児流鏑馬(ちごやぶさめ)(三番目 四番目)

▲シテ「当所に住居(すまひ)致す者でござる。今日(こんにち)は、この処の神事で、則ち、某(それがし)が当(たう)に当たつてござる。さりながら、一つ迷惑な事がござる。まづ、女共を呼び出し、談合致さうと存ずる。
{と云つて、女を呼び出す。女、出る。この類、同様。常の如くなり。}
▲シテ「今日、神事の当に当たつたに就いて、談合する事がある。まづ、かう通らしめ。
▲女「心元ない。何事でござるぞ。
▲シテ「お知りある通り、当人の役で児を出して、流鏑馬を射させる。内々、馬その外、道具などは用意したれども、児(ちご)がなうて、迷惑する。何としたものであらう。
▲女「これはいかな事。そなたはまづ、大胆な人ぢや。一年に一度ある、大事の祭の当に当たつて、今まで児がなうて、何となるものぢやぞいなう。
▲シテ「されば身共も、色々隣郷まで尋ねたれども、とかく、ないによつて、せう事がない。
▲女「ないと云うて、祭を渡さいでならうか。神の罰も当たらうず。その上、在所に人が措(お)かう{*1}と思はしますか。これといふも、そなたが常々大筈(おおはず)で、人中(ひとなか)を押し遣らぬによつて{*2}、この様な事ぢや。
▲シテ「何程世間を勤めて、常の行跡(ぎやうせき)が良くとも、ない児を出す事はなるまいぞ。
▲女「その心入れぢやによつて、児に事を欠かつしやる。余所(よそ)にも、児を持たぬ人は多けれども、見事、才覚して児を出して、今まで当を勤めたではないか。
▲シテ「それは、何とぞ女房が利発で、雇うて置いたものであらう。
▲女「その様な事を、恥づかしうもなうて云はします。女も男も、それぞれの役がある。縫ひ針に、そなたを頼むか。この様な事は、男の役でござるわいなう。
▲シテ「それはともあれ、祭は今日、只今になり、児はなし。何としたものであらう。
▲女「妾(わらは)が、何とするものでござる。そなたの心で分別せられい。
▲シテ「されば、身共は分別して置いた。おぬしさへ同心すれば、上々の児がある。
▲女「児さへ調(とゝの)ふ事ならば、どの様な事なりとも、合点せいではなりませうか。
▲シテ「されば、ざつと済んだ。とかく俄(には)かに、ない児は出されぬ。おぬし、児になつて、祭に渡つてくれさしめ。
▲女「なうなう、恐ろしや、恐ろしや。いつ神の前で、女が流鏑馬を射た事がござる。
▲シテ「それは、女と見えぬ様に、いかにも笠を深々と着せて出すによつて、そつとも苦しうない。
▲女「いかにさうあればとて、祭の児に女を似せて出すは、まづ、神様を騙す様なものぢやによつて、こち衆の冥加が良からうと思はつしやるか。妾は、その様な事は、聞くも恐ろしうござる。
▲シテ「扨々、合点の悪い事を云ふ。これ程難義してゐて、罰も利生(りしやう)も思はれた事か。どうしてなりとも、祭を勤めるが手柄ぢや。身共が頼む程に、児になつてたもれ。
▲女「これは、云うても云うても迷惑な事なれども、それ程に云はせらるゝ程に、どうなりともしませうが、あの乳飲み子は、何としませう。
▲シテ「誠にこれに困つた。何とせうぞ。随分前方(まへかた)に、乳を良う飲ませて置いて行かう。
▲女「いやいや。祭の渡る間(あひだ)は、久しい事でござる。置いては行かれますまい。
▲シテ「それならば、どうぞ見えぬ様に、懐(ふところ)に抱かしませ。
▲女「もし、馬から落ちたらば、乳飲み子が怪我をしませうぞや。
▲シテ「それは、馬の口を良うとらせう程に、落としはせまい。
▲女「それならば、妾は拵へませう。
▲シテ「扨、弓矢を押つ取り、流鏑馬の射様(いやう)は合点か。
▲女「それは、毎年の事ぢやによつて、良う覚えて居まする。
▲シテ「それは、一段ぢや。急いで拵へさしめ。
