名取川(なとりがは)(二番目)

▲シテ「《次第》《上》{*1}戒壇踏んで受戒して、戒壇踏んで受戒して、我が本山に帰らん。これは、遥か遠国(をんごく)の坊主でござる。某(それがし)が国の習ひで、戒壇の地(ぢ)を踏まぬ者は、出家の様に申さぬによつて、この度比叡山に登り、戒壇の地を踏み、受戒まで致いてござる。又、帰るさに、さる寺へ立ち寄つてござれば、大児(おほちご)と小児(こちご)が手習ひをなされてござつたによつて、やがて御傍へ参りて、「はあ、御免なりませう。私は、遥か遠国の坊主でござる。いまだ、定まる名がござらぬ。何とぞ名を、お付けなされて下されい。」と、申してござれば、何と思つてやら、希代坊と付けて下された。まづ以て、忝うござる。さりながら、「私は物覚えが悪うござるによつて、とてもの事に、はりがへの名も付けて下されい。」と申してござれば、両人、どつと笑はせられて、不祥坊と付けて下された。「これでもまだ、忘れませうが。」と申したれば、今度は御念がいつて、衣の袖に、大児の御手で希代坊、小児の御手跡で不祥坊と、ありありと書き付けて下された。この様な嬉しい事はござらぬ。まづ、急いで本国へ帰らう。誠に、年月の念願でござつたに、この度、願成就致して、この様な悦ばしい事はござらぬ。国元へ帰つたらば、一門どもまで、さぞ悦ぶでござらう。はあ。又、身共が名を忘れた。あれは、物坊、き坊。をゝ、それそれ。希代坊であつたものを、すでに忘れうとした。扨、はりがへの名は、物坊、何とやらであつたが。これはどうも、思ひ出されぬ。書き付けを見ずばなるまい。あれあれ。不祥坊であつたものを、え思ひ出さなんだ。さりながら、こゝに気の毒な事がある。国元へ帰つて、何(いづ)れもの、「そちの名は何と云ふ。」と御尋ねの時、度ごとに衣の袖を見て、希代坊でござるの、不祥坊で候の、とは云はれまい。その上、我が名程の事をえ覚えぬといふは、口惜しい事ぢや。これはどうぞ、覚え様のありさうな事ぢやが。いや、ひたもの云うて参らう。まづ、希代坊。扨、はりがへの名は不祥坊。希代坊、不祥坊、不祥坊に希代坊。いやいや。この様に云うて行(い)たらば、行き通りの者が、「あの坊主は、気ばし違うたか。」などと云うであらう。これはどうぞ、耳にたゝぬ様に云ひたいものぢやが。いや、謡の様に、節を付けて申さう。{*2}希代坊に不祥坊。不祥坊に希代坊。希代、不祥、希代坊。《笑》これは、ざつと謡になつた。これでは何にも云はれさうなものぢやが{*3}。いや、今度は拍子にかゝつて、舞節(まひぶし)に申さう。
{舞節のるなり。}
いや、希代坊と申すは、あゝ、不祥坊の御事なり。希代、不祥、希代坊。おほお。不祥坊とぞ申しける。《笑》扨も扨も、面白い事ぢや。今度は、踊り節に申さう。{*4}希代坊に不祥坊に、希代坊、不祥坊、はあ希代坊に不祥坊に希代坊、不祥坊。このしやつきしや、しやつきしや、しやつきしや、しやつきしや。《笑》扨も扨も、面白い事ぢや。いやいや。この様に云うては、道捗(みちばか)が行かぬ。身共は、似合(にあふ)た様に、勤行節に申して参らう。
{と云ひて、一遍廻る。「希代坊、不祥坊」を経の様に云うて、}
わあ。これは、大きな川へ出た。これは、登りにもあつた川か知らぬまで。折節、上(かみ)が降つたと見えて、いかう水が濁つてある。誰(た)そ人通りもあらば、渡り瀬が尋ねたいものぢやが。是非に及ばぬ。身拵へをして渡らずばなるまい。扨々、これは、どこ元を渡らうぞ。いやまづ、こゝ元を渡らう。
{と云ひて、川を渡る仕方ありて、}
