泣尼(ナキアマ)(二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。某(それがし)、親の追善のため、一間四面の堂を、建立致いてござる。堂は、思ふ儘に出来てござれども、田舎の事でござれば、似合はしい御出家がござらぬ。この度、都へ登り、似合はしい御出家を、御頼み申して参らうと存ずる。誠に、田舎と申すは、不自由なものでござる。堂は思ふ儘に出来てござれども、似合はしい御出家がござらぬによつて、法事を執り行ふ様がござらぬ。何とぞ、似合はしい御出家を、御頼み申して参りたいものでござるが。いや、何かと云ふ内に、早(はや)都ぢや。幸ひ、これに寺がある。まづ、案内を乞はう。
{と云ひて、橋懸りへ向ひ、案内乞ふて、一の松へ出るも、常の如し。}
▲シテ「表に案内があるが、小僧どもは出ぬか。案内とは誰(た)そ。
▲アト「御免ありませう。
▲シテ「はあ。見知らぬ御人(おひと)ぢやが。どれからござつた。
▲アト「私は、さる田舎の者でござるが、御寺を見かけて、御頼み申したい事があつて、参つてござる。
▲シテ「それならば、まづ、かう御通りなされい。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「扨、寺を見かけて、御頼みなされたいとは、如何様(いかやう)の事でござる。
▲アト「別の事でもござりませぬ。私、親の追善のため、一間四面の堂を、建立致してござる。この堂供養、又は追善のため、一座の説法をも執り行うて貰ひたう存ずれども、田舎の事でござるによつて、似合はしい御出家がござらぬ、何とぞ、御下りなされて下されうならば、忝う存じまする。
▲シテ「何と仰せらるゝ。例へば、さる田舎の御人ぢやが、親の追善のために、一間四面の堂を御建立なされ、この堂供養、又は追善のため、一座の法談をも執り行うて貰ひたいとあつて、寺を見かけて御頼みなさるゝ、と仰せらるゝか。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「扨々、御奇特千万な御事でござる。誰あつて、親の後(あと)を麁末に存ずる者はござらねども、その様にはならぬものでござる。結構な御心入れぢやと存ずれば、早(はや)、こなたの身から、光がさす様にござる。
▲アト「これは、結構な御挨拶でござる。
▲シテ「それこそ出家の望む所なれ。早速参つて、一座の法談をも執り行ひたうはござれども、愚僧は、かなはぬ先約がござるによつて、え参りますまい。
▲アト「いや。御前をと申すではござりませぬ。御弟子衆なりとも、御下しなされて下され。
▲シテ「成程、弟子どもゝ数多(あまた)ござれども、しかつべしい{*1}は、檀林{*2}へ学問にのぼし、新発意(しんぼち)等を遣はしては、法事も心元なうござる。これは、とかくなりますまい。
▲アト「左様ならば、是非に及びませぬ。又、外の御寺へ参つて、御頼み申しませう。
▲シテ「はあ。扨はこなたは、外のお寺に近付(ちかづき)がござるか。
▲アト「これは、御意とも覚えませぬ。外の寺に近付がござれば、かやうに御頼み申しは致しませぬ。ござらぬによつて、御頼み申す事でござる。
▲シテ「これは、愚僧が誤りました。されども、こなたが都不案内で、外の寺へ行かせられたらば、定めてむさとした出家をかな、雇はせらるゝであらう。こゝに、愚僧が心当りの出家がござる。これを雇うて進ぜうか。但し、御嫌(おいや)か。
▲アト「それは、近頃忝う存じまする。左様ならば、どうぞ、御頼みなされて下されい。
▲シテ「成程、心得ました。さりながら、こゝに、物とした事がござる。愚僧が参るか、弟子どもを遣はせば、その構ひもござらぬが、この、人を雇ふといふについての事でござる。もし、物は何程、御用意でござる。
▲アト「物と仰せらるゝは、何でござる。
▲シテ「はて、それ。物い、なう。
▲アト「御布施の事でござるか。
▲シテ「《笑》まづ、その様な物でござる。