▲女「心得ました。
{と云つて、二人連れて、中入り。}
▲立頭「この辺りの者でござる、今日(こんにち)は、当所の神事でござる、例年、神前(しんぜん)において、流鏑馬の儀式がござる。例年、当人から児を出して、かの流鏑馬を児に射させるが、作法でござる。さりながら、これに奇特がござる。流鏑馬の当たつた年は、豊年なり。又、当たらぬ年は、必ず不吉があると、昔より申し習はしてござるによつて、当人は申すに及ばず、氏子たる者は、一在所ともに前広(まえひろ)から、身をも清め信をとつて、今日の祭礼を執り行ふ事でござる。則ち、神事過ぎて、いつも拝殿で造酒(みき)を頂くによつて、一在所ともに、流鏑馬の時分は神前へ参る事でござる。いまだ、時分も早うござれども、何(いづ)れも誘ひ合うて、そろりそろりと参らうと存ずる。誠に当年も、何事なう流鏑馬が当たれば、良うござるが。祭礼の過ぎるまでは、心の休まりにくい事でござる。何かと云ふ内に、これぢや。
{と云つて、案内乞ふ。立衆、出る。常の如し。}
まづ以て、今日の御神事、めでたうござる。
▲衆一「仰せの通り、めでたうござる。
▲頭「扨、時分は早うござれども、何(いづ)れをも誘ひ合うて、そろりそろりと参らうと存ずるが、何とござらう。
▲一「皆、その様に仰せられて、早(はや)、これに揃うてゐられまする。
▲頭「それは、一段でござる。追つ付け参りませう。
▲一「暫くお待ちなされ。何(いづ)れもへ、その通り申しませう。なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲各「これにをりまする。
▲一「誰殿が、誘ひに見えました。いざ、参りませう。
▲衆二「一段と良うござらう。さあさあ、皆、ござれ。
▲各「心得ました。
▲頭「何(いづ)れも、早う御出でござる。まづ以て今日(こんにち)は、互にめでたうござる。
▲各「その通りでござる。
▲頭「そろりそろりと森へ参つて、市を見物致して、その後、神前へ参りませう。
▲一「これは良うござらう。さあさあ、ござれ。
▲二「心得ました。
▲頭「何(いづ)れも、何と思し召す。いつもとは申しながら、御神事の節は、一在所中が参詣致すによつて、賑々(にぎにぎ)しい事ではござらぬか。
▲二「年々(ねんねん)の事なれども、御神事の節は、夥(おびたゞ)しい参詣でござる。
▲頭「何かと申す内に、森へ来ました。いざ、市の様子を見物致さう。
▲各「良うござらう。
▲頭「何と夥しい商ひ市ではござらぬか。
▲一「誠に、様々の店を出しました。
▲頭「これは、茶の湯の道具でござる。
▲一「誠に、風呂釜。
▲二「茶椀・茶入れ。
▲衆三「見事な茶入れでござる。
▲一「いづれ、あの茶入れが望みでござるわ。
▲頭「これこれ。こゝは、子供のもて遊びでござるわ。
▲衆「これは、土産に求めませう。
{もて遊び、立衆、分けて、代り代り云ふなり。「太鼓負」の通り。扨、武具・馬具の品、同断。}
▲頭「あれあれ。もはや、祭が渡るやら、いかう賑々しうなりました。
▲一「いやいや、まだでござらう。
▲二「いや、馬場先の人を払ひまする。
▲三「誠に、人が走りまする。
▲頭「当年は、いかう早うござる。
▲一「当人が、精を出されたものでござらう。
{と云ふ内に、幕を上げて、暫くあつて、幕をおろす。鏡の間にて云ふ。幕上げたる内なり。}
▲シテ「御馬が参る、御馬が参る。
▲白張「馬場退(の)け、馬場退(の)け。
▲シテ「当たりとな。
▲頭「早(はや)、流鏑馬が始まりました。
▲一「馬が、駈けまする。
▲二「矢が当たれば、良うござるが。
▲頭「あれあれ。当たりました、当たりました。
▲衆「扨も、めでたい事でござる。
▲シテ「御馬が参る、御馬が参る。
