瓜盗人(うりぬすびと)(二番目)
▲アト「この辺りの百姓でござる。今日(けふ)も、瓜畠へ見舞はうと存ずる。誠に、百姓ほど忙しい者はござらぬ。天気の良いにも悪(あ)しいにも、野畠へ見舞はねばならぬ。さりながら、精を出せば、格別に違ふ事ぢやによつて、昼夜(ちうや)の分かちもなう、骨を折る事でござる。いや、何かと申す内に、これぢや。あゝ。扨も扨も、この中(ぢゆう)と違うて、蔓の勢ひが、殊の外良うなつた。わあわあ。そろそろ瓜が色づくわ。いつも瓜の色づく時分は、鳥獣(とりけだもの)が荒らす。廻りに垣を結(ゆ)うて、案山子を拵へようと存ずる。
▲シテ「この辺りの者でござる。某(それがし)、打ち続いて不仕合(ふしあはせ)にござる。とかく渡世、何とも罷りならぬによつて、何と致さうと存じて、昼夜、色々と分別致す処に、この中(ぢゆう)、野辺を通つてござれば、畠に瓜が大分出来てござつた。やうやう、色付く時分でござる。今夜、そろりと参つて、案内なしに瓜を少々物して、それを商売致さうと存ずる。誠に、身上(しんしやう)罷りならぬによつて、色々の分別を致す事でござる。人の、世話をして作る物を、只取るといふは、不得心な事なれども、差し当たつて致し様がなさの事でござる。いや、何かと申す内に、瓜畠ぢや。これは、瓜が色づいたと見えて、廻りに垣を結うた。この様な事もござらうと存じて、のこぎりを用意致した。さらば、この垣を破らう。ツカツカツカ、メリメリメリメリ。扨も扨も、鳴つた事かな、鳴つた事かな。今のメリメリに驚いて、ちやつと耳をふさいだ。あゝ。しつけぬ事は、うろたうるものぢや。身共が耳をふさいだというて、人が聞くまい事は。人音もせぬ。さらば、入らう。扨も扨も、これは大分、瓜が出来てある。まづ、一つ取らう。これは、枯葉ぢや。いや、こゝにある。さらば、これを取らう。これも、枯葉ぢや。昼見た時は、夥(おびたゞ)しう出来てあつたが、合点の行かぬ事ぢや。あゝ。今、思ひ出した。夜、瓜を取るには、ころびを打つて取るものぢやげな。ものは聞いて置かう事ぢや。さらば身共も、ころびを打つて取らう。あゝ。ご許されませ、ご許されませ。私は、瓜盗人ではござりませぬ。この辺を通りましたれば、あまり見事に出来てござつたによりて、ふと出来心で一つ二つ、御無心申しましてござる。この瓜は、残らず上げませう程に、どうぞ命をお助けなされて下され。申し。なぜにものを仰せられませぬ。申し、申し。こなた、誰ぢや。これはいかな事。人か人かと思うたれば、案山子ぢや。扨も扨も、腹の立つ事かな。身共をまんまと騙しをつた。この様なものは、重ねても見異(みが)うれば、悪い。突き崩して置いたが良い。はつちや、怖(こは)もの{*1}。まづ、急いで帰らう。
▲アト「昨日(きのふ)、畠へ見舞うてござれば、大分、瓜が色づいてござる。今日(こんにち)は参つて、切つて参らうと存ずる。当年は、日和続きも良し、雨も程良う降つたによつて、田畠とも充分でござる。某も思ふ様、仕合(しあは)せを致さうと存ずる。これはいかな事。垣が破つてある。蔓もさんざん、まくつてある。中々これは、鳥獣の仕業ではない。その上、この辺にあつた瓜が、一つも無い。わあ。こりや、案山子が突き崩してある。扨は、瓜盗人が参つたと見ゆる。扨も扨も、腹の立つ事ぢや。これはまづ、何としたものであらう。いや。いよいよ、又参らぬといふ事は、あるまい。この度は、身共が案山子になつて居て、かの瓜盗人を捕らへうと存ずる。扨も扨も、腹の立つ事ぢや。昼夜(ちうや)、汗水になつて作る物を、この様にしをつて。おのれ、今の間(ま)に、思ひ知らせてやらうぞ。
