煎じ物(せんじもの)(二番目 三番目)
▲アト「この辺りの者でござる。此所(こゝ)の神事も近々になつてござる。今日は、山の稽古を致す筈ぢや。まづ、太郎冠者を呼び出し、何(いづ)れもへ遣はさうと存ずる。
{と云つて、呼び出す。出るも常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。今日は、山の稽古をする筈ぢや。そちは、何(いづ)れもへ行(い)て、やうやう時分も良うござる程に、お出でなされいと云ふて、行(い)て来い。
▲小アト「畏つてござる。
{アトつめる、太郎冠者受けるも、常の如し。}
なうなう、嬉しや嬉しや。祭が近々(きんきん)になつた。扨、どなたへ参らうぞ。いや、誰殿が近い。まづ、誰殿へ参らう。
{と云つて、橋がゝりへ行きて、案内を乞ふ。立頭出る。常の如し。}
頼うだ者、申しまする。もはや、時分も良うござる程に、お出でなされて、山の稽古をなされて下さるゝ様にと申し越してござる。
▲立頭「何(いづ)れもお出でなされうとあつて、身共が方(かた)にお揃ひぢや。
▲小アト「すれば、御銘々参るには及びませぬか。
▲立頭「銘々行くには及ばぬ。追つ付け同道して行く程に、汝は先へ帰れ。
▲小アト「それならば、御先へ帰りまする。追つ付け、お出でなされませ。
▲頭「心得た。
▲小アト「申し上げまする。
▲アト「何事ぢや。
▲小アト「只今、誰殿へ参つてござれば、何(いづ)れもあれにお揃ひで、追つ付け、これへお出でなされまする。
▲アト「お出でなされたらば、こちらへ知らせ。
▲小アト「畏つてござる。
▲頭「なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲立衆「これにゐまする。
▲頭「只今、当屋から、時分も良うござる程に、参つてくれいと申して、太郎冠者が参りました。いざ、参りませうか。
▲衆「一段と良うござらう。
▲頭「さあさあ、ござれ。
▲衆「心得ました。
{立衆、案内乞ふ。太郎冠者、常の如し。}
▲頭「身共等が来た通りを云へ。
▲小アト「その由、申しませう。暫くそれにお待ちなされませ。
▲頭「心得た。
▲小アト「申し上げまする。
▲アト「何事ぢや。
▲小アト「何(いづ)れもの御出でござる。
▲アト「かうお通りなされいと云へ。
▲小アト「畏つてござる。かうお通りなされいと申しまする。
▲頭「心得た。御当(おたう)、めでたうござる。
{立衆、各々云ふ。}
▲アト「これは、何(いづ)れも良う御出なされました。まづ、下にござれ。
▲各「心得ました。
▲アト「扨、神事も近々になりました。
▲頭「仰せの通り、近々になりました。
▲アト「扨、今日は、是非とも稽古を仕上げませう。
▲頭「一段と良うござらう。
▲アト「まづ、かうお通りなされませ。
▲各「心得ました。
▲アト「{*1}時雨の雨に濡れじとて、《同音》時雨の雨に濡れじとて、鷺の橋を渡いた、かさゝぎの橋を渡いたりや。そうよの。
{囃子方応答。囃子物の内、シテ、茶店荷ひ出、橋がゝりにて名乗ると、囃子物休む。}
一段と良うござる。暫く休みませう。
▲各「一段と良うござらう。
▲シテ「この辺りに住居(すまひ)致す、煎じ物売りでござる。やうやく神事も近々になつてござる。若い衆が、囃子物の稽古をなさるゝ。嘉例の通り、煎じ物を売りに出ようと存ずる。
▲アト「さあさあ、又囃しませう。
▲各「一段と良うござらう。
{又以前の通り、皆々囃すなり。}
▲シテ「これは、早(はや)稽古が始まつた。扨も扨も、賑々しい事かな。今年は、面白い囃子物ぢや。御当、めでたうござる。何(いづ)れも、めでたう存じまする。これは御歴々、お揃ひなされた。扨も、御苦労に存じまする。さらば、煎じ物を進上致さう。
{と云つて、煎じ物を汲む心持ちにて、持つて出る。皆々、嫌と云ふなり。}
と、かういふ内にぬるうなつた。どれどれ、汲み直して進ぜう。
{と云つて、茶碗をすゝぎ、汲み直し、持つて出る。初めの通り、嫌と云ふ。シテ、呑んで「旨い」と云ふ。この内、言葉いろいろあるべし。}
