大鼓負(たいこおひ)(二番目 三番目)
▲シテ「当所に住居(すまひ)する者でござる。今日(こんにち)は、この所の神事でござる。祭の渡る時分は、いつもの役にさゝれて、警護に出る。まづ、女共を呼び出し、申し付くる事がござる。なうなう、こちの人。居さしますか。おりやるか。
▲女「今めかしや、今めかしや。妾(わらは)を呼ばせらるゝは、何事でござる。
{但し、この女、はじめより出て、笛座にゐたるが良かるべし。但し、常の呼び出しにても。}
▲シテ「一年に一度の祭ぢやに、皆、息災で祭に出(づ)るは、めでたき事ではないか。
▲女「何(いづ)れ、相変らず祭をすると申すは、めでたい事でござる。扨、今年の役は、何でござる。
▲シテ「いつもの通り、警護の役に出(づ)る程に、そなたは内祝(うちいはひ)をさしませ。
▲女「これはいかな事。今々の衆さへ、いろいろの良い役をさせらるゝ。そなたは代々、此所(こゝ)に住居(すまひ)して、今時分は庄屋・年寄にもなつて、在所で口をきかつしやる筈なれども、律儀なばかりで分別のないそなたぢやによつて、毎年(まいねん)毎年棒をついて、人らかしい顔で警護に出さつしやる。恥づかしいとも思はつしやれぬか。
▲シテ「その様にそなたが云へば、どうやらおれが、うつけのやうに聞こえる。身共も、ぬかりはせぬ。毎年(まいねん)毎年、同じ警護の役をする程に、何ぞ、ちと良い役をさして下されと云うたれば、庄屋殿のお申しあるは、役をするも大儀な事ぢや程に、矢張り、相変らず警護の役をせいと仰(お)せあるに、言葉を返しても云はれぬ。
▲女「まだ、そのつれを云はつしやる。警護に出て人の世話をする程、骨折りがあらうか。そなたが何の役にも立たぬと思うて、その様な事を仰(お)せあるであらう。一向、断りを云うて、警護の役にも出さしますな。
▲シテ「せつかく云ひ付けられた事を、その様な我儘(わがまゝ)な事が云はるゝものか。
▲女「いやいや。人にすぐれて悪い役をさつしやるを、うかうかと見てゐる事はならぬ。もう一度庄屋殿へ行(い)て、断りをたてゝござれ。
▲シテ「人中(ひとなか)へ出て、物数(ものかず)を云ふも恥づかしい。畢竟、わごりよ一人、了簡すれば済む事ぢや。堪忍して置くまいか。
▲女「えゝ、もどかしい。女でさへ、とやかう思ふに、ようそなたは、その様な事を云うて居さつしやる。とかく、断りを云うて、良い役に替へさせらるれば良し、さもなくば、内へは寄せぬ程に、戻らつしやれな。
▲シテ「何ぢや。役を替へてもらはずば、内へは寄せまいと云ふか。
▲女「おゝ、扨。良い役をさせられねば、内へは寄せませぬ。
▲シテ「扨々、短気な事を云ひ出した。わゝしい女は、夫を喰ふと云ふが、そなたの事ぢや。同じくは、堪忍し、内へ寄せいでな。
▲女「なう、腹立ちや、腹立ちや。まだその様な、なまぬるい事を仰(お)せある。早う行かしめ、早う行かしめ。
{と云つて、又、笛座へ入り、}
▲シテ「これはいかな事。又、女共の気が違うた。久しう叱られなんだが、苦々しい。今日(けふ)は、以ての外の機嫌ぢや。あれが、あの様に云ひ出した事は、とても、どの様に云うても聞き入れぬによつて、是非に及ばぬ。この足で、すぐに庄屋殿へ参らうと存ずる。
{と云つて、中入りをするなり。}
▲女「扨も扨も、気の毒な事かな。余り、心弱い人ぢやによつて、わざと嚇(おど)いてやりました。何ぞ、良い役に当たられたか知らぬまで。やうやう、祭の渡る時分ぢや程に、人蔭から見物せうと思ひまする。
{と云つて、笛産にゐる。笠を着て出るなり。立衆出、しかじかあり。この間、笛座にゐるなり。}
▲立頭「この辺りの者でござる。今日(こんにち)は、牛頭天王の祇園会でござる。何(いづ)れも同道致し、祭を見物に参らうと存ずる。なうなう、何れもござるか。
