鬮罪人(くじざいにん)(二番目 三番目)
▲アト「この辺りの者でござる。何かと申す内に、祇園会(ぎをんゑ)も近々(きんきん)になつてござる。又、当年は、某(それがし)が山の当番に当たつてござる。今日(こんにち)は、何(いづ)れも寄り合うて、山の相談を致す筈でござる。もはや、時分も良うござる。太郎冠者を呼び出し、何(いづ)れもへ遣はさうと存ずる。
{と云つて、呼び出す。出るも常の如し。}
何と、祇園会も近付いたではないか。
▲シテ「御意なさるゝ通り、祇園会も、近々(ちかぢか)になりましてござる。
▲アト「それについて、汝は何(いづ)れもへ行(い)て、もはや時分も良うござる程に、御出なされて、山の御相談のお極(きは)めなされて下されいと云うて、行(い)てこい。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「扨、云ふまでもないが、汝はとかく、物事に差し出る。今日(けふ)は、各々御出なされても、必ず差し出る事はならぬ程に、さう心得い。
▲シテ「心得ました。
{と云つて、つめる、受ける。常の如し。}
なうなう、嬉しや嬉しや。祇園会も近々になつた。当年は、頼うだ人が、山の当番に当たられた。あゝ、身共も余程、骨を折らずばなるまい。扨、これはどなたへ参らうぞ。いや、誰殿が近い。まづ、誰殿へ参らう。
{と云つて、橋掛かりへ行き、案内乞ふ。常の如くなり。}
頼うだ者、申しまする。もはや、時分も良うござる程に、御出なされて、山の御相談をお極めなされて下されいと、申し越してござる。
▲立頭「成程、何(いづ)れも御出でなされようとあつて、皆、この方へ御揃ひぢや。
▲シテ「それならば、御銘々参るには及びませぬか。
▲頭「銘々行くには及ばぬ。追つ付け、同道して行かう程に、汝は先へ行け。
▲シテ「それならば、御先へ参りませう。追つ付け、御出なされませ。
▲頭「心得た。
▲シテ「申し上げまする。
▲アト「何事ぢや。
▲シテ「只今、誰殿へ参つてござれば、何(いづ)れもあれに御揃ひで、追つ付け、これへ御出でござる。
▲アト「御出なされたらば、この方へ知らせ。
▲シテ「畏つてござる。
▲頭「なうなう、何(いづ)れもござるか。
▲立衆「これに居まする。
▲頭「只今、誰殿から人が参りました。いざ、参りませうか。
▲立二「一段と良うござらう。
▲頭「それならば、さあさあ、ござれ。
▲立二「心得ました。何(いづ)れも、御出なされ。
▲衆「心得ました。
▲頭「物も、案内も。
▲シテ「表に案内がある。案内とは誰(た)ぞ。
▲頭「身共らが来た通りを云へ。
▲シテ「その由、申しませう。暫くそれに、お待ちなされませ。
▲頭「心得た。
▲シテ「申し上げまする。
▲アト「何事ぢや。
▲シテ「何(いづ)れもの御出でござる。
▲アト「かうお通りなされいと云へ。
▲シテ「畏つてござる。かう御通りなされいと申しまする。
▲頭「心得た。
{立衆、皆々「太郎冠者、来た」と云ふなり。各、「御当(おたう)めでたうござる」と云ふ。}
御当、めでたうござる。
▲アト「良う、御出なされました。まづ、下にござれ。
▲各「心得ました。
▲アト「扨、何と思し召す。去年の神事を、昨日や今日の様に存じてござるに、早(はや)、祇園会になりました。
▲頭「仰せの通り、月日の経つは、早いものでござる。
▲立二「光陰、矢の如しでござる。
▲アト「扨、今日(こんにち)は是非、山の御相談を極めませう。
▲各「それが良うござらう。
▲シテ「これは、何(いづ)れも様、御苦労に存じまする。扨、当年は、頼うだ者が山の当番に当たりましてござる。御存知の通り、つゝと不調法者でござりまする程に、何(いづ)れも様、宜しう願ひ上げまする。
▲頭「おゝ、心得た。
{アト、シテの袖引き、目は直(ぢき)、「シテ、引つ込め」といふ心持ちをする。}