▲アト「暫く待たせられい。やいやい、太郎冠者。煎じ物売りに、囃子物の邪魔になる、売るなと云へ。
▲小アト「畏つてござる。いや、なうなう。囃子物の邪魔になる程に、お売りあるな。
▲シテ「毎年(まいねん)売る物を売るなとは、どうした事ぢや。嘉例ぢやによつて、売らねばならぬ。
▲小アト「でも、頼うだ人が、売るなと仰せらるゝ。
▲シテ「おぬしが知つた事ではない。差し出ずとも、すつこうでゐよ。
▲アト「なうなう。かつて、お売りあるなではない。囃子物の邪魔にならぬやうにして、お売りあれといふ事ぢや。
▲シテ「さう仰せらるれば、尤でござる。太郎冠者のやうに、慳貪(けんどん)に仰(お)せあるによつての事でござる。私も年久しう、嘉例で売りに参る者でござる。どうぞ、囃子物の邪魔にならぬやうに、拍子にかゝつて売りたうござるが、何とござらうぞ。
▲アト「それは、一段と良からう程に、売らしませ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「さあさあ、又囃させられい。
▲各「心得ました。
{と云つて、以前の通り、囃す。これよりシテ、拍子にかゝりて売るなり。}
▲シテ「《ノル》{*2}煎じ物、お煎じ物、お煎じ物召せ、煎じ物召せ、煎じ物召せ。
{亦、「鷺橋」を囃す。}
▲シテ「煎じ物、お煎じ物、お煎じ物とて、陳皮・乾姜(かんきよ)・葉甘草(はかんざう)などを、ちつくりそつと加へ加へて、痰の切れ候、御声の出で候。煎じ物召せ、煎じ物召せ。
{亦、囃す。}
煎じ物、お煎じ物を、煎じ物をば参る人こそ、御声の出で候、痰の切れ候。ちやつときこし召せ。
{亦、囃す。売り様、色々あるべし。アト拵へる内、拍子、色々仕様あり。その内にアト、笛座へ入り、素袍・着附脱ぎ、烏帽子とり替へ、襷かけ、鞨鼓付けて出る。鞨鼓、吹き出す。シテ、「稚児が舞はるゝ」と云つて悦び、うつる。鞨鼓を打つを見て、焙烙付け、鍋とりにて打つ。「鍋八撥」の仕様に同じ事なり。後にアト、水車して入るなり。シテ、その真似をして、後に焙烙割り、入るなり。}
校訂者注
1:底本、ここから「わたいたりやそうよの」まで、傍黒丸がある。
2:底本、ここから最後まで、全て傍点がある。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
煎じ物(センジモノ)(二番目 三番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、此所の神事も近々になつて御座る、今日は山の稽古を致す筈ぢや、先太郎冠者を呼出し、何れもへ遣はさうと存ずる{ト云つて呼出す出るも如常}{*1}汝呼出す別の事でない、今日は山の稽古をする筈ぢや、そちは何れもへいて、漸時分もよう御座る程に、お出でなされいといふていてこい▲小アト「畏つて御座る{アトつめる太郎冠者うけるも如常}{*2}なうなう嬉しや嬉しや、まつりが近々になつた、扨何方へ参らうぞ、いや誰殿が近い、先誰殿へ参らう{ト云つて橋がゝりへ行きて案内を乞立頭出る如常}{*3}頼うだ者申しまする、最早時分もよう御座る程に、お出でなされて山の稽古を、なされて下さるゝ様にと申し越して御座る▲立頭「何れもお出で被成れうとあつて、身共が方におそろひぢや▲小アト「すれば御銘々参るには及びませぬか▲立頭「銘々ゆくには及ばぬ、追付{*4}同道して行く程に、汝は先へ帰れ▲小アト「夫ならばお先へ帰りまする、追付{*5}お出で被成ませ▲頭「心得た▲小アト「申し上げまする▲アト「何事ぢや▲小アト「唯今誰殿へ参つて御座れば、何もあれにお揃ひで、追付{*6}是へお出でなされまする▲アト「お出でなされたらば此方へしらせ▲小アト「畏つて御座る▲頭「なうなう何れも御座るか▲立衆「是にゐまする▲頭「唯今当屋から、時分もよう御座る程に、参つてくれいと申して、太郎冠者が参りました、いざ参りませうか▲衆「一段とよう御座らう▲頭「さあさあ御座れ▲衆「心得ました{立衆案内乞太郎冠者如常}▲頭「身共等が来た通りをいへ▲小アト「其の由申しませう暫く夫におまちなされませ▲頭「心得た▲小アト「申し上げまする▲アト「何事ぢや