▲立衆「これに居まする。
▲頭「今日(けふ)は、いついつよりめでたい神事でござる。
▲衆「仰せの通り、めでたい事でござる。
▲頭「いざ、参詣致しませう。
▲各「一段と良うござらう。
▲頭「さあさあ、御出なされい。
▲衆「心得ました。
▲頭「何と思し召す。去年の神事を、昨日や今日の様に存じましたに、早(はや)、神事になりました。
▲立衆「何(いづ)れ、月日のたつは、早いものでござる。
▲衆二「光陰、矢の如しでござる。
▲頭「いや、何かと申す内に、参り着きました。いざ、拝を致しませう。
▲各「一段と良うござらう。
▲頭「何と、夥(おびたゞ)しい参詣ではござらぬか。
▲衆「何(いづ)れ、夥(おびたゞ)しい参詣でござる。
▲頭「御祭礼の渡らせらるゝには、間もござらう。ちと、森へ参つて、市を見物致しませう。
▲衆「これは一段と良うござらう。
▲頭「あゝ、出したり、出したり。これは、何を求めうとも、儘でござる。
▲衆「その通りでござる。
▲頭「これは、子供のもて遊びぢや。雛張子(ひなはりこ)。
▲衆二「土で作つたゑの子。
▲衆三「おきあがり小法師。ふり鼓。
▲衆四「何を求めうと、儘でござる。
▲頭「これは、茶の湯の道具。
▲衆「風呂釜。
▲衆二「茶椀・茶入れ。
▲衆三「水こぼし。
▲頭「見事な茶椀でござる。
▲衆「何(いづ)れ、あの茶椀は望みでござる。
▲頭「いや、なうなう。もはや、御祭礼が渡らせらるゝやら、殊の外、賑々(にぎにぎ)しうなりました。
▲衆「あれあれ、神前(しんぜん)の人を払ひまするわ。
▲衆二「誠に、間もないやら、笛太鼓の音が聞こえまする。
▲頭「しからば、間はござるまい。此所(こゝ)で見物致しませう。
▲各「一段と良うござらう。
{と云つて、脇座の方に、立衆、皆々並びてゐる。この時、女も出て、同じく脇座、立頭の上にゐる。下り鼓、打ち出す。橋がゝりにて打上。}
▲祭頭「{*1}祇園ばやしに。
▲同「祇園ばやしに吹く笛の、太鼓を負ひ、これ程汗の出る我を、心あらば見てとれ。この心あらば、見てとれ。
{渡り拍子。舞台を大廻りする。その内、太鼓を打つ。シテ、肝をつぶし、びくびくする。その内、女を見て、役をひけらかす心、第一なり。渡り拍子の内、別して仕様あるべし。口伝なり。太鼓打上。}
▲頭「ありがたや。
▲同「ありがたや。今、日の本の明らけき、天(あま)照る神の教へとて、人の心も素直なる、御代(みよ)の印(しるし)の神祭。神は人の敬ふによつて威を増す。氏子繁昌長久と、囃す風流は面白や、囃す風流は面白や。
{と云ふ謡の留めにて、祭頭入り違ひ、舞人二人、舞台へ出る。見物の立衆、皆々下にゐる。シテ、この内に太鼓を橋がゝりへおろす。折々、太鼓を打つ所、専要なり。}
▲舞人「めでたかりける時とかや。
{太鼓打上。}
《上ノル》舞の袂も数々の、舞の袂も数々の。
▲同「巌の上に鶴棲めば、君万歳(ばんぜい)と亀や棲む。松に幾千代、齢(よはひ)も久しく、竹の園生(そのふ)の末葉(すゑば)も栄ゆる。神いさめの祭の儀式ぞめでたけれ。
{と云ふ内、児、舞台へ出て、「いや」と声かけて、拍子・節(ふし)出す。鞨鼓の笛、吹き出す。児、舞ふなり。祭り立衆・舞人、太鼓打ち、押さへ、皆々、楽屋に入る。シテも、橋がゝりまで行き、鞨鼓を打つて見て、後へ戻るなり。}
▲シテ「はあ、稚児が舞はるゝ。よいや、よいや。これはたまらぬ、面白い。
{と云つて、うつる。負ひたる太鼓を前へ直し、鞨鼓にして真似る。手にて打つ。嬉しがる内に、水車して児は入るなり。見送り、走りこぎして、シヤギリに留めると、女、謡ひ出すなり。}
▲女「{*2}今日(けふ)の風流のその内に、いち骨折りと見えたるは、太鼓を負へる人やらん。
▲シテ「我、能なしと云ひけるが、今は太鼓の役なれば、悔しうや思ふらん。
