仏師(ぶつし)(二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。某(それがし)、一在所として、一間四面の堂を建立致いてござる。堂は、思ふ儘に出来てござれども、未(いま)だ似合(にあは)しい仏がござらぬ。この度、都へ上り、仏を求めて参らうと存ずる。誠に、田舎と申すものは、不自由なものでござる。堂は思ふ儘に出来てござれども、仏師がござらぬによつて、仏を求めよう様(やう)がござらぬ。わあわあ。都近くと見えて、いかう賑やかな。さればこそ、都ぢや。田舎の家作りとは違うて、軒と軒とを仲良ささうに、ひつしりと建て並べた。扨も扨も、賑やかな事ぢや。わあ。身共は、はつたと失念した事がある。仏師はどこ元にあるやら、どの様な人ぢやも存ぜぬ。篤(とく)と問うてくれば良かつたものを。遥々(はるばる)の所を、問ひにも戻られまいし。何としたものであらうぞ。やあやあやあ《笑》。さすが、都ぢや。売り買ふ者も、呼ばゝれば事が調(とゝの)ふと見えた。さらば、身共も呼ばゝつて参らう。しいしい、そこ元に仏師はござらぬか。仏買はう。仏師はないか。仏買はう。仏買ひす。
▲シテ「洛中に、心の直(すぐ)にない者でござる。あれに、田舎者と見えて、何やらわつぱと申す。ちと、きやつにたづさはつて見ようと存ずる。なうなう、これこれ。
▲アト「この方の事でござるか。
▲シテ「いかにも、そなたの事ぢや。わごりよは、この広い街道を、何をわつぱと仰(お)せある。
▲アト「田舎者の事でござれば、わつぱの法度も存ぜいで、申してござる。まつぴら御免あれ。
▲シテ「わつぱの法度を咎(とが)むるではない。何を仰(お)せある。事によつたらば、叶へておませうといふ事ぢや。
▲アト「それは忝うござる。私は、仏が欲しさに、仏師を尋ねまする。
▲シテ「して、その仏師を見知つておゐあるか。
▲アト「これは又、都人とも覚えぬ事を仰せらるゝ。存じてゐれば、かやうに呼ばゝつては歩きませぬ。知らぬによつて、呼ばゝつて歩く事でござる。
▲シテ「これは、身共が誤つた。すれば、そなたは仕合者(しあはせもの)ぢや。
▲アト「いや。仕合(しあはせ)と申しても、かう見えた通りの者でござる。
▲シテ「いやいや。その様に、袖褄についての仕合(しあはせ)ではない。身共にお逢ひあつたが仕合(しあはせ)といふ事ぢや。
▲アト「それは又、どうした事でござる。
▲シテ「洛中に人多しといへども、そなたの尋ぬる身共は、真仏師でおりある。
▲アト「なう、恐ろしや。つゝと、そちへ退(の)いて下されい。
▲シテ「何と召された。
▲アト「私は生まれついて、蝮(まむし)は嫌ひでござる。
▲シテ「それは、そなたの聞き様が悪い。蝮(まむし)ではない。真、仏師といふ事でおりある。
▲アト「扨は、仏師殿でござるか。
▲シテ「中々。
▲アト「仏師なら仏師で良い事を、真仏師とは、どうした事でござる。
▲シテ「不審、尤ぢや。昔、雲慶・丹慶・安阿弥と云うて、仏師の流れが三通りある。雲慶も絶え、丹慶も絶ゆる。今は、安阿弥の流れ、身共一人ぢやによつて、真仏師と云ふ事でおりある。
▲アト「謂(いは)れを聞けば、尤でござる。仏が欲しうござる。見せて下され。
▲シテ「仏に限つて、出来合(できあひ)はない。何なりとも、好ましめ。作つてやらうぞ。
▲アト「田舎者の事でござれば、好む術(すべ)も存じませぬ。どうぞ、良からう仏を作つて下されい。
▲シテ「それならば、何を作つてやらうぞ。
▲アト「何が良うござらうぞ。
▲シテ「仁王を作つてやらうか。
▲アト「仁王と仰せらるゝは、寺方の楼門に立つてござる、御仏の事でござるか。
▲シテ「成程、その仏の事ぢや。
▲アト「あれは、異形で悪うござる。もそつと余の仏を、作つて下されい。
