子盗人(こぬすびと)(二番目)
▲アト「なうなう。この御児(おこ)の様な、わゝしい御児はござらぬによつて、妾(わらは)が縫ひ針の徳がござらぬ。さりながら、今宵は良うおしづまつた程に、奥の間へ連れ申(ま)して行(い)て、およらしませう{*1}と思ひまする。
{と云つて、子を脇柱の四方二尺程の処に寝させ、女の掻取(かいどり)を人形に着せて置きて、}
嬉しや、嬉しや。やうやうと、おしづまつた。この間に、妾が用を調(とゝ)ねうと思ひまする。
▲シテ「この辺りに住居(すまひ)する者でござる。人の意見を聞かいで、ひたもの、勝負事を致してござれば、さんざん不仕合(ふしあはせ)で、金銀は申すに及ばず、家財まで打ち込うで、ぱらりさんとなつて、後へも先へも参らぬ。今一勝負して取り返さうにも、元手はなし。何と致さうと、昼夜分別致せども、さして変つた思案もござらぬ。又、近所に有徳(うとく)な人がござる。これへ今晩忍び入つて、何なりとも、道具を一色二色、案内なしに借りて参らうと存ずる。誠に、相撲の果ては喧嘩になり、勝負事の果ては盗みになると申すが、今、身の上に思ひ当たつた。何かと云ふ内に、これぢや。これは、この中(ぢゆう)普請をされたと見えて、中々厳しい事ぢや。これでは入れまい。さらば、裏へ廻つて見よう。裏もこの様な事ならば、気の毒ぢやが。いかなりとも、表程にはあるまいと存ずる。これこれ、表に似ぬ裏かな。この葭垣(よしがき)を越せば、あなたが坪の内ぢや。篤(とく)と普請の出来ぬ前ぢやによつて、葭垣が囲うてあると見えた。さらば、この葭垣を破らう。いや、これこれ。余程の穴がある。定めてこれは、犬が潜(くゞ)つた跡であらう。随分身をひそめて潜つたらば、潜られさうなものぢや。どうぞ、潜つて見う。
{と云つて、腹這ひして出る。仕様、口伝。}
やうやうと、潜つた。これさへ越せば、心安い。扨、この戸をあければ座敷ぢや。さらば、戸をあけう。ごろごろごろ。灯が点(とぼ)つてある。誰も起きてはゐぬかの。いやいや、人音もせぬ。扨は、有明を置かれたものであらう。よい肝をつぶした。何(いづ)れ、しつけぬ事は、うろたへるものぢや。その上、見付けられうばしやら、胸がだくだくする。まづ、そつと座敷へ入らう。これは、宵に客があつたと見えて、道具が取り散らかしてある。これは、茶の湯の道具ぢや。風炉・釜・茶碗・茶入。扨も、結構な道具ぢや。これは床(とこ)か。見事さうな掛け物ぢや。こゝに、小袖がある。この中(ぢゆう)、仕合(しあはせ)が悪いによつて、女共が衣類まで打ち込うで、殊の外不機嫌な。まづ、この小袖は、女共への土産に致さう。
{と云つて、小袖をとらんとして、肝をつぶし退(の)き、}
人が寝てゐる。大人かと思うたれば、小さい子を寝させて置いた。この人遠い所に、あの小さい子を何として、一人(ひとり)寝させて置いた事ぢや。定めてこれは、御乳(おちゝ)が、自分の用を調(とゝの)うと思うて、寝させて置いたものであらう。扨も扨も、良う寝入つて居るわ。色白な、鼻筋の押し通つた、美しい子ぢや。わあわあ。目をぽちりとあいた。なうなう、恐い者ではござらぬ。伯父ぢやぞや、伯父ぢやぞや。《笑》扨も扨も、良い子かな。なうなう、そなたを誰が、一人こゝに置いた。やあ、乳いがや。おゝ、御乳であらう。やれやれ。
{と云つて、笑ふ。}
扨々、いたいけや。何と、伯父が、ちと抱いて進ぜうか。あれあれ、抱かれうといふ事やら、手を出してゐる。どれどれ、抱きませう。さあ、ござれ。そりや、抱いた。何と、嬉しいやら、にこにこ笑ふわ、笑ふわ。
{と云つて、笑ふ。}
この様な気高い子はあるまい。そなたの様な子を持つた親の心は、さぞさぞ嬉しい事であらう。扨、何も芸はないか。塩の目はならぬか。をゝ、それが塩の目か。
{と云つて、笑ふ。}
かぶりかぶりはならぬか。伯父がして見せう。かぶりかぶり。《笑》扨々、芸者ぢや。序(つひで)に、あわゝ見ませう。あわゝ、あわゝ。
{と云つて、我も「あわゝ」をしつ。又、人形の口に手を当て、}