▲アト「これも、田舎の事でござれば、多(おほ)しい事は、え致しませねども、鳥目千疋用意致してござる。
▲シテ「何と、鳥目千疋、御用意なし下された。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「扨々、それは、一廉(いつかど)の御布施でござる。追つ付け、雇うて来て進ぜう程に、こなたは庫裡へ行(い)て、茶でも参つて休ませられい。
▲アト「心得ました。
▲シテ「これはいかな事。鳥目千疋、御布施を用意したと云はるゝ。何と、これを行かぬといふ事があるものか。さりながら、愚僧が談義は、殊勝気(げ)はなうて眠気(ねむけ)がさすと、何(いづ)れもが仰せらるゝ。又、こゝに、泣き尼と申して、涙もろい尼がござる。これを雇うて参り、高座近う置いて、泣いてもらへば、その尼前(あまぜ)の泣くにつけて、少しは殊勝なと仰せらるゝ御方もある。外の出家を雇ふと云ふは嘘、かの尼を雇ひに参らうと存ずる。誠に、内に居れば、良うござるが。内にさへ居たならば、愚僧が申す事ぢやによつて、定めて来てくるゝでござらう。いや、何かと云ふ内に、これぢや。まづ、案内を乞はう。物もう、案内もう。尼、内に居さしますか。おりあるか。
▲尼「ゑいゑい。表に案内がある。案内とは誰(た)そ。
▲シテ「愚僧でおりやる。
▲尼「ゑい、御長老様。良う御出なされましたなう、良う御出なされましたなう。
▲シテ「この間は、久しう談義もせぬによつて、わごりよを雇ひにもおこさぬが、そなたもまめさうで、一段ぢや。
▲尼「成程、妾(わらは)も随分、息災にござる。御長老様も、御機嫌さうで、おめでたうござる。
▲シテ「扨、今日(けふ)来るは、別の事でもない。さる田舎の人ぢやが、親の追善のために、一間四面の堂を御建立召され、その堂供養、又は追善のため、一座の説法をも執り行うて貰ひたいとあつて、愚僧を頼みにわせた。又、いつもの通り、高座近う居て、泣いておくりあるまいか。
▲尼「何と仰せらるゝ。たとへば、さる田舎の御人ぢやが、親の追善のために、一間四面の堂を御建立なされ、その堂供養、又は追善のため、一座の説法をも執り行うて貰ひたいとあつて、御長老様を頼みにわせた、と仰せらるゝか。
▲シテ「成程、その通りぢや。
▲尼「扨も扨も、田舎にもその様な、親に孝行な志の深い人が、ござるかいなう。
{と云ひて、泣く。}
▲シテ「《笑》早(はや)、泣き出したわ。何と、来ておくりあらうか。
▲尼「参りたうはござれども、この間は、御針(おはり){*3}が忙しうござるによつて、え参りますまい。
▲シテ「それは、気の毒ぢや。さりながら、そなたを雇ふと云ふて、別に骨を盗まうではない{*4}。先(さき)からは、何程くれられうは知らねども、そなたへは鳥目百疋、御布施を致さうぞ。
▲尼「やあやあ。妾には鳥目百疋、御布施を下されう。
▲シテ「中々。
▲尼「扨も扨も、それは、夥(おびたゞ)しい御布施でござるなう。
{と云ひて、泣く。}
▲シテ「《笑》扨も扨も、泣きにくい所を上手に、良う泣く尼ぢや。何と、来ておくりあるまいか。
▲尼「それならば、御針の方へは断りを申して、御長老様の方へ参りませう。
▲シテ「それは、悦ばしい事ぢや。さあさあ、おりあれ。
▲尼「心得ました。
▲シテ「扨、今日(けふ)はそなたが来てくれて、この様な悦ばしい事はない。
▲尼「御針が忙しうござれども、是非と仰せらるゝによつて、御長老様の方へ参りまする。
▲シテ「扨、云ふまではなけれども、必ず談義の番(つが)ひに{*5}、良う泣いておくりあれや。
▲尼「そりあ、御気遣ひあそばすな。
▲シテ「扨、愚僧は、田舎人(ゐなかびと)と同道して行くによつて、わごりよ、後(あと)から見え隠れに御出あれ。
▲尼「心得ました。
▲シテ「いや、何かと云ふ内に、戻つた。まづ、そなたはそれへ寄つておりあれ。
▲尼「あゝ。
▲シテ「なうなう。田舎人、ござるか。