▲アト「扨、何(いづ)れも思し召しの山もござらう程に、御遠慮なう仰せられて下され。
▲頭「成程、各々、存じ入れもござらうが、まづ、これは御当人の役に、御亭主の思し召しから承りたうござる。なう、何(いづ)れも。
▲各「それが良うござらう。
▲アト「それならば、私が存じ付きを申して見ませうか。
▲頭「一段と良うござらう。
▲アト「私の存じまするは、まづ、大きな山を拵へまして、いかにも逞しい猪を作らせまして、それへ、新田の四郎が乗つた所を囃子物では、何とでござらう。
▲頭「これは、一段と良うござらう。なう、何(いづ)れも。
▲各「これは良うござらう。
▲シテ「あゝ、申し申し。まづ、お待ちなされませ。
▲頭「何と、待てとは。
▲シテ「御前(おまへ)はこの山を、良からうと思し召すか。
▲頭「成程、良からうと思ふ。
▲シテ「私は、悪からうと存じまする。
▲頭「それは、どうした事ぢや。
▲シテ「まづ、あの猪と申すものは、第一に、格好の不調法なものでござる。それへ新田の四郎が乗つたと申して、別に面白い事はござりますまい。
▲アト「こりや。
{と云つて、叱る。}
▲頭「いかさま。これは、太郎冠者の申す通り、余り面白うござらぬなう。
▲衆「その通りでござる。
▲アト「そこが、御相談でござる。又、何(いづ)れもの内から、思し召しを仰せられて下され。
▲頭「左様ならば、私の存じ寄りを申して見ませうか。
▲アト「一段と良うござらう。
▲頭「私の存じまするも、矢張り、山は山でござる。その山の上に、土俵を築きまして、河津と股野の相撲の所を囃子物では、何とござらう。
▲衆「これは良うござらう。
▲アト「いかさま、これが良うござらう。
▲立二「これに極めさせられい。
▲シテ「あゝ、申し申し。まづ、お待ちなされませ。
▲頭「何と、待てとは。
▲シテ「これは又、御前の思し召しとも覚えぬ事でござる。どこに、山の上で相撲を取ると申す事は、つひに聞いた事がござらぬ。それに、かうお寄りなされば、皆、御歴々ではござらぬか。何ぞや、相撲を取り候ふと云うて、裸になつて出て、目口はだけて、きばり廻つて、やあ、お手つ、参つたの。《笑》京中の笑ひものでござらう。
{又、叱る。太郎冠者、引くなり。}
▲頭「太郎冠者が申す通り、これは良うござらぬ。
▲立二「いや。これは、良い山でござる。
▲アト「これに極(きは)めさせられ。
▲頭「いや。これは、麁相を申しました。又、こなたの思し召しもござらう程に、仰せられませ。
▲立二「左様ならば、私の存じ寄りを申して見ませうか。
▲頭「一段と良うござらう。
▲シテ「又、あの誰殿が、訳もない事を云はるゝであらう。
▲立二「私の存じまするも、山は山でござる。その山の上に、大きな滝を拵へまして、それに鯉の登る所を囃子物では、何とでござらう。
▲シテ「さればこそ、云はぬ事か。
▲各「これは、一段と良うござらう。
▲シテ「あゝあゝ、申し申し。まづ、お待ちなされませ。
▲頭「何事ぢや。
▲シテ「当年は、何ぞ珍らしい、人の面白がる山をとある、前広(まへびろ)からの御相談ではござらぬか。
▲頭「その通りぢや。
▲シテ「それに、鯉の滝のぼりが、何の珍らしい事がござる。毎年(まいねん)、鯉山の町(ちやう)と云うて、出(づ)るではござらぬか。
{アト、さんざんに云つて叱り、}
▲アト「差し出をるなと云ふに、差し出をる。
{と云つて、叩く。シテ、逃げる。立頭、止める。}
▲頭「まづ、待たせられい、待たせられい。誠にこれは、鯉山の町と云うて、出まする。
▲立二「これは、不調法を申しました。
▲頭「何(いづ)れも、何と思し召す。最前から、太郎冠者が、とやかう申す。あれも何ぞ、思ひ寄つた事があると見えまする。呼うで、承りませうか。
▲衆「これは、一段と良うござらう。
▲アト「あゝ。まづ、御待ちなされい。扨々、むさとした事を仰せらるゝ。あれら連(づ)れの申す事が、何と、取り上げらるゝものでござる。あれにお構ひなされずとも、各の内から、お極(きは)めなされませ。
