咲嘩(さつくわ)(二番目 三番目)
▲アト「この辺りのものでござる。某(それがし)、初心講を結んで、近日、連歌の当(たう)に当たつてござる。何(いづ)れもは、連中で宗匠を頼めと仰(お)せあれども、身共が気に入らぬ。又、都の伯父御は、よう連歌をなさるゝによつて、この度の宗匠に頼みに遣はさうと存ずる。
{と云つて、呼び出すも常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。初心講を結んで、近日、連歌の当に当たつた。何(いづ)れもは、連中で宗匠を頼めと仰(お)せあれども、身共が気に入らぬ。又、都の伯父者人は、よう連歌をなさるゝによつて、この度の宗匠にお頼み申したい。と云うて、行(い)て来い。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「少々、御隙(おひま)いりがあらうとも、五日三日(ごにちさにち)は逗留してなりとも、御供して来い。
▲シテ「その段は、そつとも御気遣ひなされますな。
▲アト「急いで行(い)て、やがて戻れ。
{シテ、受ける、つめる。常の如し。}
▲シテ「火急な事を仰せ付けられた。まづ、急いで参らう。誠に、身共はいまだ、都を見物致さぬ。この度を幸ひに、こゝかしこをゆるゆる見物致さうと存ずる。わあわあ。これは、都近くと見えて、いかう賑やかな。さればこそ、都ぢや。又、田舎の家作(やづく)りとは違うて、軒と軒とを仲よさゝうに、ひつしりと建て並べた。扨も扨も、賑やかな事ぢや。わあ。身共は、はたと失念した事がある。伯父御は、どこ元にござるやら、又、どの様な御方やらも存ぜぬ。篤(とく)と問うて来れば良かつたものを。遥々(はるばる)の所を、問ひにも戻られまいし、何としたものであらう。やあやあ。《笑》さすが、都ぢや。売り買ふ者も、呼ばゝれば事が調(とゝの)ふと見えた。さらば、身共も呼ばゝつて参らう。しいしい。そこ元に、伯父御はござらぬか。田舎に甥を持つた人はないか。伯父御はござらぬか。
▲小アト「洛中に、心のすぐにない者でござる。あれへ、田舎者と見えて、何やらわつぱと申す。ちと、きやつにたづさはつて見ようと存ずる。なうなう、これこれ。
▲シテ「この方の事でござるか。
▲小アト「成程、そなたの事ぢや。わごりよは、この広い街道を、何をわつぱと仰(お)せある。
▲シテ「田舎者でござれば、わつぱの法度も存ぜいで申した。まつぴら、御免あれ。
▲小アト「いやいや。わつぱの法度を咎(とが)むるではない。何を仰(お)せある。事によつて、叶へておませうといふ事ぢや。
▲シテ「それは忝うござる。私は、頼うだ者の伯父御を尋ねまする。
▲小アト「して、その伯父を見知つておゐあるか。
▲シテ「これは、都人ともおぼえぬ事を仰せらるゝ。存じて居れば、この様に呼ばゝつては参りませぬ。知らぬによつて、呼ばゝつて歩(あり)く事でござる。
▲小アト「これは、身共が誤つた。すれば、そなたは仕合者(しあはせもの)ぢや。
▲シテ「仕合(しあはせ)と申して、かう見えた通りの者でござる。
▲小アト「いやいや。その様に、袖褄についての仕合(しあはせ)ではない。身共にお遇ひあつたが、仕合(しあはせ)といふ事ぢや。
▲シテ「それは又、どうした事でござる。
▲小アト「洛中に人多しといへども、そなたの尋ぬる伯父は、身共でおりある。
▲シテ「やあやあ。扨は、御前(おまへ)が伯父御様でござるか。
▲小アト「中々。
▲シテ「すれば、私は仕合(しあはせ)な者でござる。さう仰せらるれば、どこやらが良う似ました。
▲小アト「して、この度は、何と云うておこされた。