▲シテ「それならば、天邪鬼を作つてやらうか。
▲アト「それは、かの、踏まへられてござる御仏の事ではござらぬか。
▲シテ「わごりよは、田舎者ぢやと仰(お)せあるが、いかう功者な。いかにも、その仏の事ぢや。
▲アト「あれは、あまり窮屈さうで、悪うござる。私の存じまするは、姿かたち柔和にして、現当二世を守らせらるゝ御仏が、作つて欲しうござる。
▲シテ「それならば、こゝに、毘沙門の妹に、吉祥天女というてある。これは、姿かたち柔和にして、現当二世を守らせらるゝ仏がある。これを作つてやらうぞ。
▲アト「成程。その吉祥天女とやらは、承り及うでござる。どうぞ、その御仏を作つて下されい。
▲シテ「して、御丈(おたけ)は何程にせうぞ。
▲アト「これは、仏師殿次第でござる。
▲シテ「身共次第ならば、五丈ばかりか。
▲アト「それは、あまり大きうござる。もそつと小さう作つて下されい。
▲シテ「小さうならば、一寸八分か。
▲アト「これはいかな事。五丈ばかりと仰せらるゝによつて、もそつと小さうと云へば、一寸八分。それは、わづか手の内にも、ござなさるゝ。この度建立の堂は、一間四面でござる。それ相応に、作つて下されい。
▲シテ「はあ。扨は、一間四面か。
▲アト「中々。
▲シテ「それならば、身共が背頃合(せころあひ)は、何とぢや。
▲アト「どれどれ。あゝ、さすが仏師殿ぢや。こなたの背頃合(せころあひ)が、丁度良うござる。
▲シテ「それならば、身共が背頃合(せころあひ)に、作つて置いてやらうぞ。
▲アト「して、いつ頃出来まするぞ。
▲シテ「されば、三年三月九十日もかゝらうか。
▲アト「それは、あまり長うござる。もそつと急いで下されい。
▲シテ「急ぎならば、明日(あす)の今時分。
▲アト「これはいかな事。三年三月九十日もかゝらうと仰せらるゝによつて、もそつと急いでと云へば、明日(あす)の今時分。これは、どうした事でござる。
▲シテ「最前も云ふ通り、身共は安阿弥の流れぢやによつて、弟子数多(あまた)持つてゐる。御頭(みぐし)は御頭、御手(おて)は御手と、それぞれに云ひ付けて、作り立てゝ持つて寄るを、身共が、膠加減(にかはかげん)のとつくりとし済まして置いて、片端からひたひたと付けて廻るによつて、明日(あす)の今時分。又、身共が一つ細工にすれば、三年三月九十日もかゝらうかといふ事でおりある。
▲アト「成程、尤な事でござる。願はくは、こなたの一つ細工が欲しうござれども、田舎者でござれば、その様に逗留はなりませぬ。どうぞ、御弟子衆に仰せ付けられて、明日(あす)の今時分までに、作つて置いて下されい。
▲シテ「成程、明日(あす)の今時分までに、作つて置かうぞ。
▲アト「扨、代物(だいもつ)は、何程でござる。
▲シテ「万疋でおりやる。
▲アト「それは、あまり高うござる。もそつと負けて下されい。
▲シテ「いやいや。仏に限つて、負けはない。嫌ならば、置かしませ。
▲アト「それとても、求めませう。乃ち、代物は、三條の大黒屋で渡しませう。
▲シテ「成程。大黒屋、存じてゐる。あれで受け取るであらう。
▲アト「して、仏はどこ元で渡させらるゝ。
▲シテ「この通りを一丁程真直(まつすぐ)に行(い)て、左へきりゝと廻る処に、菰垂(こもだれ)がある。その内に作つて置かうず。又、身共もその辺りに居やう程に、何なりとも、用事があらば仰(お)せあれ。
▲アト「それならば、も、かう参る。
▲シテ「何と、お行きあるか。
▲アト「中々。
▲二人「さらばさらば。
