財宝(ざいほう)(二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。こゝに、財宝と申して、めでたい祖父御(おほぢご)を持つてござる。今日(こんにち)は、最上吉日でござる程に、これへ参つて、烏帽子を着せて貰はうと存ずる。又、某(それがし)の様な孫どもがござる。これを呼び出して、同道致さうと存ずる。なうなう、ござるか。
▲二人「これに居まする。
▲アト「今日(こんにち)は、最上吉日でござる。兼ね兼ね申し合はせた通り、財宝(ざいほう)の御方へ参り、烏帽子を着せて貰はうと存ずるが、何とござらう。
▲二人「これは、一段と良うござらう。
▲アト「それならば、さあさあ、御出なされい。
▲二人「心得ました。
▲アト「誠に、あの祖父御の様な、果報な御方(おかた)はござるまい。御寿命と申し、御富貴と云ひ、何に不足のない御方でござる。
▲小アト「何とぞ、あの祖父御にあやかりたいものでござる。
▲次アト「その通りでござる。
▲アト「何かと申す内に、これでござる。まづ、案内を乞ひませう。
▲二人「一段と良うござらう。
▲アト「物も。案内もう。祖父御様、御内(おうち)にござりまするか。
▲三人「孫どもが、御見舞ひ申してござる。
▲シテ「えいえい。何と云ふぞ。孫どもが見舞うたと云ふか。
▲アト「左様でござる。
▲シテ「おう、良う来たなあ、良う来たなあ、良う来たなあ。
▲三人「はあ。
▲シテ「さあさあ。まづ、かう通れ。
▲アト「畏つてござる。
{小アト、床机を出し、シテに腰かけさす。}
▲シテ「やれやれ。珍しや、珍しや。この中(ぢゆう)もこの中(ぢゆう)で、この孫どもは、ちと見舞うてもくれう事ぢやに、祖父を見限つて来ぬと思うて、いかう恨んでゐた。今日(けふ)は、どち風が吹いたれば、来たぞいやい。
▲アト「御恨みの段は、御尤でござる。何かと渡世に隙(ひま)を得ませいで、御見舞ひも申しませなんだ。
▲シテ「汝等も、その通りか。
▲二人「左様でござる。
▲シテ「その様な事とは知らなんだ。渡世に隙(ひま)がないと聞けば、尤ぢや。さりながら、孫どもが来たらば取らせうと思うて、美しい物を調(とゝの)へて置いた。とらせう程に、こゝへ来い。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「こりやこりや。これをやらうぞ。
{と云つて、人形をやる。}
▲アト「扨も扨も、美しい物でござりまする。
▲シテ「人がよこせと云はうとも、必ずやるな。
▲アト「畏つてござる。
▲シテ「汝にもやらうぞ。
▲小アト「それは忝う存じまする。
{張子の犬をやるなり。}
▲小アト「これは、見事なものでござる。
▲シテ「悪さを云ふと、やらぬぞ。
▲小アト「畏つてござる。
▲シテ「汝も欲しいか。
▲次アト「私も欲しうござる。
▲シテ「こりやこりや。これは、面白い音(ね)の出る物ぢや。ちと吹いて見よ。
▲アト「さあさあ、吹いて見さつしあれ。
{次アト、吹くなり。皆々、笑ふ。}
▲シテ「扨も、良う鳴るわ、良う鳴るわ。
▲アト「何(いづ)れも、祖父御様は某どもを、まだ童(わらべ)の様に思し召すさうにござる。
▲二人「その通りでござる。
▲シテ「扨、今日(けふ)は何と思うて、三人云ひ合(あは)せて来たぞ。
▲アト「今日(こんにち)は、最祥吉日でござるによつて、祖父御様に、烏帽子を着せて貰ひませうと存じて、参りました。
▲シテ「何ぢや。甘干(あまぼ)しをくれうと云ふか。やれやれ、孝行な孫どもや。祖父は、年が寄つて歯が悪い。別して甘干しは良からう。何程でもくれい。
▲小アト「成程、甘干しも上げませうず。今日(こんにち)は、最祥吉日でござるによつて、烏帽子を着せて貰ひませうと存じて、参つてござる。
▲シテ「何ぢや。烏帽子を着せて貰ひたいと云ふか。
▲次アト「左様でござる。
▲シテ「やれやれ、奇特に思ひ立つて来たなあ。
▲アト「はあ。
▲シテ「誠に、この祖父は果報者ぢや。あやかる様に、烏帽子を着せてやらうぞ。
▲アト「それは、ありがたう存じまする。
▲シテ「何と付けうぞ。まづ汝は、幼い時から愛嬌のある者ぢや。愛嬌の嬌の字を片取つて、嬌ありと付けうぞ。
▲アト「これは、良い名でござる。
▲シテ「又そちは、外の孫どもより田も多く作れども、つひに不作をせぬ。とかく、冥加に叶うた者ぢやと仰せらるゝ程に、冥加ありと付けう。
