笋(たけのこ)(二番目 三番目)
▲アト「この辺りの百姓でござる。当年、某(それがし)の畑へ、初めて笋が出来てござる。今日は参り、少々取つて帰らうと存ずる。誠に、当年さへあれ程に出来てござるによつて、近年の内には大藪に致して、上々の竹を夥(おびたゞ)しう取らうと存じて、この様な悦ばしい事はござらぬ。いや、何かと云ふ内に、畑へ来た。扨も扨も、この中(ぢゆう)見たよりは、格別夥しう出来た。さらばまづ、これを一本採らう。ゑいゑいゑい。
{と云ひて、笋をゆすり、ポンと云ひて、抜く心持ちなり。}
扨々、これは見事な笋ぢや。今度はこれに致さう。
{と云ひて、初めの通りにする事、幾度もあるべし。}
▲シテ「盗人の隙(ひま)はあれど、守り手の隙(ひま)がないと申すが、この中(ぢゆう)、身共が藪の笋を、何者やら盗むと聞いた。今日(けふ)は自身行(い)て、番を致さうと存ずる。これはいかな事。何者が取るぞと思へば、あいつが取りをる。扨々、憎い事かな。やいやいやい、そこなやつ。
▲アト「ほ。お出あつたか。
▲シテ「何ぢや。お出あつたか。
▲アト「中々。
▲シテ「この中(ぢゆう)、身共が藪の笋を、何者やら盗むと聞いた。誰が取るぞと思へば、こりや、おぬしが取るの。
▲アト「扨々、そなたは人聞き悪い事を仰(お)せある。わごりよの藪へ這入つて取るではなし、身共が畑へ出た笋ぢやによつて取るが。それが、何とした。
▲シテ「いや。畑は身共がのぢやとは云はぬ。身共の藪が根をさいた笋ぢやによつて、一本も取らす事はならぬ。
▲アト「扨々、無理な事を仰(お)せある。総じて昔から、地頭殿の藪が根をさいた笋でも、畑主(はたぬし)の取る作法でおりやる。
▲シテ「よし、地頭殿の藪が根をさいた笋を、畑主が取る作法にもせよ、身共が藪の笋は、一本も取らす事はならぬ。
▲アト「こゝでこそ、その様に我儘を仰(お)せあれ。地頭殿へお行きあつたらば、その様な無理な事は、え仰(お)せあるまいぞ。
▲シテ「何の、地頭殿ぢやと云うて、云うべい事を云はいで置かうか。
▲アト「地頭殿へお行きあつたらば、跛(ちんば)ぢやと云うて、笑はうぞ。
{と云ひて、笑ふ。}
▲シテ「扨々、憎いやつの。身共が跛(ちんば)が、今目にかゝつたか。かゝつたか、かゝつたか。
{と云ひて、棒を振り上げ追ひ廻す。アト、方々へ逃ぐる。}
▲アト「あゝ。危ないわいやい、危ないわいやい。出合へ、出合へ。
▲小アト「あゝ。まづ、待て待て。これはまづ、何事ぢや。
▲シテ「良い所へお出やつた。まづ聞いてたもれ。この中(ぢゆう)、身共が藪の笋を、何者やら盗むと聞いた。誰が取るぞと思へば、あいつが取りをる。お退(の)きあれ。打ち殺してのけう。
▲小アト「まづ、待て待て。身共がきつと、云ひ付けてやらうぞ。
▲シテ「きつと、云ひ付けておくれあれ。
▲小アト「心得た。やいやい、あれが藪の笋を、なぜに取るぞ。
▲アト「いかないかな。あれが藪へ這入つて、何しに笋を取りませう。御覧なさるゝ通り、私が畑へ出た笋ぢやによつて、取りまする。
▲小アト「すれば、汝が畑へ出た笋ぢやによつて、取るか。
▲アト「左様でござる。
▲小アト「これは尤ぢや。やいやい。あれが畑へ出た笋ぢやによつて、取ると云ふわ。
▲シテ「いや。畑は身共がのぢやとは云はぬ。身共の藪が根をさいた笋ぢやによつて、一本も取らす事はならぬと仰(お)せあれ。
▲小アト「心得た。これこれ。今のを聞いたか。
▲アト「成程、承つてござる。扨々、無理な事を云ふ人でござる。総じて昔から、地頭殿の藪が根をさいた笋でも、畑主の取る作法ではござらぬか。
▲小アト「いかにも、その通りぢや。
▲アト「その上、あの藪が畑隣りにあつて、日影になつて、毎年(まいねん)不作を致せども、つひ一言も、申した事はござらぬ。根のさいた笋を取る事がならずば、今から根のさゝぬ様にせい、と云うて下され。
