伊文字(いもんじ)(二番目)
▲アト「これは、この辺りの者でござる。某(それがし)、未だ定まる妻がござらぬ。又、清水の観世音は、霊験あらたにござるによつて、参詣致し、申し妻を致さうと存ずる。
{と云つて、呼び出す。出るも常の如し。}
そちが知る通り、未だ定まる妻がない。それについて、清水の観世音へ、申し妻に参らうと思ふが、何とあらう。
▲小アト「何(いづ)れ、左様の事なりともなされて、早う奥様をまうけさせられたらば、良うござりませう。
▲アト「身共もさう思ふ事ぢや。さりながら、この様の事を広う沙汰するは、いかゞぢや。汝一人、供をせい。
▲小アト「畏つてござる。
▲アト「さあさあ、来い来い。
▲小アト「はあ。
▲アト「扨、何と思ふ。世間に、あるは嫌なり思ふはならず。とやら云ふが、何とぞ観世音の御蔭を以て、似合(にあは)しい妻を授けて下さるれば良いが。
▲小アト「何が扨、信心に御祈誓なされたらば、御利生のないと申す事はござりますまい。
▲アト「何かと云ふ内に、清水ぢや。
▲小アト「誠に、お参り着きなされてござる。
▲アト「まづ、御前(おまへ)へ向かはう。
▲小アト「一段と良うござりませう。
▲アト「じやぐわんじやぐわん。
{と云つて、鰐口を叩く体(てい)なり。}
私、只今参る事、余の義でござらぬ。未だ定まる妻がござらぬ。何とぞ観世音の御蔭を以て、似合(にあは)しい妻をお授けなされて下されい。南無観世音、南無観世音。今宵はこれに籠らう。汝も、それでまどろめ。
▲小アト「畏つてござる。
▲アト「はあはあ。あら、ありがたや。扨も扨も、あらたな御霊夢を蒙つた。やい。太郎冠者、太郎冠者。
▲小アト「はあ。
▲アト「暫く睡眠(すいめん)の内に、あらたな御霊夢を蒙つた。
▲小アト「それは、いかやうの御夢相でござる。
▲アト「西門(さいもん)の一のきざ橋に立つたを、汝が妻に定めよ。との事ぢや。何と、ありがたい事ではないか。
▲小アト「扨々、それは、おめでたい事でござる。
▲アト「いざ、西門へ行かう。さあさあ、来い来い。
▲小アト「畏つてござる。
▲アト「何と、神仏(かみほとけ)の御事を、あだおろそかに存ぜう事ではない。この様な事ならば、前々から参れば良かつたものをなあ。
▲小アト「何(いづ)れ、ちと御油断でござりました。
{しかじかの内に、女、一の松へ出る。}
▲アト「いや。何かと云ふ内に、西門ぢや。
▲小アト「誠に、西門でござる。
▲アト「扨、御夢相の妻は、どれにござる事ぢやぞ。
▲小アト「何(いづ)れ、どれにござりまするぞ。
▲アト「やいやい、あれではないか。
▲小アト「いかさま、あれでござりませう。
▲アト「汝、行(い)て尋ねて来い。
▲小アト「畏つてござる。申し申し。それにお立ちなされたは、御夢相の方ではござりませぬか。
{女、二つうなづく。小アト、笑ふ。}
申し申し。御夢相の御方かと申してござれば。
{「うゝ」と云つて、二人笑ふ。}
▲アト「扨も扨も、嬉しい事かな。それならば、追つ付け、御迎ひを進じませう。御所(おところ)はどこでござる。と云うて問へ。
▲小アト「畏つてござる。追つ付け、御迎ひを上げませうが、御所はどこでござる。
▲女「《上》{*1}恋しくば訪うても来ませ伊勢の国、伊勢寺本に住むぞ妾(わらは)は。
{と云つて、楽屋へ入るなり。}
▲小アト「あゝ、これこれ。申し申し。
▲アト「やい、太郎冠者。止めませい。
▲小アト「これはいかなこと。ついと行かせられた。扨々、気の毒な事ぢや。
▲アト「扨々、苦々しい。なぜに留めなんだ。
▲小アト「留めましたれども、ついとお帰りなされました。
▲アト「して、何とやら、仰せられたではなかつたか。
▲小アト「されば、それも、恋しくはとうてもきませ、い。とまでは、確かに承りましたが、後(あと)は、ぐぢぐぢと仰せられて、聞こえませなんだ。