▲女「何、悔しうもあるべきぞ。能者(のうしや)にならせ給へば、元の如くに契るべし。
▲シテ「それは誠か。
▲女「中々に。
▲二人「負へる太鼓のうき契り、もろともに、いざ打ち連れてこの太鼓、いざ打ち連れてこの太鼓、同道してぞ帰りける。
▲女「なう、愛しい人。こちへござれ。
▲シテ「心得た、心得た。
校訂者注
1:底本、ここから「神いさめの祭の儀式ぞ目出度けれ」まで、傍点がある。
2:底本、ここから「いざ打ちつれて此たいこ、同道してぞ帰りける」まで、傍点がある。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
大鼓負(タイコオイ)(二番目 三番目)
▲シテ「当所に住居する者で御座る、今日は此所の神事で御座る、祭りの渡る時分は、毎の役にさゝれて、警護に出る、先女共を呼出し申し付くる事が御座る、なうなうこちの人、居さしますかおりやるか▲女「今めかしや今めかしや、妾を呼ばせらるゝは何事で御座る{但し此女はじめより出て笛座にゐたるがよかるべし但し常のよび出しにても}▲シテ「一年に一度の祭りぢやに、皆そくさいで祭りにづるは、目出度き事ではないか▲女「いづれ相かはらず、祭りをすると申すは、目出たい事で御座る、扨ことしの役は何んで御座る▲シテ「いつもの通り、けいごの役にづる程にそなたは、内祝ひをさしませ▲女「是はいかな事、今々の衆さへ、いろいろのよい役をさせらるゝ、そなたは代々、此所に住居して、今時分は庄屋年寄にも成つて、在所で口をきかつしやる筈なれ共、律儀な斗りで分別のないそなたぢやに依つて、毎年々々棒をついて人らかしい顔でけいごに出さつしやる、恥かしい共思はつしやれぬか▲シテ「其様にそなたがいへば、どうやらおれが、うつけのやうにきこえる、身共もぬかりはせぬ、毎年々々同じ警護の役をする程に、何んぞちとよい役をさして下されといふたれば、庄屋殿のお申しあるは、役をするも大儀な事ぢや程に、矢張相変らず警護の役をせいとおせあるに、言葉をかへしてもいはれぬ▲女「まだ其つれをいはつしやる、警護に出て人の世話をする程、骨折が有らうか、そなたが何んの役にもたゝぬと思ふて、其様な事をおせあるで有らう、一向断をいふて、警護の役にも出さしますな▲シテ「せつかくいひつけられた事を、其様な我儘な事がいはるゝ者か▲女「いやいや人にすぐれてわるい役をさつしやるを、うかうかと見てゐる事はならぬ、最一度庄屋殿へいて、断りをたてゝ御座れ▲シテ「人中へ出て物数をいふもはづかしい、畢竟わごりよ一人了簡すれば済む事ぢや、堪忍して置くまいか▲女「えゝもどかしい女でさへ兎や斯う思ふに、ようそなたは其様な事をいふて居さつしやる、兎角断りをいふてよい役にかへさせらるればよし、左もなくば内へはよせぬ程に、戻らつしやれな▲シテ「何んぢや役をかへてもらはずば、内へはよせまいといふか▲女「おゝ扨よい役をさせられねば、内へはよせませぬ▲シテ「扨々短気な事をいひ出した、わゝしい女はをつとを喰ふといふが、そなたの事ぢや、同敷は堪忍し内へよせいでな{*1}▲女「なう腹立や腹立や、まだ其様な、なまぬるい事をおせある、早うゆかしめ早うゆかしめ{ト云つて亦笛座へ入り}▲シテ「是はいかな事、又女共の気が違ふた、久しうしかられなんだが、にがにがしい、けふはもつての外の機嫌ぢやあれがあの様にいひ出した事は、迚もどの様にいふてもきゝいれぬに依つて、是非に及ばぬ、此足ですぐに、庄屋殿へ参らうと存ずる{ト云つて中入をするなり}▲女「扨も扨も気の毒な事かな、余り心よわい人ぢやに依つて、わざとおどいてやりました、何んぞよい役に、あたられたかしらぬまで、漸々祭りの渡る時分ぢや程に、人蔭から見物せうと思ひまする{ト云つて笛産にゐる笠をきて出るなり立衆出シカジカあり此間笛座にゐるなり}▲