ゑい、ゑい。これは、いかう深う。ゑい。あゝ。これは、石が滑るわ。
{「わあわ」と云ひて、川へはまる。早速飛び上がり、袖を絞りなどして、}
あゝ、耳へ水が入る。悉皆(しつかい)、一絞りぢや。その儘、濡れ鼠ぢや。扨も扨も、渡りつけぬ川を、聊爾に渡らうものではない。すでに流れうとした。天(あま)の命{*5}を拾うた事かな。いや、身共は何やら落とした様にもあり、又、忘れた様にもあるが。何も落としはせぬか。まづ、笠あり、珠数あり。すれば、何も落としはせぬが。ゑゝ、それそれ。愚僧が名を忘れた。ありや、物坊、ゑゝ、何とやらであつたが。今まで良う覚えてゐたが。いや、最前の様に、拍子にかゝつて思ひ出さう。《ノル》いや、物坊と申すは、何とやら坊の御事なり、であつたが。これはどうも、思ひ出されぬ。そのため、書き付けぢや。書き付けを見よう。わあ、南無三宝。これは、身共が名を流いた。扨も扨も、苦々しい事ぢや。何としたものであらうぞ。いや、まだ遠くへは行くまい。最前の所へ行つて、掬はう。折角遥々(はるばる)登つて、付けて貰うた名を流いた。扨も扨も、腹の立つ事かな。これこれ、こゝであつたものを。《サシ》{*6}流れは果てじ、水の面、流は果てじ、水の面、底なる我(おれ)を掬はう。我は又、恋をする身にあらねども、
▲地「浮名(うきな)を流す、腹立ちや。
{カケリ、打ち切り。}
▲シテ「川は様々多けれど、
▲地「伊勢の国にては、天照大神の住み給ふ、御裳濯川もありやな。熊野なる、音無川の瀬々には、権現、御影を映し給へり。光源氏の古(いにしへ)、八十瀬の川と詠(なが)め行く、鈴鹿川を打ち渡り、近江路にかゝれば、幾瀬渡るも野洲の川、墨俣。あぢか・杭瀬川、傍は淵なる片瀬川、思ふ人によそへて、阿武隈川も恋しや。つらきにつけて悔しきは、愛染川なりけり。墨染の衣川、衣の袖を浸して、岸陰の柳の真菰の下を、押し廻し、押し廻して見れば雑魚(ざこ)ばかり。我が名はさらになかりけり、我が名はさらになかりけり。
▲シテ「扨も扨も、夥(おびたゞ)しい雑魚ぢや。これも雑魚ぢや。
▲アト「これは、名取の何某(なにがし)でござる。川向ひへ用事あつて参る。まづ、そろりそろりと参らう。これはいかな事。なうなうなう、御坊。
▲シテ「この方の事でござるか。
▲アト「いかにも、そなたの事ぢや。この所は殺生禁断の所ぢやに、なぜに殺生を召さる。
▲シテ「いや、殺生は致さぬ。ちと、物を落としてござる。
▲アト「あ、これこれ。それ程殺生をしながら、殺生をせぬとは。御坊には、妄語を仰(お)せあるか。
▲シテ「いかないかな、妄語など、云ふ様な坊主ではござらぬ。まづ、この川の名は何と申す。
▲アト「これは、名取川と申す。
▲シテ「何ぢや、名取川。向うの在所は。
▲アト「名取の在所。
▲シテ「かたがたの御苗字は。
▲アト「いや、名もない者でござる。
▲シテ「御仁体と見受けた。隠さずとも、あり様に仰せられい。
▲アト「それならば、申さう。名取の何某でござる。
▲シテ「何ぢや、名取の何某殿ぢや。
▲アト「中々。
▲シテ「ほい。扨は、きやつがしてやりをつたものであらう。何としたものであらうぞ。いや、致し様がござる。申し申し、私は、遥か遠国の坊主でござる。この度、遥々と登つて、付けて貰うた名でござる。どうぞ、今の名をこの方へ返して下されい。
▲アト「これはいかな事。そなたの名が何と云ふやら、身共は存ぜぬ。
▲シテ「でも最前、この川の名を問へば名取川、向うの在所は名取の在所、かたがたの御苗字は名取の何某とは、仰(お)せあらぬか。