▲白張「馬場退(の)け、馬場退(の)け。
▲衆「おめでたうござる。
{この文句、立衆、しかじか云ふ内なり。}
▲シテ「さらば稚児、神前へ拝をさせられい。
{児、馬より下り、正面下にゐる。}
馬も曳いて、何(いづ)れも休息所へ行かしめ。
▲馬曳「心得ました。
{と云つて、的持ち、白張・馬曳、皆々内へ入る。児、脇座へ葛桶直し、腰かけさせるなり}
▲シテ「さあさあ、首尾良う済みました。児も、暫く休ませませう。
▲頭「扨々、御精が出まして、神事も、いついつより早うござる。その上、飾り物も中々きらびやかに、見事な御拵へで、第一、流鏑馬が当たりまして、一在所が、何程か喜びまする。
▲シテ「何(いづ)れもより、私の大慶を御推量なされて下され。
▲頭「まづ、稚児へ、いつもの通り拝殿で、造酒を頂かせませう。
▲シテ「まづ、お待ちなされ。児は、酒が一滴もなりませぬ。御無用でござる。
▲頭「酒のなるならぬは格別、嘉例の祝儀でござる。ちよつと頂かせませう。
▲シテ「酒のならぬ児に頂かせうより、名代(みやうだい)に私、何献でもたべませう。
▲頭「そなた参りたくば、いか程でも参れ。児には、造酒を頂かせねばなりませぬ。
▲シテ「それならば、あの笠を着せて置いて、頂かせませう。
▲頭「異な事を仰せらるゝ。まづ、例年の儀式を覚えさせられぬか。神事過ぎには、児を拝殿へ直し、一在所の者どもが、児に対面して一礼をも申す。その上、造酒を頂かせまする作法でござる。笠をとらせまいとは、どうした事でござるぞ。
▲シテ「これには様子がござる。御存じの通り、私、手前に児がないによつて、あの児は、雇うて参りましたが、顔を人に見せぬ事ならば雇はれう、と仰(お)せありましたによつて、成程、顔を人に見せぬ様にと約束して、雇ひました。今、笠をとらせては、気の毒でござる。これは、児の望みの通りにして下され。
▲頭「それは、愈々(いよいよ)そなたの不調法でござる。当年初めての事ではなし、毎年(まいねん)の事ぢやによつて、作法を知らぬとは云はれますまい。顔を見せる事のならぬ児を、雇はつしやつたが誤りぢや。とかく、所の例を欠く事はならぬ。いやでもおうでも、対面しまする。
▲シテ「やあら、聞き訳もない事を仰(お)せある。この上は、児が、笠を取つて対面せうと仰(お)せあつても、身共が笠をとらせまいが、何と召さる。
▲頭「推参千万な。何(いづ)れも押し寄せ、無体(むたい)に対面しませう。押し寄せさせられい。
▲一「心得ました。
{と云つて、右の肩を脱ぎ、杖竹を振り上げ、}
えいとう、えいとう。
▲シテ「稚児、ぬからせられな。
{と云つて、シテも肩脱ぎ、割竹を持つて出、防ぐ仕方、「米市」の通りなり。}
▲シテ「えいえい、おう。さうも、おりやるまい。
{と云つて、児の前にて仕様、「米市」の通り。}
▲頭「強いやつでござる。
▲一「その通りでござる。
▲頭「そなた衆、やはり、押し寄せさせられい。身共、後ろへ廻つて、あの笠を取りませう。
▲一「成程、心得ました。
{と云つて、又、押し寄せる。シテ、又防ぐ。立頭、後へ廻り、児の笠をとる。}
▲女「なう、悲しや。子が泣きまする。
▲頭「これは、女房ぢや。
▲シテ「南無三宝、顕れた。
▲頭「横着者。やるまいぞ、やるまいぞ。

校訂者注
 1:「在所に人が措(お)かうと思はしますか」は、「在所で他の人が大目に見るとお思いですか」というほどの意。
 2:「そなたが常々大筈(おおはず)で、人中(ひとなか)を押し遣らぬによつて」は、「あなたが普段からいい加減で、世間の事をろくに考えないものだから」というほどの意。

底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.