▲頭「いやいや。あれぢやと申しても、良い事を申せば、取り上げねばなりませぬ。いざ、呼びませう。
▲衆「良うござらう。
▲頭「やいやい。太郎冠者、太郎冠者。
▲シテ「はあ。
▲頭「これへ来い。
▲シテ「何ぞ、御用でござるか。
▲頭「成程、用事がある。
▲シテ「畏つてござる。
▲頭「扨、最前からとやかう云ふが、そちも何ぞ、珍らしい山を思ひ寄つて居るものであらう。遠慮ない。云うて聞かせ。
▲シテ「さればの事でござる。当年は、頼うだ者が山の当番に当たりまする。又、前広から承れば、当年は何ぞ珍らしい、人の面白がる山をとある御相談でござるによつて、昼夜(ちうや)、とつおいつ思案を致して、珍らしい、人の面白がる山を、二つ三つ思ひ寄つては居りますれども、何を申しても。
{と云つて、主(しゆ)の方を指差して、かぶりを振りて逃げるなり。}
▲頭「やいやい、太郎冠者。それは、そつとも苦しうない。遠慮なしに、早う云うて聞かせ。
▲シテ「苦しうござりませぬか。
▲頭「おゝ。苦しうない。
▲シテ「左様ならば、申しませう。私の存じまするも、山は山でござるが、その山を二つ拵へまする。
▲頭「何。二つ。
▲シテ「中々。
▲頭「まづこの、二つが珍らしうござる。
▲衆「その通りでござる。
▲頭「して、何とぢや。
▲シテ「一つの方の山は、いかにも嶮岨に作りまする。又一つの山は、草茫々と、もの凄い山に作りまして、かの草茫々としてもの凄い山からは、いかにも弱々とした罪人(ざいにん)を作つて出しまする。又一つの方の嶮岨な山からは、牛頭・馬頭・阿傍羅刹などゝ申す様な、恐ろしい鬼を作つて出しまして、かの罪人を山の上へ責めのぼし、責め下し致す処を囃子物では、何とでござらう。
▲アト「又、差し出をるか。
{と云つて、叩く。}
▲頭「これこれ。まづ、お待ちなされ、お待ちなされ。何と、何(いづ)れも、これは珍らしい山ではござらぬか。
▲衆「何(いづ)れ、良い山でござる。
▲頭「これに上越す山はござるまい。これに極(きは)めませうか。
▲衆「それが良うござらう。
▲アト「私は、悪からうと存じまする。
▲頭「それは、どうした事でござる。
▲アト「まづ、思し召しても御覧(ごらう)じませ。神事と申すものは、前広から身をも清め、祝うが上にも祝うものでござる。それに何ぞや、忌まはしい。鬼が罪人を責めるなどゝ。これは、さんざんの山でござる。止(よ)しにさせられい。
▲シテ「いや、申し申し。とかくこの様な珍らしい、人の面白がる山は、悪うござりまする。最前、頼うだ人のお申しやりました、不調法な猪が良うござりませう。
▲アト「又、出をつたか。
{と云つて、叩く。立頭、止めるなり。}
▲頭「あゝ。まづ、待たせられい、待たせられい。とかく、何(いづ)れもこの山が、同心でござる。
▲アト「扨は、どうあつても、この山が御同心でござるか。
▲頭「中々。
▲アト「それならば、是非にも及びませぬ。さりながら、鬼にはなり手がござらうが、誰も罪人になり手がござるまい。
▲シテ「それこそ、例年の鬮取りになされませ。
▲アト「又、差し出をるか。
{と云つて、叩く。}
▲頭「あゝ。まづ、お待ちなされい。いかさま、太郎冠者の申す通り、鬮取りが良うござらう。やいやい、太郎冠者。その鬮を拵へて、持つて来い。
▲シテ「畏つてござる。鬮を拵へました。お取りなされませ。
▲頭「何(いづ)れも、御取りなされぬか。
▲衆「まづ、お取りなされ。
▲シテ「さあさあ。何(いづ)れも、良い役にお当りなされませ。
{と云つて、段々、立衆へ籠を持つて廻り、主の方へ行かんとし、扨、怖さうに、主の後ろより葛桶の蓋を突きやる。主も、鬮を取り、蓋を突き出す。}
▲シテ「これは、鬮が一つ残りました。
▲頭「それは、汝取れ。
▲シテ「私、取りませうか。