▲小アト「何れもの{*7}お出でで御座る▲アト「かうお通りなされいといへ▲小アト「畏つて御座る、かうお通りなされいと申しまする▲頭「心得た、お当目出たう御座る{立衆各々云{*8}}▲アト「是は何れもようお出なされました、先下に御座れ▲各「心得ました▲アト「扨神事も近々に成りました▲頭「仰せの通り近々に成りました▲アト「扨今日は是非共稽古を仕上げませう▲頭「一段とよう御座らう▲アト「先かうお通り被成れませ▲各「心得ました▲アト「時雨の雨にぬれじとて、《同音》時雨の雨にぬれじとて、鷺の橋を渡いたかさゝぎの橋をわたいたりやそうよの{囃子方応答囃子物のうちシテ{*9}茶店荷ひ出橋がゝりにて名のるとはやしもの休む}{*10}一段とよう御座る、暫らく休みませう▲各「一段とよう御座らう▲シテ「此辺りに住居致す煎じ物売で御座る、漸く神事も近々になつて御座る、若い衆が囃子物の稽古をなさるゝ、嘉例の通り、煎じ物を売りに出ようと存ずる▲アト「さあさあ又囃子ませう▲各「一段とよう御座らう{又以前の通り皆々囃すなり}▲シテ「是ははや稽古が始まつた、扨も扨も賑々敷事かな、ことしは面白い囃子物ぢや、お当目出たう御座る、何れも目出たう存じまする、是はお歴々お揃ひなされた、扨も御苦労に存じまする、さらば煎じ物を進上致さう{ト云つて煎じ物を汲む心持にて持て出る皆々いやと云ふなり}{*11}とかういふ内にぬるうなつた、どれどれ汲直して進ぜう{*12}{ト云つて茶碗をすゝぎ汲直し持て出る初めの通りいやと云ふシテ呑んでむまいと云ふ此うち言葉いろいろあるべし}▲アト「しばらくまたせられい、やいやい太郎冠者、煎じ物売に、囃子物の邪魔になる、売るなといへ▲小アト「畏つて御座る、いやなうなう、囃子物の邪魔になる程にお売りあるな▲シテ「毎年売物を売るなとはどうした事ぢや、嘉例ぢやに依つて売らねばならぬ▲小アト「でも頼うだ人が売るなと仰せらるゝ▲シテ「おぬしがしつた事ではない、さしでず共すつこうでゐよ▲アト「なうなう曽ておうりあるなではない、囃子物の邪魔にならぬやうにして、おうりあれといふ事ぢや▲シテ「さう仰せらるれば尤もで御座る、太郎冠者のやうに、けんどんにおせあるに依つての事で御座る、私も年久しう、嘉例で売りに参る者で御座る、どうぞはやし物の邪魔にならぬやうに、拍子にかゝつて売りたう御座るが、何と御座らうぞ▲アト「夫は一段とよからう程にうらしませ▲シテ「畏つて御座る▲アト「さあさあ又はやさせられい▲各「心得ました{ト云つて以前の通りはやす是よりシテ{*13}拍子にかゝりてうるなり}▲シテ「《ノル》煎じ物おせんじ物おせんじ物めせ煎じ物めせ煎じ物めせ{亦鷺橋をはやす}▲シテ「煎じ物お煎じ物お煎じ物とてちんぴかんきよ、葉甘草抔をちつくりそつと、くはへくはへてたんのきれ候、お声のいで候、煎じ物めせ煎じ物めせ{亦囃す}せんじ物お煎じ物を、煎じ物をば参る人こそお声の出で候、たんの切れ候、ちやつときこしめせ{*14}{亦はやす売様色々在るべしアト拵る内拍子色々仕様在其内にアト笛座へ入素袍着附ぬぎ烏帽子とりかゑたすきかけ{*15}かつこつけて出るかつこ吹出すシテ稚児が舞るゝと云つてよろこびうつるかつこをうつを見てほうろくつけなべとりにてうつ鍋八撥の仕様に同事なり後にアト水車して{*16}入る也シテ其真似をして後にほうろく割入るなり}
1:底本は、「▲アト「汝呼出す別の事でない」。
2:底本は、「▲小アト「なうなう嬉しや」。
3:底本は、「▲小アト「頼うだ者申しまする」。
4~6:底本は、「押付(おつゝけ)」。
7:底本は、「何れのお出でで御座る」。
8:底本は、「立々衆各云」。
9:底本は、「うちして茶店」。
10:底本は、「▲アト「一段とよう御座らう」。
11:底本は、「▲シテ「とかういふ内に」。
12:底本は、「進せう」。
13:底本は、「是よりして」。
14:底本は、「ちやつとこしめせ」。
15:底本は、「たすかけ」。
16:底本は、「アト水車シテ入る也」。
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