花折(はなをり)(三番目 四番目)

▲アト「当庵の住持でござる。今日(こんにち)は、用事あつて、出京致す。それに付き、新発意を呼び出し、申し付くる事がござる。
{と云ひて、呼び出す。出るも常の如し。}
そなたを呼び出す、別の事でない。何と、当年の様な長閑(のどか)な春は、あるまいなあ。
▲シテ「御意なさるゝ通り、長閑な春でござる。
▲アト「もはや、山々の花も、盛りぢやと聞いた。又、当庵の花も、今を盛りぢや。いつも、辺りの衆が、花見にわする。当年は、存ずる子細があつて、花見は禁制ぢや程に、さう心得さしめ。
▲シテ「心得ました。
▲アト「又、身共は用事あつて、出京する。良う留守を召され。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「もし、留守の内に、何(いづ)れもわせたりとも、必ず必ず、見する事はならぬ程に、さう心得さしませ。
▲シテ「その段は、そつとも御気遣ひなされまするな。
▲アト「頓(やが)て戻らう。
▲シテ「頓(やが)て御帰りなされませ。
▲アト「心得た。
{と云ひて、中入りする。}
▲シテ「これはいかな事。当年は、何としてやら、花見禁制と云ひ付けられた。まづ、路次の戸を閉めて置かう。ざらざらざら。
{と云ひて、扇にて戸を閉める心持ちにて、笛座に入るなり。}
▲立頭「これは、下京辺の者でござるが、いつの春より、当年は別して長閑にござる。この中(ぢゆう)は、山々の花が盛りぢやと申す。又、辺り近い御寺に、見事な花がござる。今日は、若い衆を同道致し、花見に参らうと存ずる。なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲立衆「これに居ります。
▲頭「御寺の花が、盛りぢやと申す。何と、見物に参りませうか。
▲衆「これは、一段と良うござらう。
▲頭「それならば、竹筒(さゝえ)の用意をさせられい。
▲立三「心得ました。
▲頭「扨、何と思し召す。毎年とは申しながら、当年の様な面白い春は、ござらぬなう。
▲立二「何(いづ)れ、長閑な春でござる。
▲立三「所々の花も、真最中ぢやと承つてござる。
▲頭「御寺の花も、見事でござるなう。
▲衆「その通りでござる。{*1}
▲頭「いや、何かと申す内に、これでござる。まづ、案内を乞ひませう。
{と云ひて、案内乞ふ。出るも常の如し。}
私共は、この辺りの者でござる。御庭の花が盛りと承つて、何(いづ)れもを同道致して、見物に参りました。見せて下され。
▲シテ「安い事ではござれども、当年は、何と存ぜられてやら、花見禁制と申し付けられたによつて、見する事はなりませぬ。
▲頭「それは、気の毒でござる。遥々(はるばる)参つた。どうぞ、見せて下されい。
▲シテ「殊に今日(けふ)は、住持も留守でござる。かたがた以て、なりませぬ。
▲頭「それならば、暫く見まして、早速出ませう程に、こなたの心得で、見せて下され。
▲シテ「はて、ならぬと云ふに。くどい事を云ふ人ぢや。
▲頭「これは、いかう口が堅うござる。
▲立二「その通りでござる。
▲頭「何と致しませう。
▲立三「なうなう。これからも、花が見えまする。
▲立二「誠に。これからも、良う見えまする。
▲頭「それならば、何とこゝで、竹筒を開かせられぬか。
▲立四「これは、良うござらう。某(それがし)が酌に立ちませう。
{と云ひて、代り代りに酌に立つ。酒盛をする。小謡、色々あるべし。}
▲シテ「これは、門前がいかう騒がしい。何事ぢや知らぬ。これはいかな事。表で酒盛をしてゐる。扨も、呑むわ、呑むわ。身共も、一つ呑みたいものぢやが。いや、申し様がござる。なうなう。何(いづ)れも、何れも。
▲頭「何やら呼びまする。往(い)て参りませう。何でござる。
▲シテ「花を見する事はならぬと云ふに、なぜ、そこで見させらるゝ。
▲頭「内へ這入つて見るではなし。外から見るに、何も云ひ分はござるまい。