▲小アト「心得た。やいやい、根のさいた笋を取る事がならずば、今から根のさゝぬやうにせいと云ふわ。
▲シテ「何ぢや。根のさゝぬやうにせいと云ふわ。あの藪を根から掘つて取れといふ事か。そもやそも、あの大きな藪が、何と根から掘て取らるゝものぢや。
▲小アト「でも、これは汝がのが無理ぢや。
▲シテ「何ぢや。身共が無理ぢや。
▲小アト「中々。
▲シテ「無理、無理。むゝ、良い良い。笋をやらう。
▲小アト「何ぢや。笋をやるか。
▲シテ「中々。
▲小アト「それならば、ざつと済んだ。
▲シテ「あゝ、これこれ。その代りに、あの方(はう)から来る物がある。それをこちへおこせと仰(お)せあれ。
▲小アト「して、それは何ぢや。
▲シテ「さう云へば、あいつが合点ぢや。
▲小アト「心得た。やいやい、笋をやらうと云ふわ。
▲アト「それならば、ざつと済ました。
▲小アト「その代りに、何やらその方から来る物がある。それをこちへおこせと云ふわ。
▲アト「それは、何でござるぞ。覚えぬと云うて下され。
▲小アト「心得た。やいやい、何も覚えぬと云ふぞよ。
▲シテ「はて。忘れまい事を忘れをつた。それならば、云うて聞かせう。いつぞやであつた。あいつが所の牛が、離れて来て、身共が厩(うまや)で子を産んだ。しほらしい事ぢやと思うて、頓(やが)て塩ばいを打ち{*1}、土器(かはらけ)などをねぶらせて、馳走をしたれば、いつの間にやらあいつがうせをつて、親牛を引いて行くは尤なれども、子牛まで引いてうせをつた。その時の牛の子を戻せと仰(お)せあれ。
▲小アト「何と、牛の子と笋と、一口には云はれまいぞや。
▲シテ「地の上を這うて来て産んだ牛の子も、地の下を潜(くゞ)つて生(は)えた笋も、同じ事ぢやと仰(お)せあれ。
▲小アト「心得た。やいやい、今のを聞いたか。
▲アト「成程、承つてはござる。牛の子と笋とが、何と一口に云はるゝものでござる。
▲小アト「いや。これでは埒があかぬ。何ぞ勝負にしたらば良からう。
▲アト「それならば私は、歌を詠みませう。あの者も詠むか、お尋ねなされて下されい。
▲小アト「心得た。やいやい。これでは埒があかぬによつて、何ぞ勝負にせいと云へば、あれは、歌を詠まうと云ふが、汝も詠むか。
▲シテ「あいつが歌を詠むに、身共が詠まいでならうか。まづ、あれから詠めと仰(お)せあれ。
▲小アト「心得た。さあさあ、まづ、汝から詠め。
▲アト「かうもござらうか。
▲小アト「何と。
▲アト「我が畑へ。
▲小アト「我が畑へ。
▲アト「隣りの藪が根をさいて、思ひもよらぬ笋ぞ取る。
▲小アト「一段と出来た。さあさあ、汝も詠め。
▲シテ「かうもあらうか。
▲小アト「何と。
▲シテ「我が厩(まや)で。
▲小アト「我が厩(まや)で。
▲シテ「隣りの牛が子を産んで、思ひもよらぬ牛の子ぞ取る。
▲小アト「これも一段と出来た。
▲シテ「あいつとならば、何でも勝負をせうと仰(お)せあれ。
▲小アト「心得た。やいやい。これでも埒があかぬ。何ぞ、も一勝負(ひとしようぶ)やれ。
▲アト「左様ならば、今度は相撲を取りませう。
▲小アト「一段と良からう。やいやい。これでも埒があかぬによつて、も一勝負と云へば、あの者は、相撲を取らうと云ふ。
▲シテ「いや。相撲はなるまい。
▲小アト「なぜに。
▲シテ「身共は、一方の足が不自由なによつて、下にゐての勝負ならば、何なりともせう。
▲小アト「でも、汝は最前、あれとならば何でも勝負をせうと、云うたではないか。相撲を取らねば、汝が負けぢや。
▲シテ「何ぢや。身共が負けぢや。
▲小アト「中々。
▲シテ「それならば、取らう。これへ出よと仰(お)せあれ。
▲小アト「心得た。さあさあ、あれへ出よ。
▲アト「畏つてござる。
▲小アト「身共が行司をせう。
▲シテ「一段と良からう。
▲アト「御苦労でござる。
{と云ひて、常の如く行司する。二人、「やあやあ」と云ひて手合(てあひ)し、棒にて叩く。}
▲アト「あゝ、危ない、危ない。ちやつと、止めて下され、止めて下され。
▲小アト「まづ、待て待て。
▲シテ「勝つたぞ、勝つたぞ。
▲アト「申し申し。相撲は取らいで、なぜに棒で打擲すると云うて下され。
▲小アト「心得た。やいやい。相撲は取らいで、なぜに打擲をする。
▲シテ「わごりよも、まだ合点が行かぬさうな。総じて相撲は、手と足とで取るものぢや。身共は一方(いつぱう)の足が不自由なによつて、この棒は、身共が足ぢや。その足が触つたと云うて、余り仰山に云うなと仰(お)せあれ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「これこれ。今のは、小びねりといふ手ぢやと仰(お)せあれ。
▲小アト「合点ぢや。やいやい。今のを聞いたか。
▲アト「成程、承つてござる。扨々、憎いやつでござる。
▲小アト「最前から、無理ばかりぬかしをる。身共が思ふは、も一番取つて、どうぞあの棒を取りさへしたらば、汝が勝ちにならうぞ。
▲アト「成程、合点でござる。も一番取らうと云うて下され。
▲小アト「心得た。やいやい。も一番取らうと云ふわ。
▲シテ「きやつは、定業(ぢやうごふ)が煽(あふ)つ{*2}と見えた。千番でも取らう。
▲アト「これへ出よ。
▲小アト「汝も、これへ出よ。
▲二人「心得ました。
▲小アト「又、身共が行司をせう。
{と云ひて、又行司、常の如くする。二人「やあやあ」と云ひて手合(てあひ)し、飛び違ふこと三度あり。又、棒にて叩く所を、アト、すかし、棒を持つて、}
▲アト「取つたぞ。
▲シテ「こりや、何とする。
▲アト「やあやあ。
▲シテ「危ないわいやい、危ないわいやい。
▲アト「お手つ。参つたの。
{と云ひて、一遍引き廻し、棒を引つたくり、打ちこかすなり。}
勝つたぞ、勝つたぞ。
▲シテ「やいやいやい、そこなやつ。
▲アト「何事ぢや。
▲シテ「牛の子も笋もやらう程に、その足を返してくれい。
▲アト「ならぬぞ、ならぬぞ。
▲シテ「足を返せ、足を返せ。
{と云ひて、いざりて入るゝ仕様、種々あるべし。}
校訂者注
1:「塩(しほ)ばいを打つ」は、不詳。
2:「定業(ぢやうごふ)が煽(あふ)つ」は、「前世からの宿業が、負けん気を煽り立てる」というような意。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
笋(タケノコ)(二番目 三番目)
▲アト「此辺の百姓で御座る、当年某の畑へ初めて笋が出来て御座る、今日は参り少々取つて帰らうと存ずる、誠に当年さへあれ程に出来て御座るに依つて、近年の内には大藪に致て、上々の竹を夥う取らうと存じて、此の様な悦ばしい事は御座らぬ、いや何彼といふ内に畑へ来た、扨も扨も此中見たよりは格別をびたゞしう出来た、さらば先是を一本採らう、ゑいゑいゑい{ト云て笋をゆすりポンと云てぬく心持なり}{*1}扨々是は見事な笋ぢや、今度は是に致さう{ト云て初めの通りにする事幾度もあるべし}▲シテ「盗人の隙はあれど、まもりてのひまがないと申が、此中身共が藪の笋を何者やら盗むときいた、今日は自身いて、番を致さうと存ずる、是はいかな事、何者が取るぞとおもへば、あいつが取おる、扨々憎い事かな、やいやいやいそこなやつ▲アト「ほお出あつたか▲シテ「何んぢやお出あつたか▲アト「中々▲シテ「此中身共が藪の笋を、何物やら盗むと聞いた、誰が取るぞと思へば、こりやおぬしがとるの▲アト「扨々そなたは、人聞きわるい事をおせある、わごりよの藪へ這入て取るではなし、身共が畑へ出た笋ぢやに依つて取るが、それが何とした▲シテ「いや畑は身共がのぢやとは云はぬ、身共の藪が根をさいた笋ぢやに依つて、一本も取らす事はならぬ▲アト「扨々無理な事をおせある、総て昔から、地頭殿の藪が根をさいた笋を、畑主の取る作法でおりやる▲シテ「よし地頭殿の藪が根をさいた笋を、畑主が取る作法にもせよ、身共が藪の笋は一本も取らす事はならぬ▲アト「爰でこそ其様に我儘をおせあれ、地頭殿へお行あつたらば其様な無理な事は得おせあるまいぞ▲シテ「何の地頭殿ぢやと云うて、云べい事をいはいで置うか▲アト「地頭殿へお行あつたらば、跛ぢやと云て笑はうぞ{ト云て笑ふ}▲シテ「扨々憎いやつの、身共がちんばが今目にかゝつたかかゝつたか、{ト云て棒をふりあげ追廻すアト方々へ逃る}▲アト「あゝあぶないわいやい、あぶないわいやい出合出合▲小アト「あゝ先まてまて、是は先何事ぢや▲シテ「よい所へお出やつた、先聞いてたもれ、此中身共が藪の笋を何者やら盗むときいた、誰が取るぞとおもへばあいつが取をる、おのきあれ打殺してのけう▲小アト「先まてまて、身共がきつ度云付てやらうぞ▲シテ「屹度云付ておくれあれ▲アト「心得た、やいやい、あれが藪の笋をなぜに取るぞ▲シテ「いかないかなあれが藪へ這入て何しに笋を取りませう、御らん成さるゝ通り私が畑へ出た笋ぢやに依つて取りまする▲小アト「すれば汝が畑へ出た笋ぢやに依つて取るか▲アト「左様で御座る▲小アト「是は尤ぢや、やいやい、あれが畑へ出た笋ぢやに依つて取ると云ふわ▲シテ「いや畑は身共がのぢやとはいはぬ、身共の藪が{*2}根をさいた笋ぢやに依て、一本も取らす事はならぬとおせあれ▲小アト「心得た、是れ是れ今のをきいたか▲アト「成程承つて御座る、扨々無理な事を云ふ人で御座る、総て昔から地頭殿の藪が根をさいた笋でも、畑主の取る作法では御座らぬか▲小アト「いかにも其通りぢや▲アト「其上あの藪が畑どなりにあつて日影になつて、毎年不作を致せ共、遂い一言も申た事は御座らぬ、根のさいた笋を取る事がならずば、今から根のさゝぬ様にせいというて下され▲小アト「心得た、やいやい根のさいた笋を取る事がならずば、今から根のさゝぬやうにせいといふわ▲シテ「何んぢや、根のさゝぬやうにせいといふわ、あの藪を根から掘つてとれ{*3}といふ事か、そもやそも、あの大きな藪が何んと根から掘て{*4}取らるゝものぢや▲小アト「でも是は汝がのが無理ぢや▲シテ「何ぢや身共が無理ぢや▲小アト「中々▲シテ「むり、むり、むゝよいよい、笋をやらう▲小アト「何ぢや笋をやるか▲シテ「中々▲小アト「夫ならば、ざつと済んだ▲シテ「あゝ是々、其代りにあの方から来る物がある、夫をこちへおこせとおせあれ▲小アト「して夫は何ぢや▲シテ「さういへばあいつが合点ぢや▲小アト「心得たやいやい笋をやらうといふわ▲シテ「夫ならばざつと済ました▲小アト「其代りに何やら其方から来る物がある、夫をこちへをこせといふわ▲アト「夫は何で御座るぞ、覚えぬと云ふて下され▲小アト「心得た、やいやい何も覚えぬといふぞよ▲シテ「果わすれまい事をわすれおつた、夫ならばいうて聞かせう、いつぞやであつた、あいつが所の牛がはなれて来て、身共が厩で子を産んだ、しほらしい事ぢやと思うて頓て塩ばいを打、かはらけ抔をねぶらせてちそうをしたればいつの間にやらあいつがうせおつて、親牛を引て行くは尤なれ共、子牛迄ひいてうせおつた、其時の牛の子を戻せとおせあれ▲小アト「何と牛の子と笋と一口にはいはれまいぞや▲シテ「地の上を這て来てうんだ牛の子も、地の下をくゞつてはへた笋も同じ事ぢやとおせあれ▲小アト「心得た、やいやい今のを聞たか▲アト「成程承つては御座