▲アト「いやいや、あいつに取らす事はなりませぬ。
▲頭「いつも当人から、人が一人づゝ出ます。
▲アト「人がいれば、雇うて出します。
▲頭「これはいかな事。内にある人を差し置いて、雇うといふ事があるものでござるか。太郎冠者、苦しうない。汝取れ。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、橋掛かりへ行き、鬮を開き見て、嬉しがりて頂くなり。仕様、口伝。}
▲頭「さあさあ。何(いづ)れも、鬮を開かせられい。
▲衆「心得ました。
▲頭「まづ、私は笛の役でござる。
{それより段々、鼓・鐘・大鼓・警護の役と、段々云ふ。アトも鬮を開き見て、又たゝみて持つて居る。}
▲頭「何と、御当家(おたうや)は、何の役でござる。
▲アト「私は、まだ鬮は見ませぬが。あゝ、これは、余り良うない山でござる。
▲頭「これ程までな相談の極まつた事を、なぜにその様に仰せらるゝぞ。さあさあ、早う鬮を開かせられい。
▲アト「それならば、鬮は三度のものでござる。祝うて、取り直しに致しませう。
▲シテ「つひに、祇園会の鬮を、取り直した例はござりませぬ。
▲アト「出をつたか。
{と云つて、叩く。}
▲頭「あゝ。まづ待たせられい、待たせられい。それならば、私が見ませう。亭主、罪人。
▲シテ「鬼はこゝに。
▲アト「推参なやつの。
{と云つて、叩く。}
▲頭「あゝ。これこれ、その様に叱らせられな。さあさあ、役が極まりました程に、稽古をさせられい。何(いづ)れも、これへよつて稽古をさせられい。
▲衆「心得ました。
▲頭「太郎冠者も、稽古をせい。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、シテ、板付より杖持ち出る。アトも、脇座にて杖を持ち立つ。}
▲シテ「いかに、罪人。急げとこそ。
{常の如く、責め一段あり。仕様、色々あり。口伝。}
▲アト「おのれは憎いやつの。
▲シテ「ちやつと止めて下され。
▲頭「あゝ。まづ、待たせられい。これは、何事でござる。
▲アト「稽古に事よせて、某を打擲致す。退(の)かつしやれ。打ち殺してのけまする。
▲頭「あゝ。まづ、お待ちなされい。身共がきつと、申し付けませう。
▲アト「きつと、云ひ付けて下され。
▲頭「心得ました。やいやい、太郎冠者。稽古に事よせて、なぜに主を打擲する。
▲アト「何も打擲致しませぬ。鬼の責むる勢ひに、杖の先が一寸(ちよつと)など、当たるまいものでもござらぬ。それに何ぞや、私をしたゝかな目に遭はされまする。御前も、良う思し召して御覧(ごらう)じませ。総じて昔から、鬼が罪人を責むると申す事こそござれ、どこに、罪人が鬼を責むると申す事は、つひに聞いた事がござらぬ。私は、もはや責めませぬ。
▲頭「やいやい、太郎冠者。その様に云はずとも、機嫌を直して稽古をせい。
▲シテ「左様ならば、稽古は致しませうが、やゝもすれば、あの大きな目でお睨みあるによつて、恐ろしうて、どうも稽古がなりませぬ。こゝに、風流(ふりう)の面(おもて)がござる。これを着て稽古を致しませう程に、頼うだ者も、どうぞ罪人の様に取り繕うて下され。
▲頭「成程、心得た。汝も身拵へをせい。
▲シテ「畏つてござる。
▲頭「いや、なうなう。その由申したれば、鬼の責むる勢ひに、杖の先が当たつたと云うて、殊の外迷惑がりまする。又、太郎冠者は、鬼の面(めん)を着て稽古をせうと申す。こなたも、罪人の様に取り繕はせられい。
▲アト「矢張り、この儘責めをれと云うて下され。
▲頭「はて、それでは稽古になりませぬ。平(ひら)に身拵へをせられい。
▲アト「これは何となさるゝ。
▲頭「まづ、これへ寄らせられい。
▲アト「こなた衆が、何のかのと云はせらるゝによつて、勝ちに乗つて、様々の事をぬかしをる。今日(けふ)は、各々方に免じて了簡を致す。祭過ぎたらば、只置かうと思ふか。
