柑子俵(かうじたはら)(二番目 三番目)

▲シテ「これは、都方(みやこがた)に住居(すまひ)致す柑子買(かうじかひ)でござる。何かと申す内に、早(はや)年の暮れになつてござる。いつも丹波へ参り、柑子を買ひ集めて、扨、都の町へ出して商売を致す。やうやう例年の時分でござるによつて、参らうと存ずる。誠に、山坂を越えて渡世致すも、辛労にはござれども、年々(としどし)かやうの商売を致すに付いて、今更外の事も存ぜず、この様に足手を運ぶ事でござる。何かと申す内に、丹波の山家(やまが)へ着いた。則ち、この家にも柑子を求めて置いた。まづ、案内を乞はう。
{と云つて、案内乞ふ。出るも常の如し。}
▲アト「これは、早う御下りあつたなう。
▲シテ「正月も段々近づいたによつて、柑子を取りに来ました。
▲アト「いつもよりは、殊の外早うおりあるぞや。
▲シテ「先へ寄れば、雪も恐ろしいによつて、ちと早う来ました。
▲アト「これは、尤でおりある。
▲シテ「扨、柑子の代銀を、先(せん)だつて下しておりあるが、定めて受け取らつしやれたであらう。
▲アト「成程、代物(だいもつ)は、たしかに受け取りました。
▲シテ「扨、柑子を俵へ入れて置いておくりあつたか。
▲アト「いや。まだ、その儘でおりある。
▲シテ「それならば、もそつと奥へ行(い)て来ませう程に、その間に、柑子をいつもの様に、俵へ入れて置いておくれあれ。
▲アト「成程、良い様にして置きませうぞ。
▲シテ「それならば、行(い)て来ませう。
▲アト「行(い)てござれ。
▲シテ「心得ました。
{と云つて、シテ、楽屋へ入るなり。}
▲アト「これはいかな事。先(せん)だつて、あの者へ売つた柑子をば、又、外に欲しいと云うた程に、幸ひ、代物の入り用もあり、値段も良かつたによつて、又売りを致し、あの者へは、何とぞ他で柑子を才覚して渡さうと存ずる内、思ひの外早う参つたによつて、差し当たつて致し様がござらぬ。何とせうぞ。いや、思ひ出した事がある。かな法師あるか。
{と云つて、呼び出す。出るも常の如し。}
汝を呼び出すは、別の事でもない。何とそなたは、親の云ふ事は、何事によらずお聞きあらうなう。
▲小アト「今めかしい事を仰せらるゝ。子として、親の云ふ事を背くといふ事がござらうぞ。何なりとも承りませう。
▲アト「尤でこそあれ。近頃、親子の間で云ひにくい事なれども、そちを頼む事がある。いつも来る柑子買ひに、当年も柑子を約束して、早(はや)代物まで受け取つた。さりながら、その売つて置いた柑子を又売りして、今、柑子がない。かの柑子買ひが、追つ付け取りに来る筈ぢやによつて、そなたを俵の内へ入れてやらうず。何とぞ、路次で柑子が化けた体(てい)にもてなし、きやつを嚇(おど)して、逃げて戻つておくれあれ。これを頼まうといふ事ぢや。
▲小アト「人を騙すは科(とが)になると、寺の御師匠の仰せられた事なれども、親のためになる事なれば、参りませう。
▲アト「近頃満足した。それならば、拵へをせう程に、これへ寄らしめ。
▲小アト「心得ました。
{と云つて、二人、大小の前にて肩衣取り、鬼頭巾・武悪の面着せ、俵の内へ入れるなり。}
▲アト「扨、追つ付け柑子買ひが来たらば、渡す程に、云ふまでもないが、随分見付けられぬ様に、首尾良うしおほせて戻らしめ。
▲小アト「畏つてござる。
▲アト「又、身共も、良い時分に迎ひに行かうぞ。
▲小アト「それは忝うござる。