これはいかな事。大きい声をして笑うたによつて、機嫌が損ねた。わあ、貝を作る{*2}。これはどうやら、泣きさうな。どりやどりや。こすぐつて、機嫌を直さう。ぱくつ、ぱくつ、ぱくつ。そりやそりや、機嫌が直つた。扨も扨も、子供といふものは又、機嫌の直るも早い。肩へ上げて、少しすかさう。や、上い。ひよろん、ひよろん、ひよろんや。れろれろれろや。
{と云つて、誦(うた)つてゐる内に、女、一の松の辺りへ来て、}
▲アト「奥の座敷が騒がしい。何事ぢやぞ。なう、恐ろしや。盗人(ぬすびと)が入つた。申し申し、旦那様。盗人が入りました。ちやつと御出なされませ、御出なされませ。
▲小アト「何事ぢや、何事ぢや。
▲アト「盗人が入りました。
▲小アト「大勢か、大勢か。
▲アト「人数は知れませぬ。
▲小アト「やいやい。盗人が入つた。裏へも表へも人を廻せ。松明(たいまつ)を出せ、松明を出せ。やるまいぞ、やるまいぞ。
▲シテ「これは、聞きつけたさうな。
{と云ひつ。女、あせる。シテ、逃げんとす。小アト、太刀抜き、}
▲小アト「がつきめ、やらぬぞ。
{女、小アトを両の手にて止める。}
▲シテ「聊爾をなされな。盗人ではござらぬ。
▲小アト「おのれ、夜中(やちゆう)に人の内へ忍び入つて、盗人でないとは。
▲シテ「御座敷が綺麗なと承つて、見物に参りました。
▲小アト「まだぬかしをる。たつた、ひと討ちにせうぞ。
{シテ、子を抱き上げて、}
▲シテ「これこれ。そなたはいかう急(せ)かせらるゝが、これは、そなたの子ではないか。
▲小アト「身共が子ぢや。何として。
▲シテ「某(それがし)を切らつしやれば、この子も切られるが、大事ないか。
▲小アト「何の。その子供は、切り離して除(の)けようぞ。
▲アト「なう、悲しや。その御子を置いて、早う逃げいやい。
▲シテ「切つて良くば、そりや、お切りやれ。
{と云つて、子をさし出す。小アト、切らんとする。女、あせりて止める。その内、シテ、子を捨つる。}
そりや、切れ。
{と云つて逃げる。小アト、追ひ込み入るなり。アト、子を抱き、}
▲アト「扨も扨も、危ない事かな。さりながら、この御子の御寿命は、五百八拾年万々年を、めでたからうと思ひまする。なう、愛しい御子や。ちやつとござれ。
{と云つて、子を抱き入るなり。}
校訂者注
1:「およる」は、「寝る」意。
2:「貝を作る」は、「口を歪めて泣き顔をする」意。
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
子盗人(コヌスビト)(二番目)
▲アト「のうのう此お児の様な、わゝしいお児は御座らぬに依つて、妾がぬい針の徳が御座らぬ、去り乍ら、今宵はようおしづまつた程に、奥の間へつれましていておよらしませうと思ひまする{ト云つて子をわき柱の四方二尺程の処にねさせ女のかいどりを人形にきせておきて}{*1}嬉しや嬉しや、漸とおしづまつた、此間に妾が用を調ねうと思ひまする▲シテ「此辺りに住居する者で御座る、人の意見をきかいで、ひた物勝負事を致して御座れば、さんざん不仕合で、金銀は申すに及ばず、家財まで打込うで、ぱらりさん{*2}となつて後へも先へも参らぬ、今一勝負して取返さうにももとではなし、何と致さうと昼夜分別致せども、さしてかはつた思案も御座らぬ、又近所に有徳な人が御座る、是へ今晩忍び入つて、何成共道具を一色二色、案内なしにかりて参らうと存ずる、誠に相撲の果は喧嘩になり、勝負事の果は盗になると申すが今身の上に思ひ当つた、何彼といふ内に是ぢや、是は此中普請をされたと見えて、中々きびしい事ぢや、是でははいれまい、さらば裏へ廻つて見やう、裏も此様な事ならば気の毒ぢやが、いか成共表程にはあるまいと存ずる、是々表に似ぬ裏かな、此よし垣をこせばあなたが坪の内ぢや、とくと普請の出来ぬ前ぢやに依つて、よし垣がかこうてあると見えた、さらば此葭垣{*3}を破らう、いや是々余程の穴がある、定めて是は犬がくゞつた跡であらう、随分身をひそめてくゞつたらばくゞられさうな者ぢや、どうぞくゞつて見う{ト云つて腹ばいしてゞる仕様口伝}漸とくゞつた、是さへこせば心易い、扨此戸をあければ座敷ぢや、さらば戸を明けう、ごろごろごろ、灯がとぼつてある、誰もおきてはゐぬかの、いやいや人音もせぬ、扨は有明をおかれた物で有らう、よい肝をつぶした、何れしつけぬ事はうろたへる者ぢや、其上見付けられうばしやら{*4}、胸がだくだくする、先そつと座敷へ這入らう、是は宵に客があつたと見えて、道具が取散らかしてある、是は茶の湯の道具ぢや、風炉釜茶碗茶入、扨も結構な道具ぢや、是は床か、見事さうな掛物ぢや、爰に小袖がある、此中仕合がわるいに依つて、女共が衣類迄打込うで殊の外ふきげんな、先此小袖は女共への土産に致さう{ト云つて小袖をとらんとして肝をつぶしのき}人が寝てゐる、おとなかと思ふたれば、小さい子をねさせておいた、此人遠い所に、あの小さい子を何として、独り寝させて置いた事ぢや、定めて是はお乳が自分の用を調うと思ふて、寝させておいた者であらう、扨も扨もよう寝入つて居るわ、色白な鼻筋の押通つた美しい子ぢや、わあわあ目をぽちりとあいた、のうのうこはい者では御座らぬ、伯父ぢやぞや伯父ぢやぞや《笑》扨も扨もよい子かなのうのうそなたを誰が一人爰においた、ヤア乳イがや、おゝお乳であらう、やれやれ{ト云つて笑ふ}扨々いたいけや、何と伯父がちとだいて進ぜうか、あれあれだかれうと云ふ事やら手を出してゐる、どれどれだきませうさあ御座れ、そりやだいた、何とうれしいやらにこにこ笑ふわ笑ふわ{ト云つて笑ふ}此様な気高い子はあるまい、そなたの様な子をもつた親の心は嘸々嬉しい事であらう、扨何も芸はないか、塩の目はならぬか、ヲゝ夫が塩の目か{ト云つて笑ふ}かぶりかぶりはならぬか、伯父がして見せう、かぶりかぶり《笑》{*5}扨々芸者ぢや、つひでにあわゝ見ませうあわゝあわゝ{ト云つてわれもあわゝをしつ亦人形の口に手をあて}是はいかな事、大きい声をして笑ふたに依つて、機嫌がそこねた、わあかいをつくる、是はどうやら泣きさうな、どりやどりやこすぐつて機嫌を直さう、ぱくつぱくつぱくつそりやそりや機嫌が直つた、扨も扨も子供と云ふ者は、又機嫌の直るも早い、肩へあげてすこしすかさう、ヤウエイひよろんひよろんひよろんや、れろれろれろや{ト云つて誦つてゐる内に女一の松のあたりへきて}▲アト「奥の座敷がさはがしい何事ぢやぞ、のうおそろしや盗人がはいつた、申々旦那様盗人がはいりました、ちやつとお出被成ませお出被成ませ▲小アト「何事ぢや何事ぢや▲アト「盗人がはいりました▲小アト「大勢か大勢か▲アト「人数は知れませぬ▲小アト「やいやい盗人がはいつた、裏へも表へも人をまはせ、たいまつを出せたいまつを出せ、やるまいぞやるまいぞ▲シテ「是は聞つけたさうな{ト云つ女あせるシテにげんとす小アト太刀抜}▲小アト「がつきめやらぬぞ{女小アトを両の手にてとめる}▲シテ「りようじをなされな盗人では御座らぬ▲小アト「おのれ夜中に人の内へ忍び入つて盗人でないとは▲シテ「御座敷がきれいなと承つて見物に参りました▲小アト「まだぬかしをる、たつた一と討にせうぞ{シテ子をだき上げて}▲シテ「是々そなたはいかうせかせらるゝが、是はそなたの子ではないか▲小アト「身共が子ぢや、何として▲シテ「某をきらつしやれば、此子もきられるが大事ないか▲小アト「何の其子供は切はなしてのけやうぞ▲アト「のうかなしや其お子をおいて早う逃げいやい▲シテ「切つてよくばそりやおきりやれ{ト云つて子をさし出す小アト{*6}切らんとする女あせりてとめる其内シテ子を捨る}{*7}そりや切れ{ト云てにげる小アト追込入るなりアト子をいだき}▲アト「扨も扨もあぶない事かな、去り乍ら此お子の御寿命は五百八拾年万々年を目出たからうと思ひまする、のういとしいお子やちやつと御座れ{ト云て子をだき入なり}
校訂者注
1:底本は、「▲アト「嬉しや嬉しや、漸と」。
2:底本は、「はらりさん」。
2:底本は、「はらりさん」。
3:底本は、「葮垣」。
4:底本は、「見付けられうはしやら」。
5:底本は、「かぶりかぶり笑ふ」。
6:底本は、「小あと」。
7:底本は、「▲シテ「そりや切れ」。
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