▲頭「なぜに、その様に腹を立てさせらるゝ。何事も神事の事ぢや程に、了簡をせられい。
{アト、「嫌」と云ふを、無理に脇座の方に押しやり、髪さばき、肩衣取り、白練着せ、白鉢巻する内に、このしかじか云ふ。シテも、この内に肩衣取り、壺折・面着るなり。}
▲アト「拵へが良くば、これへ出て責めをれと云うて下され。
▲頭「心得ました。やいやい、太郎冠者。拵へが良くば、これへ出て稽古をせい。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「{*1}あら、悲しや。これまで参り候ふに、さのみ、な御責め候ひそ。
▲シテ「いかに罪人。地獄遠きにあらず、極楽遥かなれ。急げとこそ。
{責め、一段あり。責めの内、主を怖がる所、専一なり。竹馬に乗り、橋掛かりへ行く事の段々もあり。扨、舞台へ出て、打ち込み、ぐわつし{*2}、又、杖にて主を打つ。アト、腹を立て、さんざんに叩き、追ひ込み入る。立衆、挨拶して入る。}
校訂者注
1:底本、ここから「(▲シテ「)いかに」まで、傍点がある。
2:「ぐわつす」は、「えい」「やあ」などの掛け声を掛けて片膝をつく所作。
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
鬮罪人(クジザイニン)(二番目 三番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、何かと申す内に祇園会も近々になつて御座る、又当年は某が山の当番に当つて御座る、今日は何も寄合ふて山の相談を致す筈で御座る、最早時分もよう御座る、太郎冠者を呼出し何もへ遣はさうと{*1}存ずる{ト云て呼出す出るも如常}{*2}何と祇園会も近付たではないか▲シテ「御意被成る通り、祇園会も近々に成まして御座る▲アト「夫について汝は何もへいて、最早時分もよう御座る程に、お出被成て、山の御相談のおきわめ被成て下されいといふて行てこい▲シテ「畏つて御座る▲アト「扨云ふ迄もなひが、汝は兎角物事にさし出る、けふは各々お出被成ても、かならず差出る事はならぬ程にさう心得い{*3}▲シテ「心得ました{ト云てつめる請ル如常}{*4}なうなう嬉しや嬉しや祇園会も近々になつた、当年は頼うだ人が山の当番にあたられた、あゝ身共も余程骨をおらずばなるまひ、扨是はどなたへ参らうぞ、いや誰殿が近ひ、先誰殿へ参らう{ト云て橋掛りへ行案内乞如常なり}{*5}頼うだ者申まする、最早時分もよふ御座る程に、お出被成て山の御相談をおきめ被成て下されいと、申越て御座る▲立頭{*6}「成程何もお出でなされようとあつて、皆此方へお揃ひぢや▲シテ「夫ならば御銘々参るには及びませぬか▲頭「銘々ゆくには及ばぬ追付同道して行う程に、汝は先へ行け▲シテ「夫ならばお先へ参りませう、追付お出被成ませ▲頭「心得た▲シテ「申上げまする▲アト「何事ぢや▲シテ「唯今誰殿へ参つて御座れば、何もあれにお揃ひで追付是へ御出で御座る▲アト「お出被成たらば此方へしらせ▲シテ「畏つて御座る▲頭「なうなう何も御座るか{*7}▲立衆「是に居まする▲頭「唯今誰殿から人が参りました、いざ参りませうか▲立二「一段とよう御座らう▲頭「夫ならばさあさあ御座れ▲立二「心得ました、何もお出被成▲衆「心得ました▲頭「物も案内も▲シテ「表に案内がある案内とは誰ぞ▲頭「身共らがきた通りをいへ▲シテ「其由申しませう、暫くそれにお待被成ませ▲頭「心得た▲シテ「申上まする▲アト「何事ぢや▲シテ「何ものお出で御座る▲アト「かうお通被成いと云へ▲シテ「畏つて御座る、かう御通り被成いと申まする▲頭「心得た{立衆皆々太郎冠者きたと云ふなり各お当目出度御座ると云}{*8}お当目出たう御座る▲アト「よふお出被成ました、先下に御座れ▲各「心得ました▲アト「扨何と思召す、去年の神事をきのふやけふの様に存じて御座るに、