鎧腹巻(よろひはらまき)(脇狂言)
▲アト「この辺りの者でござる。この中(ぢゆう)、方々(はうばう)の御道具くらべは、夥(おびたゞ)しい事でござる。それに付いて、近日、鎧腹巻をくらべさせられうとの御事でござる。まづ、太郎冠者を呼び出し、申し付けう。
{と云つて呼び出す。常の如し。}
汝呼び出す、別の事でない。何とこの中(ぢゆう)、方々の御道具くらべは、夥しい事ではないか。
▲シテ「御意なさるゝ通り、事長じた義でござる。
▲アト「それに付いて、近日、鎧腹巻をくらべさせられうとの御事ぢや。身が内に、鎧がない。汝は、太儀ながら都へ上つて、鎧腹巻を求めて来い。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「総じて、鎧には、甲(かぶと)・頬当(ほゝあ)て・臑当(すねあ)てなどというて、小道具がある。又、ざつくと着て縅(をど)す物もあるげな。失念せぬ様に、念を入れて求めて来い。
▲シテ「その段は、そつとも御気遣ひなされますな。
{常の如く、つめる。}
火急な事を仰せ付けられた。まづ、急いで参らう。
{と云つて、しかじか、都へ着く。この類、「咲嘩」の通り、違はず。}
やあやあ。すれば、こなたが鎧腹巻屋の御亭主でござるか。
▲小アト「中々。
▲シテ「すれば、私は仕合(しあは)せ者でござる。鎧腹巻が欲しうござる。見せて下されい。
▲小アト「見せう程に、暫くそれに、お待ちあれ。
▲シテ「心得ました。
▲小アト「これはいかな事。田舎者を、まんまと騙してはござれども、何を、それぢやと申して売つてやらう物がない。又、こゝに、鎧腹巻の事を書いた物がござる。これを、騙して売つてやらうと存ずる。なうなう、お居やるか。
▲シテ「これにをります。
▲小アト「これこれ、鎧腹巻をお見あれ。
▲シテ「扨々、こびた物でござる。甲・頬当て・臑当てというて、色々の道具が揃うてある様に仰(お)せありましたが、この分で、良うござるか。
▲小アト「それぞれ、御好みにも悉く合(あは)せてやらう。まづ、これをかうすれば、甲。又、かうすれば、頬当て。或いは、臑当てにせうと、儘ぢや。外に道具があるではない。
▲シテ「ざつくと着ておどす物がある。と仰(お)せありました。
▲小アト「そなたの頼うだ御方は、御功者なと見えた。それにお待ちあれ。
▲シテ「心得ました。
▲小アト「これこれ、この内にある。これは、むさとあくる物ではない。各々御参会の時に、あけさしませ。中に、ざつくと着ておどす物がある。扨、何と、その書いた物は読めるか。
▲シテ「これは、仮名で書いてあるによつて、読めます。
▲小アト「それは一段ぢや。これを読めば、鎧腹巻の仔細が委しう済む。扨、末に、猶これ口伝あり。といふは、則、甲・頬当て・臑当ての事ぢや。さう心得さしませ。
▲シテ「段々聞けば、尤でござる。扨、代物(だいもつ)は何程でござる。
▲小アト「万疋でおりある。
▲シテ「それは余り高うござる。もそつとまけて下され。
▲小アト「いやいや。鎧腹巻に限つて、負けはない。嫌ならば、置かしめ。
▲シテ「それとても、求めませう。則ち、代物は三條の大黒屋で渡しませう。
▲小アト「成程、大黒屋。存じて居る。あれで受け取るであらう。
▲シテ「も、かう参る。
▲小アト「何と、お行きあるか。
▲シテ「中々。
▲二人「さらば、さらば。
▲シテ「なうなう、嬉しや、嬉しや。ざつと埒があいた。まづ、急いで帰らう。誠に、隙(ひま)がいらうかと存じたれば、重畳の者に出合うて、この様な悦ばしい事はござらぬ。この由(よし)を、頼うだ御方に申し上げたらば、さぞ御満足なさるゝであらう。いや、何かと申す内に、戻つた。まづ、これは、こゝに置いて。申し。頼うだ御方、ござりますか。