▲シテ「頼うだ者、申しまする。初心講を結んで、近日、連歌の当に当たつてござる。何(いづ)れもは、連中で宗匠を頼めと仰(お)せあれども、頼うだ者の気に入りませぬ。又、御前は、よう連歌をなさるゝによつて、この度の宗匠にお頼み申したいとあつて、私をおこされてござる。
▲小アト「それは、行きたいものなれども、かなはぬ隙(ひま)いりがあるによつて、え行くまい。
▲シテ「少々、御隙いりがあらうとも、五日三日は逗留してなりとも、御供せいと申されました。
▲小アト「その様に、御念の入つた事ならば、行(い)てやらうぞ。
▲シテ「それは、忝うござる。いざ、御出なされませ。
▲小アト「案内者のため、汝、先へ行け。
▲シテ「それならば、御先へ参りませう。
▲小アト「一段と良からう。
▲シテ「さあさあ、御出なされませ。
▲小アト「心得た。
▲シテ「扨、御出の通りを申してござらば、さぞ、頼うだ者が悦びませう。
▲小アト「して、頼うだ者は、よう連歌を召さるゝか。
▲シテ「よう連歌を召さるゝやら、辺りの衆が気に入りませぬ。
▲小アト「すれば、よう連歌を召さるゝと見えた。
▲シテ「いや、何かと申す内に、これでござる。御出の通りを申しませう。暫く、それにお待ちなされませ。
▲小アト「心得た。
{シテ、主を呼び出す。主出るも、常の如し。}
▲アト「何と、伯父御を御供申して来たか。
▲シテ「成程、御供致して参つてござる。
▲アト「どれに置いた。
▲シテ「御門前に待たせて置きました。
▲アト「人は、いくたりお連れなされた。
▲シテ「只、御身すがらでござる。
▲アト「それは、合点の行かぬ事ぢや。あの伯父者人は、かりそめに出させらるゝにも、人の五人や十人は、連れられぬといふ事はない。余り不思議な。物影から、そと見せい。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、扇広げ、主に物影より見せる体(てい)なり。}
▲アト「これはいかな事。あれを連れて来るといふ事があるものか。
▲シテ「少々、御隙いりがあると仰せられたを、色々と申して、やうやうと御供致してござる。
▲シテ「少々、御隙いりがあると仰せられたを、色々と申して、やうやうと御供致してござる。
▲アト「まだそのつれを云ふか。あれは、見乞(みご)ひの咲嘩というて、大(だい)の盗人(ぬすびと)ぢや。
▲シテ「あの、きやつでござるか。
▲アト「見乞ひといふ仔細を知るまい。余(よ)の常の盗人は、人の目顔を忍うで取る。きやつは、見た物を乞うても取るやうな者ぢやによつて、見乞ひ。咲嘩とは、盗人の異名。あの様な者を連れて来るといふ事があるものか。
▲シテ「扨は、盗人に極(きはま)りましたか。
▲アト「おんでもない事。
▲シテ「扨々、憎いやつでござる。私をまんまと騙しました。行(い)て、からめ捕つて参りませう。
▲アト「あゝ。まづ、待て待て。いかに盗人ぢやというて、目に見えた事もないに、聊爾にからめられはせまい。その上、あの様な者を荒立つれば、かへつて仇をなす。身共が良い様にあしらうて帰さう程に、かう通せ。
▲シテ「それは、いらぬものでござる。
▲アト「おのれが何を知つて。かう通しをれ。
▲シテ「あゝ、いらぬものぢやが。なう、そなたは物ぢやとの。
▲小アト「物とは。
▲シテ「見乞ひの咲嘩というて、大の盗人ぢやげな。面恥(つらはぢ)ない。身共を騙して、ようおりあつたなう。
▲小アト「それぢやによつて、身共が行くまいと云ふものを、無理にと云うて連れて来て。身共は、もはや帰るぞ。
▲シテ「あゝ。まづ、お待ちあれ。頼うだ人の仰(お)せあるには、そなたの様な人を荒立つれば、かへつて仇とやらを召さるげな。良い様にあしらうて帰さうと仰せらるゝ程に、かうお通りあれ。
