひらに笠をおとりあれ▲シテ「夫ならば取りまするぞや▲アト「早うおとりあれ▲シテ「なうなう嬉敷や嬉敷や、有り様は窮屈に御座つた▲アト「さうで御座らう共、先夫にゆるりと御座れ▲シテ「心得ました▲アト「扨御坊、身共は寝酒を好いてたぶるが、こなたも一つ参らぬか▲シテ「私は飲酒戒を保て禁酒で御座る▲アト「夫は残り多い事ぢや夫ならば、身共ばかりたべませう▲シテ「こなたばかり参るか▲アト「中々{アト盃を持自身につぎて酒を飲むをシテのび上て見て舌づゝみを打てけなりがりほゝと云なり}▲シテ「あゝうまさうに参るわ▲アト「うまい事で御座る{*6}が、何と一つ参らぬか▲シテ「いかないかななりませぬ▲アト「そなたが参らば、相手にせう者を、残りをほい事ぢや、身共は最一つたべませう▲シテ「まだ参るか▲アト「中々▲シテ「過ぎませうぞや▲アト「何の過ぎる者で御座らう{ト云ふて亦のむシテ初の通けなりがる}▲シテ「あゝうまさうに参るわ▲アト「うまい事で御座る{*7}▲シテ「其盃を是へかして下されい▲アト「心得ました▲シテ「そこ元にろくでうか若和布は御座らぬか▲アト「成程ろくでうがある進ぜう、夫々▲シテ「夫れをちと是へついで下されい▲アト「こなたは最前おんじゆかいをたもつて禁酒とはおせあらぬか▲シテ「尤左様にいうては御座れ共、此ろくでうか若和布にひたして、さかしほと申てたぶれば、苦敷ない事で御座る▲アト「夫は一段の事ぢや、さあさあ参れ{ト云うてつぐうけるあいさつ如常}{*8}はあ御坊は一つ参るの▲シテ「一つたべまする▲アト「夫はよい事ぢや、最一つ参れ▲シテ「最一つたべませう{アト亦つぐシテ受るアトさゞんざ謡ふなり{*9}}{*10}扨是を、そなたへ進じませう▲アト「いただきませう▲シテ「たべよごして御座る▲アト「苦敷御座らぬ{ト云うてつぎ盃を下へ置}{*11}扨て一つ受持つて御座る、御坊何ぞ肴が所望で御座る▲シテ「私は出家の事で御座るに依て、何も肴は持ませぬ、真経か阿弥陀経でもよみませふか▲アト「真経やあみだ経が、何と肴に成者で御座る、何ぞ御坊の立姿が見たう御座る▲シテ「夫れならば悴の時分に習ひました、小舞を舞ませう程に、地を謡うて{*12}下されい▲アト「心得ました{トシテ小舞あり春雨舞よし}{*13}よいやよいや▲シテ「不調法を致て御座る▲アト「去ながら、今のはあまり短う御座る、何ぞ最卒つと長い事を舞はせられい▲シテ「夫ならば地蔵舞を舞ませう程に、囃子て下されい▲アト「心得ました▲シテ「地蔵舞を見まいな見まいな▲アト「地蔵舞を見まいな見まいな▲シテ「地蔵のすむ所は、伽羅陀山{*14}に安養界、地獄餓鬼畜生、修羅人天耶摩堵卒天、廿五有を廻つて罪の深き衆生を、錫杖をおつとつて、かいすくうてぼつたり、ついすくうてびつたり、昔釈迦大師の、忉利天に登つて、御説法の砌に、忝も如来の、黄金の御手を差上げ、地蔵坊のつむりを、三ン度迄さすつて、善哉いなれや地蔵坊、末代の衆生を、汝に預け置なりと、仰を請て以来走り廻り候得ど、誰やの人か憫みて、茶の一つふくもくれざるに、此のお座敷へ参りて、三ン度いりで十ぱい、あひの物で十四杯、縁目に任せて、二十四杯たべければ、糀の花が目にあがり、左りの方へよろよろ、右の方へよろよろ、よろよろよろとよろめけば、慈悲の涙せきあへず、衣の袖を顔にあて、ころもの袖を顔にあてゝ、六道の地蔵が、ゑいなきしたを、御らうぜ。{ト云ふて拍子をふみぐわして留て入るなり}
校訂者注(脇狂言)
1:底本は、「▲シテ「旅の坊主で御座る」。
2:底本は、「一チ夜の宿を貸て下さい」。
2:底本は、「一チ夜の宿を貸て下さい」。
3:底本は、「くどい事をせあやる」。
4:底本は、「爰が出(でた)は」。
5:底本は、「▲アト「扨々御坊は」。
6・7:底本は、「うまい事て御座る」。
8:底本は、「▲アト「はあ御坊は」。
9:底本は、「アトさゞんざ諷ふなり」。但し「諷」は判読困難、或いは別字か。
10:底本は、「▲シテ「扨是を」。
11:底本は、「▲アト「扨て一つ」。
12:底本は、「地を諷うて」。
13:底本は、「▲アト「よいやよいや」。
14:底本は、「伽羅山(からたせん)」。
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