法師が母(ほふしがはゝ)(二番目)

{女、先へ出て、笛座に下に居る。シテ、酒に酔ひて出、女を呼び出す。しかじか、種々あり。女に暇をやる印に、壺折(つぼをり){*1}を脱ぎてやるなり。扨、女を追ひ廻す。中入するまで、「貰聟」に少しも違はず。但し、「かな法師が尋ねうと思うて、それが不憫にござる」と云ひて、泣き泣き、笛座へくつろぐ。}
▲シテ「{*2}物に狂ふも五臓故、酒の仕業(しわざ)と覚えたり。それ春の脈は弓に絃、掛くるが如く狂ふ身の、咲き乱れたる花どもの、物云ふ事はなけれども、軽漾(けいやう)激して影唇を動かせば、花の云ふは道理なり。《詞》なうなう、そこ元へ。二十歳(はたち)ばかりの女の、物思ひ顔では行かぬか。あゝ、これこれ。それへ、包みなど頂いた女は行かぬか。何、そなたへも行かぬとや。{*3}いつか又、法師が母にあひたけの。
▲地「涙にむせぶばかりなり。
{カケリ。舞ひ様、口伝。打上。}
▲シテ「法師が母が能には、法師が母が能には。
▲地「まづ、春は蕨折(わらびを)り、扨又、夏は田を植ゑ、秋は稲場(いなば)に行き帰り、冬にもなりぬれば、背戸の窓の明かりにて、六よみ布{*4}を織りつゝ、素袍・袴や十徳、布子の表帷子をば、誰が織りてくれうぞ。法師が母ぞ恋しき。
▲女「《上》法師が母は只一人(ひとり)、涙ぞ道の標(しるべ)にて、親の元にぞ帰りける。
▲シテ「聞かまほしの御声や。あれは、妻にてましますか。さりとては、帰り合ひ、狂気をやめてたび給へ。
▲女「見目(みめ)の悪(わろ)きは生まれつき。一度去りたる仲なれば、何しに帰り合ふべきぞ。
▲シテ「見目の悪きとは、見目の悪きとは、たゞ酔狂のあまりなり。誠に見目は良いものを。
▲女「それは誠か。
▲シテ「中々に。
▲地「中々に、中々に。いち人の見目の良いは、田中権の守の継娘(まゝむすめ)、聟になりたや{*5}。
▲シテ「南無三宝。なう、いとしい人。ちやつと渡しめ。
▲女「心得ました。
{と云ひて、小袖被(かづ)きし儘、入るなり。}

校訂者注
 1:「壺折(つぼをり)」は、小袖の一種。
 2:底本、ここから「花の言うは、道理なり」まで、傍点がある。
 3:底本、ここから「田中権の守のまゝ娘、聟になりたや」まで、傍点がある。
 4:「よむ」は、「糸(ここでは経糸(たていと))の数を数える」意。
 5:「田中権の守の継娘」云々は、意味不詳。

底本:『和泉流狂言大成 第一巻』(山脇和泉著 1916年刊 国会図書館D.C.

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法師が母(ホオシガハゝ)(二番目)

{女先へ出て笛座に下に居るシテ酒に酔て出女を呼出すしかじか種々有女に暇をやる印につぼ折をぬぎてやる也扨女を追廻す中入する迄貰聟に少しも不違但しかな法師が尋うと思うて夫が不便に御座ると云て泣々笛座へくつろぐ}▲シテ「物に狂うも五臓ゆへ酒の仕わざと覚えたり、夫春の脈は弓に絃、かくるがごとく狂ふ身の、咲乱たる花共の、物いふ事はなけれ共、けいようげきしてかげ唇をうごかせば、花の言うは、道理なり《詞》なうなう、そこ許へ、はたち計りの女の、物思ひ顔ではゆかぬか{*1}、あゝ是々、それへ包抔いたゞいた女はゆかぬか、何そなたへもゆかぬとや、いつか又、法師が母にあひたけの▲地「涙にむせぶ、計なり{カケリ舞様口伝打上}▲シテ「法師が母が能には法師が母が能には、▲地「先春はわらび折り、扨又なつは田をうへ秋はいなばにゆき帰り、冬にも成ぬれば、せどのまどのあかりにて、六よみ布を織つゝ、素袍袴や十徳、布子の表帷子をば、誰が織てくれうぞ、法師が母ぞ恋しき▲女「《上》法師が母は唯ひとり、涙ぞ道のしるべにて、親のもとにぞ帰りける▲シテ「きかまほしの御声や、あれは妻にてましますか、さりとては帰りあひ狂気をやめてたび給へ▲女「みめのわろきは生れつき、一度去りたる中なれば何しに帰りあふべきぞ▲シテ「みめのわろきとはみめのわろきとは、たゞ酔狂のあまりなり、誠にみめはよい者を▲女「夫は誠か▲シテ「中々に▲地「中々に中々に、いち人の見めのよいは、田中権の守のまゝ娘、聟になりたや▲シテ「南無三宝、なういとしい人、ちやつと渡しめ▲女「心得ました{ト云て小袖かつぎし儘入る也}

校訂者注
 1:底本は、「ゆがぬか」。