▲小アト「その様な不首尾な所へ行く事は、嫌でおりある。
▲シテ「あゝ、これこれ。そなたを往(い)なせては、身共が迷惑する。平(ひら)に通つておくりあれ。
▲小アト「それならば、通らう程に、そこの首尾を頼むぞ。
▲シテ「心得た。咲嘩。
{アト、「しい」と目くばせする。}
▲小アト「不案内にござる。
▲アト「初対面でござる。
▲小アト「私も、田舎に甥を持つてござる。もし、彼が方(はう)から呼びに参つたと存じて、ふと参つて、面目もござらぬ。
▲アト「左様の人違(たが)ひは、あるものでござる。私も、これにをりませうなれども、結句、御窮屈にござらう。太郎冠者を、これに置きまする。緩(ゆる)りと御休息なされませ。
▲小アト「これは、お構ひなされまするな。
▲アト「その間に、御料理を申し付けませう。
▲小アト「それは、忝うござる。
▲アト「太郎冠者、これに居て、御馳走申せ。
▲シテ「畏つてござる。さあさあ、楽にお居あれ。
▲小アト「心得た。扨、これは、頼うだ人の御屋敷か。
▲シテ「成程、頼うだ人の座敷ぢや。
▲小アト「扨も扨も、広い座敷ぢやなう。
▲シテ「いやいや。まだ、あれからつゝとあれまで、広い事でおりあるわ。
▲小アト「何(いづ)れ、広い事ぢや。
{その内に、アト、手を叩き呼ぶを、聞いて、}
▲シテ「呼ばるゝ。行(い)て来う。
▲アト「行(い)ておりあれ。
▲シテ「何でござる。
▲アト「あの様な者は、つゝと目はづかしい者ぢや。何を好くと云うて問はゞ、小鳥を好くと云へ。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「中にも、鴬を好くと云はう。
▲シテ「心得ました。さあさあ、楽にお居あれ。
▲小アト「扨、頼うだ御方は、何ぞ、お好きがあるか。
▲シテ「おゝおゝ、あるとも。
▲小アト「何を好かせらるゝ。
▲シテ「小鳥が好きぢや。
▲小アト「何(いづ)れ、小鳥は面白いものぢや。して、小鳥の中(うち)にも、何を好かせらるゝ。
▲シテ「物ぢや。
▲小アト「物とは。
▲シテ「何やらであつたが。
▲小アト「忘れたか。
▲シテ「忘れた。
▲アト「忘れをつたさうな。
▲小アト「何ぢやの。
▲シテ「それ。これ程な小さい鳥が、藪の中をちらりちらりとするものぢや。お主は知らぬか。
▲小アト「それを、身共が知らう様がない。
▲シテ「あゝ、何やらぢや。おゝ、それそれ。ぐいす、ぐいす。
▲小アト「何ぢや。ぐいす。
▲シテ「中々。
▲小アト「ぐいすといふ鳥は、遂に聞かぬが。
▲アト「これはいかな事。
{主、あせりて、又呼ぶなり。}
▲シテ「又、呼ばるゝ。何でござる。
▲アト「おのれ、ぐいすといふ鳥があるものか。鴬ぢやわいやい。
▲シテ「あゝ、これこれ。今のは違うた。
▲小アト「何と、違うた。
▲シテ「鴬ぢや。
▲小アト「さうであらうとも。ぐいすといふ鳥は、つひに聞いた事がない。
▲シテ「それを忘れたと云うて、したゝか𠮟られた。
▲アト「はて、𠮟らいでも大事ない事を。
▲シテ「いつも、あれでおりやる。
{又、主呼ぶ。}
▲アト「又、呼ばるゝ。行(い)て来う。
▲小アト「行(い)ておりあれ。
▲シテ「何でござる。
▲アト「又、何を好くと云うて問はゞ、鷹を好くと云はう。
▲シテ「心得ました。
▲アト「よう取ると云はう。
▲シテ「合点でござる。こりや。まだ、好きがあるわ。
▲小アト「何ぢや、何ぢや。
▲シテ「鷹、鷹。
▲小アト「何(いづ)れ、鷹は、御大名の好かせられいで叶はぬものぢや。して、よう取るか。
▲シテ「取るとも、取るとも。昨日(きのふ)も肴屋町へ行(い)て、するめ五連、かつを十節(とふし)、取つたわ取つたわ。
▲小アト「あの、鷹がや。
▲シテ「おんでもない事。