▲アト「扨々、気の毒な事ぢや。まづこれは、何としたものであらう。
▲小アト「私の存じまするは、これは定めて、歌の上の句でござらうによつて、此所(こゝ)に関を立てゝ、往来の人を留めて、この下の句を継がせうと存じまするが、何とござらう。
▲アト「これは一段と良からう。さりながら、天下治まりめでたい御代に、新関(しんせき)は、いらぬものではないか。
▲小アト「いや。これは、鳥目をとらぬ歌関(うたせき)でござるによつて、そつとも苦しうござらぬ。
▲アト「これは、尤ぢや。それならば、急いで関を立てい。
▲小アト「畏つてござる。御腰をかけさせられい。
{と云つて、関を立つる心にて、アト、葛桶に腰かけ、葛帯を二人引つ張りてゐる。}
▲シテ「急ぎの使ひに参る者でござる。誠に、主命とは申せども、奉公程、辛労なものはござらぬ。毎日毎日、方々(はうばう)へ参る事でござる。
▲二人「やあ。関ぢや、関ぢや。
▲シテ「何ぢや。関ぢや。
▲小アト「中々。
▲シテ「いや、こゝなものが。天下治まりめでたい御代なれば、国々の関をも上げさせらるゝ折からに、新関を立つるは、どうした事ぢや。
▲小アト「不審、尤ぢや。さりながらこれは、鳥目を取らぬ歌関(うたせき)でおりやる。
▲シテ「まづ、安堵した。扨、その様子はどうした事ぢや。
▲小アト「これにござるは、某が頼うだ御方ぢや。未だ定まる御奥様(おかみさま)がないによつて、清水の観世音へ申し妻をなされたれば、西門の一のきざ橋に立たせられたを汝が妻に定めよ。とあらたに御夢相を蒙らせられた。西門へ来て見たれば、案の如く、御夢相の御奥様(おかみさま)がござつたによつて、お迎ひを上げませうがお所は、と問うたれば、恋しくばとうてもきませ、い。とまでは聞いたれども、その後(あと)はぐぢぐぢと仰せられて、え聞かせなんだ。大方これは歌の上の句であらうによつて、この下の句を継がせむがための関でおりやる。
▲シテ「して、その使ひは誰がした。
▲小アト「身共がした。
▲シテ「《笑》使ひをしたおぬしさへ知らぬもの、身共が知らうようがない。その上、身共は急ぎの使ひに行く者ぢや。通さしめ。
▲小アト「いかないかな。先へと云うては、一寸(ちよつと)も通さぬ。
▲アト「通すな、通すな。
▲シテ「それならば、後へ戻らう。
▲小アト「いやいや。後へも戻さぬ。
▲シテ「下に居よう。
▲小アト「下にも置かぬ。つけて通らしめ。
▲シテ「何ぢや。下にも置かぬ。
▲小アト「中々。
▲シテ「扨も扨も、迷惑な所へ来かゝつた。是非に及ばぬ。それならば、つけて見ようか。
▲小アト「早う付けておくりやれ。
▲シテ「今のは、何とやら云ふ事ぢやの。
▲小アト「恋しくばとうても来ませ、伊。
▲シテ「これはもし、伊の字のついた国ではあるまいか。
▲小アト「大方、その様な事でもあらうか。
▲シテ「それならば、伊の字のついた国を、一つ二つ云はう程に、それならそれと、答へさしませ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「まづ、関をも上げさしめ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「《カゝル》{*2}思ひもよらぬ関守に、思ひもよらぬ関守に、仲人するぞ可笑しき。
▲二人「可笑しき。
▲シテ「伊の字のついた国の名、国の名。
{と云つて、これより拍子・仕舞ひ色々、口伝・仕様あり。いの字のついた国を段々云ふなり。}
▲二人「それにても候はず。思ひもよらぬ国の名。
{と云つて、国の名二つ程あつて、}
▲シテ「伊の字のついた国の名ならば、伊勢の国の事かとよ。
▲小アト「それであつた、それであつた。
▲シテ「まづ、吟じて見さしめ。