▲アト「いや。御長老様が、御帰りなされたさうな。御帰りなされましたか。
▲シテ「やうやうと、帰りました。
▲アト「これは、御苦労に存じまする。
▲シテ「扨、都は広い事でござるによつて、どの様な御出家もあらうと思し召さうが、愚僧がこれぞと存ずるは、先約があるの、何のかのと申して、こなたへ遣はしさうな出家は、一人もござらぬ。
▲アト「あの、一人もござりませぬか。
▲シテ「中々。
▲アト「これはいかな事。御前(おまへ)が御出下されてさへ、それでござる。まして、私が不案内で、外のお寺へ参つたらば、定めてむさとした御出家をかな、御頼み申すでござりませう。とかくこの上は、在所へ帰つて、なりあひに法事を進めませう{*6}。
▲シテ「されば、そこの事でござる。いかにとしても、こなたの御志を感じ入りましたによつて、先約の方へは断りを申して弟子どもを遣はし、こなたの方(はう)へは、愚僧が参る筈に致したが、何と、御嫌か。
▲アト「それは近頃、忝うござる。どうぞ、御出なされて下さりませ。
▲シテ「左様ならば、身拵へをして参りませう。暫くそれに、御待ちなされい。
▲アト「心得ました。
▲シテ「やいやい、小僧ども。旅の人に、茶でも進じませいよ。
{と云ひて、大鼓の座にて拵ふる。色衣・色袈裟を掛くるもあるなり。至急不得{*7}、大鼓座にて拵ふる。黒衣・五條袈裟掛け、珠数持ち出し、咳払ひする他{*8}、この内、アト、しかじか云ふなり。}
▲アト「なうなう、嬉しや嬉しや。某は、都不案内にござり、その上御寺に近付はなし、早速、埒もあくまいと存じたに、ふとこの寺へ参つてござれば、重畳の仕合(しあは)せで、御長老様の御出下されうと仰せらるゝ。在所の外聞と申し、この様な悦ばしい事はござらぬ。これと申すも、ひとへに仏の引き合(あは)せでかなござらう。
{シテ、咳払ひする。}
▲アト「これは、御拵へが出来ましたか。
▲シテ「愚僧が参れば、留守の事を申し付けたり、隙(ひま)がいりまして、さぞ御待ち遠にござらう。
▲アト「いや、左様にもござりませぬ。いざ、御出なされませい。
▲シテ「案内者のため、こなたからござれ。
▲アト「それならば、御先(おさき)へ参りませうか。
▲シテ「一段と良うござらう。
▲アト「さあさあ、御出なされませ。
▲シテ「心得ました。
{と云ひて、尼を中啓(ちゆうけい){*9}にて招くなり。}
▲アト「扨々、ふと御寺へ参つて、御無心申してござれば、御前が御下りなされて下されて、この様な悦ばしい事はござりませぬ。
▲シテ「最前も申す通り、愚僧も、叶はぬ先約がござれども、こなたの御志を感じ入つて、参る事でござる。
▲アト「近頃、忝う存じまする。
▲シテ「して、まだ程は遠うござるか。
▲アト「いや、何かと申す内に、これでござる。
▲シテ「早速でござるか。
▲アト「則ち、この度建立の堂は、これでござる。
▲シテ「信は荘厳より起こると申すが、結構な荘厳でござる。
{と云ひて、ゐる高座を真ん中へ出し置き、扨、シテ、拝をして、高座の前に直る時、葛桶出す。}
聴衆も群集致した。いざ、説法を始めませう。
▲アト「御苦労に存じまする。
{この内に尼出て、下に居る。仏前を拝む心をする。シテ、高座にかゝり、まづ、鈴(りん)を打ち、扨、拝む。仕様、色々あるべし。}
▲シテ「今日今時(こんにちこんじ)の志は、二親(じしん)菩提のため、一堂を建立し、一花一香(いつけいつかう)を手向け給ふ。これ皆、親に孝ある故なり。
▲アト「はあ。
▲シテ「されば、世に四恩あり。第一には天地の恩、第二には国王の恩、第三には父母(ふも)の恩、第四には衆生の恩、これを四恩と申す。中にも重きは父母の恩、それを如何にと云ふに、骨(ほね)は父の恩、肉色(にくじき)は母の恩、こゝをもつて、父母報恩経にも説き置かれた。既に釈迦仏も、御母・摩耶夫人孝養のため、とうりてんに登り、安居(あんご)の御法(みのり)を説き給ふ。又、丁蘭(ていらん)は母に後(おく)れ、その容姿(かたち)を木像に造り、存生(ぞんじやう)の如く物を云ひ、朝夕孝を尽くしければ、他人これを見て、あまりの事と憎み、かの木像の胸に針を刺しければ、その針の跡よりも血の流るゝ事、滝の水の落つるがごとし。
