若菜(わかな)(脇狂言)
▲アト「大果報の者。毎年とは申しながら、当年の様な、長閑(のどか)な春はござらぬ。今日(こんにち)は童坊{*1}の海阿弥(かいあみ)を召し連れ、野辺へ小鳥を狙ひに出でうと存ずる。
{と云つて、呼び出す。大名狂言の類、常の如し。}
今日(けふ)は、野遊びに出でうと思ふが、何とあらう。
▲シテ「御意もなくば、申し上げようかと存じてござる。一段と良うござりませう。
▲アト「それならば、どれへ行(い)たものであらうぞ。
▲シテ「八瀬・大原(おはら)の辺りへ御出でなされたらば、良うござりませう。
▲アト「これは、一段と良からう。それならば、汝一人(いちにん)、供をせい。又、下僕(しもべ)の者どもは、竹筒(さゝえ)の用意をして、後から見え隠れに供をせいと云へ。
▲シテ「畏つてござる。やいやい、今日(けふ)は、頼うだ御方が野遊びに御出なさるゝ。下僕の衆は、竹筒(さゝえ)の用意をして、見え隠れに御供を召されい。や。その由、申し付けてござる。
▲アト「道すがら、小鳥を狙はう。さし棹を持て。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、太鼓座より持ち出るなり。}
▲シテ「さし棹を持ちましてござる。
▲アト「さあさあ、来い来い。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「誠に、童坊も多い中に、汝は譜代の者ぢやによつて、いつも心安う供を云ひ付くる。随分、奉公を大事にかけい。追つ付け、髪を生やして、歴々の侍に取り立てゝやらうぞ。
▲シテ「結構な御意を受けまして、ありがたう存じまする。
▲アト「何かと云ふ内に、野へ出た。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「誠に、年明けて間もなけれども、春の野の景色は、長閑な事ぢやなあ。
▲シテ「何(いづ)れ、山々の雪も、大分消えました。やがて、青々となるでござらう。
▲アト「こりやこりや。この梅は、早(はや)咲いた。
▲シテ「誠に、早う咲きました。
▲アト「心静かに眺めよう。床几をくれい。
▲シテ「畏つてござる。
{脇座に腰かけさせるなり。}
▲アト「扨も扨も、見事ぢやなあ。
▲シテ「梅の匂ひと、かう申された事ではござらぬ。やあ。花に目があるわ。
▲アト「目とは、何の事ぢや。
▲シテ「目かと存じましたれば、鴬でござる。物を仰せられな。私がさいて、御目にかけませう。
▲アト「そちは、得さすまい。身共によこせ。
▲シテ「喧(かしま)しう仰せられますな。只今、さしまする。
{と云つて、さす所、心持ちあり。さし損(そこ)なふ。}
ほい。扨も、早い鳥かな。
▲アト「それ見よ。
▲シテ「もうひと足の事で、逃がいた。わあわあ。向うから、何やら女が大勢、謡うて参りまする。
▲アト「どれどれ。
▲シテ「あれを御覧なされませ。
▲アト「扨々、面白い事ぢや。まづ、これへ寄つて居よ。
▲シテ「畏つてござる。
{「下がり破」{*2}打ち出すなり。橋かゝり一の松にて、打上。}
▲女立頭「{*3}春毎(ごと)に、春毎に、君を祝ひて若菜摘む、我が衣手に降る雪を、払はじ、払はでその儘に、受くる袖の雪運び重ね、雪山を千代に降れと作らん。雪山を、千代と作らん。
{渡り拍子。舞台を一遍廻る。又、一の松にて打ち上ぐるなり。}
▲頭「莱を摘まば、莱を摘まば、沢に根芹(ねぜり)や、峰に虎杖(いたどり)、鹿のたちがくし。尾花の霜夜は寒からで、名残顔なる秋の夜の、虫の音もいと繁し。夢ばし覚まし給ふな。
{と云ひ、謡の内、シテ、立ちて扇を広げ、見て、}
▲シテ「《笑》申し申し。女が大勢参つて、小歌節で、若菜を摘みまする。
▲シテ「誠に、これは面白い事ぢや。
▲シテ「大勢打ち揃うて、手ごとに花を持つてをります。あの者どもを、これへ呼び寄せまして、御酒(ごしゆ)の相手になされたらば、面白うござりませう。