{と云つて、呼び出す。主、常の如く出る。}
▲アト「何と、鎧腹巻を求めて来たか。
▲シテ「成程、求めて参つてござる。
▲アト「それは、でかいた。急いで見せい。
▲シテ「畏つてござる。この書を御覧なされませ。
▲アト「これは、誰ぞ手習ひをするために、手本を求めて来たか。この様な物はいらぬ。鎧腹巻を見せい。
▲シテ「御存知なければ、御尤でござる。追つ付け、仔細を申し上げませう。まづ、これが鎧でござる。
▲アト「これを鎧と云ふ仔細は、何とぢや。
▲シテ「さらば、この書を読みませう程に、お聞きなされませ。
▲アト「やい、そこな者。身共が前で高腰を掛くるは、何事ぢや。
▲シテ「御尤ではござれども、これ、鎧への恐れでござる。御免なされませ。
▲アト「それならば、急いで読め。
▲シテ「いや、御前(おまへ)は下にござりませ。
▲アト「いや、こゝなやつが。汝が腰をかけて居るに、身共が何と、下に居らるゝものぢや。
▲シテ「私へと思し召すによつてゞござる。鎧への恐れでござる。まづ、お下にござれ。
▲アト「扨々、難しい事ぢやなあ。
▲シテ「《詞》初春の、良き緋縅(ひをどし)の着背長(きせなが)は、皆、小桜縅となりにけり。扨又、夏は卯の花や、垣根の水に洗河(あらひがは)。秋になりてのその色は、いつも軍(いくさ)に勝つ色の、紅葉にまがふ錦川。冬は雪気(ゆきげ)の空晴れて、甲の星も菊の座も、皆華やかに縅毛の、思ふ敵(かたき)を打糸(うちいと)の、我が名を高く上巻(あげまき)や。後ろを敵(てき)に見せざれば、これぞ嘉例の御鎧。扨、家路に帰りつゝ、大筒(おほづゝ)しゆかい{*1}据ゑ並べ、一家一族内の人、謡酒盛舞ひ遊び。扨、物の具は唐櫃(からびつ)や、釼(つるぎ)は箱に納むれば、弓は袋を出さずして、国も豊かに民栄え、治まる御代とぞなりにける。秘すべし、秘すべし。猶これ、口伝あり。
▲アト「やいやい。その、口伝ありとは何事ぢや。
▲シテ「畏つてござる。
▲アト「これは、何とする。
▲シテ「あまり、お騒ぎなさるな。かやうに、所々(ところどころ)へ当てまするによつて、甲・頬当て・臑当て、外に道具はない。と申しまする。
▲アト「さて、ざつくと着て縅す物は。
▲シテ「中々、それもござる。追つ付け、御目にかけませう。はつちや、怖(こは)もの。扨も扨も、凄まじい物でござる。
▲アト「扨々、そちは臆病な者ぢや。その内にある程な物が、深しい事があらうか。早う見せい。
▲シテ「いや、御覧(ごらう)じますな。それはそれは、恐ろしい物でござる。
▲アト「何をぬかしをる。早う見せい。
▲シテ「今、出しますぞや。
▲アト「何をして居る。早う出さぬかいやい。
▲シテ「はて、忙(せは)しない。今出しますわいの。
▲アト「早う見せい。
▲シテ「とつて噛まう、とつて噛まう。
▲アト「これは、何とする。
▲シテ「かやうに致すが、ざつくと着て嚇(おど)す物ぢや。と申しました。
▲アト「あのやくたいもない。退(しさ)りをれ。
{常の如く、留めて入るなり。}
校訂者注
1:「しゆかい」は、不詳。
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
鎧腹巻(ヨロヒハラマキ)(脇狂言)
