魚説法(うをせつぽふ)(二番目)

▲アト「これは、この辺りの者でござる。某(それがし)、親の追善のため、一間四面の堂を建立致してござる。この堂供養、又は追善のため、御寺へ参り、御住持様を御頼み申し、一座の説法をも執り行うて貰はうと存ずる。誠に、年月(としつき)の念願でござつたに、この度成就致して、この様な悦ばしい事はござらぬ。何とぞ、御住持様が内にござれば良いが。いや、何かと申す内に、これぢや。
{と云ひて、案内を乞ふ。出るも常の如し。}
御住持様は、御内にござりまするか。
▲シテ「住持は、田舎へ参られて、留守でござる。
▲アト「して、それはいつ頃、御帰りなされまするぞ。
▲シテ「まだ、五日や三日の内ではござるまい。
▲アト「それは、気の毒でござる。只今参るは、別の義でもござらぬ。私、親の追善のため、一間四面の持仏堂を建立致してござる。この堂供養、又は追善のため、一座の説法をも執り行うて貰ひたう存じて、参つてござるに、御住持様が御留守で、気の毒でござる。
▲シテ「住持が留守で、御笑止に存じまする。
▲アト「申してさへござらば、早速、御出なされて下されうと存じて、早(はや)、御布施なども用意致してござる。
▲シテ「その様な事を聞かれましたらば、猶々、残り惜しく思はれませうぞ。
▲アト「誰彼と申さうより、御苦労ながら御前(おまへ)、御出なされて下されい。
▲シテ「いや。私は、法事等も心元なうござるによつて、え参りますまい。
▲アト「御前ぢやと申して、御住持様の御弟子の事でござる。どうぞ、御出なされて下されい。
▲シテ「それならば、身拵へして参らう程に、しばらくそれに御待ちなされい。
▲アト「心得ました。
▲シテ「これはいかな事。早(はや)、御布施なども用意したと云はるゝ。何、これを行かぬといふ事があるものか。さりながら、某は俄(にはか)坊主の事なれば、経陀羅尼は存ぜず、御布施は欲しゝ。何としたものであらうぞ。いや。某、伜の時分から浜辺に住んで、魚の名を数多(あまた)覚えてゐる。これを取り集め、談義の様に説いて聞かせ、御布施を取つて帰らうと存ずる。
{と云ひて、笛座へ入りて、珠数持ち、咳払ひする。}
▲アト「これは、御拵へが出来ましたか。
▲シテ「私が参れば、留守の事を申し付けたり、暇がいりまして、さぞお待ち遠にござらう。
▲アト「いや、左様にもござらぬ。いざ、御出なされませ。
▲シテ「案内者のため、こなたからござれ。
▲アト「それならば、御先へ参りませう。さあさあ、御出なされませ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「扨、今日は、御住持様が御留守で、気の毒に存じましたに、御前が御出なされて下されて、この様な悦ばしい事はござらぬ。
▲シテ「私は、法事等も心元なうござれども、是非と仰せらるゝによつて、参る事でござる。
▲アト「それは、猶以て忝う存じまする。
▲シテ「して、まだ程は遠うござるか。
▲アト「いや、何かと申す内に、これでござる。
▲シテ「早(はや)、これでござるか。