る、牛の子と笋とが何と一口にいはるゝ物で御座る▲小アト「いや是では埒があかぬ、何ぞ勝負にしたらばよからう▲アト「夫ならば私は、歌を読ませう、あの者も読むかお尋被成て下されい▲小アト「心得た、やいやい是では埒があかぬに依つて、何ぞ勝負にせいと云へば、あれは歌を読うといふが汝も読むか▲シテ「あいつが{*5}歌を読に身共が読まいでならうか先あれからよめとおせあれ▲小アト「心得た、さあさあ先汝から読▲アト「かふも御座らうか▲小アト「何と▲シテ「我畑へ▲小アト「我畑へ▲アト「となりの藪が根をさいて、思ひもよらぬ笋ぞとる▲小アト「一段と出来た、さあさあ汝もよめ▲シテ「かうも有ふか▲小アト「何と▲シテ「我まやで▲アト「我まやで▲シテ「となりの牛が子をうんで、思ひもよらぬ牛の子ぞとる▲小アト「是も一段と出来た▲シテ「あいつとならば何でも勝負をせうとおせあれ▲小アト「心得た、やいやい是でも埒があかぬ、何ぞもひと勝負やれ▲アト「左様ならば今度は、相撲を取ませう▲小アト「一段とよからう、やいやい是でもらちがあかぬに依つて、もひと勝負といへば、あの者は相撲を取うと云ふ▲シテ「いやすもうは成まい▲小アト「なぜに▲シテ「身共は一方の足が不自由なに依つて下にゐての勝負ならば何なり共せう▲小アト「でも汝は最前あれとならば何でも勝負をせうといふたではないか、すもうを取らねば汝が負ぢや▲シテ「何ぢや身共が負けぢや▲小アト「中々▲シテ「夫ならば取う、是へ出よとおせあれ▲小アト「心得た、さあさああれへ出よ▲アト「畏つて御座る▲小アト「身共が行司をせう▲シテ「一段とよからう▲アト「御苦労で御座る{ト云て如常行司する二人やあやあと云て手合し棒にてたゝく}▲アト「あゝあぶないあぶない、ちやつととめて下されとめて下され▲小アト「先づまてまて▲シテ「勝つたぞ勝つたぞ▲アト「申々相撲はとらいでなぜに棒で打ちやくするというて下され▲小アト「心得た、やいやい角力はとらいでなぜに打ちやくをする▲シテ「わごりよもまだ合点が行かぬさうな、総て角力は足と手とで取るものぢや、身共は一ツ方の足が不自由なに依つて、此棒は身共が足ぢや、其足がさはつたと云うて、余まりぎようさんにいふなとおせあれ▲小アト「心得た▲シテ「是々今のは、小びねりといふ手ぢやとおせあれ▲小アト「合点ぢや、やいやい今のを聞たか▲アト「成程承つて御座る、扨々憎いやつで御座る▲小アト「最前から無理ばかりぬかしおる、身共が思ふは、最一番取つてどうぞあの棒を取りさへしたらば、汝が勝にならうぞ▲アト「成程合点で御座る、最一番取うというて下され▲小アト「心得た、やいやいも一番取うといふわ▲シテ「きやつはじようごうがあをつと見得た、千番でも取う▲アト「是へ出よ▲小アト「汝も是へ出よ▲二人「心得ました▲小アト「又身共が行司をせう{ト云て亦行司如常する二人やあやあと云て手合し飛違ふこと三度有亦棒にてたゝく所をアトすかし棒を持つて}▲アト「とつたぞ▲シテ「こりや何とする▲アト「やあやあ▲シテ「あぶないわいやいあぶないわいやい▲アト「おてつ参つたの{ト云て一遍引廻し棒を引たくり打こかすなり}{*6}勝つたぞ勝つたぞ▲シテ「やいやいやいそこなやつ▲アト「何事ぢや▲シテ「牛の子も笋もやらう程に、其足をかへしてくれい▲アト「ならぬぞならぬぞ▲シテ「足をかへせ足をかへせ{ト云ていざりて入るゝ仕様種々有るべし}
校訂者注
1:底本は、「▲アト「扨々是は見事な笋ぢや」。
2:底本は、「身共の藪か」。
3・4:底本は、「堀つてとれ」「堀て取らるゝものぢや」。
5:底本は、「あついが」。
6:底本は、「▲アト「勝つたぞ」。
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