▲シテ「田舎者を、まんまと騙してはござれども、何を仏ぢやと申して、売つてやらう物がござらぬ。その上、身共は生まれてこの方、楊枝一本、削つた事もござらぬ。さりながら、身共が背頃合(せころあひ)と申すも、思案あつての事でござる。こゝに、風流(ふりう)の面(おもて){*1}がござる。これを着て、身共が仏になつて、代物さへ取つたらば、路次からなりともすかさうと存ずる。やうやう、田舎者と約束の時分ぢや。仏になつてゐようと存ずる。
{と云ひて、笛座より面持ち出て来て、脇座に、両の手を脇の下に置き立つてゐる。}
▲アト「やうやう、仏師と約束の時分でござる。参らうと存ずる。まづ、この通りを一丁程真直に行(い)て、左へきりゝと廻る処に、菰垂(こもだれ)。はあ。大方、この事であらう。まづ、菰垂を上げてみよう。はゝあ。扨も、殊勝に出来させられた。
{と云ひて、扇を広げ、前に置きて、拝むなり。}
あゝ。いづれ、仏師といふものは、上手なものぢや。一日一夜(いちにちいちや)に、この様に作り立つるといふ事が、あるものか。まづ、たゞこの辺りは、生きてござる様な。
{と云ひて、右手を差し寄せ、シテの喉(のど)の下をいらふなり。}
これはいかな事。御頭(みぐし)の辺りへ、手を差いて見たれば、温(あたゝ)かな。合点の行かぬ事ぢや。その上、御印相(ごいんざう){*2}も気にいらぬ。仏師も、この辺りに居ると仰(お)せあつた。呼うで、直してもらはう。なうなう。仏師殿、ござるか。
▲シテ「これに居まする。
▲アト「扨々、早う出来ました。
▲シテ「何と、拝ませられたか。
▲アト「成程、拝みました。
▲シテ「気にいりましたかの。
▲アト「ちと、不思議の事がござる。御頭(みぐし)の辺りへ手を差いて見ましたれば、温かにござる。あれは、どうした事でござる。
▲シテ「膠(にかは)の干ぬ内は、温かなものでおりある。まして、大俗の身として、仏に手を差すといふ事が、あるものでおりあるか。
▲アト「その上、御印相も気に入りませぬ。どうぞ、ならう事ならば、直して下されい。
▲シテ「膠(にかは)の干ぬ内は、いか様にも直る。直してやらう。そちらへ廻らつしやれ。
▲アト「心得ました。膠(にかは)の干ぬ内は、いか様にも直ると仰(お)せある。どの様に直つた知らぬ。
{シテ、右の手を握り、上へ挙げて、左の手を下げてゐるなり。}
はあ。直るは直つたが、あれはどうやら、物を打ち砕かうといふやうで、悪い。これも、直して貰はう。仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アト「あれはどうやら、物を打ち砕かうといふやうで、悪うござる。直して下され。
▲シテ「直してやらう。そちらへ廻らつしやれ。
▲アト「心得ました。扨も扨も、心良い仏師殿ぢや。この度は、どの様に直つた知らぬまで。
{シテ、左の手を広げて受け、右の人指し指を下へ下げ、左の手へ向いて、}
これはいかな事。こりや、手の内を揉み抜かうといふ様で、悪い。これも、直して貰はう。仏師殿、仏師殿。
▲シテ「やあやあ。
▲アト「あれは、手の内を揉み抜かうといふ様で、悪うござる。その上、最前から、何やら物がちらちら致す。ならう事ならば、こなたと同道して行(い)て、こゝが悪い、かしこが悪いと云うて、直して欲しうござる。
▲シテ「尤、さうしたいものなれども、仏師の作法で、願人の傍では直さぬが、法でおりある。気にいらずば、幾度(いくたび)でも直してやらう。
▲アト「それならば、ちと早う直して下され。
▲シテ「そちらへ廻らつしやれ。
▲アト「心得ました。扨々、仏師の作法は、難しいものぢや。願人の傍では直さぬ法ぢやと仰(お)せある。どの様に直つたぞ。
{シテ、両手広げて、出してゐる。}
これは又、物欲しさうで、悪い。仏師、仏師。
▲シテ「やあやあ。
▲アト「あれは、物欲しさうで、悪い。直して下され。
▲シテ「そちらへ廻らつしやれ。
▲アト「思ふやうに、直らぬ事ぢや。