{この内より、尼、そろそろ眠る。シテ見付けて、色々心持ちあるなり。}
又、郭巨は老いたる母を持ち、一人(いちにん)の子を持つ。この子に扶持するならば、親こそ共になるべし。只、緑児(みどりご)を埋(うづ)まんと、野辺に出、打つたる鍬の下よりも、黄金(こがね)の釜を掘り出し、富貴の家となりぬ。
{シテ、尼を見て、咳払ひするなり。}
{*10}又、伯瑜(はくゆ)が、母に打たれし杖に泣く涙、全(まつた)う杖の痛きにあらず。日頃打ちし杖よりも弱りたるを見て、泣く涙なり。
{段々、尼強く眠る。シテ、心持ち色々あり。口伝。}
又こゝに、泣かいで叶はぬ物語がある。魯国の柴恙(さいかう)といふ者は、父に後(おく)れ、その歎き、已(や)む事なし。喪に入つて泣く事、三年となりぬ。その後、笑ふといへども、歯を表す事なし。{*11}かの柴恙といふ者は、只の涙をも流さずして、血の涙を流し、三年までさへ泣いたるぞや。
{前に同じ。尼の眠りを起こす心持ち、色々あるべし。}
惣じて、人間の無常を観ずるに、春の花を見ては悟りとし、秋の月を見ては眠りを覚ます。かゝる説法の場(には)において、もし一人(いちにん)なりとも、眠りのきざす輩(ともがら)は大悪人。金言耳に入り難しと、仏も説き置かれた。
{強く咳払ひ、色々あるべし。}
泣け、泣け。尼の事ぢやわいやい。所詮、下手の長談義は無用の事とある。その上、この中(ぢゆう)は、諸事お肝入りで、施主の御草臥(おくたび)れもあらう。只、回向を致さう。{*12}只、彼を聞き、これを見るに、孝行に外れたる事、あるまじ。今日(けふ)の説法、これまでなり。願以此功徳普及於一切、我等余衆生皆供成仏道。
{と云ひて、鈴(りん)を打ち、回向する。色々あるべし。尼驚き、目を覚まし、元の大鼓座へ入る。シテも立つなり。}
▲アト「これは、御仕舞ひなされましたか。
▲シテ「やうやうと、仕舞ひました。
▲アト「扨々、御苦労に存じまする。
▲シテ「御取り込みでござらうに、調菜で、ゆるりと御斎(おとき)を下されました。
▲アト「内客(ないきやく)に取り紛れまして、何のお構ひ申しませなんだ。
▲シテ「扨、もう、かう参りませう。
▲アト「早、御出なされまするか。
▲シテ「何もあの方へ、御用もござらぬか。
▲アト「いや、別に用事もござりませぬ。
▲シテ「何ぞ、のぼせたいやうな物も、ないかの。
▲アト「いや。御布施は、先(せん)だつてのぼせました。
▲シテ「あゝ、いや。その事ではござらぬ。も、かう参りませう。
▲アト「良う御出なされました。
▲シテ「なうなう。うるさやの、うるさやの。もつけな者を連れて来て、扨々、愚僧に骨を折らせ居つた。
▲尼「やれやれ、御長老様。
▲シテ「何ぢや。
▲尼「いついつとは申しながら、今日の様な御殊勝な、ありがたい御説法は、ござりませぬ。
{と云ひて、泣く。}
▲シテ「何ぢや。ありがたい。
▲尼「あゝ。
▲シテ「いや、こゝなやつが。ありがたいやら、忝いやら。そこへ座に着くと、たつた一寝入りにしをつて。何が、ありがたい事がある。
▲尼「約束の物は。
▲シテ「約束の物とは。
▲尼「御布施は。
▲シテ「何ぢや、御布施を。
▲尼「あゝ。
▲シテ「《笑》泣いたらばこそ、やらうと云うたれ。泣かぬ布施が、やらるゝものか。
▲尼「扨は、御布施をおこすまい、といふ事か。
▲シテ「又、何の様にやらうぞ。
▲尼「ゑゝ。腹立ちや、腹立ちや。この年寄つた者を、遥々(はるばる)連れて来て、おのれ、御布施をおこさずば、その袈裟なりとも、剥(は)いで取るぞ。
▲シテ「やいやい、何としをる。人が見をるわやい。
▲尼「いやいや。袈裟なりとも、取らずば置かぬぞ。
{と云ひて、取り付く。}
▲シテ「吠(ほ)おようおのれは吠(ほ)えいで、愚僧を吠(ほ)やしをつた{*13}。