▲アト「まづ、かう御通りなされませ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「則ち、この度建立の堂も、これでござる。
▲シテ「信は荘厳より起こると申すが、これは、結構な荘厳でござる。
{シテ、大小の前へ行き、珠数すり、拝む。扨、正面へ出る。後見、床机出す。アト、下にゐる。シテ、腰をかけて、}
聴衆も群集致した。いざ、法談を始めませう。
▲アト「一段と良うござらう。
▲シテ「導師、この事を打ち聞いて、この様のめでたい御代に、よも鮑(あはび)とぞ思ふ。
▲アト「はあ。
▲シテ「すゝけにすゝけたる、干鮭色(からさけいろ)の袈裟をかけ、すししやうの珠数をつまぐり、高麗鮫の上に、のつしのつしと鰭(はえ)のぼり、発願の蟹、きすごの鐘木を以て、鰌々(どぢやうどぢやう)と打ち鳴らし、まづ、説法を鯣(するめ)なり。鮎(あゆ)かたしとよ。この鯖世界と申すに、仏と衆生とは、魚と水との如し。仏ましまさずして、六つの衆生の助かる事、あるべからず。又、水なくして、魚の住むべき所なし。されば、地蔵の鯇(あめ)の魚(いを)の後、水ます悪業の、蜘蛸(くもだこ)覆へば、月又海月(くらげ)なり。真如の嵐吹けば、月又鮬(せいご)の如し。おゝ、鱧(はむ)あみだ仏と唱ふれば、鯉(こひ)願ふ、鮒(ふな)らく世界に生まれ、鮲(こち)へ鮲へと、招(せう)ぜられしかば、仏と雑魚(ざこ)してゐべし。されば、観音経の要文(えうもん)にも、干鯛(ひたひ)かいらいし。心経には、蛸とくあのく鱈(たら)、三百三文に買ふて、鰤(ぶり)菩薩に参らする。{*1}今日(けふ)の説法、これまでなり。蟹辛鰥黄顎魚鰹魚、貝ぐん成仏道。
▲アト「これはいかな事。最前から、何を云ふぞと思へば、あれは皆、魚の名ぢや。扨々、腹の立つ事かな。やい、そこな売僧(まいす)坊主。この尊(たつと)い堂供養に、その様な生臭い事を、云ふといふ事があるものか。
▲シテ「鯛もない事を云ふ人ぢや。
▲アト「これはいかな事。
▲シテ「鮲(こち)らの驚く様にせらるゝ。
▲アト「おのれ、何とせうぞ。
{と云ひて、扇にて打擲する。}
▲シテ「打たば打たしめ。棒鱈(ぼうだら)か鱭(たちうを)でお打ちあれ。
▲アト「おのれ、又、打擲せいで置かうか。
{と云ひて、扇を広げ、頭を打つなり。}
▲シテ「あゝ、いかな。[魚求](かながしら){*2}も、堪(たま)るものではない。
▲アト「ゑゝ、苦々しいやつかな。
▲シテ「煎り海老の様な顔をして、赤目ばるの。
▲アト「扨々、憎いやつの。
▲シテ「こりあ、何とする。
▲アト「何とゝ云ふ事があるものか。
▲シテ「あゝ、生蛸(なまだこ)生蛸。
▲アト「まだ云ふか。
▲シテ「なま蛸、なま蛸。
▲アト「とつとゝ御帰りあれ。
▲シテ「名吉(みやうきち)参らう。
▲アト「扨々、憎いやつの。
▲シテ「あゝ、これは何とする。
▲アト「何とゝ云ふ事があるものか。
▲シテ「こちや、只、飛魚(とびうを)を致さう。
▲アト「まだそのつれを云ふか。
▲シテ「飛魚せう、飛魚せう{*3}。
▲アト「あの横着者。やるまいぞ、やるまいぞ。
▲シテ「あゝ。許してくれい、許してくれい。
▲アト「やるまいぞ、やるまいぞ。
{と云ひて、追ひ込み、入るなり。}