▲小アト「心得た。
▲二人「恋しくば、とうても来ませ、伊勢の国、伊《引》。
▲小アト「また、伊でつまつた。
▲シテ「何ぢや。また伊でつまつた。
▲小アト「中々。
▲シテ「知れた、知れた。その様に、伊を引いてつまるならば、灯心引(とうしんひ)き{*3}の娘であらう。
{小シテ、「しいしい」と云ひ、シテ、口をふさぐ。}
今のは、ふと云ひ当てゝ、そなたの仕合(しあは)せ。この次は、後(あと)から来る者に継がさしめ。身共は行くぞ。
▲小アト「あゝ、これこれ。せつかくこれまで付けておくりやつた事ぢや。とてもの事に、この後(あと)も継いでおくりやれ。
▲シテ「これは迷惑な事ぢや。それならば、国には必ず里の付くものぢや。今度は、伊の字のついた里を、一つ二つ云はう。これも、それならそれと、答へさしませ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「伊の字のついた里の名、里の名。
▲二人「伊の字のついた里の名、里の名。
▲シテ「伊の字のついた里ならば、井村の里の事ならむ。
▲二人「それにても候はず。思ひもよらぬ里の名。
{シテ、「伊の字の付いた」を拍子にのりて云ひ、初めの通りの心なり。思ひ出す所の仕舞ひ、色々面白くする。「伊の本の事かの」と云ひ、「それにても候はず」と云ひ、前の通り。口伝なり。}
▲シテ「神変や、奇特や。希代・不思議。里の名。
{と云つて、拍子、色々あつて、}
▲シテ「伊勢寺本の事かとよ。
▲小アト「おゝ。さうであつた、さうであつた。
▲シテ「嬉しや、嬉しや。まづ、吟じて見さしめ。
▲二人「心得た。{*4}恋しくば、訪うても来ませ、伊勢の国、伊勢寺本に、住むぞわらはゝ。
▲小アト「かうであつた。
▲シテ「いかにやいかに、関守。さらば、暇申さん。
▲二人「あら、名残惜しや。
▲シテ「こなたも名残惜しけれど、あの日を御覧(ごら)うぜ。
▲二人「{*5}山の端にかゝつた。
▲シテ「めいめいざらり、ざらりざらりと、梅はほろりと落つるとも、鞠は枝に留(と)まつた。留まつた留まつた。留まり留まり留まつた。トツトツトイヤ。
{と云つて、拍子にて留むるなり。シテ、先へ入る。その次は、主・太郎冠者、入るなり。}
校訂者注
1:底本、「恋しくば、とうてもきませ伊勢の国、伊勢寺もとに、住むぞわらはゝ」に、傍点がある。
2:底本、ここから「(▲二人「)をかしき」まで、傍点がある。
3:底本、「恋しくば、とうても来ませ伊勢の国、伊勢寺本に住むぞわらはゝ」に、傍点がある。
4:底本、ここから「とまり(二字以上の繰り返し記号)とまつた」まで、傍点がある。
5:「灯心引(とうしんひ)き」は、 藺草(いぐさ)から灯心を作る職人。
校訂者注
底本:『和泉流狂言大成 第二巻』(山脇和泉著 1917年刊 国会図書館D.C.)
伊文字(イモンジ)(二番目)
▲アト「是は此辺りの者で御座る、某未だ定る妻が御座らぬ、又清水の観世音は、霊験{*1}あらたに御座るに依つて、参詣致し申し妻を致さうと存ずる{ト云つて呼出す出るも如常}{*2}そちが知る通り未だ定る妻がない、夫について清水の観世音へ、申し妻に参らうと思ふが、何と有らう▲小アト「何れ左様の事なり共被成て、早う奥様をまうけさせられたらば、よう御座りませう▲アト「身共もさう思ふ事ぢや、去ながら此様の事を、広う沙汰するは如何ぢや、汝一人供をせい▲小アト「畏つて御座る▲アト「さあさあこいこい▲小アト「ハア▲アト「扨何と思ふ、世間にあるはいやなり、思ふはならずとやらいふが何卒観世音のお蔭をもつて、似合しい妻をさずけて下さるればよいが▲小アト「何が扨、信心に御祈誓なされたらば、御利生のないと申す事は御座りますまい▲アト「何かといふ内に清水ぢや▲小アト「誠にお