▲アト「これは、一段と良からう。行(い)て呼うで来い。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、もの云ひ悪(にく)がる心持ち・仕様、あるべし。}
なうなう、わごりよ達は、大勢打ち揃うて、この野辺へ出て、何を召さるゝぞ。
▲頭「{*4}旅人の、道妨(さまた)げに摘む物は、標野(しめの)の原の若菜なれ。よしなや、何を問ひ給ふ。
▲シテ「扨々、優しい若菜摘みに出られたよ。なう、又銘々、戴いておりやるは何ぞ。
▲頭「{*5}木買うし木買うし、大原木(おはらぎ){*6}召され候へ。大原・静原・芹生(せりふ)の里、朧(おぼろ)の清水に、影は矢瀬の里人。知られぬ梅の匂ふや匂ふや、この藪里の春風に、松がさき散る花までも、雪はこぼれて春寒し。大原木召されよ、大原木召され候へ。
▲シテ「成程、大原木も申し受けうず。頼うだ御方が、野遊びに御出でなされて、この辺りにござる。近頃わりない事なれども、あれへ行(い)て、御酒(ごしゆ)の御相手に、なつておくれあるまいか。
▲頭「皆の衆、お聞きあつたか。
▲衆「恥づかしや、恥づかしや。こち衆は、嫌でござる。
▲頭「殿達の傍は、恥づかしうござる。許して下され。
▲シテ「袖の振り合はせも他生の縁と云ふ。此所(こゝ)でそなた衆に御目にかゝるといふも、この世ならぬ縁であらう。平(ひら)に、来ておくれやれ。
▲衆「なうなう、もはや往(い)にませう。
▲頭「いざ、往(い)にませう。
{と云つて、行く。シテ、先へ廻り、大手を広げ、関になり、}
▲シテ「それは、曲がない。是非、来ておくれやれ。
▲衆「これは、何とせらるゝ。
▲シテ「えいとう、えいとう。
{と云つて、無理に舞台へ押しやるなり。}
▲シテ「やうやうと、連れて参りました。
▲アト「扨々、わごりよ達は、ようこそおりやつたれ。やれやれ、海阿弥。急いで、酒を勧めい。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、扇を広げ、出て、主より立衆へ酌をする。}
▲頭「妾(わらは)、御酌に立つて、殿様へ上げませう。
▲アト「いつはたべずとも、御酌ならば一つたべう。海阿弥。謡へ、謡へ。
▲シテ「畏つてござる。
{小謡あり。}
▲アト「扨、最前謡はれた小歌が、面白かつた。一節、所望せい。
▲シテ「畏つてござる。さあさあ、御所望ぢや。一節、謡はしませ。
▲女「それならば、妾が謡ひませうか。
▲アト「一段良からう。
{小謡。}
▲女「{*7}幾度(いくたび)も摘め、生田(いくた)の若菜。君は、千代をつむべし。
▲各「よいや、よいや。
{これより段々、酌に立つ。小謡・小舞、いろいろあるべし。}
▲アト「やいやい、海阿弥。もう一さし舞へ。
▲シテ「畏つてござる。
{シテ、小舞。物数寄{*8}あるべし。但し、舞の後へつけて、謡ひ出す。}
▲頭「{*9}有明の月をば、何と、待たうよ。有明の月をば、何と、待たうよ。月をば何と、待たうよ。
▲シテ「あゝ。まづ、お待ちあれ。申し上げまする。只今の謡には、聞き処がござる。酒興の余り、座敷が長うて事くどい、といふ事さうにござる。もはや、御暇(おいとま)をつかはされませ。
▲アト「ともかくも、はからへ。
▲シテ「畏つてござる。《イロ》いつまでとてか、有明の。いつまでとてか、有明の。
《カゝル》「{*10}つれなく人に思はれん。さらば、暇(いとま)申さん。
▲衆「あら、名残惜しや。
▲シテ「こなたも名残惜しけれども、さ承(うけたば)り候ふ。
▲衆「今の御樽の情(なさけ)をば、いつの代(よ)にか忘れん。
▲シテ「なうなう、扨も、わごりよ達に、離れ難(がた)や、堪(た)えがた。
▲衆「行くも行かれず。
▲シテ「戻られず。
▲同音「ゆらりさらりと、浪の上の酒盛。ほうこ草(ぐさ){*11}を肴にて、いざや、酒を呑まうよ。ほうこの幼な心を、猶しも我等、忘られで、かい友どち、惜しき友どち。
