楽阿弥(らくあみ)(二番目)

▲ワキ「{*1}羅斎(ろさい)に出(いづ)る門脇に、羅斎(ろさい)に出(いづ)る門脇に、犬の臥せるぞ可笑しき。
《詞》これは、行脚の僧にて候ふ。我、俗にてありし時、尺八に好き、あなたこなた、仕(つかまつ)り候へども、浮世は何ともなきものと思ひ、かやうの姿となりて候ふ。又、伊勢太神宮へ参らず候ふ程に、この度思ひ立ち、伊勢太神宮に参らばやと存じ候ふ。
{道行。打切上。}
{*2}旅衣、猶しほれゆく往来の。
{打切。}
猶しほれゆく往来の、衾(ふすま)のなきぞ悲しき。やうやう急ぎ行く程に、名にのみ聞きし伊勢の国、別峯(べつぽう)に早く着きにけり。
《詞》急ぎ候ふ程に、別峯の松原に着きて候ふ。又、これなる松を見れば、尺八を切り、数多(あまた)掛けられて候ふ。いかさま、謂(いは)れのなき事は候ふまじ、所の人に尋ねばや、と思ひ候ふ。所の人の渡り候ふか。
▲間「所の者と御尋ねは、誰にて渡り候ふぞ。
▲ワキ「これなる松に、尺八を数多(あまた)掛けられて候ふ。謂れのなき事は候ふまじ。御存じに於いては、御物語り候へ。
▲間「さん候ふ。古(いにし)へ此処(こゝ)に、楽阿弥と申す尺八吹きの候ふが、生死(しやうじ)の習ひとは申しながら、終に尺八を、吹き死にせられて候ふ。所の者、痛はしく存じ、此処の土中(どちゆう)につきこめ申して候ふ。心ある人は、尺八を掛け、御弔ひをなさるゝ。御僧も、逆縁ながら、弔うて御通り候へ。
▲ワキ「懇ろに御物語り、祝着申して候ふ。さらば立ち寄り、弔うて通らうずるにて候ふ。
▲間「重ねて御用もあらば、仰せられい。
▲ワキ「頼みませう。
▲間「心得ました。
▲ワキ「扨は、楽阿弥陀仏の跡なるかや。{*3}いざや、御跡弔はんと、我も持つたる尺八を、懐(ふところ)よりも取り出し、この尺八を吹きしむる、この尺八を吹きしむる。
フウ。{と、尺八を調(しら)ぶる心にて、脇座下にゐる。}
《一セイ》▲シテ「{*4}尺八の、あら面白の音色やな。おぬしを見れば、そうじやうぎりなり。
▲ワキ「《セリ》不思議やな。音とる枕の上を見れば、大尺八・小尺八。
してき・半てき・両てきをさし。
{*5}我等が吹くを面白がるは、いかなる人にてましますぞ。
▲シテ「これは古へ、尺八を吹き死にせし、らくはつと云へる者なるが、御尺八の面白さに、これまで顕れ出て候ふ。
▲ワキ「《セリ》{*6}これは不思議の御事かな。昔語りの楽阿弥陀仏(らくあみだぶ)に、言葉を交はすは不審なり。
▲シテ「何をか不審し給ふらん。あの宇治の、老庵主(らうあんじゆ)の尺八の序にも、手づから竜頭(りゆうとう)を切断してより後(のち)、尺八寸の内、古今に通ず。吹き起こす無常しんの一曲、三千里外(ぐわい)に、知音(ちいん)の絶(ぜつ)すと作られたり。
▲ワキ「《上》{*7}げにげに、これは面白や。昔語りの楽阿弥仏に、言葉を交はすも尺八故。
古今に通ずる故よなう。
▲シテ「中々の事。我も又、坂東方の人に馴れ申すも、尺八故。
▲ワキ「{*8}知音になるも。
▲シテ「尺八故。
▲ワキ「おゝ。
▲シテ「面白や。
▲地「《上》面白けれど尺八を、わが吹けば喧(かしま)しゝとて、三千里の外、知音は隔つまじ。まづ、我は差し置くなり。御尺八を吹き給へ。
▲ワキ「《上》同じくは、連れ尺八。
▲シテ「《下》いやいや。それは楽阿弥が、御尺八を汚すなりと。
▲二人「《上》云ふ声の下よりも、大尺八を取り出し。
《下》トラフラフリリ、トラフラフリロ、フウ。
▲シテ「《下》あら、昔恋しや。暇(いとま)申して帰るなり。
▲ワキ「《上》あら、痛はしの御事や。最期を語りおはしませ。
▲シテ「いでいで、さらば語らん。
{かけり、常の如し。打上・打切あつて、}
▲地「《下》いでいで、さらば語らん。元より楽阿弥は、しゆつなる面差(つらざ)しにて、かしこの旅人、こゝの茶屋、あそこの門(かど)へ、差し寄せ差し寄せ、機嫌も知らず尺八を吹き鳴らして、楽阿弥に代り一銭、尺八吹きには何にもくれねば、腹立ちや腹立ちやと、あそこ此処(こゝ)にて悪口すれば、尺八吹きめは、図なしなり、不祥(ぶしやう)なり、当てよやとて、おごだめの、みつぶせに差し伏せられて。
▲シテ「縄だめ・柱だめに。
▲地「縄だめ・柱だめに、あふつ踏んつ、捩ぢつ引かれつ、その古しへの尺八竹の、今に冥土の苦患(くげん)となるを、救(たす)け給へや、御僧よ。猶も輪廻の妄執は、この年までも、すきの下がらぬ姥竹(うばたけ)の恋しさは、我ながら、うつそう憎(にく)やと、かき消す様にぞ失せにける。

校訂者注
 1:底本、ここから「犬のふせるぞおかしき」まで、傍点がある。
 2:底本、ここから「別峯にはやく着にけり」まで、傍点がある。
 3:底本、ここから「此尺八を吹しむる此尺八を吹しむる」まで、傍点がある。
 4:底本、ここから「大尺八小尺八」まで、傍点がある。
 5:底本、ここから「いかなる人にてましますぞ」まで、傍点がある。
 6:底本、ここから「こと葉をかはすは不審なり」まで、傍点がある。
 7:底本、ここから「言葉をかはすも尺八故」まで、傍点がある。
 8:底本、ここから最後まで、全て傍点がある。

底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.