参りつき被成て御座る▲アト「先御まへへむかはう▲小アト「一段とよう御座りませう▲アト「じやぐわんじやぐわん{ト云つてわに口をたゝく体也}{*3}私唯今参る事余の義で御座らぬ、未だ定る妻が御座らぬ、何卒観世音のお蔭を以て、似合しい妻をおさづけ被成て下されい、南無観世音々々、今宵は是に籠らう、汝も夫でまどろめ▲小アト「畏つて御座る▲アト「ハアハア、荒有難や、扨も扨も、あらたな御霊夢を蒙つた、やい太郎冠者々々▲小アト「ハア▲アト「暫くすゐめんの内に、あらたな御霊夢を蒙つた▲小アト「夫れは如何様の御夢相で御座る▲アト「西門の一のきざ橋に立つたを、汝が妻に定めよとの事ぢや、何と有難い事ではないか▲小アト「扨々夫れは御目出たい事で御座る▲アト「いざ西門へ行かう、さあさあこいこい▲小アト「畏つて御座る▲アト「何と神仏の御事を、あだおろそかに存ぜう事ではない、此様な事ならば、前々から参ればよかつた者をなあ▲小アト「何れちと御油断で御座りました{シカジカの内に女一の松へ出る}▲アト「いや何かといふ内に西門ぢや▲小アト「誠に西門で御座る▲アト「扨御夢相の妻はどれに御座る事ぢやぞ▲小アト「何れどれに御座りまするぞ▲アト「やいやいあれではないか、▲小アト{*4}「いか様あれで御座りませう▲アト「汝いて尋ねてこい▲小アト「畏つて御座る、申し申し、夫に御立被成たは、御夢相の方では御座りませぬか{女二つうなづく小アト笑ふ{*5}}{*6}申し申し、御夢相のお方かと申して御座れば{ウゝと云つて二人笑ふ}▲アト「扨も扨も嬉しい事かな、夫ならば追付御迎ひを進じませう、お所はどこで御座ると云ふてとへ▲小アト「畏つて御座る、追付お迎ひを上げませうが、お所はどこで御座る▲女「《上》恋しくば、とうてもきませ伊勢の国、伊勢寺もとに、住むぞわらはゝ{ト云つて楽屋へ入るなり}▲小アト「あゝ是々申し申し▲アト「やい太郎冠者とめませい▲小アト「是はいかなこと、ついと行かせられた、扨々気の毒な事ぢや▲アト「扨々にがにがしい、なぜに留めなむだ▲小アト「留めましたれども、ついとお帰りなされました▲アト「して何とやら仰せられたではなかつたか▲小アト「されば夫も、恋しくはとうてもきませいと迄は、慥に承はりましたが、跡はぐぢぐぢと仰せられてきこえませなむだ▲アト「扨々気の毒な事ぢや、先是は何としたもので有らう▲小アト「私の存じまするは、是は定めて歌の上の句で御座らうに依つて、此所に関をたてゝ、往来の人を留めて、此下の句をつがせうと存じまするが、何と御座らう▲アト「是は一段とよからう、去ながら天下納り目出たい御代に、新関はいらぬ物ではないか▲小アト「いや是は鳥目をとらぬ歌関で御座るに依つて、卒つ都も苦しう御座らぬ▲アト「是は尤もぢや、夫れならば急いで関を立てい▲小アト「畏つて御座る、お腰をかけさせられい{ト云つて関を立る心にてアト葛桶に腰かけ葛帯を二人ひつぱりてゐる}▲シテ「急ぎの使に参る者で御座る、誠に主命とは申せ共、奉公程辛労な者は御座らぬ、毎日々々方々へ参る事で御座る▲二人「やあ関ぢや関ぢや▲シテ「何んぢや関ぢや▲小アト「中々▲シテ「いや爰な者が、天下納まり目出度い御代なれば、国々の関をも上させらるゝ折からに、新関を立つるは、どうした事ぢや▲小アト「不審尤もぢや、去ながら是は鳥目を取らぬ歌関でおりやる▲シテ「先安堵した、扨其様子はどうした事ぢや▲小アト「是に御座るは某が頼うだ御方ぢや、未だ定る御奥様がないに依つて、清水の観世音へ、申し妻を被成たれば、西門の一のきざ橋に、立たせられたを、汝が妻に定めよと、あらたに御夢相を蒙らせられた、西門へ来て見たれば、案の如く、御夢相のお奥様が御座つたに依つて、お迎ひを上げませうが、お所はと問ふたれば、恋しくばとうてもきませい、と迄はきいたれども、其