▲シテ「扨も扨も、今年の様な、思ふ儘な暮れはない。買ひ集めて置いた柑子は、荷物にして皆、馬につけて登した。今一俵は、某(それがし)が背負うて上れば、辛労にはあれども、寒さを凌いで結句温かにあらうと存ずる。都へ上つて、仕合(しあは)せを致さうと存ずる。何かと云ふ内に、戻つた。なうなう。亭主、ござるか。
▲アト「これは、戻らつしやれたか。
▲シテ「今、戻りました。
▲アト「御苦労でござる。
▲シテ「何と、柑子を俵へ入れて置いておくれあつたか。
▲アト「成程、良い様に認(したゝ)めて置いた。
▲シテ「これへ出しておくれあれ。
▲アト「心得た。ゑいゑいゑい。
▲シテ「おゝ。これは、いかい世話でおりある。扨、何と、数も約束の通りあるか。
▲アト「成程、数も調べて置いた。
▲シテ「して、腐りはないか。
▲アト「いかないかな。一つも傷はない。
▲シテ「ちと、口をあけて見ようか。
▲アト「あゝ、これこれ。いつも売る物に、何のその様な麁末(そまつ)な事をせう。その上、縄までかけて置いた程に、もはや、いらはしますな。もし又、腐りがあつたらば、後で聞かうぞ。
▲シテ「何(いづ)れ、今年ばかり買ふ物ではなし、毎年(まいねん)の事ぢやによつて、麁末もあるまい。それならば、背負うて行く程に、ちと手伝うておくれあれ。
▲アト「心得た。
{と云つて、連尺にて背負ふなり。}
▲シテ「これは、しつかりと持ち重りがする。
▲アト「その筈ぢや。今年は雨続きが良かつたによつて、柑子がしたゝか大きう出来た。
▲シテ「それは悦ばしい事ぢや。仕合(しあは)せをしたらば、裾分けを致さうぞ。
▲アト「それを待つ事でおりある。
▲シテ「又、明年も相変らずおりあれ。
{と云つて、暇乞ふ。常の如くなり。}
なうなう、嬉しや嬉しや。ざつと埒があいた。まづ、急いで参らう。誠に、充分の首尾ぢや。いつも柑子を買ふ時分に、代物を先へ渡せば、柑子を受け取る時、何のかのと云うて隙取(ひまど)り、代物を後(あと)に渡せば、余の者が先へ買うて仕舞ふ。とかく、思ふ様にないに、今年の様な都合の良い事はござらぬ。扨これは、いかう持ち重りがする。中々、峠までひと息には行かれぬ。ちとおろして休まう。
▲小アト「おろすな、おろすな。
▲シテ「誰ぢや。
{と云つて、前後を見廻して、}
今、おろすなと云うたによつて、見れば辺りに人切れもない。扨々、合点の行かぬ事ぢや。定めて、こだまでかなあらう。まづ、おろさう。
▲小アト「おろすな、おろすな。
▲シテ「あれあれ。又、おろすなと云うた。あゝ。これは気味の悪い事ぢや。休まずとも、行かう。
▲小アト「静かに行け、静かに行け。
▲シテ「さあさあ。これは、狐か狸のわざであらう。とかく、道を急がう。
▲小アト「急ぐな、急ぐな。
▲シテ「わあ。これは、俵の内から物を言ふ。気味の悪い。まづ、おろさう。
{と云つて、怖がる所、第一なり。俵をおろすなり。}
▲小アト「おろすな、おろすな。
{と云つて、俵を揺する。怖がる。}
▲シテ「これは、柑子が化けたさうな。
{と云ふ内、俵こけ、歩(あり)く。怖がる。}
あゝ。つひに、柑子の化けたといふ事を、聞いた事がない。
▲小アト「やいやい。俵の口を解け、口を解け。
▲シテ「これが恐ろしうて、何と解かるゝものぢや。捨てゝ行かう。
▲小アト「俵の口を解かずば、食ひ破るぞよ、食ひ破るぞよ。
▲シテ「あゝ。解く、解く。
▲小アト「早う解け、早う解け。
▲シテ「これは、逃がさうとも云はぬ。
▲小アト「早う解け、早う解け。
▲シテ「今、解くわい。やいやい。