▲小アト「これはいかな事。
▲アト「扨々、苦々しい事ぢや。
{主あせり、又呼ぶ。}
▲シテ「又、呼ばるゝ。何でござる。
▲アト「扨々、憎いやつの。鷹が、鯣や鰹を取つて良いものか。
▲シテ「でも、昨日、御台所の高之助が取つて参つたではござらぬか。
▲アト「あれは、背が高いによつて、異名を高高とこそ云へ。鷹が鯣や鰹を取つて良いものか。とかう云ふ内に、料理が出来た。給仕には、誰を使うたものであらうぞ。
▲シテ「誰彼と仰せられうより、私になされませ。
▲アト「おのれが様な腰の高い者が、何と、遣はるゝものぢや。
▲シテ「腰が高くば、いか程なりとも、低(ひき)めませう。
▲アト「やい。腰の高いといふは、おのれが様な不調法者の事ぢや。と云うて、誰を遣はう様もない。汝なりとも、遣はずばなるまい。云はれぬそちが才覚を已(や)めて、身共が云ふ様、する様にせい。
▲シテ「扨は、御前の真似をや。
▲アト「まだぬかしをる。最前から不調法な者を遣ひまして、こなたの手前、面目もござらぬ。太郎冠者、盃を出せ。
{シテ、アトの通り、最初からよく真似をする。}
盃を出せとは、おのれが事ぢや。
{シテ、又真似する。}
いや。最前、身共が云ふ様する様にせい。と云うたれば、真似をするさうな。
{シテ、又真似する。}
それは、おのれが事ぢや。
{シテ、又真似する。}
おのれを何とせう。
{と云つて、たゝく。真似するなり。}
▲小アト「あ痛、あ痛。
▲アト「あゝ、痛みませう。こちへござれ。
{と云つて、脇座へ直す。シテ、真似をし、元の座へ戻す。小アト、しかじかあり。}
▲小アト「苦しうござらぬ。
{シテ、真似する時、}
こりや、何とする。
▲アト「えゝ。苦々しいやつかな。
{と云つて、耳を持ち、小廻りをする。シテ、真似する。}
おのれは、物に狂ふか。
{と云つて、叩く。シテ、真似する。}
▲小アト「あ痛、あ痛、あ痛。
▲アト「あゝ、痛みませう。こちへござれ。
{と云つて、引き立つる。シテ、真似する。}
やいやい、放しをれ。
{シテ、真似するなり。}
放しをらいでな。
{シテ、真似する。}
こゝなやつに、物を云はせば方量がない。おのれが様なやつは、かうして置いたが良い。
{と云つて、シテを引き廻し、打ち負かす。}
▲小アト「ちと、左様になされたも、良うござらう。
▲アト「それに緩りとござれ。追つ付け、御料理を申し付けませう。
▲小アト「これへは、お構ひなされまするな。
▲小アト「これへは、お構ひなされまするな。
{アト入るなり、シテ起き上がり、又、小アトを引き立て、引き廻し、打ち負かす。アトの通り、真似し入る。小アト、後より入るなり。}
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
咲嘩(サツクハ)(二番目 三番目)
▲アト「この辺りのもので御座る、某初心講を結んで近日連歌の当にあたつて御座る、何れもは連中で宗匠を頼めとおせあれ共、身共が気に入らぬ、又都の伯父御はよう連歌を被成るゝに依つて、此度の宗匠に頼みに遣はさうと存ずる{と云て呼出すも如常}汝呼出す別の事でない、初心講を結んで近日連歌の当にあたつた、何れもは連中で宗匠を頼めとおせあれども、身共が気に入らぬ、又都の伯父者人{*1}は、よう連歌を被成るゝに依つて、此度の宗匠にお頼み申したいと云ふていて来い▲シテ「畏つて御座る▲アト「少々お隙入が有う共、五日三日は逗留してなり共お供してこい▲シテ「其段は卒ツ都もお気遣イ被成ますな▲アト「急いでいて頓て戻れ{シテうけるつめる如常}▲シテ「火急な事を仰せ付られた、先急いで参らう誠に身共はいまだ都を見物致さぬ、此度を幸ひに、爰かしこをゆるゆる見物致さうと存ずる、わあわあ、是は都近くと見へていかう賑やかな、さればこそ都ぢや、又田舎の家作りとは違うて、軒と軒とを中よさ相に、ひつしりとたてならべた、扨も扨も賑かな事ぢや、わあ、身共は果と失念した事がある、伯父御はどこ元に御座るやら、又どの様なお方やらも存ぜぬ、とくと問ふてくればよかつた者を、はるばるの所を問ひにも戻られまいし、何とした者で有う。