▲アト「何某ぢやによつて、何某と申した。
▲シテ「すれば、こなたが取らいで誰(た)が取るものでござらう。どうぞ、この方へ返して下されい。
▲アト「扨も扨も、希代な事を云ふ人ぢや。
▲シテ「何ぢや。希代、希代。《笑》申し申し、その希代坊と申すが、私が名でござる。
▲アト「何ぢや。希代坊といふが、そなたの名か。
▲シテ「とてもの事に、はりがへの名も下されうならば、忝うござる。
▲アト「弓にこそ、張り替へというてあれ、名にはりがへは、珍らしうおりある。
▲シテ「一つ下さるゝも二つ下さるゝも、同じ事でござる。出家の事でござれば、慈悲にもなりませう。ひらに、御返しなされて下されい。
▲アト「いや、これこれ。最前のは、ふと云ひ合(あは)せてそなたの仕合(しあはせ)。はりがへの名が何と云ふやら、身共は存ぜぬ。
▲シテ「何ぢや、知らぬ。
▲アト「中々。
▲シテ「とつたぞ。
▲アト「これは何とする。
▲シテ「いかに名取の何某ぢやというて、この名を云はねば、どちへもやらぬ。
▲アト「何ぢや、この名を云はねば、どちへもやらぬ。
▲シテ「中々。
▲アト「それは誠か。
{常の如し。}
扨々、不祥な所へ来かゝつた。
▲シテ「何ぢや、不祥。
▲アト「中々。
▲シテ「不祥、不祥。《笑》申し申し、その不祥坊と申すが、私がはりがへの名でござる。
▲アト「何ぢや。不祥坊といふが、そなたのはりがへの名か。
▲シテ「《カゝル》をゝ。それぞろよ、名取殿。《上》希代坊に不祥坊、{*7}不祥坊に希代坊。二つの名をば取り返し、本国さして帰りけり。
{と、留めて入る。}

校訂者注
 1:底本、ここから「本山に帰らん」まで、傍点がある。
 2:底本、ここから「希代不祥希代坊」まで、傍点がある。
 3:ここは底本のままであるが、文意がよく通じない。
 4:底本、ここから「不祥坊に希代坊、不祥坊」まで、傍点がある。
 5:「天(あま)の命」は、「天から授かった大切な命」の意。
 6:底本、ここから「わが名はさらに、なかりけり、(二字以上の繰り返し記号)」まで、全て傍点がある。
 7:底本、ここから最後まで、傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.

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名取川(ナトリガワ)(二番目)

▲シテ「《次第》《上》戒壇ふんで受戒して、戒壇ふんで受戒して、わが本山に帰らん「是は、はるか遠国の坊主で御座る、某が国の習ひで、戒壇の地をふまぬ者は、出家の様に申さぬに依て、此度比叡山に昇り、戒壇の地をふみ、じゆかい迄致て御座る、又帰るさに、去る寺へ立寄つて御座れば、大児と小児が手習を被成て御座つたに依て、頓ておそばへ参て、はあ御免なりませう、私ははるか遠国の坊主で御座る、いまだ定る名が御座らぬ、何卒名を、おつけ被成て下されいと、申て御座れば、何と思つてやら、希代坊と付て下された、先以て忝う御座る、乍去、私は物覚がわるう御座るに依つて、迚もの事に、はりがへの名も、つけて下されいと申て御座れば、両人どつと笑らはせられて、不祥坊と付て下された、是でもまだ、わすれませうがと申たれば、今度は御念がいつて、衣の袖に大児のお手で、希代坊、小児の御手跡で不祥坊と、ありありと書付て下された、此様な嬉敷事は御座らぬ、先急いで本国へ帰らう、誠に、年月の念願で御座つたに、此度願成就致て、此様な悦ばしい事は御座らぬ、国許へ帰つたらば、一門共迄、嘸悦ぶで御