{と云ひて、組み合ひて廻り、尼を打ちこかす。仕様、色々あるべきなり。口伝。}
▲尼「おう。腹立ちや、腹立ちや。
▲シテ「あゝ。許してくれい、許してくれい。
▲尼「いやいや。その袈裟なりとも、取らねば置かぬぞ。腹立ちや、腹立ちや。
{と云ひて、せわしく追ひ込んで、延て{*14}入るなり。}
校訂者注
1:「しかつべしい」は、「似合わしい」の意。
2:「檀林」は、当時あった僧の学問をする施設。
3:「御針(おはり)」は、「裁縫の仕事」の意。
4:「骨を盗む」は、「ただ働きをさせる」意。
5:「番(つが)ひ」は、「折。機会」の意。
6:「なりあひに」は、「成り行きまかせに」の意。
7:「至急不得」は、不詳。このあたり、或いは脱誤があるか。
8:「咳払ひする他、この内」も不審。ここのト書きは全体に意味が取り難く、何らかの脱誤が疑われる。
9:「中啓(ちゆうけい)」は、先の開いた扇の一種で、僧が主に使用した。
10:底本、ここから「よわりたるを見て、泣涙なり」まで、傍点がある。
11:底本、ここから「三年迄さへないたるぞや」まで、傍点がある。
12:底本、ここから「我等余衆生皆倶成仏道」まで、傍点がある。
13:意味不詳。或いは「泣く(吠ゆ)はずのお前は泣かずに(居眠りし、その代わりに、泣くのを頼んだ)私を(逆に困らせて)泣かせた」意か。
14:「延て」は、不詳。或いは衍か。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
泣尼(ナキアマ)(二番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、某親の追善の為、一間四面の堂を建立致いて御座る、堂は思ふ儘に出来て御座れ共、田舎の事で御座れば、似合はしい御出家が御座らぬ、此度都へ登り、似合はしい御出家を御頼み申して参らうと存ずる、誠に田舎と申すは不自由なもので御座る、堂は思ふ儘に出来て御座れ共、似合はしい御出家が御座らぬに依つて、法事を執行う様が御座らぬ、何卒似合はしい御出家を御頼み申して参りたいもので御座るが、いや何彼といふ内に早や都ぢや、幸ひ是に寺が有る、先づ案内を乞はう{ト云て橋懸りへ向ひ案内乞ふて{*1}一の松へ出るも如常}▲シテ「表に案内があるが、小僧共は出ぬか、案内とはたそ▲アト「御免ありませう▲シテ「はあ見知らぬお人ぢやが、どれから御座つた▲アト「私は去る田舎のもので御座るが、お寺を見かけて、お頼み申したい事があつて、参つて御座る▲シテ「夫ならば先かうお通りなされイ▲アト「畏ツて御座る▲シテ「扨寺を見かけて、お頼みなされたいとは、如何様の事で御座る▲アト「別の事でも御座りませぬ、私親の追善のため、一間四面の堂を建立致して御座る、此堂供養又は追善の為、一座の説法をも執行うて貰らひたう存ずれども、田舎の事で御座るに依つて、似合はしい御出家が御座らぬ、何卒御下りなされて下されうならば、忝う存じまする▲シテ「何と仰せらるゝ、例へば去る田舎の御人ぢやが、親の追善の為に、一間四面の堂を御建立なされ、此堂供養又は追善の為、一座の法談をも、執行うて貰ひたいと有つて、寺を見かけて御頼みなさるゝと仰せらるゝか▲アト「左様で御座る▲シテ「扨々御奇特千万な御事で御座る、誰有ツて親の跡を、麁末に存ずる者は御座らねども、其様にはならぬもので御座る、結構な御心入れぢやと存ずれば、早こなたの身から光がさす様に御座る▲アト「是は結構な御挨拶で御座る▲シテ「夫こそ出家の望む所なれ、早速参つて、一座の法談をも執行ひたうは御座れども、愚僧はかなはぬ先約が御座るに依つて、得参りますまい▲アト「いや御前をと申すでは御座りませぬ、御弟子衆なりとも、御下しなされて下され▲シテ「成程弟子共もあまた御座れども、しかつべしいは檀林へ学問にのぼし、新発意等を遣はしては法事も心元なう御座る、是は兎角なりますまい▲アト「左様ならば