▲シテ「夜前の瓜を、さる上(うへ)つ方(かた)へ進上致してござれば、扨も扨も、見事な瓜ぢや。これは、汝が作るか。と仰せられたによつて、何心なう、はつ。と申してござれば、もそつと欲しい。と仰せらるゝ。ふと申して、後(あと)へも先へも参らぬ。是非に及ばぬ。今晩も、かの畠へ参つて、もそつと取つて参らうと存ずる。思へば、盗み程、面白いものはない。人に辛労をさせて、我が物は少しもいらず、只取ると云ふは、何を致さうより、ましな事でござる。いや、これぢや。はあ。こりや、まだ垣がその儘にしてある。扨は、まだ畠主(はたぬし)が見舞はぬか知らん。扨も扨も、油断な畠主ぢや。これでも見事、瓜を作りおほせるぢやまで。これはいかな事。案山子は拵へてある。扨は、畠主が見舞ふか。いや、なう、夕べそなたを人かと思うて、良い肝をつぶしての。やあ、あの顔はいの。扨も扨も、良う拵へた。これは、その儘の人ぢや。あれは、何やらに良う似たものぢや。それそれ、罪人(ざいにん)にその儘ぢや。これについて、当年は某が、祇園会の当(たう)に当たつた。何(いづ)れもが仰(お)せあるは、鬼が罪人を責むる所を拵へて出さう。とやら仰(お)せあつた。さらば、あの案山子を罪人にして、身共が鬼になつて、ひと責め責めて見よう。幸ひこゝに、良い竹杖がある。《イロ》いかに罪人。地獄、遠きにあらず。極楽、遥かなれ。急げとぞ。《カケリ一段》急げ、急げ。まづ、これで良い。さりながら、鬮の習ひぢやによつて、身共が罪人になるまいものでもない。この度は、あの案山子を鬼にして、身共が罪人になつて、ひと責め責められて見よう。
{*2}あら、悲しや。これ程参り候ふに、さのみ、なお責め候ひそ。これや、地獄の習ひとて、これや、地獄の習ひとて、行かんとすれば、引き止(とゞ)む。止(とゞ)まれば、杖にて《イロ》丁。
あ痛、あ痛。やいやい。礫を打つは、何者ぢや。身共は畠主ぢや。必ず、聊爾をするな。人音もせぬが、どこから礫を打つた事ぢや。案山子の後ろに、人が屈(かゞ)うでは居ぬか。あゝ、気味の悪い事ぢや。今、この縄を引いたれば。はあ、これであつたか。扨も扨も、良う拵へたものぢや。扨、これを緩むれば、落つるか。扨も扨も、これは良い細工ぢや。何ぢや。この縄を引けば、上がる。緩むれば、落つる。引けば、緩むれば、引けば、緩むれば、引けば、緩むれば。扨も扨も、面白いものぢや。いや。これは、もそつと責められて見よう。
{*3}これや、地獄の習ひとて、行かんとすれば、引き止(とゞ)む。止(とゞ)まれば、杖にて丁。
▲アト「がつきめ、やらぬぞ。
▲シテ「聊爾をするな。畠主ぢや。
▲アト「まだぬかし居る。打ち殺してくれうぞ。
▲シテ「許してくれい、許してくれい。
▲アト「やるまいぞ、やるまいぞ。
校訂者注
1:「はつちや、こはもの」は、「ああ、怖い」というほどの意。
2:底本、ここから「とゞまれば杖にて」まで、傍点がある。
3:底本、ここから「とゞまれば杖にて丁」まで、傍点がある。
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
瓜盗人(ウリヌスビト)(二番目)
▲アト「此辺りの百姓で御座る、今日も瓜畠へ見舞はうと存ずる、誠に百姓ほどいそがしい者は御座らぬ、天気のよいにも悪しいにも、野畠へ見舞はねばならぬ、去り乍ら、精をだせば格別に違う事ぢやに依つて、昼夜の分かち{*1}もなう、骨をおる事で御座る、いや何かと申す内に是ぢや、あゝ扨も扨も此中と違うて、つるの勢が殊の外よう成つたわあわあそろそろ瓜が色付くは、毎も瓜の色付く時分は鳥けだものがあらす、廻りに垣を結ふて、案山子を拵へやうと存ずる▲シテ「此辺りの者で御座る、某打続ひて不仕合に御座る、兎角渡世何共罷ならぬに依つて、何と致さうと存じて、昼夜色々と分別致す処に、此中野辺を通つて御座れば畠に瓜が大分出来て御座つた、漸々色付く時分で御座る、今夜そろりと参つて、案内なしに瓜を少々物して、夫を商売致さうと存ずる、誠に身上罷ならぬに依つて、色々の分別を致す事で御座る、人の世話をして作る物を唯取るといふは不得心な事なれ共、差当て致し様がなさの事で御座る、いや何かと申す内に瓜畠ぢや、是は瓜が色付たと見へて廻りに垣を結ふた、此様な事も御座らうと存じてのこぎりを用意致した、さらば此垣を破らう、ツカツカツカメリメリメリメリ、扨も扨も鳴た事かな鳴た事かな、今のメリメリに驚ひてちやつと耳をふさひだ、あゝ仕つけぬ事はうろたゆる物ぢや、身共が耳をふさいだと云て、人が聞まい事は、人音もせぬ、さらば{*2}はいらう、扨も扨も是は大分瓜が出来て有る、先一つ取う、是は枯葉ぢや、いや爰に有るさらば是を取う、是も枯葉ぢや、昼見た時は夥しう出来て有つたが、合点の行かぬ事ぢや、あゝ今思ひ出した、夜瓜を取にはころびを{*3}打つて取る物ぢやげな、物は聞て