校訂者注
 1:底本、ここから「貝ぐん成仏道」まで、傍点がある。
 2:[魚求](かながしら)という漢字(魚偏に求)はテキストになく、こうして示した。
 3:説法からここまで、シテは、説法と発話に魚の名を織り込んでいる。また、魚の名と漢字が一部合わないが、一々注しない。

底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.

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魚説法(ウヲセツポヲ)(二番目)

▲アト「是は此辺りの者で御座る、某親の追善のため一間四面の堂を建立致して御座る、此堂供養又は追善のため、御寺へ参りお住持様をお頼み申し、一座の説法をも執行うて貰はうと存ずる、誠に、年月の念願で御座つたに、此度成就致して此様な悦ばしい事は御座らぬ、何卒御住持様が内に御座ればよいが、いや何彼と申す内に是ぢや、{ト云て案内を乞ふ出るも如常}{*1}お住持様は御内に御座りまするか▲シテ「住持は田舎へ参られて留守で御座る▲アト「して夫れはいつ頃お帰りなされまするぞ▲シテ「まだ五日や三日の内では御座るまい▲アト「夫は気の毒で御座る、唯今参るは別の義でも御座らぬ、私親の追善の為、一間四面の持仏堂を建立致して御座る、此堂供養又は追善の為、一座の説法をも執行うて貰ひたう存じて参つて御座るに、お住持様がお留守で気の毒で御座る▲シテ「住持が留守でお笑止に存じまする▲アト「申してさへ御座らば、早速お出被成て下されうと存じて、早御布施なども用意致して御座る▲シテ「其様な事を聞かれましたらば、猶々残りおしく思はれませうぞ▲アト「誰彼と申さうより、御苦労乍お前お出被成て下されイ▲シテ「いや私は法事等も心許なう御座るに依つて、得参りますまい▲アト「お前ぢやと申して、お住持様の御弟子の事で御座る、どうぞお出被成て下されイ▲シテ「夫ならば身拵へして参らう程に、しばらく夫にお待ち被成イ▲アト「心得ました▲シテ「是はいかな事、はやお布施なども用意したと言はるゝ、何是を行かぬといふ事が有者か、去り乍、某は俄坊主の事なれば、経陀羅尼は存ぜず、お布施はほしゝ何としたものであらうぞ、いや某忰の時分から浜辺に住んで、魚の名をあまた覚えて居る、是を取集め、談義の様に説ひて聞かせ、御布施をとつて帰らうと存ずる、{ト云て笛座へ入て珠数持ちせきばらひする}▲アト「是はお拵へが出来ましたか▲シテ「私が参れば、留守の事を申し付たり、暇がいりまして、嘸おまち遠に御座らう▲アト「いや左様にも御座らぬ、いざ御出なされませ▲シテ「案内者の為、こなたから御座れ▲アト「夫ならばお先へ参りませう、さあさあ御出なされませ▲シテ「心得ました▲アト「扨今日は御住持様がお留守で、気の毒に存じましたに、お前がお出被成て被下て、此様な悦ばしい事は御座らぬ▲シテ「私は法事等も心許なう御座れども、是非と仰らるゝに依つて参る事で御座る▲アト「夫は猶以て忝う存じまする▲シテ「してまだ程は遠う御座るか▲アト「いや何彼と申す内に是で御座る▲シテ「早是で御座るか▲アト「先づかうお通りなされませ▲シテ「心得ました▲アト「則此度建立の堂も是で御座る▲シテ「信は荘厳より起ると申すが、是は結構な荘厳で御座る{シテ大小の前へ行き珠数すり拝む扨正面へ出る後見床机出すアト{*2}下にゐるシテ腰をかけて}{*3}聴衆も群集致した、いざ法談を始めませう▲アト「一段とよう御座らう▲シテ「導師此事を打聞ひて、此様の目出度御代によも鮑とぞ思ふ▲アト「ハア▲シテ「すゝけにすゝけたる、干鮭色の袈裟をかけ、すししやうの珠数をつまぐり高麗鮫の上に、のつしのつしと鰭のぼり発願の蟹、きすごの鐘木を以て、鰌々と打鳴らし、先づ説法を鯣なり、鮎かたしとよ、此鯖世界と申すに仏と衆生とは、魚と水との如し、仏ましまさずして、六ツの衆生のたすかる事ある可らず、又水なくして魚の住む可き所なし、されば地蔵の鯇の魚の後、水ます悪業の、蜘蛸おほへば、月又海月なり、真如の嵐ふけば月又鮬の如し、おゝ、鱧あみだ仏と唱ふれば、鯉願ふ、鮒らく世界に生れ鮲へ鮲へと、せうぜられしかば、仏と雑魚してゐべし、されば観音経の要文にも、干鯛かいらいし、真経には、蛸とくあのく鱈、三百三文に買ふて、鰤菩薩に参らする、けふの説法是迄なり、蟹辛鰥黄顎魚鰹魚、貝ぐん成仏道▲アト「是はいかな事、最前から何を言ふぞと思へば、あれは皆魚の名ぢや、扨々腹の立つ事かな、やい、そこなまいす坊主、此たつとい堂供養に、其様ななまぐさい事を、言ふといふ事が有る者か▲シテ「鯛もない事を言ふ人ぢや▲アト「是はいかな事▲シテ「鮲らのおどろく様にせらるゝ▲アト「おのれ何とせうぞ{ト云て扇にてちやうちやくする}▲シテ「うたばうたしめ、棒鱈か鱭でおうちあれ▲アト「おのれ又、打擲せいでおかうか、{ト云て扇を広げ頭を打つなり}▲シテ「あゝいかな、[魚求]もたまる者ではない▲アト「ゑゝにがにがしいやつかな▲シテ「いり海老の様な顔をして赤目ばるの▲アト「扨々憎いやつの▲シテ「こりあ何とする▲アト「何とゝ{*4}言ふ事があるものか▲シテ「あゝ、生蛸生蛸▲アト「まだいふか▲シテ「なま蛸なま蛸▲アト「とつとゝお帰りあれ▲シテ「名吉参らう▲アト「扨々憎いやつの▲シテ「あゝ是は何とする▲アト「{*5}何とゝ言ふ事があるものか▲シテ「こちや唯飛魚を致さう、▲アト「まだ其つれを言ふか▲シテ「飛魚せう飛魚せう▲アト「あの横着者、やるまいぞやるまいぞ▲シテ「あゝゆるしてくれいゆるしてくれい▲アト「やるまいぞやるまいぞ{ト云て追込入るなり}

校訂者注
 1:底本は、「▲アト「お住持様は御内に」。
 2:底本は、「アと下にゐる」。
 3:底本は、「▲シテ「聴衆も群集致した」。
 4:底本は、「何と言ふ事が」。
 5:底本は、「「▲アト何とゝ言ふ事が」。