是非に及びませぬ、又外の御寺へ参つてお頼み申しませう▲シテ「ハア扨はこなたは、外のお寺に近付が御座るか▲アト「是は御意とも覚えませぬ、外の寺に近付が御座れば、加様にお頼み申しは致しませぬ、御座らぬに依つて御頼み申す事で御座る▲シテ「是は愚僧があやまりました、されどもこなたが都不案内で、外の寺へゆかせられたらば定めてむさとした出家をかな、雇はせらるゝであらう、爰に愚僧が心当りの出家が御座る、是を雇うて進ぜうか、但しおいやか▲アト「其は近頃忝う存じまする、左様ならばどうぞ、御頼みなされて被下い▲シテ「成程心得ました去ながら、爰に物とした事が御座る、愚僧が参るか、弟子共を遣はせば其構ひも御座らぬが、此人を雇うと云ふについての事で御座る、もし物は、何程御用意で御座る▲アト「物と仰せらるゝは何で御座る▲シテ「果それ、物いのお▲アト「御布施の事で御座るか▲シテ「先其様な物で御座る▲アト「是も田舎の事で御座ればおほしい事は得致しませね共、鳥目千疋用意致して御座る▲シテ「何と鳥目千疋御用意被成下た▲アト「左様で御座る▲シテ「扨々夫はいつかどの御布施で御座る、追つ付雇うて来て進ぜう程に、こなたは庫裡へいて、茶でも参つて休ませられい▲アト「心得ました▲シテ「これはいかな事、鳥目千疋御布施を用意したといはるゝ、何と是をゆかぬといふ事があるものか、去りながら、愚僧が談義は殊勝げはなうて、ねむけがさすと何れもが仰せらるゝ、又爰に泣尼と申して、涙もろい尼が御座る、是を雇うて参り高座近う置て泣いてもらへば、其尼ぜの泣につけて、少しは殊勝なと仰せらるゝ御方もある、外の出家を雇ふと云ふはうそ、彼の尼を雇ひに参らうと存ずる、誠に、内に居ればよう御座るが、内にさへ居たならば、愚僧が申す事ぢやに依つて、定めて来てくるゝで御座らう、いや何彼と云ふ内に是ぢや、先案内を乞わう、物もう案内もう、尼内に居さしますかおりあるか▲尼「ゑいゑい、表に案内がある、案内とはたそ{*2}▲シテ「愚僧でおりやる▲尼「ゑいお長老様、よう御出被成ましたのお▲シテ「此間は久しう談義もせぬに依つて、わごりよを雇ひにもおこさぬが、そなたもまめさうで一段ぢや▲尼「成程わらはもずゐぶんそくさいに御座る、お長老様も御機嫌さうで、お目出たう御座る▲シテ「扨けふ来るは別の事でもない、去る田舎の人ぢやが、親の追善の為に、一間四面の堂を御建立めされ、其堂供養又は追善の為、一座の説法をも執行うて貰ひたいとあつて、愚僧を頼みにわせた、又毎もの通り、高座近う居て泣ておくりあるまいか▲尼「何と仰せらるゝ、たとへば去る田舎の御人ぢやが、親の追善のために、一間四面の堂を御建立なされ、其堂供養又は追善のため、一座の説法をも執行うて貰ひたいと有つて、御長老様を頼にわせたと仰せらるゝか▲シテ「成程其通りぢや▲尼「扨も扨も田舎にも、其様な親に孝行な、志しの深い人が御座るかいなう、{と云て泣く}▲シテ「《笑》はや泣出したわ、何と来ておくりあらうか▲尼「参りとうは御座れども、此間はお針がいそがしう{*3}御座るに依つて、得参りますまい▲シテ「夫は気の毒ぢや、去ながら、そなたを雇うと言ふて、別に骨を盗うではない、先からは何程くれられうは知らねども、そなたへは鳥目百疋お布施を致さうぞ▲尼「やあやあ、わらはには鳥目百疋、御布施を下されう▲シテ「中々▲尼「扨も扨も、夫はおびただしい御布施で御座るなう{*4}{ト云て泣く}▲シテ「《笑》扨も扨も泣きにくい所を、上手によう泣く尼ぢや、何と来ておくりあるまいか▲尼「夫ならば、お針の方へは断りを申して、お長老様の方へ参りませう▲シテ「夫は悦ばしい事ぢや、さあさあおりあれ▲尼「心得ました▲シテ「扨今日はそなたが来てくれて、此様な悦ばしい事はない▲尼「お針がいそがしう御座れども、是非と仰せらるゝに依つて、お長老様の方へ参りまする▲シテ「扨言ふまではなけれども、かならず談義のつがひに、ようないておくりあれや▲尼「そりあお気遣ひあそばすな▲シテ「扨愚僧は