{シテ、俵の口を解きに行く所、色々、心持ち・仕様あるべし。とかく、シテ、口をあくると、内より「取つて噛まう」と云つて、追ひ込み入るなり。シテ、驚き逃げて入るなり。色々、口伝なり。}

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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柑子俵(カウジタハラ)(二番目 三番目)

▲シテ「是は都方に住居致す柑子買で御座る、何かと申す内に、はや年の暮になつて御座る、毎度も丹波へ参り柑子を買集めて、扨都の町へ出して商売を致す、漸々例年の時分で御座るに依つて参らうと存ずる、誠に山阪を超へて渡世致すも辛労には御座れ共、年々斯様の商売を致すに付て、今更外の事も存ぜず此様に足手を運ぶ事で御座る、何かと申す内に丹波の山家へついた、則ち此家にも柑子を求めておいた、先、案内を乞ふ{ト云て案内乞出も如常}▲アト「是は早う御下りあつたなう▲シテ「正月も段々近付たに依つて、柑子を取りに来ました▲アト「いつもよりは殊の外早うおりあるぞや▲シテ「さきへよれば雪も恐ろしい{*1}に依つて、ちと早う来ました。▲アト「是れは尤でおりある▲シテ「扨柑子の代銀を先達て下しておりあるが、定めて請取らつしやれたで有う▲アト「成程代物は慥かに請取ました▲シテ「扨柑子を俵へ入れて置ておくりあつたか▲アト「いや、まだ其儘でおりある▲シテ「夫ならば最卒都奥へいて来ませう程に、其間に柑子を毎もの様に俵へ入れて置ておくれあれ▲アト「成程よい様にして置ませうぞ▲シテ「夫ならばいて来ませう▲アト「いて御座れ▲シテ「心得ました{ト云てシテ楽屋へ入るなり}▲アト「是はいかな事、先達てあの者へ売つた柑子をば、又外にほしひといふた程に、幸ひ代物の入用もあり、値段{*2}もよかつたに依つて又売を致し、あの者へは何卒他で柑子を才覚して渡さうと存ずる内、思ひの外早う参つたに依つて、差当つて致し様が御座らぬ、何とせふぞ、いや思ひ出した事がある、かな法師あるか{ト云て呼出す出るも如常}{*3}汝を呼出すは別の事でもない、何とそなたは親のいふ事は、何事に依らずおきゝあらうのふ▲小アト「いまめかしひ事を仰せらるゝ、子として親のいふ事を背くといふ事が御座らうぞ、何なりとも承はりませふ▲アト「尤でこそあれ、近頃親子の間でいひにくひ事なれども、そちを頼む事がある、いつも来る柑子買に、当年も柑子を約束してはや代物まで請取つた、去り乍其売つておいた柑子を又売して今柑子がない、かの柑子買が追付取りに来る筈ぢやに依つて、そなたを俵の内へ入れてやらうず、何卒路次で柑子がばけた体にもてなし、きやつをおどして逃て戻つておくれあれ、是を頼まうといふ事ぢや▲小アト「人をだますは科になると、寺のお師匠の仰られた事なれ共、親の為に成事なれば参りませう▲アト「近頃満足した、夫ならば拵らへをせう程に是へよらしめ▲小アト「心得ました{ト云て二人大小の前にて肩衣取鬼頭巾武悪の面キセ俵の内へ入れるなり}▲アト「扨追付柑子買が来たらば渡す程に、言ふ迄もないが随分見付られぬ様に、首尾よう仕おゝせて戻らしめ▲小アト「畏つて御座る▲アト「又身共もよひ時分に迎ひに行うぞ▲小アト「夫は忝う御座る▲シテ「扨も扨も今年の様な思ふ儘な暮はない、買集めて置た柑子は荷物にして皆馬につけて登した、今一俵は某が背負ふて上れば、辛労にはあれ共、寒さを凌ひで結句あたゝかに有うと存ずる、都へ上つて仕合せを