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児流鏑馬(チゴヤブサメ)(三番目 四番目)

▲シテ「当所に住居致す者で御座る、今日は此処の神事で、則ち某が当{*1}に当つて御座る、乍去一つ迷惑な事が御座る、先女共を呼出し、談合致さうと存ずる{ト云つて女を呼出す女出る此類同様如常なり}▲シテ「今日神事の当{*2}に当つたに就いて、談合する事がある、先かう通らしめ▲女「心許ない何事で御座るぞ▲シテ「おしりある通り当人{*3}の役で児を出して、やぶさめを射させる内々馬、其外道具抔は用意したれ共{*4}、児がなうて迷惑する、何とした者であらう▲女「是はいかな事、そなたは先だいたんな人ぢや、一年に一度ある大事の祭の当{*5}に当つて、今迄児がなうて何と成者ぢやぞいのう▲シテ「されば身共も、色々隣郷迄尋ねたれ共、兎角ないに依つて、せう事がない▲女「ないといふて{*6}祭りを渡さいでならうか、神の罰もあたらうず、其上在所に、人がおかうと思はしますか、是といふもそなたが常々大はづで、人中をおしやらぬに依つて、此様な事ぢや▲シテ「何程世間を勤めて、常の行跡がよく共、ない児を出す事はなるまいぞ▲女「其心入ぢやに依つて、児に事をかゝつしやる、余所にも、児をもたぬ人はおほけれ共、見事さいかくして児を出して、今まで当{*7}を勤めたではないか▲シテ「夫は何卒女房が利はつで、雇ふておいた者であらう▲女「其様な事をはづかしうもなうていはします、女も男も夫々の役がある、ぬい針にそなたを頼むか、此様な事は、男の役で御座るわいのう▲シテ「夫はともあれ、祭りは今日唯今になり、児はなし何とした者であらう▲女「わらはが何とする者で御座る、そなたの心で分別せられい▲シテ「されば身共は分別しておいた、おぬしさへ同心すれば上々の児がある▲女「児さへ調ふ事ならば、どの様な事なり共、合点せいではなりませうか▲シテ「さればざつとすんだ、兎角俄にない児は出されぬ、おぬし児になつて、祭りに渡つてくれさしめ▲女「なうなう恐ろしや恐ろしや、いつ神の前で、女が流鏑馬を射た事が御座る▲シテ「夫は女と見えぬ様に、いかにも笠をふかふかと、きせて出すに依つて、そつとも苦しうない▲女「いかにさうあればとて、祭りの児に女を似せて出すは、先神様をだます様な者ぢやに依つて、こち衆の冥加が、よからうと思はつしやるか、妾は其様な事は、きくも恐ろしう御座る▲シテ「扨々合点のわるい事をいふ、是程難義してゐて、罰も利生も思はれた事か、どうしてなりとも、祭りを勤めるが手柄ぢや、身共が頼む程に、児になつてたもれ▲女「是はいふてもいふても、迷惑な事なれ共、夫程にいはせらるゝ程に、どう成り共しませうが、あの乳呑子は何としませう▲シテ「誠に是に困つた何とせうぞ、随分前方に、乳をようのませて置て行かう▲女「いやいや祭りの渡る間は、久しい事で御座る、おいてはゆかれますまい▲シテ「夫ならばどうぞ見えぬ様にふところにだかしませ▲女「もし馬から落ちたらば、乳呑子が怪我をしませうぞや▲シテ「夫は馬の口をようとらせう程に落しはせまい▲女「夫ならば妾はこしらへませう▲シテ「扨弓矢を押取り{*8}流鏑馬の射やうは合点か▲女「夫は毎年の事ぢやに依つてよう覚えて居まする▲シテ「夫は一段ぢや、急いで拵へさしめ▲女「心得ました{ト云つて二人連て中入}▲立頭「此辺りの者