置う事ぢや、さらば身共もころびを打て取う、あゝ御ゆるされませ御ゆるされませ、私は瓜盗人では御座りませぬ、此辺を通りましたればあまり、見事に出来て御座つたに依りて、ふと出来心で一ツ二ツ御無心申しまして御座る、此瓜は残らず上ませう程に、どうぞ命をお助け被成て下され、申しなぜに物を仰せられませぬ、もふしもふし、こなた誰ぢや、これはいかな事、人か人かと思ふたれば案山子ぢや、扨も扨も腹の立事かな、身共をまんまとだましおつた、此様な者は重ねても見異ればわるい、突崩して置たがよい、はつちやこは物先急ひで{*4}帰らう▲アト「きのふ畠へ見舞ふて御座れば、大分瓜が色づいて御座る、今日は参つて、切つて参らうと存ずる、当年は日和続もよし、雨も程よう降たに依つて田畠共、充分で御座る、某も思ふ様仕合せを致さうと存ずる、是はいかな事、垣が破つてある、蔓もさんざんまくつて有る、中々是は鳥獣の仕業{*5}ではない、其上此辺に有つた瓜が一つも無いわあ、こりや案山子が突崩して有る、扨は瓜盗人が参つたと見ゆる、扨も扨も腹の立つ事ぢや、是は先づ何とした物であらう、いや、いよいよ、又参らぬと云ふ事は有まい、此度は身共が案山子に成つて居て、彼の瓜盗人を捕えうと存ずる、扨も扨も腹の立事ぢや、昼夜あせ水になつて作る物を、此様にしおつて、おのれ今の間に思ひ知らせてやらうぞ▲シテ「夜前の瓜を去る上つ方へ進上致して御座れば、扨も扨も見事{*6}な瓜ぢや、是は汝が作るかと仰られたに依つて、何心なう、ハツと申して御座れば、最卒ツ都ほしいと仰らるゝ。不斗申して後へも先へも参らぬ、是非に及ばぬ今晩も彼の畠へ参つて、最卒都{*7}取つて参らうと存ずる、思へば盗程面白ひ物はない、人に辛労をさせて我物は少しもいらず、只取ると云ふは何を致さうより増な事で御座る、いや是ぢや、はあこりやまだ垣が其儘にして有る、扨はまだ畠主が見舞はぬかしらん、扨ても扨ても油断な畠主ぢや、是でも見事瓜を作りおゝせるぢやまで、是はいかな事、案山子は拵へて有る、扨は畠主が見舞ふか、いやのう、夕べそなたを人かと思ふてよい肝をつぶしての、やああの顔はいの、扨も扨もよう拵へた、是は其儘の人ぢや、あれは何やらによう似た物ぢや、夫々罪人に其儘ぢや、是について当年は、某が祇園会の当にあたつた何もが{*8}おせあるは、鬼が罪人を責る所を拵へて出さうとやらおせあつた、さらばあの案山子を罪人にして、身共が鬼になつて、一ト責せめて見やう、幸ひ此所によい竹杖がある、《イロ》いかに罪人、地獄遠きにあらず、極楽はるかなれ、いそげとぞ《カケリ一段》急げ急げ、先是でよひ乍去、鬮のならひぢやに依つて、身共が罪人になるまい物でもない、此度はあの案山子を鬼にして、身共が罪人に成つて、一ト責せめられて見やう、あらかなしや是程参り候に。左のみな御責候ひそ{*9}是や地獄の習とて。是や地獄の習とて。ゆかんとすれば引とゞむ{*10}とゞまれば杖にて《イロ》丁あいたあいた、やいやい礫を打は何者ぢや、身共は畠主ぢや、必りやうじをするな、人音もせぬが、どこから礫を打た事ぢや、案山子の後に人がかごうでは居ぬか、あゝ気味のわるい事ぢや、今此縄を引たれば、はあ是であつたか、扨も扨もよう拵へた物ぢや、扨是をゆるむれば、落るか、扨も扨も是はよい細工ぢや、何ぢや此縄を引ば上る、ゆるむれば落る、引ばゆるむれば引ばゆるむれば引ばゆるむれば、扨も扨も面白ひ者ぢや、いや是は最卒都責られて見やう、是や地獄のならひとて、行んとすれば引とゞむ、とゞまれば杖にて丁▲アト「がつきめ、やらぬぞ▲シテ「りようじをするな畠主ぢや▲アト「まだぬかし居る打殺して呉うぞ▲シテ「ゆるして呉イゆるして呉イ▲アト「やるまいぞやるまいぞ。
校訂者注
1:底本は、「別(わか)ち」。
2:底本は、「更(さら)ば」。
3:底本は、「ころひを」。
4:底本は、「急(いそ)いて」。
5:底本は、「仕事(しわざ)」。
6:底本は、「美事(みごと)」。
7:底本は、「最卒取(もそつとゝ)つて」。
8:底本は、「何(いづれ)もか」。
9:底本は、「な御責候ひぞ」。
10:底本は、「引とゝむ」。
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