田舎人と同道して行くによつて、わごりよ{*5}跡から、見えがくれにお出あれ▲尼「心得ました▲シテ「いや何彼と言ふ内に戻つた、先そなたはそれへ寄つて居りあれ▲尼「あゝ▲シテ「なうなう田舎人御座るか▲アト「いや御長老様がお帰りなされたさうな、お帰りなされましたか▲シテ「漸と帰りました▲アト「是は御苦労に存じまする▲シテ「扨都は広ひ事で御座るに依つて、どの様な御出家も有うと思召さうが、愚僧が是ぞと存ずるは先約があるの、何の彼のと申して、こなたへ遣しさうな出家は、一人も御座らぬ▲アト「あの一人も御座りませぬか▲シテ「中々▲アト「是はいかな事、お前が御出下されてさへ夫で御座る、まして私が不案内で外のお寺へ参ツたらば、定めてむさとした御出家をかな、お頼み申すで御座りませう、兎角此上は在所へ帰つて、なりあひに法事を進めませう{*6}▲シテ「さればそこの事で御座る、いかにとしても、こなたのお志を感じ入りましたに依つて、先約の方へは断りを申して、弟子共を遣はし、此方の方へは愚僧が参る筈に致したが、何とおいやか▲アト「夫は近頃忝う御座る、どうぞお出なされて下さりませ▲シテ「左様ならば身拵へをして参りませう、暫く夫におまち被成い▲アト「心得ました▲シテ「やいやい小僧共、旅の人に茶でも進じませいよ{ト云て大鼓の座にて拵る色衣色袈裟を掛るも有る也至急不得大鼓座にて拵る黒衣五條袈裟かけ珠数持出せきばらひする他此内アトしかじか云ふなり}▲アト「なうなう嬉しや嬉しや、某は都不案内に御座り、其上お寺に近付はなし、早速埒もあくまいと存たにふと此寺へ参つて御座れば、重畳の仕合せで、御長老様の御出下されうと仰せらるゝ在所の外聞{*7}と申し、此様な悦ばしい事は御座らぬ、是と申すもひとへに仏の引合せでかな御座らう{シテせきばらひする}▲アト「是はお拵が出来ましたか▲シテ「愚僧が参れば、留守の事を申し付たり、隙がいりまして、嘸お待遠うに御座らう▲アト「いや左様にも御座りませぬ、いざ御出なされませい▲シテ「案内者の為、こなたから御座れ▲アト「夫ならばお先きへ参りませうか▲シテ「一段とよう御座らう▲アト「さあさあお出なされませ▲シテ「心得ました、{ト云て尼を中啓にて招くなり}▲アト「扨々ふとお寺へ参ツて、御無心申して御座れば、お前がお下り被成て下されて此様な悦ばしい事は御座りませぬ▲シテ「最前も申す通り、愚僧も叶はぬ先約が御座れども、こなたのお志を感じ入ツて、参る事で御座る▲アト「近頃忝う存じまする▲シテ「してまだ程は遠う御座るか▲アト「いや何彼と申す内に是で御座る▲シテ「早速で御座るか▲アト「則此度建立の堂は是で御座る▲シテ「信は荘厳より起ると申すが、結構なせうごんで御座る、{ト云てゐる高座を真中へ出し置き扨シテ拝をして高座の前に直るとき葛桶出す}{*8}聴衆も群集致した、いざ説法を始めませう▲アト「御苦労に存じまする{此内に尼出て下に居る仏前を拝む心をするシテ高座にかゝり先りんを打扨拝む仕様色々可有}▲シテ「今日今時の志は、二親菩提の為、一堂を建立し、一花一香を手向け給ふ、是皆親に孝ある故なり▲アト「ハア▲シテ「されば世に四恩あり、第一には天地の恩、第二には国王の恩、第三には父母の恩、第四には衆生の恩、是を四恩と申す、中にも重きは父母の恩、夫を如何にと云ふに、骨は父の恩、肉色は、母の恩、爰をもつて父母報恩経にもときおかれた、既に釈迦仏も、御母摩耶夫人孝養の為、とうりてんに登り、安居の御法をとき給ふ、又丁蘭は母におくれ、其かたちを木像に造り、存生の如く物を言ひ、朝夕孝をつくしければ、他人是を見て、あまりの事とにくみ、かの木像の胸に針をさしければ其針の跡よりも、血の流るゝ事、滝の水のおつるがごとし{此内より尼そろそろねむる、シテ見付て、色々心持あるなり}{*9}又郭巨は老たる母を持ち、一人の子を持つ、此子に扶持するならば、親こそともになるべし、唯緑児を埋まんと、野辺に出打たる鍬の下よりも、黄金の釜を掘出し{*10}、