後はぐぢぐぢと仰せられて、得きかせなむだ、大方是は歌の上の句であらうに依つて、此の下の句をつがせむが為の関でおりやる▲シテ「して其使は誰がした▲小アト「身共がした▲シテ「《笑》使をしたおぬしさへ知らぬもの、身共が知らうようがない、其上身共は急ぎの使にゆく者ぢや、通さしめ▲小アト「いかな々々、先きへと云ふては一寸も通さぬ▲アト「通すな通すな▲シテ「夫ならば後へ戻らう▲小アト「いやいや後へも戻さぬ▲シテ「下に居よう▲小アト「下にも置かぬ、つけて通らしめ▲シテ「何ぢや下にも置かぬ▲小アト「中々▲シテ「扨も扨も迷惑な所へ来かゝつた、是非に及ばぬ、夫ならばつけて見ようか▲小アト「早う付けておくりやれ▲シテ「今のは何とやらいふ事ぢやの▲小アト「恋しくばとふても来ませ伊▲シテ「是はもし伊の字のついた国では有まいか▲小アト「大方其様な事でも有らうか▲シテ「夫ならば伊の字のついた国を、一つ二ついはう程に、夫ならそれとこたへさしませ▲小アト「心得た▲シテ「先関をも上げさしめ▲小アト「心得た▲シテ「《カゝル》思ひもよらぬ関守に思ひもよらぬ関守に、仲人するぞおかしき▲二人「をかしき▲シテ「伊の字のついた国の名々{ト云つて是より拍子仕舞色々口伝仕様ありいの字のついた国を段々いふなり}▲二人「夫にても候はず、思ひもよらぬ国の名{と云つて国の名二つ程あつて}▲シテ「伊の字のついた国の名ならば、伊勢の国の事かとよ▲小アト「夫れであつた夫れであつた▲シテ「先吟じて見さしめ▲小アト「心得た▲二人「恋しくば、とふても来ませ伊勢の国伊《引》{*7}▲小アト「また伊でつまつた▲シテ「何ぢやまた伊でつまつた▲小アト「中々▲シテ「しれたしれた、其様に伊をひいてつまるならば、とうしんひき{*8}の娘であらう{小シテシイシイと云ひシテ口をふさぐ}{*9}今のはふといひあてゝ、そなたの仕合せ、此次は跡から来る者に継がさしめ、身共はゆくぞ▲小アト「あゝ是々せつかく是迄付けておくりやつた事ぢや、迚もの事に、此後もついでおくりやれ▲シテ「是は迷惑な事ぢや、夫ならば国には必らず里の付く者ぢや、今度は伊の字のついた里を一つ二ついはう、是も夫れなら夫れとこたへさしませ▲小アト「心得た▲シテ「伊の字のついた里の名里の名▲二人「伊の字のついた里の名里の名▲シテ「伊の字のついた里ならば、井村の里の事ならむ▲二人「夫にても候はず、思ひもよらぬ里の名{シテ伊の字の{10*}付たを拍子にのりて云ひ初めの通りの心なり思ひ出す所の仕舞色々面白くする伊の本の事かのと云ひ夫にても候はずと云ひ前の通り口伝なり}▲シテ「神変や奇特や、希代不思議、里の名{ト云つて拍子色々有つて}▲シテ「伊勢寺本の事かとよ▲小アト「おゝさうであつたさうであつた▲シテ「嬉しや嬉しや、先吟じて見さしめ▲二人「心得た、恋しくば、とうても来ませ伊勢の国、伊勢寺本に住むぞわらはゝ▲小アト「かうであつた▲シテ「いかにやいかに関守、さらば暇申さん▲二人「荒名残おしや▲シテ「こなたも名残おしけれどあの日を御覧うぜ▲二人「山の端にかゝつた▲シテ「めいめいざらり、ざらりざらりと、梅はほろりとおつるとも、鞠は枝にとまつた、とまつたとまつた、とまりとまりとまつた、トツトツトイヤ{ト云つて拍子にて留るなりシテ先へ入る其次は主太郎冠者入るなり}
校訂者注
1:底本は、「霊現(れいげん)」。
2:底本は、「▲アト「そちが知る通り」。
3:底本は、「▲アト「私唯今参る事」。
4:底本、ここに「▲小アト「」はない。
5:底本は、「▲女「{二つうなづく小アト笑ふ}」。
6:底本は、「▲アト「申し申し」。
7:底本は、「伊勢の国伊引」。
8:底本は、「どうしんひきの娘」。
9:底本は、「▲シテ「今のはふといひあてゝ」。
10:底本は、「シテ伊の字付たを」。
コメント