座らう、はあ又身共が名を忘れた、あれは物坊、き坊、をゝ夫々、希代坊で有つた者を、已に忘れうとした、扨てはりがへの名は、物坊、何とやらであつたが、是はどうも思ひ出されぬ、書付を見ずば成まい、あれあれ、不祥坊であつた者を、得思ひ出さなんだ、乍去、爰に気の毒な事がある、国許へ帰つて、何れもの、そちの名は何といふと御尋のとき、度毎に、衣の袖を見て、希代坊で御座るの、不祥坊で候のとはいはれまい、其上我名程の事を、得覚えぬといふは口惜しい事ぢや、是はどうぞ覚様の有さうな事ぢやが、いや、ひた物いうて参らう、先希代坊、扨はりがへの名は不祥坊、希代坊不祥坊、不祥坊に希代坊、いやいや、此様にいうていたらば、行通りの者が、あの坊主は、気ばし違ふたか抔というで有う、是はどうぞ{*1}、耳にたゝぬ様に云たい者ぢやが、いや、謡の様に、ふしをつけて申さう「希代坊に不祥坊、不祥坊に希代坊、希代不祥希代坊、《笑》{*2}是はざつと謡になつた、是では何にもいはれさうな者ぢやが、いや今度は、拍子にかゝつて、舞ぶしに申さう{舞ぶしのるなり}いや、希代坊と申は、アゝ不祥坊の御事なり、希代不祥、希代坊、ヲホオ、不祥坊とぞ申ける、《笑》、扨も扨も面白い事ぢや、今度は踊ぶしに申さう「希代坊に不祥坊に、希代坊、不祥坊、ハア希代坊に不祥坊に希代坊、不祥坊此しやつきしや、しやつきしや、しやつきしやしやつきしや《笑》、扨も扨も面白い事ぢや、いやいや、此様にいうては、道ばかがゆかぬ、身共は似合た様に、ごん行ぶしに申て参う{ト云て一遍廻る希代坊不祥坊を経の様に云うて}わあ是は大きな川へ出た、是は登りにもあつた川かしらぬ迄、折節上が降たと見へて、いかう水がにごつてある、たそ人通りもあらば、渡り瀬が尋たい者ぢやが、是非に及ばぬ、身拵をして渡らずば成まい、扨々是は、どこ許を渡らうぞ、いや先爰元を渡う{ト云て川を渡る仕方ありて}ゑい、ゑい、是はいかう深う、ゑい、あゝ、是は石が{*3}すべるわ{はあはと云て川へはまる早速飛上り袖をしぼり抔として}あゝ耳へ水がはいる、しつかいひとしぼりぢや、其儘ぬれ鼠ぢや、扨も扨も、渡りつけぬ川を、りやうじに渡う者ではない、已に{*4}流うとした、あまの命をひらうた事かな、いや、身共は何やら、おとした様にもあり、又わすれた様にも有るが、何も落はせぬか、先笠あり、珠数あり、すれば何も落はせぬが、ゑゝ夫々、愚僧が名をわすれた、ありや物坊、ゑゝ何とやらであつたが、今迄よう覚ていたが、いや最前の様に、拍子にかゝつて思ひ出さう《ノル》いや、物坊と申は、何とやら坊の御事なりで有つたが、是はどうも思ひ出されぬ、其為め書き付ぢや、書付を見やう、わあ、南無三宝、是は身共が名を流いた、扨も扨もにがにがしい事ぢや、何とした者で有うぞ、いや、まだ遠くへはゆくまひ、最前の所へいつてすくはう、せつかくはるばる登つて、付て貰ふた名を流た、扨も扨も腹の立事かな、是々、爰であつた物を《サシ》流ははてじ{*5}水の面、流ははてじ水の面そこなるおれをすくはう我は又、恋をする身にあらね共▲地「浮名をながす、腹立や{カケリ打切}▲シテ「川は様々多けれど{*6}▲地「伊勢の国にては、天照大神の住給ふ、御裳濯川もありやな、熊野なる、おとなし川の瀬々には、権現御影をうつし給へり、光る源氏の古しへ、八十瀬の川と詠めゆく、鈴鹿川を打渡り、近江路にかゝれば、幾瀬渡るも野洲の川、すの股あぢか杭瀬川、そばは淵なる片瀬川、思ふ人によそへて、阿武隈川も恋しや、つらきにつけて悔しきは、愛染川なりけり、墨染の衣川、衣の袖をひたして、岸陰の柳のまこものしたを、押廻し、押廻して、見ればざこばかり、わが名はさらに、なかりけり、わが名はさらに、なかりけり▲シテ「扨も扨もおびたゞ敷ざこぢや、是も雑魚ぢや▲アト「是は名取の何某で御座る、川むかひへ用事有つて参る、先そろりそろりと参らう、是はいかな事、なうなうなう御坊▲シテ「此方の事で御座るか{*7}▲アト「いかにもそなたの事ぢや、此所は殺生禁断の所ぢやに、なぜに殺生をめさる▲シテ「いや殺生は致さぬ、ちと物を落して御座る▲アト「あ是々、夫程殺生をしながら、殺生をせぬとは、御坊には妄語をおせあるか▲シテ「いかないかな、妄語抔云様な坊主では御座らぬ、先此川の名は何と申▲アト「是は名取川と申▲シテ「何ぢや名取川向の在所は▲アト「名取の在所▲シテ「かたがたの御苗字は▲アト「いや名もない者で御座る▲シテ「御仁体と見受た、かくさず共、有様に仰られい▲アト「夫ならば申さう、名取の何某で御座る▲シテ「何ぢや名取の何某殿ぢや▲アト「中々▲シテ「ほい、扨はきやつがしてやりをつた者で有う、何とした物であらうぞ、いや、致様が御座る、申々、私ははるか遠国の坊主で御座る、此度はるばると登つて、付て貰うた名で御座る、どうぞ今の名を、此方へ返して下されい▲アト「是はいかな事、そなたの名が何といふやら、身共は存ぜぬ▲シテ「でも最前此川の名をとへば名取川、向の在所は名取の在所、かたがたの御苗字は、名取の何某とはおせあらぬか▲アト「何某ぢやに依て、何某と申た▲シテ「すればこなたがとらいで{*8}、たがとる者で御座らうどうぞ此方へ帰して下されい▲アト「扨も扨も希代な事をいふ人ぢや▲シテ「何ぢや希代、希代、《笑》申々、其希代坊と申が{*9}、私が名で御座る▲アト「何ぢや希代坊といふが、そなたの名か▲シテ「迚もの事に、はりがへの名も下されうならば、忝う御座る▲アト「弓にこそはりがへというてあれ、名にはりがへは珍らしうおりある▲シテ「一つ下さるゝも二つ下さるゝも{*10}、同じ事で御座る、出家の事で御座れば、慈悲にも成ませう、ひらに御返なされて下されい▲アト「いや是々、最前のは、ふと云合せてそなたの仕合、はりがへの名が、何といふやら{*11}、身共は存ぜぬ▲シテ「何ぢやしらぬ▲アト「中々▲シテ「とつたぞ▲アト「是は何とする▲シテ「いかに名取の何某ぢやというて、この名をいはねば、どちへもやらぬ▲アト「何ぢや、この名をいはねば、どちへもやらぬ▲シテ「中々▲アト「夫は誠か{*12}{如常}扨々不祥な所へ来かゝつた{*13}▲シテ「何ぢや不祥▲アト「中々▲シテ「不祥不祥《笑》{*14}申々、其不祥坊と申が、私がはりがへの名で御座る▲アト「何ぢや不祥坊といふが、そなたのはりがへの名か▲シテ「《カゝル》をゝそれぞろよ名取殿《上》希代坊に不祥坊、不祥坊に希代坊、二つの名をば取かへし、本国さして帰りけり。{ト止めて入る}

校訂者注
 1:底本は、「是はとうぞ」。
 2:底本は、「希代不祥希代坊、笑ふ」。
 3:底本は、「石かずべるは」。
 4:底本は、「己に流うとした」。
 5:底本は、「流ははてし水の面」。
 6:底本は、「川は様々多けれと」。
 7:底本は、「此方の事で御座るが」。
 8:底本は、「こなたがとらいて」。
 9:底本は、「其希代坊と申か」。
 10:底本は、「二つ下さるも」。
 11:底本は、「何かといふやら」。
 12:底本は、「夫誠か」。
 13:底本は、「▲アト「扨々不祥な所へ来かゝた」。
 14:底本は、「不祥(二字以上の繰り返し記号)笑ふ」。