{これより後、何(いづ)れも同じ事。この次、両の手を後へ廻す。アト、「縛られた様な」と云ひて、シテを呼び出す。「直せ」と云ふ。その次、両の手を握り、頭(つむり)の上に乗せて、並べてゐる。アト、「なほ悪い」と云ひて、又シテを呼び出す。前に同じ事。その次、面を横に着てゐる。アト、見付けて、}
わあ。これは、仏師ぢや。
▲シテ「いや、仏ぢや。
▲アト「仏師ぢや。
▲シテ「仏ぢや。
▲アト「おのれは、身共を騙しをつたな。
▲シテ「あゝ、許してくれい。
▲アト「あの横着者。やるまいぞ、やるまいぞ。
{と云ひて、追ひ込み、入るなり。}
校訂者注
1:「風流(ふりう)の面(おもて)」は、芸能に使用するお面を指す。
2:「印相(いんざう)」は、仏像の腕や指のポーズを指す。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
仏師(ブツシ)(二番目)
▲アト「此辺の者で御座る、某一在所として、一間四面の堂を建立致て御座る、堂は思ふ儘に出来て御座れ共、未だ似合しい仏が御座らぬ、此度都へ上り仏を求めて参らうと存ずる誠に田舎と申者は不自由な者で御座る、堂は思ふ儘に出来て御座れ共、仏師が御座らぬに依つて、仏を求やう様が御座らぬ、わあわあ都近くと見えて、いかう賑かな、さればこそ都ぢや、田舎の家作りとは違うて、軒と軒とを、中よささうに、ひつしりと建ならべた、扨も扨も賑やかな事ぢや、わあ身共は、はつたと失念した事がある、仏師はどこ元に在るやら、どの様な人ぢやも存ぜぬ、とくと、とうてくればよかつた者を、遥々の所を、問にも戻られまいし、何とした者で有うぞ、やあやあやあ《笑》{*1}、さすが都ぢや、売買ふ者も、呼はれば事が調ふと見えた、さらば身共も呼はつて参らう、しいしいそこ許に仏師は御座らぬか仏買ふ仏師はないか、仏買ふ仏かいす▲シテ「洛中に心のすぐにない者で御座る、あれに田舎者と見えて何やら、わつぱと申す、ちときやつにたづさはつて見やうと存る、なうなう是々▲アト「此方の事で御座るか▲シテ「いかにもそなたの事ぢや、わごりよは此広い街道を、何をわつぱとおせある▲アト「田舎者の事で御座れば、わつぱの法度も存ぜいで申て御座る、まつぴら御免あれ▲シテ「わつぱの法度をとがむるではない、何をおせある、事によつたらば、叶へておませうといふ事ぢや▲アト「夫は忝う御座る、私は仏がほしさに、仏師を尋まする▲シテ「して其仏師を見知てお居あるか▲アト「是は又都人とも覚えぬ事を仰せらるゝ、存じて居れば斯様に呼はつてはあるきませぬ、知らぬに依て呼はつてあるく事で御座る▲シテ「是は身共があやまつた、すればそなたは仕合者ぢや▲アト「いや仕合と申ても、かう見えた通りの者で御座る▲シテ「いやいや其様に袖褄についての仕合ではない、身共にお逢あつたが仕合といふ事ぢや▲アト「夫は又どうした事で御座る▲シテ「洛中に人おほしといへ共そなたの尋ぬる身共は、真仏師でおりある▲アト「なう恐ろしや、つゝとそちへのいて下されい▲シテ「何とめされた▲アト「私は生れついてまむしはきらいで御座る▲シテ「夫はそなたの聞き様がわるい、まむしではない、真、仏師といふ事でおりある▲アト「扨は仏師殿で御座るか▲シテ「中々▲アト「仏師なら仏師でよい事を、真仏師とはどうした事で御座る▲シテ「不審尤ぢや、昔、雲慶丹慶安阿弥というて、仏師の流れが三通りある、雲慶もたえ、丹慶もたゆる、今は安阿弥の流れ身共一人ぢやに依つて、真仏師といふ事でおりある▲アト「謂をきけば尤で御座る、仏がほしう御座る見せて下され▲シテ「仏に限つて出来合はない何成共好ましめ、作つてやらうぞ▲アト「田舎者の事で御座れば、このむすべも存じませぬ、どうぞよからう仏を作