早や祇園会に成ました▲頭「仰の通り月日のたつは早い物で御座る▲立二「光陰矢の如しで御座る▲アト「扨今日は是非山の御相談を極めませう▲各「夫がよう御座らう▲シテ「是は何も様御苦労に存まする、扨当年は頼うだ者が山の当番に当りまして御座る、御存知の通りつゝと不調法者で御座りまする程に、何も様宜敷願上まする▲頭「おゝ心得た{アトシテの袖ひき目はぢきシテ引込めと云ふ心持ちをする}▲アト「扨何れも思召の山も御座らう程に、御遠慮なう仰せられて下され▲頭「成程各々存じ入も御座らうが、先是は御当人の役に、御亭主の思召から承りたう御座るのふ何も▲各「夫がよう御座らう▲アト「夫ならば私が存じ付を申して見ませうか▲頭「一段とよう御座らう▲アト「私の存じまするは、先大きな山を拵へまして、いかにもたくましひ猪を作らせまして、夫へ新田の四郎が乗つた所を、囃子物では何とで御座らう▲頭「是は一段とよふ御座らう、なう何も▲各「是はよう御座らう▲シテ「あゝ申申先おまち被成ませ▲頭「何とまてとは▲シテ「お前は此山をよからうと思召すか▲頭「成程よからうと思ふ▲シテ「私はわるからうと存じまする▲頭「夫はどふした事ぢや▲シテ「先あの猪と申す者は、第一に格こうの不調法な者で御座る、夫へ新田の四郎が乗つたと申して、別に面白ひ事は御座りますまひ▲アト「こりや{ト云てしかる}▲頭「いか様是は太郎冠者の申す通り、余り面白ふ御座らぬのふ▲衆「其通りで御座る▲アト「そこが御相談で御座る、又何れもの内から思召を仰られて下され▲頭「左様ならば、私の存じよりを申して見ませうか▲アト「一段とよう御座らう▲頭「私の存じまするも、矢張り山は山で御座る、其山の上に、土俵を築きまして、河津と股野のすもふの所を囃子物では何と御座らう▲衆「是はよう御座らう▲アト「いか様是がよう御座らう▲立二「是に極めさせられい▲シテ「あゝ申し申し先お待被成ませ▲頭「何とまてとは▲シテ「是は又お前の思召とも覚えぬ事で御座る、どこに、山の上ですもふを取ると申す事は、つひに聞いた事が御座らぬ、それにかうお寄り被成れば、皆お歴々では御座らぬか、なんぞやすまふを取り候といふて、はだかに成つて出て、目口はだけてきばりまはつて、やあおてつ参つたの《笑》{*9}京中の笑物で御座らう{亦しかる太郎冠者ひくなり}▲頭「太郎冠者が申す通り、是はよう御座らぬ▲立二「いや是はよい山で御座る▲アト「是にきわめさせられ▲頭「いや是は麁相を申しました又こなたの思召も御座らう程に仰せられませ▲立二「左様ならば、私の存じ寄りを申して見ませうか▲頭「一段とよう御座らう▲シテ「又あの誰殿が、訳もない事をいはるゝで有う▲立二「私の存じまするも山は山で御座る、其山の上に大きな滝を拵へまして、夫に鯉の登る所を、囃し物では何とで御座らう▲シテ「さればこそいはぬ事か▲各「是は一段とよう御座らう▲シテ「あゝあゝ申申先お待ち被成ませ▲頭「何事ぢや▲シテ「当年は何ぞ珍らしひ、人の面白がる山をとある、前広からの御相談では御座らぬか▲頭「其通りぢや▲シテ「夫に鯉の滝のぼりが何の珍らしひ事が御座る、毎年鯉山の町といふて出るでは御座らぬか{アトさんざんに云てしかり}▲アト「差出おるな{*10}と云ふに差出おる{ト云てたゝくシテ逃る立頭とめる}▲頭「先待せられい待せられい、誠に是は鯉山の町といふて出まする▲立二「是は不調法を申しました▲頭「何れも何と思召す、最前から太郎冠者がとやかう申、あれも何んぞ思ひよつた事があると見えまする、呼うで承りませうか▲衆「是は一段とよう御座らう▲アト「あゝ先お待ち被成い、扨々むさとした事を仰らるゝ、あれらづれの申事が、何んと取上らるゝ物で御座る、あれにお構ひなされずとも、各の内からおきわめ被成ませ▲頭「いやいやあれぢやと申しても、よい事を申せば取上ねばなりませぬ、いざ呼ませう▲衆「よう御座らう▲頭「やいやい太郎冠者太郎冠者▲シテ「