やあやあ《笑》{*2}さすが都ぢや、売買う者も呼はれば事が調うと見えた、さらば身共も呼はつて参らう、しいしい、そこ元に伯父御は御座らぬか、田舎に甥をもつた人はないか、伯父御は御座らぬか▲小アト「洛中に心のすぐにない者で御座る、あれへ田舎者と見えて何やらわつパと申、ちときやつにたづさはつて見ようと存る、のふのふ是々▲シテ「此方の事で御座るか▲小アト「成程そなたの事ぢや、わごりよは此広ひ街道を何をわつぱとおせある▲シテ「田舎者で御座れば、わつぱの法度も存ぜいで申した、まつ平御免あれ▲小アト「いやいやわつぱの法度をとがむるではない、何をおせある事に依つて叶へておませうといふ事ぢや▲シテ「それは忝う御座る、私は頼うだ者の伯父御を尋ねまする▲小アト「して其伯父を見知つておゐあるか▲シテ「是は都人共おぼえぬ事を仰らるゝ、存じて居れば此様に呼はつては参りませぬ、知らぬに依つて呼はつてありく事で御座る▲小アト「是は身共があやまつた、すればそなたは仕合者ぢや▲シテ「仕合と申して、かう見えた通りの者で御座る▲小アト「いやいや其様に袖褄についての仕合ではない、身共にお遇あつたが仕合といふ事ぢや▲シテ「夫は又どうした事で御座る▲小アト「洛中に人おゝしと云へども、そなたの尋る伯父は身共でおりある▲シテ「やあやあ、扨はお前が伯父御様で御座るか▲小アト「中々▲シテ「すれば私は仕合な者で御座る、さう仰らるれば、どこやらがよう似ました▲小アト「して此度は何といふておこされた▲シテ「頼うだ者申まする、初心講を結んで近日連歌の当に当つて御座る、何れもは連中で宗匠を頼めとおせあれ共、頼うだ者の気に入りませぬ、又お前はよう連歌を被成るゝに依つて、此度の宗匠にお頼み申したいとあつて、私をおこされて御座る▲小アト「夫は行きたいものなれ共、かなはぬ隙入が有るに依つて得行くまい▲シテ「少々お隙入があらう共、五日三日は逗留して成共お供せいと申されました▲小アト「その様に御念の入つた事ならばいてやらうぞ▲シテ「夫は忝ふ御座る、いざお出被成ませ▲小アト「案内者の為汝先きへ行け▲シテ「それならばお先へ参りませう▲小アト「一段とよからう▲シテ「さあさあお出被成ませ▲小アト「心得た▲シテ「扨お出の通りを申して御座らば、嘸頼うだ者が悦びませう▲小アト「して頼うだ者はよう連歌をめさるゝか▲シテ「よふ連歌をめさるゝやら、辺りの衆が気に入ませぬ▲小アト「すればよう連歌をめさるゝと見えた▲シテ「いや何かと申す内に是で御座る、お出の通りを申ませう、暫らく夫におまち被成ませ▲小アト「心得た{シテ主を呼出す主出るも如常}▲アト「何と伯父御をお供申して来たか▲シテ「成程お供致して参つて御座る▲アト「どれにおいた▲シテ「御門前にまたせておきました▲アト「人はいくたりおつれ被成た▲シテ「唯御身すがらで御座る▲アト「夫は合点のゆかぬ事ぢやあの伯父者人{*3}は、かりそめに出させらるゝにも、人の五人や十人はつれられぬといふ事はない、余り不思議な物影からそと見せい▲シテ「畏つて御座る{ト云て扇ひろげ主に物影より見せる体なり}▲アト「是はいかな事、あれを連れて来るといふ事がある者か▲シテ「少々お隙入が有ると仰られたを、色々と申して、漸々とお供致して御座る▲アト「まだ其つれをいふか、あれは見乞の咲嘩{*4}といふて大の盗人ぢや▲シテ「あのきやつで御座るか▲アト「見乞といふ仔細を知るまい、余の常の盗人は人の目顔を忍ふで取る、きやつは見た物を乞うても取るやうな者ぢやに依つて、見乞、咲嘩{*5}とは盗人の異名、あの様な者をつれて来るといふ事が有る物か▲シテ「扨は盗人に極りましたか▲アト「おんでもない事▲シテ「扨々憎ひやつで御座る、私をまんまとだましました、いてからめ捕つて参りませう▲アト「あゝ先まてまて、いかに盗人ぢやといふて目に見えた事もないに、りやうぢにからめられはせまひ、其上あの様な者をあらだつれば、却つて仇をなす、身共がよい様にあしらうて{*6}返さう程にかう通せ▲シテ「それはいらぬ者で御座る▲アト「おのれが何を知つて、かう通しおれ▲シテ「あゝいらぬ物ぢやが、のふそなたは物ぢやとの▲小アト「物とは▲シテ「見乞の咲嘩といふて大の盗人ぢやげな、つら恥ない身共をだましてようおりあつたのふ▲小アト「夫ぢやに依つて、身共がゆくまいといふ者を、無理にといふてつれて来て、身共は最早帰るぞ▲シテ「あゝ先おまちあれ、頼うだ人のおせあるには、そなたの様な人をあらだつれば、却て仇とやらをめさるげな、よい様にあしらうて{*7}返さうと仰らるゝ程に、かうお通りあれ▲小アト「其様な不首尾な所へ行く事はいやでおりある▲シテ「あゝ是々そなたをいなせては身共が迷惑する平に通つておくりあれ▲小アト「夫ならば通らう程に、そこの首尾を頼ぞ▲シテ「心得た、咲嘩{アトしいと目くばせする}▲小アト「不案内に御座る▲アト「初対面で御座る▲小アト「私も田舎に甥を持て御座る、若し彼が方から呼に参つたと存じて、ふと参つて面目も御座らぬ▲アト「左様の人たがひは有物で御座る私も是におりませうなれ共、結句御きうくつに御座らう、太郎冠者を是におきまする、ゆるりと御休息なされませ▲小アト「是はおかまひ被成まするな▲アト「其間に御料理を申し付ませう▲小アト「夫は忝ふ御座る、▲アト{*8}「太郎冠者是にいて御馳走申せ▲シテ「畏つて御座る、さあさあらく{*9}にお居あれ▲小アト「心得た、扨是は頼うだ人の御屋敷か▲シテ「成程頼うだ人{*10}の座敷ぢや▲小アト「扨も扨も、広い座敷ぢやのふ▲シテ「いやいやまだあれからつゝと、あれまで広い事でおりあるは▲小アト「何れ広い事ぢや{其内にアト手をたゝき呼をきいて}▲シテ「呼るゝ{*11}いてかう▲アト「いておりあれ▲シテ「何で御座る▲アト「あの様な者はつゝと目はづかしい者ぢや、何をすくといふてとはゞ、小鳥をすくといへ▲シテ「畏つて御座る▲アト「中にも鴬をすくといはう▲シテ「心得ました、さあさあらく{*12}にお居あれ▲小アト「扨頼うだお方は何ぞおすきが有か▲シテ「おゝおゝ有る共▲小アト「何をすかせらるゝ▲シテ「小鳥がすきぢや▲小アト「何れ小鳥は面白ひ者ぢや、して小鳥の中にも何を好かせらるゝ▲シテ「物ぢや▲小アト「物とは▲シテ「何やらであつたが▲小アト「わすれたか▲シテ「わすれた▲アト「わすれおつたさうな▲小アト「何ぢやの▲シテ「それ是程な、ちいさい鳥が、藪の中をちらりちらりとする物ぢや、おぬしは知らぬか▲小アト「夫を身共が知らう様がない▲シテ「あゝ何やらぢや、おゝそれそれ、ぐいすぐいす▲小アト「何ぢやぐいす▲シテ「中々▲小アト「ぐいすといふ鳥は遂ひにきかぬが▲アト「是はいかな事{主あせりて亦呼ぶなり}▲シテ「又呼るゝ、何で御座る▲アト「おのれぐいすといふ鳥が有物か、鴬ぢやはいやい▲シテ「あゝ是々、今のは違うた▲小アト「何と違うた▲シテ「鴬ぢや▲小アト「さうであらう共、ぐいすといふ鳥はついに聞いた事がない▲シテ「夫をわすれたといふて、したゝかしかられた▲アト「果しからひでも大事ない事を▲シテ「いつもあれでおりやる{亦主呼