▲シテ「でも、花はこちの花ぢやによつて、外からでも見する事はなりませぬ。
▲頭「外からも見する事のならぬ花ならば、根から掘つてお取りあれ。
▲シテ「その様に、強気(がうぎ)に仰(お)せあるな。花を見るなどといふは、心の優しい者ならではない。いかにしても、只お見あるは、大人げない。花に造酒(みき)をあげて、お見あれ。
▲頭「これは、珍らしい事を承る。成程、造酒を上げませうが、何と、花に口がござるか。
▲シテ「軽漾(けいやう)激して影唇を動かす。といふ時は、花ぢやというて、口があるまいものでもござるまい。
▲頭「これは、尤でござる。しばらく待たせられい。
▲シテ「心得た。
▲頭「なうなう。今のを聞かせられたか。花に造酒を上げいと申す。どうぞ、酒を呑ませて、騙いて庭へ入る様にしませう。
▲衆「一段と、良うござらう。
▲頭「さあさあ、造酒を上げませう。
▲シテ「一銚子も二銚子も、上げさせられい。
{扇にて垣越しにつぐ心なり。シテ、受けて呑むなり。}
▲頭「何程でも上げませうが、私一人、内へ入れて見せて下されぬか。
▲シテ「大勢はならぬが、そなたばかりならば、見せて進ぜう。そつと這入らせられい。
▲頭「心得ました。なうなう。身共について、皆入らせられい。
▲衆「心得ました。
▲頭「ぬからせられな。
{と云ふ内、ざらざらと戸をあける内、立頭について、皆々入るなり。}
▲シテ「これはこれは。大勢ならぬと云ふに。
▲各「扨も扨も、外で見るとは格別、見事でござる。
▲頭「咲きも残らず、散りも始めずと申すが、この事でござる。
▲シテ「何と、面白いか、面白いか。
▲頭「何と、御新発意。こゝで竹筒(さゝへ)を開いても、大事ござるまいか。
▲シテ「何の、かうなつて遠慮する事はない。始めさせられい、始めさせられい。
▲頭「それならば、何(いづ)れも謡はせられい。
{と云ひて、酒盛をして、立衆の内より、小舞舞ふ。}
▲シテ「ありやうは、外で謡はせられたを内で聞いてゐては、けなるうてなりませなんだ。
▲頭「御新発意も、一(ひと)さし舞はせられい。
▲シテ「それならば、舞ひませう程に、皆謡うて下されい。
{シテ、二番舞ふもあり。但し、「道明寺」良し。それより段々、舞ふ。酒盛の内、工夫次第。}
▲頭「もはや、日も晩じました。いざ、帰りませう。
▲衆「良うござらう。
▲頭「なうなう。御新発意、御新発意。もはや、帰りまするぞ。
▲シテ「もそつと遊ばつしあれ。
▲頭「いや。道も、遠うござる。もはや帰りまする。
▲シテ「それならば、みやげを進ぜう。
{と云ひて、ひよろひよろして、花を折り、皆々立衆にやる。立衆、一枝づゝ持ちて入る。シテ、寝る。}
▲アト「只今、帰つてござる。定めて、新発意が待ち兼ねてゐるでござらう。これはいかな事。路次の戸があいてある。その上、大勢の足跡が見ゆる。南無三宝。これは、花を夥(おびたゞ)しう折つたわ。新発意はどれにゐる。さればこそ、こゝに正体もなう寝てゐる。やいやい。新発意、新発意。むゝ、熟柿臭やの、熟柿臭やの。したゝか酒に酔うてゐをる。扨々、憎い事かな。やいやいやい。そこなやつ、そこなやつ。
▲シテ「どれどれ。花が欲しくば、何程でも折つて進ぜう。
▲アト「やいやい、何をしをる。身共ぢやわいやい、身共ぢやわいやい。
▲シテ「ほ。御師匠様、御帰りなされましたか。
▲アト「何ぢや。御帰りなされましたか。
▲シテ「あゝ、お許されませ。許させられい、許させられい。
▲アト「やるまいぞ、やるまいぞ

校訂者注
 1:ここの立頭と立衆の会話は、寺に着く以前であるので、「御寺の花も、見事でござらうなう。」「その通りでござらう。」などとあるべきかとも思われるが、遠方に寺と桜を望見しながらの会話であるとも考えられ、底本通りとした。

底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.