はあ▲頭「是へこい▲シテ「何ぞ御用で御座るか▲頭「成程用事がある▲シテ「畏つて御座る▲頭「扨最前からとやかう云ふが、そちも何ぞ珍らしひ山を、思ひよつている者であらう、遠慮ない、いふてきかせ▲シテ「さればの事で御座る、当年は頼うだ者が、山の当番に当りまする、又前広から承れば、当年は何ぞ珍らしい、人の面白がる山をと有る御相談で御座るに依つて、昼夜とつおいつ思案を致して、珍らしひ人の面白がる山を、二つ三つ思ひよつては居りますれども、何を申しても{ト云て主の方をゆびざしてかぶりをふりてにげるなり}▲頭「やいやい太郎冠者、夫は率つ都も苦しうない、遠慮なしに早う云ふてきかせ▲シテ「苦しう御座りませぬか▲頭「おゝ苦敷うない▲シテ「左様ならば申しませう、私の存じまするも、山は山で御座るが、其山を二つ拵へまする▲頭「何二つ▲シテ「中々▲頭「先此二つが珍らしう御座る▲衆「其通りで御座る▲頭「して何とぢや▲シテ「一つの方の山はいかにも嶮岨につくりまする、又一つの山は草ばうばうと、物すごひ山に作りまして、かの草ばうばうとして物すごひ山からは、いかにもよわよわとした、罪人を作つて出しまする、又一つの方の嶮そな山からは牛頭めずあほう羅刹抔{*11}と申様な、恐しひ鬼を作つて出しまして、かの罪人を山の上へ責のぼし責め下し致す処を、囃子物では何とで御座らう▲アト「又差出おるか{ト云てたゝく}▲頭「是々先おまちなされおまちなされ、何と何れも是は珍らしい山では御座らぬか▲衆「何れよい山で御座る▲頭「是に上こす山は御座るまひ是にきわめませうか▲衆「夫がよう御座らう▲アト「私はわるからうと存じまする▲頭「夫はどふした事で御座る▲アト「先思召しても御らうじませ、神事と申す物は前広から身をも清め、いはうが上にも祝う物で御座る、それに何ぞや忌はしひ鬼が罪人をせめるなどゝ、是はさんざんの山で御座る、よしにさせられい▲シテ「いや申し申し、兎角此様な珍らしひ人の面白がる山はわるう御座りまする、最前頼うだ人のお申やりました、不調法な猪がよう{*12}御座りませう▲アト「又出おつたか{ト云てたゝく立頭とめる也}▲頭「あゝ先またせられいまたせられい兎角何も此山が同心で御座る▲アト「扨はどうあつても此山が御同心で御座るか▲頭「中々▲アト「夫ならば是非にも及びませぬ、去り乍ら鬼にはなり手が御座らうが、誰も罪人になりてが御座るまひ▲シテ「夫こそ例年の鬮取りに被成ませ▲アト「又差出おるか{ト云てたゝく}▲頭「あゝ先おまち被成い、いか様太郎冠者の申す通り、鬮取りがよう御座らう、やいやい太郎冠者、其鬮を拵へて持つてこひ▲シテ「畏つて御座る、鬮を拵へましたお取被成ませ▲頭「何れも御取り被成ぬか▲衆「先お取なされ▲シテ「さあさあ何れもよい役にお当りなされませ{ト云て段々立衆へ籠を持て廻り主の方へ行んとし扨こわそうに主のうしろより葛桶のふたをつきやる主も鬮を取りふたをつき出す}▲シテ「是は鬮が{*13}一つ残りました▲頭「夫は汝とれ▲シテ「私取ませうか▲アト「いやいやあいつに取らす事はなりませぬ▲頭「いつも当人から人が一人づゝ出ます▲アト「人がいれば雇うて出します▲頭「是はいかな事、内にある人を差おいて雇うと云ふ事が有る物で御座るか、太郎冠者苦敷うない汝とれ▲シテ「畏つて御座る{ト云て橋掛りへ行き鬮を開き見てうれしがりていたゞくなり仕様口伝}▲頭「さあさあ何れも鬮を開かせられい▲衆「心得ました▲頭「先私は笛の役で御座る{夫より段々鼓鐘大鼓けいごの役と段々云アトも鬮を開き見て亦たゝみて持て居る}▲頭「何と御当家は何の役で御座る▲アト「私はまだ鬮は見ませぬが、あゝ是は余りようない山で御座る▲頭「是程迄な{*14}相談の極まつた事をなぜに、其様に仰せらるゝぞ、さあさあ早う鬮を開かせられい▲アト「夫ならば鬮は三度のもので御座る、祝うて取直しに致しませう▲シテ「つひに祇園会の鬮を、取直した