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楽阿弥(ラクアミ)(二番目)

▲ワキ「ろさいにいづる門脇に。ろさいにいづる門脇に。犬のふせるぞ{*1}おかしき《詞》是は行脚の僧にて候。我俗にて有りし時尺八にすき、あなたこなた仕り候得共、浮世は何ともなき物とおもひ、此様の姿となりて候、又伊勢太神宮へ参らず候程に、此度思ひ立ち伊勢太神宮に参らばやと存じ候{道行打切上}旅衣猶しほれゆく往来の。{打切{*2}}猶しほれゆく往来のふすまのなきぞかなしき。やうやう急ぎ行く程に、名にのみきゝし伊勢国、別峯にはやく着にけり、《詞》急ぎ候程に、別峯の松原に着て候、又是成松を見れば、尺八を切、あまたかけられて候、いか様謂のなき事は候まじ、所の人に尋ねばやと思ひ候、所の人の渡り候か▲間「所の者とお尋ねは、誰にて渡り候ぞ▲ワキ「是成松に尺八をあまた掛られて候、謂のなき事は候まじ御存じに於ては御物語り候へ▲間「さん候、古へ此処に、楽阿弥と申す尺八吹の候が、生死のならいとは申ながら、終に尺八を吹死せられて候、所の者痛は敷存じ、此処の土中につきこめ申して候、心ある人は尺八をかけお吊ひを成るゝ、お僧も逆縁ながら吊ふて御通り候へ▲ワキ「懇に御物語り祝着申して候、さらば立寄り吊ふて通らうずる{*3}にて候▲間「重て御用もあらば仰せられい▲ワキ「頼みませう▲間「心得ました▲ワキ「扨は楽阿弥陀仏の跡なるかや、いざや御跡吊らはんと。吾も持たる尺八を。ふところよりも取出し。此尺八を吹しむる此尺八を吹しむるフウ{と尺八をしらぶる心にてワキ座下にいる}《一セイ》▲シテ「尺八の荒面白の音色やな。おぬしを見れば。そうじやうぎりなり▲ワキ「《セリ》ふしぎやな音とる枕の上を見れば。大尺八小尺八、してき半てき両てきをさし、我等が吹を面白がるは。いかなる人にてましますぞ▲シテ「是は古しへ尺八を吹死せし、らくはつと云へる者なるが、御尺八のおもしろさに是迄顕はれ出て候▲ワキ「《セリ》是は不思議の御事かな、むかし語りの楽あみだぶに。こと葉をかはすは不審なり▲シテ「何をかふしんし給ふらん、あの宇治の老庵主の尺八の序にも、手づから竜頭をせつだんしてより後、尺八寸の内古今に通ず、吹おこす無常しんの一曲、三千里外にちいんのぜつすと作られたり▲ワキ「《上》げにげに是は面白や。昔語りの楽あみだ仏に。言葉をかはすも尺八故。古今に通ずる故よなう▲シテ「中々の事、我も又坂東方の人になれ申すも尺八ゆゑ▲ワキ「ちいんになるも▲シテ「尺八ゆゑ▲ワキ「おゝ▲シテ「面白や▲地「《上》面白けれど尺八を。わが吹けばかしましゝとて。三千里の外。ちいんはへだつまじ。先我はさしおくなり御尺八を吹給へ▲ワキ「《上》同敷はつれ尺八▲シテ「《下》いやいや夫は楽あみが。御尺八をよごすなりと▲二人「《上》いふ声の下よりも。大尺八を取出し《下》トラフラフリリトラフラフリロフウ▲シテ「《下》あら昔恋しや。いとま申て帰るなり▲ワキ「《上》あら痛はしの御事や最期を語りおはしませ▲シテ「いでいでさらば語らん{かけり如常打上打切有て}▲地「《下》いでいで{*4}さらば語らん。元より楽阿弥は。しゆつなるつらざしにて。かしこの旅人。爰の茶屋。あそこのかどへ。差よせ差よせ機嫌もしらず。尺八を吹ならして。楽あみにかはり一銭尺八ふきにはなんにもくれねば。腹立や腹立やと。あそこ爰にて悪口すれば。尺八吹めはづなしなり。ぶしやうなり。あてよや迚。おごだめの。みつぶせにさしふせられて▲シテ「縄だめはしらだめに▲地「縄だめはしらだめにあふつふんつ。ねぢつひかれつ其古しへの。尺八竹の。今にめいどの苦げんとなるを。たすけ給へや御僧よ。猶も輪廻の妄執は。此年までも。すきのさがらぬ。うは竹の恋しさは。我ながらうつそうにくやとかきけす様にぞ失にける

校訂者注
 1:底本は、「犬のふせるそおかしき」。
 2:底本は、「{打切(二字以上の繰り返し記号)}」。
 3:底本は、「通らうする」。
 4:底本は、「いて(二字以上の繰り返し記号)さらば語らん」。