で御座る、今日は当所の神事で御座る、例年神前において、流鏑馬の儀式が御座る、例年当人から児を出して、彼流鏑馬を児に射させるが作法で御座る、乍去是に奇特が御座る、流鏑馬のあたつた{*9}年は豊年なり、又あたらぬ年はかならずふきつがあると、昔より申しならはして御座るに依つて、当人は申すに不及、氏子たる者は一在所共に前広から身をも清め信をとつて、今日の祭礼を、執行う事で御座る、則ち神事過ぎて、毎も拝殿で、造酒をいたゞくに依つて、一在所共に流鏑馬の時分は神前へ参る事で御座る、いまだ時分も早う御座れ共、何も誘ひ合ふて、そろりそろりと参らうと存ずる、誠に当年も何事なう流鏑馬があたればよう御座るが、祭礼の過ぎる迄は、心の休まりにくい事で御座る、何かといふ内に是ぢや{ト云つて案内乞立衆{*10}出る如常}{*11}先以今日の御神事、目出たう御座る▲衆一{*12}「仰せの通り目出たう御座る▲頭「扨時分は早う御座れ共、何をも誘ひ合ふて、そろりそろりと参らうと存ずるが、何と御座らう▲一「皆其様に、仰せられて、早是に揃ふてゐられまする▲頭「夫は一段で御座る、追付け{*13}参りませう▲一「暫らくお待ちなされ、何もへ其通り申しませう、なうなう何も御座るか▲各「是にをりまする▲一「誰殿が誘ひに見えました、いざ参りませう▲衆二「一段とよう御座らう、さあさあ皆御座れ▲各「心得ました▲頭「何も早うお出で御座る、先以て今日は、互に目出たう御座る▲各「其通りで御座る▲頭「そろりそろりと森へ参つて、市を見物致して、其後神前へ参りませう▲一「是はよう御座らう、さあさあ御座れ▲二{*14}「心得ました▲頭「何も何と思召す、いつもとは申しながら、御神事の節は、一在所中が参詣致すに依つて、賑々敷事では御座らぬか▲二{*15}「年々の事なれ共、御神事の節は、おびたゞしい参詣で御座る▲頭「何かと申す内に森へ来ました、いざ市の様子を見物致さう▲各「よう御座らう▲頭「何とおびたゞしい商ひ市では御座らぬか▲一「誠に様々の店を出しました▲頭「是は茶の湯の道具で御座る▲一「誠に風呂釜▲二{*16}「茶椀茶入れ▲衆三「見事な茶入で御座る▲一「いづれあの茶入が望みで御座るわ▲頭「是々爰は子供のもて遊びで御座るわ▲衆「是はみやげにもとめませう{もてあそび立衆わけてかわりかわり云ふなり太鼓負の通り扨武具馬具のしな同断}▲頭「あれあれ最早祭りが渡るやらいかう賑々しう成りました▲一「いやいやまだで御座らう▲二{*17}「いや馬場先の人を払ひまする▲三{*18}「誠に人がはしりまする▲頭「当年はいかう早う御座る▲一「当人が精{*19}を出された者で御座らう{ト云ふ内に幕を上て暫く有つて幕をおろす鏡の間にて云ふ幕上たる内なり}▲シテ「お馬が参るお馬が参る▲白張「馬場のけ馬場のけ▲シテ「あたりとな、▲頭「早流鏑馬が始りました▲一「馬がかけまする▲二{*20}「矢があたればよう御座るが▲頭「あれあれ当りました当りました▲衆「扨も目出度い事で御座る▲シテ「お馬が参るお馬が参る▲白張「馬場のけ馬場のけ▲衆{*21}「お目出たう御座る{此文句立衆シカジカ云ふ内也}▲シテ「さらば稚児、神前へ拝をさせられい{児馬より下り正面下にいる}{*22}馬も曳いて何も休息所へゆかしめ▲馬曳「心得ました{ト云つて的持白張馬曳皆々内へ入る児ワキ座へ葛桶なをしこしかけさせるなり}▲シテ「さあさあ首尾よう済みました