▲小アト「これは、ありがたう存じまする。
▲シテ「又そちは、幼少の時より乱舞に好いて、所の参会にも謡ひつ舞ひつ、面白う生れついた者ぢやと、何(いづ)れも仰(お)せある程に、面白うと付けうぞ。
▲次アト「これも、良い名でござる。
▲シテ「皆、気に入つたか。
▲アト「気に入りましてござる。
▲小アト「ありがたう存じまする。
▲次アト「忝う存じまする。
▲シテ「それならば、祝うて盃をせう。銚子を出せ。
▲次アト「畏つてござる。
{と云つて、直(すぐ)に扇を広げて立つ。各、扇にて呑む。「御子孫も繁昌」を謡ふ。皆々、謡ふなり。}
▲シテ「やいやい、嬌あり。一さし舞へ。
▲アト「畏つてござる。地(ぢ)を謡うて下されい。
▲二人「心得ました。
{アト、小舞済むと、小アト小舞謡ひ、酌に立つ。シテ、両人へ、連れ舞ひ所望する。小アト二人、連れ舞ひ済むと、アト、酌に立つ。但し、「ざゞんざ」良かるべし。}
▲アト「扨、祖父御様へ、御願ひがござる。
▲シテ「それは何事ぢや。
▲アト「久しうお立ち姿を拝見致しませぬ。何(いづ)れも一つ、受け持ちました。御苦労ながら、一さしお舞ひなされて下されうならば、ありがたう存じまする。
▲シテ「いかさま、今日(けふ)はめでたい折柄ぢや。祖父も一さし舞はう程に、地を謡うてくれさしめ。
▲三人「畏つてござる。
{と云つて、舞ひ出す。舞ひ様、口伝あり。「はんま千鳥」舞ひ、アト、後ろより手を添へ、あひしらふなり。}
▲三人「よいや、よいや。
▲シテ「腰が痛うて、中々舞はるゝ事ではない。
▲アト「あゝ、面白い事でござりました。
▲シテ「扨、もはや、盃をとらぬか。
▲次アト「畏つてござる。
▲シテ「扨、この上は、孫どもが手車に乗つて、奥へ行きたい。手車を拵へてくれい。
▲アト「畏つてござる。さあさあ、手車を拵へさせられい。
▲二人「心得ました。
{と云つて、正面にて手車を拵ふる。アト一人、後ろより介抱するなり。}
▲シテ「とてもの事に、拍子にかゝつて、孫どもが名を尋ねう。又、そち衆も、拍子にかゝつて答へてくれい。
▲三人「畏つてござる。
▲シテ「《ノル》財宝が孫ども、財宝が孫どもが、名をば何と申すぞ。名をば何と申すぞ。
▲アト「嬌ありも候ふ。
▲小アト「冥加ありも候ふ。
▲次アト「面白も候ふ。
{これより、囃子物、大小太鼓あしらひにて、名を尋ぬる。各答ふる段々ありて、手車に乗り、橋がゝりにてしやぎり吹き出し、留めて入るなり。口伝。但し当時は、あしらひなしに、手車に乗りながらも入るなり。}
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
財宝(サイホヲ{*1})(二番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、爰に財宝と申して、目出たい祖父御を持つて御座る、今日は最上吉日で御座る程に、是へ参つて、烏帽子を着せて貰はうと存ずる、又某の様な孫共が御座る、是を呼出して同道いたさうと存ずる、なうなう御座るか▲二人「是に居まする▲アト「今日は最上吉日で御座る、兼ね兼ね申合はせた通り、財宝のお方へ参り、烏帽子を着せて貰はうと存ずるが、何と御座らう▲二人「是れは一段とよう御座らう▲アト「夫れならばさあさあお出でなされい▲二人「心得ました、▲アト「誠にあの祖父御の様な、果報なお方は御座るまい、御寿命と申し、御富貴といひ、何に不足のないお方で御座る▲小アト「何卒あの祖父御に、あやかりたい物で御座る▲次アト「其通りで御座る▲アト「何かと申す内に是で御座る、先案内を乞ひませう▲二人「一段とよう御座らう▲アト「物も案内もう、祖父御様御内に御座りまするか▲三人「孫共がお見舞ひ申して御座る▲シテ「えいえい何といふぞ、孫共が見舞うたといふか▲アト「左様で御座る▲シテ「おうよう来たなあよう来たなあよう来たなあ▲三人「はあ▲シテ「さあさあ先かう通れ▲アト「畏つて御座る、{小アト床机を出しシテに腰かけさす}▲シテ「やれやれ珍らしや珍らしや、此中も此中で、此孫共は、ちと見舞うてもくれう事ぢやに、祖父を見限つてこぬと思ふて、いかう恨むでゐた、けふはどち風が、吹いたれば来たぞいやい▲アト「お恨みの段は御尤もで御座る、何彼と渡世に隙を得ませいで、お見舞も申しませなんだ▲シテ「汝等も其通りか▲二人「左様で御座る▲シテ「其様な事とはしらなんだ、渡世に隙がないときけば尤もぢや、乍去孫共が来たらば、とらせうと思ふて、美しい物を調へておいた、とらせう程に爰へ来い▲アト「畏つて御座る▲シテ「こりやこりや是をやらうぞ{ト云て人形をやる}▲アト「扨も扨も美しい物で御座りまする▲シテ「人がよこせといはう共、かならずやるな▲アト「畏つて御座る▲シテ「汝にもやらうぞ▲小アト「夫は忝う存じまする、{張子のゐぬ{*2}をやるなり}▲小アト「是は見事な物で御座る▲シテ「わるさをいふとやらぬぞ▲小アト「畏つて御座る▲シテ「汝もほしいか▲次アト「私もほしう御座る▲シテ「こりやこりや、是は面白い音の出る物ぢや、ちと吹いて見よ▲アト「さあさあ吹いて見さつしあれ、{次アト吹也皆々笑ふ}▲シテ「扨もようなるわようなるわ▲アト「何も祖父御様は某共を、まだわらべの様に思召すさうに御座る▲二人「其通りで御座る▲シテ「扨けふは何と思ふて、三人云合せて来たぞ▲アト「今日は最祥吉日で御座るに依つて、祖父御様に烏帽子を、着せて貰ひませうと存じて参りました▲シテ「何ぢやあまぼしをくれうといふか、やれやれ孝行な孫共や、祖父は年が寄つて歯がわるい、別してあまぼしはよからう何程でもくれい▲小アト「成程あまぼしも上げませうず、今日は最祥吉日で御座るに依つて、烏帽子をきせて貰ひませうと存じて参つて御座る▲シテ「何ぢや烏帽子を着せて貰ひたいといふか▲次アト「左様で御座る▲シテ「やれやれ奇特に思ひ立つて来たなあ▲アト「ハア▲シテ「誠に此祖父は果報者ぢや、あやかる様に、烏帽子を着せてやらうぞ▲アト「夫は有難う存じまする▲シテ「何と付うぞ、先汝はおさない時から、愛嬌のある者ぢや、愛嬌の嬌の字を片取つて、嬌ありとつけうぞ▲アト「是はよい名で御座る▲シテ「又そちは外の孫共より、田もおほく作れ共、つひに不作をせぬ兎角冥加に叶ふた者ぢやと、仰せらるゝ程に、冥加ありと付けう▲小アト{*3}「是は有難う存じまする▲シテ「又そちは幼少の時より、乱舞にすいて、所の参会にも謡ひつ舞つ、面白う生れついた者ぢやと、何れもおせある程に、面白うと付けうぞ▲次アト{*4}「是もよい名で御座る▲シテ「皆気に入つたか▲アト{*5}「気に入りまして御座る▲小アト「有難う存じまする▲次アト「忝う存じまする▲シテ「夫ならば祝うて盃をせう、てうしを出せ▲次アト「畏つて御座る、{ト云つて直に扇をひろげて立つ各扇にて呑む御子孫も繁昌をうたふ皆々謡ふなり}▲シテ「やいやい嬌あり、一さし舞へ▲アト「畏つて御座る、地を謡うて下されい▲二人「心得ました、{アト小舞すむと小アト小舞うたい酌に立つシテ両人へ連舞所望する小アト二人連舞すむとアト{*6}酌にたつ但しざゞんざよかるべし}▲アト「扨祖父御様へお願ひが御座る▲シテ「夫は何事ぢや▲アト「久しうお立姿を拝見致しませぬ、何も一つ請持ました、御苦労ながら、一さしお舞被成て下されうならば、有難う存じまする▲シテ「いか様けふは、目出たい折柄ぢや、祖父も一さし舞う程に、地を謡うてくれさしめ▲三人「畏つて御座る、{ト云つて舞出す舞様口伝ありはんま千鳥舞ひアトうしろより手をそゑあいしらふなり}▲三人「よいやよいや▲シテ「腰がいとうて、中々まわるゝ事ではない▲アト「あゝ面白い事で御座りました▲シテ「扨最早盃をとらぬか▲次アト「畏つて御座る▲シテ「扨此上は孫共が、手車にのつて奥へゆきたい、手車を拵へてくれい▲アト「畏つて御座る、さあさあ手車を、拵へさせられい▲二人「心得ました{ト云つて正面にて手車を拵るアト一人うしろより介抱するなり}▲シテ「迚もの事に拍子にかゝつて、孫共が名を尋ねう、又そち衆も、拍子にかゝつて答へてくれい▲三人「畏つて御座る▲シテ「《ノル》財宝が孫共財宝が孫共が、名をば何と申すぞ、名をば何と申すぞ▲アト「嬌ありも候▲小アト「冥加ありも候▲次アト「面白も候、{是よりはやし物大小太鼓あしらいにて名を尋る各答る段々ありて手車にのり橋がゝりにてしやぎり吹出しとめて入なり口伝但し当時はあしらいなしに手車にのりながらもいるなり{*7}}
校訂者注
1:「サイホヲ」は、底本のまま。
2:底本は、「張子のるぬ」。
3:底本は、「▲アトシ「是は有難う存じまする」。
4:底本は、「▲小アト「是もよい名で御座る」。
5:底本は、「▲テト「気に入りまして御座る」。
6:底本は、「あと酌にたつ」。
7:底本、最後の「り」は不鮮明、判読困難。
コメント