富貴の家となりぬ、{シテ尼を見てせきばらひするなり}{*11}又伯瑜が母にうたれし杖に泣涙、全う杖のいたきにあらず、日頃打し杖よりも、よわりたるを見て、泣涙なり、{段々尼つよくねむるシテ心持色々有口伝}{*12}又爰になかいで叶はぬ物語りがある、魯国の柴恙といふ者は父におくれ、其歎やむ事なし、喪に入ツて泣く事三年となりぬ、其後笑ふといへども歯をあらはす事なし、彼柴恙といふ者は、唯の涙をも流さずして、血の涙をながし、三年迄さへないたるぞや、{前に同じ尼のねむりをおこす心持色々可有}{*13}惣じて人間の無常を観ずるに、春の花を見てはさとりとし、秋の月を見ては眠をさます、かゝる説法の場において、もし一人なりとも眠りのきざす輩は大悪人、金言耳に入りがたしと{*14}、仏もときおかれた、{つよくせきばらひ色々あるべし}{*15}なけ、なけ、尼の事ぢやわいやい、所詮下手の長談義は無用の事とある、其上此中は諸事お肝煎で、施主のお草臥も有らう、唯回向を致さう、唯彼を聞き是を見るに、孝行にはづれたる事有まじ、けふの説法是迄なり、願以此功徳普及於一切、我等余衆生皆供成仏道、{ト云てリンを打廻向する色々有るべし{*16}尼驚き目を覚し元の大鼓座へ入るシテもたつ也}▲アト「是はお仕舞なされましたか▲シテ「漸と仕舞ました▲アト「扨々御苦労に存まする▲シテ「御取込で御座らうに、調菜でゆるりとお斎を下されました、▲アト「内客に取紛れまして、何のお構ひ申しませなむだ、▲シテ「扨もうかう参りませう▲アト「早お出被成まするか▲シテ「何もあの方へ、御用も御座らぬか▲アト「いや別に用事も御座りませぬ▲シテ「何ぞのぼせたいような物もないかの▲アト「いや御布施は先達てのぼせました{*17}▲シテ「あゝいやその事では御座らぬ、もかう参りませう▲アト「ようお出なされました▲シテ「なうなううるさやのうるさやの、もつけな者をつれて来て、扨々愚僧に骨をおらせ居つた▲尼「ヤレヤレお長老様▲シテ「何ぢや▲尼「いついつとは申ながら、今日の様な御殊勝な、難有い御説法は御座りませぬ、{ト云て泣く}▲シテ「何ぢや難有い▲尼「あゝ▲シテ「いや爰なやつが、難有いやら忝いやら、其所へ座につくと、たつた一寝入りにし居つて、何が有難い事がある▲尼「約束の物は▲シテ「約束の物とは▲尼「お布施は▲シテ「何んぢやお布施を▲尼「あゝ▲シテ「《笑》泣たらばこそやらうと言ふたれ、なかぬ布施がやらるゝ者か▲尼「扨はお布施をおこすまいといふ事か▲シテ「又何の様にやらうぞ▲尼「ゑゝ腹立や腹立や、此年寄つたものをはるばる連て来て、おのれお布施をおこさずば、其袈裟なりともはいで取るぞ▲シテ「やいやい何とし居る、人が見居るはやい▲尼「いやいや袈裟なりとも取らずば置ぬぞ{ト云て取付く}▲シテ「ほゝようおのれはほゑひで、愚僧をほやしおつた、{ト云て組合て廻り尼を打こかす仕様色々あるべきなり口伝}▲尼「おう腹立や腹立や▲シテ「あゝゆるしてくれいゆるしてくれい▲尼「いやいや其袈裟なりともとらねばおかぬぞ、腹立や腹立や、{ト云てせわしく追込で延ているなり}
校訂者注
1:底本は、「案乞内ふて」。
2:底本は、「案内とはたそら」。
3:底本は、「お針がいそかしう」。
4:底本は、「御布施で御座らなう」。
5:底本は、「わこりよ」。
6:底本は、「法事を勧めませう」。
7:底本は、「在所の外分」。
8:底本は、「▲シテ「聴衆も群集致した」。
9:底本は、「▲シテ「又郭巨は」。
10:底本は、「釜を堀出し」。
11:底本は、「▲シテ「又伯瑜が母に」。
12:底本は、「▲シテ「又爰になかいで」。
13:底本は、「▲シテ「惣じて人間の無情を」。
14:底本は、「入りかたし」。
15:底本は、「▲シテ「なけ、なけ」。
16:底本は、「色有るべし」。
17:底本は、「のぼをました」。
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