つて下されい▲シテ「夫れならば何を作つてやらうぞ▲アト「何がよう御座らうぞ▲シテ「仁王を作つてやらうか▲アト「仁王と仰らるゝは、寺方の楼門に立つて御座る、御仏の事で御座るか{*2}▲シテ「成程其仏の事ぢや▲アト「あれは異形でわるふ御座る、もそつと余の仏を作つて下されい▲シテ「夫ならば、天邪鬼を作つてやらうか▲アト「夫はかの、ふまへられて御座る御仏の事では御座らぬか▲シテ「わごりよは田舎者ぢやとおせあるが、いかう功者な、いかにも其仏のことぢや▲アト「あれはあまり窮屈さうでわるう御座る、私の存じまするは、姿かたち柔和にして、現当二世を守らせらるゝ御仏が作つてほしう御座る▲シテ「夫ならば爰に、毘沙門の妹に吉祥天女というてある、是は姿かたち柔和にして、現当二世を守らせらるゝ仏がある、是を作つてやらうぞ▲アト「成程其吉祥天女とやらは、承り及ふで御座る、どうぞ其御仏を作つて下されい▲シテ「しておたけは何程にせうぞ▲アト「是は仏師殿次第で御座る▲シテ「身共次第ならば五丈計か▲アト「夫はあまり大きう御座る、もそつとちいさう作つて下されい▲シテ「ちいさうならば一寸八分か▲アト「是はいかな事、五丈計と仰らるゝに依つて、最そつとちいさうといへば一寸八分、夫はわづか手の内にも御座なさるゝ、此度建立の堂は、一間四面で御座る、夫相応に作つて下されい▲シテ「はあ扨は一間四面か▲アト「中々▲シテ「夫ならば身共が背頃合は何とぢや▲アト「どれどれあゝさすが仏師殿ぢや、こなたのせころあいが丁度よう御座る▲シテ「夫ならば身共がせころあいに作つて置てやらうぞ▲アト「していつ頃出来まするぞ▲シテ「されば三年三月九十日もかゝらうか▲アト「夫はあまり永う御座る、もそつといそいで下されい▲シテ「いそぎならばあすの今時分▲アト「是はいかな事、三年三月九十日もかゝらうと仰らるゝに依つて、もそつといそいでといへばあすの今時分、是はどうした事で御座る▲シテ「最前もいふ通り身共は、安阿弥の流れぢやに依つて弟子あまた持つて居るみくしはみくし、お手はお手と夫々にいひ付て、作り立て持つて寄るを、身共がにかわかげんのとつくりとしすましておいて、片端からひたひたとつけて廻るに依つて、あすの今時分、又身共が一つ細工にすれば、三年三月九十日もかゝらうかといふ事でおりある▲アト「成程尤な事で御座る、願はくはこなたの一つ細工がほしう御座れ共、田舎者で御座れば其様に逗留はなりませぬ、どうぞお弟子衆に仰付られて、あすの今時分迄に作つて置て下されい▲シテ「成程あすの今時分迄に作つて置うぞ▲アト「扨代物は何程で御座る▲シテ「万疋でおりやる▲アト「夫はあまり高う御座る、最そつと負て下されい▲シテ「いやいや仏に限つて負はないいやならばおかしませ▲アト「夫とても求めませう、乃代物は三條の大黒屋で渡しませう▲シテ「成程大黒屋存じて居るあれで請取るで有う▲アト「して仏はどこ許で渡させらるゝ▲シテ「此通りを一丁程真直にいて、左りへきりゝと廻る処にこもだれがある、其の内に作つて置うず、又身共も其辺りにゐやう程に何成共用事があらばおせあれ▲アト「夫ならばもかう参る▲シテ「何とおゆきあるか▲アト「中々▲二人「さらばさらば▲シテ「田舎者を、まんまとだましては御座れ共、何を仏ぢやと申て売てやらう物が御座らぬ、其上身共は生れて此方、楊枝一本けづつた事も御座らぬ、去乍身共が背頃あひと申も思案有ての事で御座る、爰に風流のおもてが御座る、是をきて身共が仏に成つて、代物さへ取つたらば路次からなり共すかさうと存ずる、漸田舎者と約束の時分ぢや、仏に成つて居やうと存ずる{ト云て笛座より面持出てきてわき座に両の手を脇の下に置立つてゐる}▲アト「漸仏師と約束の時分で御座る、参らうと存ずる、先此通りを一丁程真直に