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花折(ハナオリ)(三番目 四番目)

▲アト「当庵の住持で御座る、今日は用事有つて出京致す、夫に付新発意を呼出し申付る事が御座る{ト云て呼出す出るも如常}{*1}そなたを呼出別の事でない、何と当年の様な、長閑な春はあるまいなあ▲シテ「御意なさるゝ通、長閑な春で御座る▲アト「最早山々の花も盛りぢやときいた、又当庵の花も今を盛りぢや、いつもあたりの衆が花見にわする、当年は存る子細があつて{*2}花見は禁制ぢや程に左右心得さしめ▲シテ「心得ました▲アト「又身共は用事あつて出京する、よう留守をめされ▲シテ「畏て御座る▲アト「若留守の内に、何れもわせたり共、必々見する事はならぬ程に、左右心得さしませ▲シテ「其段はそつとも御気づかひなされまするな▲アト「頓て戻らう▲シテ「頓てお帰り被成ませ▲アト「心得た{ト云て中入する}▲シテ「是はいかな事、当年は何としてやら花見禁制と云付られた、先路次の戸をしめて置う、ざらざらざら{ト云て扇にて戸をしめる心持にて笛座にいるなり}▲立頭「是は下京辺の者で御座るが、いつの春より当年は別て長閑に御座る、此中は山々の花が盛りぢやと申、又辺り近いお寺に見事な花が御座る、今日は若い衆を同道致花見に参らうと存る、なうなう何れも御座るか▲立衆「是に居ます▲頭「お寺の花が盛りぢやと申、何と見物に参りませうか▲衆「是は一段とよう御座らう▲頭「夫ならば竹筒の用意をさせられい▲立三「心得ました▲頭「扨何と思召す、{*3}毎年とは乍申当年の様な面白い春は御座らぬなう▲立二「何れ長閑な春で御座る▲立三「所々の花も真最中ぢやと承て御座る▲頭「お寺の花も見事で御座るなう▲衆「其通りで御座る▲頭「いや何彼と申内に是で御座る、先案内を乞ませう、{ト云て案内乞出るも如常}{*4}私共は此辺の者で御座る、お庭の花が盛りと承はつて、何れもを同道致て見物に参ました、みせて被下▲シテ「安い事では御座れ共、当年は何と存ぜられてやら、花見禁制と申付られたに依て、見する事はなりませぬ▲頭「夫は気の毒で御座る、はるばる参つた、どうぞ見せて下されい▲シテ「殊に今日は住持も留守で御座る、旁以てなりませぬ▲頭「夫ならば、暫く見まして早速出ませう程にこなたの心得で、見せて下され▲シテ「果ならぬといふにくどい事をいふ人ぢや▲頭「是はいかう口がかたう御座る▲立二「其通りで御座る▲頭「何と致ませう▲立三「なうなう是からも花が見えまする▲立二「誠に是からもよう見えまする▲頭「夫ならば、何と爰で竹筒をひらかせられぬか▲立四「是はよう御座らう、某が酌にたちませう{ト云て代り代りに酌にたつ酒盛をする小謡いろいろあるべし}▲シテ「是は門前がいかうさわがしい、何事ぢやしらぬ、是はいかな事、表で酒盛をしてゐる、扨も呑わ呑わ身共もひとつ呑たい者ぢやが、いや申様が御座る、なうなう何れも何れも▲頭「何やら呼まする往て参りませう、何で御座る▲シテ「花を見する事はならぬといふに、なぜそこで見させらるゝ▲頭「内へ這入つて見るではなし、外から見るに何も云分は御座るまい▲シテ「でも花はこちの花ぢやに依て、そとからでも見する事はなりませぬ▲頭「そとからも見する事{*5}のならぬ花ならば、根から掘つて{*6}お取あれ▲シテ「其様に強気におせあるな、花を見る抔といふは心の誮しい者ならではない、いかにしても唯お見あるは、おとなげない、花に造酒をあげてお見あれ▲頭「是は珍らしい事を承る、成程造酒を上ませうが、何と花に口が御座るか▲シテ「軽漾激して影唇を動かすといふ時は、花ぢやと云うて口があるまい者でも御座るまい▲頭「是は尤で御座る、しばらくまたせられい▲シテ「心得た▲頭「なうなう今のをきかせられたか、花に造酒を上いと申、どうぞ酒を呑せて、だまいて庭へはいる様にしませう▲衆「一段とよう御座らう▲頭「さあさあ造酒を上ませう▲シテ「一銚子も二銚子も上させられい{扇にて垣ごしにつぐこゝろ也{*7}シテうけてのむなり}▲頭「何程でも上ませうが私一人内へいれて見せて下されぬか▲シテ「大勢はならぬが、そなたばかりならば見せて進ぜう、そつと這入せられい▲頭「心得ました、なうなう身共について皆はいらせられい▲衆「心得ました▲頭「ぬからせられな{ト云内ざらざらと戸をあける内立頭について皆々入るなり}▲シテ「是は是は大勢ならぬといふに▲各「扨も扨もそとで見るとは格別見事で御座る▲頭「咲も残らず、散りもはじめずと申が此事で御座る▲シテ「何と面白いか、面白いか▲頭「何とお新発意爰でさゝへをひらいても大事御座るまいか▲シテ「何のかうなつて遠慮する事はない、始めさせられい、始めさせられい▲頭「夫ならば何れも謡はせられい{ト云て酒盛をして立衆の内より小舞まふ}▲シテ「有様は、そとで謡はせられたを、内できいて居てはけなるうてなりませなんだ▲頭「お新発意も一トさし舞せられい▲シテ「それならば舞ませう程に皆謡ふて下されい{シテ二番まふもあり但道明寺よしそれより段々舞酒盛の内工夫次第}▲頭「最早日もばんじました、いざ帰りませう▲衆「よう御座らう▲頭「なうなうお新発意お新発意最早帰りまするぞ▲シテ「最卒つと遊ばつしあれ▲頭「いや道も遠う御座る、最早帰りまする▲シテ「夫ならばみやげを進ぜう{ト云てひよろひよろして花を折皆々立衆にやる立衆一枝づゝ持て入るシテ寝る}▲アト「唯今帰つて御座る、定て新発意が待兼てゐるで御座らう、是はいかな事路次の戸があいてある、其上大勢の足跡が見ゆる南無三宝、是は花をおびたゞしう折つたわ、新発意はどれにゐる去ばこそ爰に正体もなう寝てゐる、やいやい新発意新発意、むゝ熟柿くさやの熟柿くさやの、したゝか酒に酔うてゐおる扨々憎い事かな、やいやいやいそこなやつそこなやつ▲シテ「どれどれ花がほしくば何程でも折つて進ぜう▲アト「やいやい何をしおる身共ぢやわいやい、身共ぢやわいやい▲シテ「ほお師匠様お帰り被成ましたか▲アト「何ぢやお帰り被成ましたか▲シテ「アゝ御ゆるされませ、ゆるさせられいゆるさせられい▲アト「やるまいぞやるまいぞ

校訂者注
 1:底本は、「▲アト「そなたを呼出別の事でない」。
 2:底本は、「子細かあつて」。
 3:底本、ここには空白があり、読点はない。
 4:底本は、「▲頭「私共は此辺の者で御座る」。
 5:底本は、「そとからも見せる事」。
 6:底本は、「根から堀つて」。
 7:底本、ここの「也」は、草書体。