致さうと存ずる、何かといふ内{*4}に戻つた、なうなう亭主御座るか▲アト「是は戻らつしやれたか▲シテ「今戻りました▲アト「御苦労で御座る▲シテ「何と柑子を俵へ入れて置ておくれあつたか▲アト「成程よい様に認めておいた▲シテ「是へ出しておくれあれ▲アト「心得た、ゑいゑいゑい▲シテ「おゝ是はいかい世話でおりある、扨何と数も約束の通りあるか▲アト「成程数もしらべて置た▲シテ「してくさりはないか▲アト「いかないかな一つもきづはない▲シテ「ちと口をあけて見やうか▲アト「あゝ是々、いつも売物に何の其様な麁末{*5}な事をせう、其上縄までかけて置た程に最早いらはしますな、もし又くさりがあつたらば後できかうぞ▲シテ「何れ今年計り買う物ではなし、毎年の事ぢやに依つて麁末も有まい、夫ならば背負ふて行程に、ちと手伝うておくれあれ▲アト「心得た{ト云て連雀にて背負也}▲シテ「是はしつかり{*6}と持重りがする▲アト「其筈ぢや、今年は雨つゞきがよかつたに依つて、柑子がしたゝか大きう出来た▲シテ「夫は悦ばしい事ぢや、仕合せをしたらば、すそ分け{*7}を致さうぞ▲アト「夫を待つ事でおりある▲シテ「又明年も相変らずおりあれ{ト云て暇乞如常なり}{*8}なうなう嬉しや嬉しや、ざつと埒があひた、先急いで参らう、誠に充分の首尾ぢや、毎も柑子を買う時分に、代物を先へ渡せば、柑子を受取時何の彼のといふて隙取り、代物を跡に渡せば余の者が先へ買うて仕舞、兎角思ふ様にないに、今年の様な都合のよい事は御座らぬ、扨是はいかう持重りがする、中々峠までひと息には行れぬ、ちとおろして休まふ▲小アト「おろすなおろすな▲シテ「誰ぢや{ト云て前後を見廻はして}{*9}今おろすなといふたに依つて見れば、辺りに人ぎれもない、扨々合点の行ぬ事ぢや、定めてこだまでかなあらう、先おろさう▲小アト「おろすなおろすな▲シテ「あれあれ又おろすなといふた、あゝ是は気味のわるい事ぢや、休まず共行う▲小アト「静かに行け静かに行け▲シテ「さあさあ是は狐か狸のわざで有う、兎角道を急がう▲小アト「いそぐないそぐな▲シテ「わあ是は俵の内から物を言ふ、気味の悪ひ先おろさう{ト云てこわがる所第一なり俵ををろすなり}▲小アト「おろすなおろすな{ト云て俵をゆする{*10}こわがる}▲シテ「是は柑子がばけたさうな{ト云ふ内俵こけありくこわがる}{*11}あゝつひに柑子のばけたといふ事を聞ひた事がない▲小アト「やいやい俵の口をとけ俵の口をとけ▲シテ「是が恐ろしうて何ととかるゝ者ぢや、捨てゝ行う▲小アト「俵の口をとかずばくひ破るぞよくひ破るぞよ▲シテ「あゝとくとく▲小アト「早うとけ早うとけ▲シテ「是はにがさふともいはぬ▲小アト「早うとけ早うとけ▲シテ「今とくはい、やいやい{シテ俵の口をときに行く所色々心持仕様有るべし兎角シテ口をあくると内より取つてかまふと云て追込入なりシテ驚逃て入なり色々口伝なり}

校訂者注
 1:底本は、「恐(おそ)らしい」。
 2:底本は、「直段(ねだん)」。
 3:底本は、「▲アト「汝を呼出すは別の事でもない」。
 4:底本は、「中(うち)」。
 5:底本は、「廉末(そまつ)」。
 6:底本は、「しかり」。
 7:底本は、「すそ別(わ)け」。
 8:底本は、「▲シテ「なう(二字以上の繰り返し記号)嬉しや(二字以上の繰り返し記号)」。
 9:底本は、「▲シテ「今おろすなといふたに依つて」。
 10:底本は、「俵をこする」。
 11:底本は、「▲シテ「あゝつひに柑子の」。