行て、左りへきりゝと巡る処にこもだれ、はあ大方此事で有う、先こもだれをあげてみやう、ハゝア扨も殊勝に出来させられた{ト云て扇を広げ前に置ておがむなり}{*3}あゝいづれ仏師といふ者は上手なものぢや、一日一夜に、此様に作りたつるといふ事が有者か、まつたゞ此辺りはいきて御座る様な{ト云て右手を差よせシテののどの下をいらうなり}{*4}是はいかな事、みくしの辺りへ、手をさいて見たれば温かな、合点のゆかぬ事ぢや、其の上御印像も気にいらぬ、仏師も此の辺りに居るとおせあつた、呼うで直してもらはう、なうなう仏師殿御座るか▲シテ「是に居まする▲アト「扨々早う出来ました▲シテ「何とおがませられたか▲アト「成程拝みました▲シテ「気にいりましたかの▲アト「ちと不思議の事が御座る、みくしの辺りへ手をさいて見ましたれば、あたゝかに御座る、あれはどうした事で御座る▲シテ「にかはの干ぬ内はあたゝかな物でおりある、まして大俗の身として仏に手をさすといふ事が有者でおりあるか▲アト「其上御いんぞうも気に入りませぬ、どうぞならう事ならば直して下されい▲シテ「にかわの干ぬ内はいか様にも直る、直してやらうそちらへ巡らつしやれ▲アト「心得ました、にかはの干ぬ内はいか様にも直るとおせある、どの様に直つたしらぬ{シテ右の手をにぎり上へあげて左の手を下ているなり}{*5}はあ直るは直つたが、あれはどうやら物を、打くだかうというやうでわるい、是も直して貰はう、仏師殿仏師殿▲シテ「やあやあ▲アト「あれはどうやら物を打くだかうという様でわるう御座る、直して下され▲シテ「直してやらう、そちらへ廻らつしやれ▲アト「心得ました、扨も扨も心よい仏師殿ぢや、此度はどの様に直つたしらぬ迄{シテ左の手を広げて請右の人指ゆびを下へさげ左の手へ向いて}{*6}是はいかな事、こりや手の内を揉ぬかうといふ様でわるい、是も直して貰はう仏師殿仏師殿▲シテ「やあやあ▲アト「あれは手の内を揉抜うといふ様でわるう御座る、其上最前から何やら物がちらちら致す、ならう事ならばこなたと同道していて、爰がわるいかしこがわるいといふて、直してほしう御座る▲シテ「尤さうしたい者なれ共、仏師の作法で願人のそばでは、直さぬが法でおりある、気にいらずば幾度でも直してやらう▲アト「夫ならば、ちと早う直して下され▲シテ「そちらへ廻らつしやれ▲アト「心得ました、扨々仏師の作法はむつかしい者ぢや、願人のそばでは直さぬ法ぢやとおせある、どの様に直つたぞ{シテ両手広げて出してゐる}{*7}是は又物ほしさうでわるい仏師仏師▲シテ「やあやあ▲アト「あれは物ほしさうでわるい直して下され▲シテ「そちらへ廻らつしやれ▲アト「思ふやうに直らぬ事ぢや{是よりあと何れも同事此次両の手を後へ廻すアトしばられた様なと云てシテを呼出す直せと云其次両の手をにぎりつむりの上にのせてならべているアト尚わるいと云てシテを呼出す前に同事其次面を横にきているアト見付けて}{*8}わあ是は仏師ぢや▲シテ「いや仏ぢや▲アト「仏師ぢや▲シテ「仏ぢや▲アト「おのれは身共をだましおつたな▲シテ「あゝゆるしてくれい▲アト「あの横ちやく者、やるまいぞやるまいぞ{ト云て追込入る也}
校訂者注
1:底本は、「やあやあやあ(笑ふ)」。
2:底本は、「御仏の事で御座るが」。
3:底本は、「▲アト「あゝいづれ仏師といふ者は」。
4:底本は、「▲アト「是はいかな事、みくしの」。
5:底本は、「▲アト「はあ直るは直つたが」。
6:底本は、「▲アト「是はいかな事、こりや」。
7:底本は、「是は又物ほしさうでわるい」。
8:底本は、「▲アト「わあ是は仏師ぢや」。
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