立頭「此辺りの者で御座る、今日は牛頭天王の、祇園会で御座る、何も同道致し祭を見物に参らうと存ずる、なうなう何れも御座るか▲立衆「是に居まする▲頭「今日はいついつより、目出度神事で御座る▲衆「仰せの通り目出度事で御座る▲頭「いざ参詣致しませう▲各「一段とよう御座らう▲頭「さあさあお出でなされい▲衆「心得ました▲頭「何んと思召す去年の神事を、きのふやけふの様に存じましたに、はや神事に成りました▲立衆「何れ月日のたつは、早いもので御座る▲衆二「光陰矢のごとしで御座る▲頭「いや何彼と申す内に参りつきました、いざ拝を致しませう▲各「一段とよう御座らう▲頭「何とおびたゞしい、参詣では御座らぬか▲衆「いづれおびたゞしい参詣で御座る▲頭「御祭礼の渡らせらるゝには間も御座らう、ちと森へ参つて、市を見物致しませう▲衆「是は一段とよう御座らう▲頭「あゝだしたりだしたり、是は何をもとめう共、儘で御座る▲衆「其通りで御座る▲頭「是は子供のもて遊びぢや雛張子▲衆二「土で作つたゑの子▲衆三「おきあがり小法師ふり鼓▲衆四「何をもとめうと儘で御座る▲頭「是は茶の湯の道具▲衆「風呂釜▲衆二「茶椀茶入れ▲衆三「水こぼし▲頭「見事な茶椀で御座る▲衆「いづれあの茶椀は望みで御座る▲頭「いやなうなう、最早御祭礼が渡らせらるゝやら、殊の外賑々敷う成りました▲衆「あれあれ神前の人を払ひまするは▲衆二「誠に間もないやら、笛太鼓の音がきこえまする▲頭「然らば間は御座るまい、此所で見物致しませう▲各「一段とよう御座らう{ト云つて脇座の方に立衆皆々ならびてゐる此時女も出て同脇座立頭の上にゐる{*2}下り鼓打出す橋がゝりにて打上}▲祭頭「祇園ばやしに▲同「祇園ばやしに、ふく笛の太鼓を負ひ、是程あせの出る我を心あらば見てとれ、此心あらば見てとれ{渡り拍子舞台を大廻りする其内太鼓を打シテ肝をつぶしびくびくする其内女を見て役をひけらかす心第一也渡り拍子の内別て仕ようあるべし口伝なりたいこうちあげ}▲頭「有難や▲同「有難や、今日の本のあきらけき、あまてる神のおしへとて人の心もすなほなる、みよの印の神まつり、神は人の敬ふによつて威をます、氏子繁昌長久と、はやす風流は面白やはやす風流はおもしろや{ト云ふ謡の留にて祭頭{*3}入違ひ舞人二人舞台へ出る見物の立衆皆々下にゐるシテ此内に太鼓を橋がゝりへおろす折々太鼓を打所肝要也}▲舞人「目出たかりける時とかや{太鼓打上}《上ノル》舞の袂も数々の舞の袂も数々の▲同「巌の上に鶴すめば、君ばんぜいと亀やすむ、松に幾千代よはひも久敷、竹のそのふのすゑ葉もさかゆる、神いさめの祭の儀式ぞ目出度けれ{ト云ふ内児舞台へ出ていやとこゑかけて拍子ふし出すかつこの笛吹出す児舞なり祭り立衆舞人太鼓打押ゑ皆々楽屋にいるシテも橋がゝり迄行かつこを打て見て跡へ戻るなり}▲シテ「はあ稚児がまはるゝ、よいやよいや、是はたまらぬ面白い{ト云つてうつる負たる太鼓を前へ直しかつこにして真似る手にてうつうれしがる内に水車して児は入るなり見送りはしりこぎしてシヤギリにとめると女謡出すなり}▲女「けうの風流の其内に、いち骨折と見えたるは、太鼓をおへる人やらん▲シテ「我のうなしといひけるが、今は太鼓の役なれば、悔しうや思ふらん▲女「何悔しうもあるべきぞ、のうしやにならせ給へば、もとのごとくに契るべし▲シテ「夫は誠か▲女「中々に▲二人「おへる太鼓の、うき契りもろ共に、いざ打ちつれて此太鼓、いざ打ちつれて此たいこ、同道してぞ帰りける▲女「なういとしい人こちへ御座れ▲シテ「心得た心得た。
校訂者注
1:「同敷は堪忍し内へよせいでな」は、底本のまま。
2:底本は、「上ゐにる」。
3:底本は、「立頭」。
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