、児も暫く休ませませう▲頭「扨々お精{*23}が出まして、神事もいついつより早う御座る、其上かざり物も中々きらびやかに、見事なお拵へで{*24}、第一流鏑馬が当りまして、一在所が何程か喜びまする▲シテ「何もより私の大慶を、御推量被成て下され▲頭「先稚児へいつもの通り拝殿で、造酒をいたゞかせませう▲シテ「先お待ちなされ、児は酒が一てきも成りませぬ、御無用で御座る▲頭「酒のなるならぬは格別、嘉例の祝儀で御座る、ちよつといたゞかせませう▲シテ「酒のならぬ児にいたゞかせうより、名代に私何献でもたべませう▲頭「そなた参りたくばいか程でも参れ、児には造酒をいたゞかせねばなりませぬ▲シテ「夫ならばあの笠をきせておいていたゞかせませう▲頭「異な事を仰せらるゝ、先例年の儀式を覚えさせられぬか、神事過ぎには児を拝殿へ直し、一在所の者共が、児に対面して一礼をも申す、其上造酒を、いたゞかせまする作法で御座る、笠をとらせまいとは、どうした事で御座るぞ▲シテ「是には様子が御座る、御存じの通り私手前に児がないに依つて、あの児は雇ふて参りましたが、顔を人に見せぬ事ならば、雇はれうとおせありましたに依つて、成程顔を人に見せぬ様にと、約束して雇ひました、今笠をとらせては気の毒で御座る、是は児の望の通りにして下され▲頭「夫はいよいよそなたの不調法で御座る当年初めての事ではなし、毎年の事ぢやに依つて、作法をしらぬとはいはれますまい、顔を見せる事のならぬ児を、雇はつしやつた{*25}が誤ぢや、兎角所の例を欠く事はならぬ、いやでもおうでも対面しまする▲シテ「やあら聞訳もない事をおせある、此上は児が笠を取つて、対面せうとおせあつても、身共が笠をとらせまいが、何とめさる▲頭「すゐさん千万な、何も押寄せ、むたいに対面しませう、押寄せさせられい▲一「心得ました{ト云つて右の肩をぬぎ杖竹をふり上げ}{*26}えいとうえいとう▲シテ「稚児ぬからせられな{ト云つてシテも肩ぬぎ割竹を持て出ふせぐ仕方米市のとうりなり}{*27}▲シテ「えいえいおう、さうもおりやるまい{ト云つて児の前にて仕様米市の通り}▲頭「つよいやつで御座る▲一「其通りで御座る▲頭「そなた衆やはり押寄させられい、身共後へ廻つて、あの笠を取りませう▲一「成程心得ました{ト云つて又押寄るシテ又ふせぐ立頭後へまはり児の笠をとる}▲女「なうかなしや子がなきまする▲頭「是は女房ぢや▲シテ「南無三宝顕れた▲頭「横ちやく者{*28}やるまいぞやるまいぞ。

校訂者注
 1・2・5・7:底本は、「頭(とう)」。
 3:底本は、「用意した共」。
 4:底本は、「当人」。
 6:底本は、「ないといふは」。
 8:底本は、「弓矢を追取り」。
 9:底本は、「流鏑馬のあつた年は豊年なり」。
 10:底本は、「立出る如常」。
 11:底本は、「▲頭「先以今日の御神事」。
 12:底本は、「▲一」。
 13:底本は、「押付(おつゝ)け」。
 14~17・20:底本は、「▲衆二」。
 18:底本は、「▲衆三」。
 19・23:底本は、「情(せい)」。
 21:底本は、「▲立衆」。
 22:底本は、「▲シテ「馬も曳いて何も」。
 24:底本は、「お拵へて」。
 25:底本は、「雇はつしつた」。
 26:底本は、「▲一「えいとう」。
 27:底本は、「▲シテ「えい(二字以上の繰り返し記号)おう」。
 28:底本は、「大ちやく者」。