校訂者注
1:「童坊」は、僧形で近侍する家来。
2:「下がり破(は)」は、囃子の曲名。
3:底本、ここから「夢ばしさまし給ふな」まで、傍点がある。
4:底本、ここから「よしなや、何をとひ給ふ」まで、傍点がある。
5:底本、ここから「大原木召されよ大原木召され候へ」まで、傍点がある。
6:「大原木(おはらぎ)」は、大原名産の黒い薪。
7:底本、ここから「きみは千代をつむべし」まで、傍点がある。
8:「物数寄(ずき)」は、「風流な趣向」の意。
9:底本、ここから「月をば何と待たうよ」まで、傍点がある。
10:底本、ここから最後まで、全て傍点がある。
11:「ほうこ草」は、春の七草の一つ、「御形(ごぎやう)」の異名。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
若菜(ワカナ)(脇狂言)
▲アト「大果報の者、毎年とは申しながら、当年の様な、長閑な春は御座らぬ、今日は{*1}童坊{*2}の海阿弥を召しつれ、野辺へ小鳥をねらひに出でうと存ずる、{ト云て呼出す大名狂言のるい如常}{*3}今日は野遊びに出でうと思ふが何とあらう▲シテ「御意もなくば申上ようかと存じて御座る、一段とよう御座りませう▲アト「夫ならばどれへいたものであらうぞ▲シテ「矢瀬おはらのあたりへ、お出でなされたらばよう御座りませう▲アト「是は一段とよからう、夫ならば汝一人供をせい、又下僕の者共は、さゝえの用意をして、後から見えがくれに、供をせいといへ▲シテ「畏つて御座る、やいやいけふは頼うだお方が野遊びにお出でなさるゝ、下僕の衆は、さゝえの用意をして、見えがくれにお供をめされいや、其由申し付けて御座る▲アト「道すがら小鳥をねらはう、さし棹{*4}をもて▲シテ「畏つて御座る{ト云て太鼓座よりもちいづるなり}▲シテ「さし棹{*5}を持ちまして御座る▲アト「さあさあこいこい▲シテ「畏つて御座る▲アト「誠に童坊{*6}もおほい中に、汝はふだいの者ぢやに依つて、毎も心易う供をいゝ付くる、ずゐぶん奉公を大事にかけい、追付{*7}髪をはやして、歴々の侍に取立てゝやらうぞ▲シテ「結構な御意を請けまして、有難う存じまする▲アト「何かといふ内に野へ出た▲シテ「左様で御座る▲アト「誠に年あけて間もなけれ共、春の野の景色は、長閑な事ぢやなあ▲シテ「何れ山々の雪も大分消えました、頓て青々となるで御座らう▲アト「こりやこりや此梅ははや咲いた▲シテ「誠に早う咲きました▲アト「心静に詠めやう床几をくれい▲シテ「畏つて御座る{ワキ座に腰かけさせるなり}▲アト「扨も扨も美事ぢやなあ▲シテ「梅の匂ひ、とかう申された事では御座らぬ、やあ花に目があるわ▲アト「目とは何んの事ぢや▲シテ「目かと存じましたれば鴬で御座る、物を仰せられな、私がさいてお目にかけませう▲アト「そちは得さすまい、身共によこせ▲シテ「かしましう仰せられますな、唯今さしまする{ト云てさす所心持ありさしそこのう}{*8}ホイ扨も早い鳥かな▲アト「夫見よ▲シテ「最一と足の事でにがいた、わあわあ向うから何やら女が、大勢謡うて参りまする▲アト「どれどれ▲シテ「あれを御覧被成ませ▲アト「扨々面白い事ぢや、先是へ寄つてゐよ▲シテ「畏つて御座る{下り破打出すなり橋かゝり一の松にて打上}▲女立頭「春毎に春毎にきみを祝ひて若菜つむ、我衣手に降る雪を、はらはじはらはで其儘に、うくる袖の雪、はこびかさね雪山を、千代に降れとつくらん、雪山を千代と作らん{渡り拍子舞台を一ぺん廻る又一の松にて打上るなり}▲頭「莱をつまば莱をつまば、沢に根ぜりや、峰に板どり、鹿のたちがくし、尾花の霜夜はさむからで、名残がほなる秋の夜の、虫の音もいとしげし、夢ばしさまし給ふな{ト云謡の内シテ立て扇をひろげ見て}《笑》{*9}▲シテ「申し申し女が大勢参つて、小歌ぶしで若菜をつみまする▲シテ「誠に是は面白い事ぢや▲シテ「大勢打揃ふて、手ごとに花を持つてをります、あの者共を是へ呼