ぶ}▲アト「又呼ばるゝいてかう▲小アト「いておりあれ▲シテ「何で御座る▲アト「又何をすくといふて問はゞ、鷹をすくといはう▲シテ「心得ました▲アト「よう取るといはう▲シテ「合点で御座る、こりやまだすきがあるは▲小アト「何ぢや何ぢや▲シテ「鷹々▲小アト「何れ鷹はお大名のすかせられいで{*13}叶はぬ者ぢや、してよふ取るか▲シテ「取る共取る共、きのふも肴屋町へいて、するめ五連、かつを十節、とつたはとつたは▲小アト「あの鷹がや▲シテ「おんでもない事▲小アト「是はいかな事▲アト「扨々にがにがしい事ぢや{主あせり又呼ぶ}▲シテ「又呼るゝ何で御座る▲アト「扨々にくいやつの鷹が鯣や鰹を取つてよいものか▲シテ「でもきなふお台所の高之助が、取つて参つたでは御座らぬか▲アト「あれは背が高ひに依つて、異名を高々とこそいへ、鷹が鯣やかつをゝ取つてよい物か、兎かう云ふ内に料理が出来た、きふじには誰をつかうた者であらうぞ▲シテ「誰かれと仰られうより私になされませ▲アト「おのれが様な腰の高い者が、何と遣はるゝものぢや▲シテ「腰が高くば、いか程なりともひきめませう{*14}▲アト「やい腰の高いといふは、おのれが様な不調法者の事ぢや、といふて誰を遣はう様もない、汝なり共遣はずばなるまい、いはれぬそちが才覚をやめて、身共がいふ様する様にせい▲シテ「扨はお前の真似をや▲アト「まだぬかしおる、最前から不調法な者を遣いまして、こなたの手前へ面目も御座らぬ、太郎冠者盃を出せ{シテアトの通り最初からよく真似をする}{*15}盃を出せとはおのれが事ぢや{シテ亦真似する}{*16}いや最前身共が、いふ様する様にせいと云たれば、真似をするさうな{シテ亦真似する}{*17}夫はおのれが事ぢや{シテ亦真似する}{*18}おのれを何とせう{ト云てたゝく真似するなり}▲小アト「あいたあいた▲アト「あゝいたみませうこちへ御座れ{ト云て脇座へ直すシテ真似をし元の座へ戻す小アトしかじかあり}▲小アト「苦しう御座らぬ{シテ真似するとき}{*19}こりや何とする▲アト「えゝにがにがしひやつかな{ト云て耳を持小廻りをするシテ真似する}{*20}おのれは物に狂ふか{ト云てたゝくシテ真似する}▲小アト「あいたあいたあいた▲アト「あゝいたみませうこちへ御座れ{ト云て引立るシテ真似する}{*21}やいやいはなしおれ{シテ真似するなり}{*22}はなしおらいでな{*23}{シテ真似する}{*24}爰なやつに物をいはせば方量{*25}がない、おのれが様なやつは、かうしておいたがよい{ト云てシテを引廻し打まかす}▲小アト「ちと左様に被成たもよう御座らう▲アト「夫にゆるりと御座れ、追付お料理を申付ませう▲小アト「是へはおかまい被成まするな{アト入るなりシテ起きあがり亦小アトを引立て引廻し打まかすアトの通り真似し入る小アト後より入るなり}
校訂者注
1・3:底本は、「伯父(おぢ)や人(ひと)」。
2:底本は、「やあ(二字以上の繰り返し記号){笑フ}」。
4・5:底本は、「囃嘩(さつくわ)」。
6・7:底本は、「応答(あしらう)て」。
8:底本、ここに「▲アト「」はない。
9・12:底本は、「ろくにお居(ゐ)あれ」。
10:底本は、「頼うた人」。
11:底本は、「呼る々いてかう」。
13:底本は、「すかせられいて」。
14:「ひきめませう」は、底本のまま。
15~18・20~22・24:底本、全て「▲アト「」がある(全て略)。
19:底本、ここに「▲小アト「」がある(略す)。
23:底本は、「はなしおらいてな」。
25:底本は、「方領(ほうれう)」。
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