例は御座りませぬ▲アト「出おつたか{ト云てたゝく}▲頭「あゝ先またせられいまたせられい、夫ならば私が見ませう、亭主罪人▲シテ「鬼は爰に▲アト「推参なやつの{ト云てたゝく}▲頭「あゝ是々、其様にしからせられな、さあさあ役が極りました程に、稽古をさせられい、何れも是へよつて稽古をさせられい▲衆「心得ました▲頭「太郎冠者も稽古をせい▲シテ「畏つて御座る{ト云てシテ板付より杖持出るアトも脇座にて杖を持ちたつ}▲シテ「いかに罪人、急げとこそ{如常責一段あり仕様色々有口伝}▲アト「おのれは憎ひやつの▲シテ「ちやつと留めて下され▲頭「あゝ先またせられい、是は何事で御座る▲アト「稽古に事よせて某をてうちやく致す、のかつしやれ打殺してのけまする▲頭「あゝ先お待ちなされい、身共がきつと申付ませう▲アト「きつと言ひ付て下され▲頭「心得ました、やいやい太郎冠者、稽古に事よせて、なぜに主をてうちやくする▲アト「何もてうちやく致しませぬ、鬼の責るいきほひに、杖の先が一寸抔当るまひ物でも御座らぬ、夫に何ぞや私をしたゝかな目にあはされまする、お前もよふ思召て御らうじませ、総て昔から、鬼が罪人を責むると申事こそ御座れ、どこに罪人が鬼を責むると申事はついにきいた事が御座らぬ、私は最早責めませぬ▲頭「やいやい太郎冠者、其様にいはず共、きげんを直して稽古をせい▲シテ「左様ならば稽古は致しませうが、やゝもすればあの大きな目でおにら見あるに依つて、恐ろしうて、どうも稽古がなりませぬ、爰に風流の面が御座る、是を着て稽古を致しませう程に、頼うだ者{*15}もどうぞ罪人の様に取繕うて下され▲頭「成程心得た、汝も身拵へをせい▲シテ「畏つて御座る▲頭「いや、なうなう、其由申したれば、鬼の責むる勢に杖の先が当つたといふて、殊の外迷惑がりまする、又太郎冠者は鬼の面を着て稽古をせうと申、こなたも罪人の様に取繕はせられい▲アト「矢張此儘責おれといふて下され▲頭「果夫では稽古になりませぬ、平に身拵へをせられい▲アト「是は何と被成るゝ▲頭「先是へ寄らせられい▲アト「こなた衆が何のかのと云はせらるゝに依つて、かつにのつて様々の事をぬかしおる、今日は各々方にめんじて了簡を致す祭過たらば唯置うと思ふか▲頭「なぜに其様に腹を立させらるゝ、何事も神事の事ぢや程に、了簡をせられい{アトいやと云ふを無理に脇座の方にをしやり髪さばき肩衣取り白練きせ白鉢巻する内に此しかしか云ふシテも此内に肩衣取りつぼ折{*16}面きるなり}▲アト「拵へがよくば是へ出て責おれと云ふて下され▲頭「心得ましたやいやい太郎冠者、拵へがよくば是へ出て稽古をせい▲シテ「畏つて御座る▲アト「荒かなしや是迄参り候に。さのみな御せめ候ひそ▲シテ「いかに罪人、地獄遠きにあらず、極楽はるかなれ、いそげとこそ{責一段有責の内主をこわがる所専一也竹馬にのり橋掛りへ行事の段々も有り扨舞台へ出て打込ぐわつし亦杖にて主を打アト腹を立てさんざんにたゝき追込入る立衆あいさつして入る}
校訂者注
1:底本は、「遣はさう存ずる」。
2:底本は、「▲アト「何と祇園会も近付た」。
3:底本は、「さう心得えい」。
4:底本は、「▲シテ「なう(二字以上の繰り返し記号)嬉しや(二字以上の繰り返し記号)」。
5:底本は、「▲シテ「頼うた者申まする」。
6:底本は、「▲立衆「成程何(いづれ)も」。
7:底本は、「何も御座る」。
8:底本は、「▲頭「お当目出たう御座る」。
9:底本は、「やあおてつ参つたの笑ふ」。
10:底本は、「差出さるな」。
11:底本は、「杯(など)」。
12:底本は、「宜う御座りませう」。
13:底本は、「鬮か」。
14:「是程迄な相談の極まつた事を」は、底本のまま。
15:底本は、「頼うだ者」。
16:底本は、「つほ折」。
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