寄せまして、御酒の相手になされたらば、面白う御座りませう▲アト「是は一段とよからう、いて{*10}呼ふでこい▲シテ「畏つて御座る{ト云てもの云ひにくがる心持仕様有るべし}{*11}なうなうわごりよ達は、大勢打揃ふて、此野辺へ出て何をめさるゝぞ▲頭「旅人の、道さまたげにつむ物は、しめ野の原の若菜なれ、よしなや、何をとひ給ふ▲シテ「扨々やさしい、若菜つみに出られたよ、なう又めいめい、いたゞいておりやるは何ぞ▲頭「木かうし木買うし、おはら木召され候へ、おはらしつ原せりふの里、おぼろの清水に、影は矢瀬の里人、知られぬ梅の匂ふや匂ふや、此藪里の春かぜに、松が崎ちる花迄も、雪は翻れて春さむし、小原木召されよ小原木召され候へ▲シテ「成程小原木も申し請けうず、頼うだお方が野遊びにお出でなされて、此辺りに御座る、近頃わりない事なれ共、あれへいて、御酒のお相手に、なつておくれあるまいか▲頭{*12}「皆の衆おきゝあつたか▲衆「はづかしやはづかしや、こち衆はいやで御座る▲頭「殿達のそばは恥しう御座る、ゆるして下され▲シテ「袖の振合はせも他生の縁といふ、此所でそなた衆に、お目にかゝるといふも、此世ならぬ縁であらう、ひらに来ておくれやれ▲衆「なうなう最早いにませう▲頭「いざいにませう{ト云つて行シテさきへ廻り大手をひろげ関になり}▲シテ「夫は曲がない、是非来ておくれやれ▲衆「是は何とせらるゝ▲シテ「えいとうとう{ト云つて無理に舞台へ押やるなり}▲シテ「漸々とつれて参りました▲アト「扨々わごりよ達は、ようこそおりやつたれ、やれやれ海阿弥、急いで酒をすゝめい▲シテ「畏つて御座る{ト云つて扇をひろげ出て主より立衆へ酌をする}▲頭「妾お酌にたつて殿様へ上げませう▲アト「いつはたべずともお酌ならば一つたべう、海阿弥謡へ謡へ▲シテ「畏つて御座る{小謡有}▲アト「扨最前謡はれた小歌が面白かつた、一ふし所望せい▲シテ「畏つて御座る、さあさあ御所望ぢや、一ふしうたはしませ▲女「夫ならば妾が謡ひませうか▲アト「一段よからう、{小謡}▲女「いくたびもつめ、いく田の若菜、きみは千代をつむべし▲各「よいやよいや{是より段々酌に立つ小謡小舞いろいろあるべし{*13}}▲アト「やいやい海阿弥、もう一さしまへ▲シテ「畏つて御座る{シテ小舞物ずきあるべし但し舞の跡へつけて謡出す}▲頭「有明の月をば何と待たうよ有明の月をば何と待たうよ、月をば何と待たうよ▲シテ「あゝ先お待ちあれ、申上げまする、唯今の謡にはきゝ処が御座る、酒興のあまり座敷が永うて、事くどいといふ事さうに御座る、最早お暇をつかはされませ▲アト「兎もかくもはからへ▲シテ「畏つて御座る《イロ》いつまでとてか有明のいつまでとてか有明の《カゝル》「つれなく人におもはれんさらばいとま申さん{*14}▲衆「あら名残おしや▲シテ「こなたも名残おしけれ共、さうけたばり候▲衆「今のお樽の情をば、いつの代にかわすれん▲シテ「なうなう扨もわごりよ達に、はなれがたやたえがた▲衆{*15}「ゆくもゆかれず▲シテ「戻られず▲同音「ゆらりさらりと浪の上の酒盛、ほうこ草を肴にて、いざや酒を呑まうよ、ほうこのおさな心を、猶しも我等わすられで、かい友どちおしき友どち。
校訂者注
1:底本は、「今日(こんにち)の」。
2・6:底本は、「堂坊(だうばう)」。
3:底本は、「▲アト「今日は野遊びに出でう」。
4・5:底本は、「さし掉(さほ)」。
7:底本は、「押付(おつつけ)」。
8:底本は、「▲シテ「ホイ扨も早い鳥かな」。
9:底本は、「ひろげ見て}笑ふ▲シテ」。
10:底本は、「:底本は、「いで呼ふでこい」。
11:底本は、「▲シテ「なうなうわごりよ達は」。
12:底本は、「▲立頭「」。
13:底本は、「小小舞いろいろあ謡るべし」。
14:底本は、「さらばいま申さん」。
15:底本は、「▲立衆「」。
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