▲アト「此辺りの者で御座る、此中方々のお道具くらべは夥敷事で御座る、夫に付て近日鎧腹巻をくらべさせられうとの御事で御座る、先太郎冠者を呼出し申付う{ト云て呼出如常}{*1}汝呼出す別の事でない、何と此中方々のお道具くらべは夥た敷事ではないか▲シテ「御意被成る通り、事長じた義で御座る▲アト「夫に付て、近日鎧腹巻をくらべさせられうとのお事ぢや、身が内に鎧がない、汝は太儀ながら都へ上つて鎧腹巻を求めて来い▲シテ「畏つて御座る▲アト「総て鎧には甲ほうあて、すねあて抔と云ふて小道具がある、又ざつく{*2}ときておどす物もあるげな{*3}、失念せぬ様に念を入れて求めて来い▲シテ「其段は卒都もお気遣ひ被成ますな{如常つめる}{*4}火急{*5}な事を仰付られた先急ひで参らう{ト云てシカシカ都へつく此類咲嘩の通不違}{*6}やあやあすれば{*7}こなたが、鎧腹巻やの御亭主で御座るか▲小アト「中々▲シテ「すれば私は仕合せ者で御座る、鎧腹巻がほしう御座る、見せて下されい▲小アト「見せう程に暫らく夫にお待ちあれ▲シテ「心得ました▲小アト「是はいかな事{*8}、田舎者をまんまとだましては御座れ共、何を夫ぢやと申して売てやらう物がない、又爰に鎧腹巻の事を書た物が御座る、是をだまして売てやらうと存ずる、なうなうお居やるか▲シテ「是におります▲小アト「是々鎧腹巻をお見あれ▲シテ「扨々こびた物で御座る、甲ほうあて、すねあてと云て、色々の道具が揃うて有様におせありましたが、此分でやう御座るか▲小アト「それぞれお好にも悉く合てやらう、先是をかうすれば甲。又かうすればほうあて、或はすねあてにせうと儘ぢや、外に道具が有ではない▲シテ「ざつくときておどす物があるとおせありました▲小アト「そなたの頼うだお方は御功者なと見えた、夫にお待ちあれ▲シテ「心得ました▲小アト「是々、此内に有る、是はむさとあくる{*9}物ではない、各々御参会の時にあけさしませ{*10}、中にざつくときておどす物が有る、扨何と其書た物はよめるか▲シテ「是はかなでかいてあるに依つて読めます▲小アト「夫は一段ぢや、是を読めば鎧腹巻の仔細が委敷済、扨末に猶此口伝有といふは、則甲。ほうあて。すね当ての事ぢや、さう心得さしませ▲シテ「段々聞けば尤で御座る、扨代物は何程で御座る▲小アト「万疋でおりある▲シテ「夫は余り高う御座る、最卒都まけて下され▲小アト「いやいや鎧腹巻に限つて負はない、いやならばおかしめ▲シテ「夫迚も求めませう、則代物は三條の大黒屋で渡しませう▲小アト「成程大黒屋存じて居る、あれで受取であらう▲シテ「もかう参る▲小アト「何とお行あるか▲シテ「中々▲二人「さらばさらば▲シテ「なうなう嬉しや嬉しやざつと埒が明いた{*11}、先急ひで帰らう、誠に隙が入うかと存じたれば、重畳の者に出合うて、此様な悦ばしい事は御座らぬ、此よしを頼うだお方に申上げたらば、嘸御満足被成るゝで有う、いや何かと申す内に戻つた、先是は爰に置て、もふし頼うだ{*12}お方御座りますか{ト云て呼出す主如常出る}▲アト「何と鎧腹巻を求めて来たか▲シテ「成程求めて参つて御座る▲アト「夫は出かいた。急ひで見せい▲シテ「畏つて御座る、此書を御覧被成ませ▲アト「是は誰ぞ手習ひをする為に、手本を求めて来たか、此様な物はいらぬ、鎧腹巻を見せい▲シテ「お存知なければ御尤で御座る、追付仔細を申上ませう、先是が鎧で御座る▲アト「是を鎧といふ仔細は何とぢや▲シテ「さらば此書を読ませう程にお聞被成ませ▲アト「やいそこな者、身共が前で高腰を掛るは何事ぢや▲シテ「御尤では御座れ共、是鎧ゑの恐で御座る、御免なされませ▲アト「夫ならば急いで{*13}読め▲シテ「いやお前は下に御座りませ▲アト「いやこゝなやつが、汝が腰をかけて居るに、身共が何と下にゐらるゝものぢや▲シテ「私ゑと思召に依てゞ御座る、鎧ゑの恐で御座る、先お下に御座れ▲アト「扨々六ケ敷い事ぢやなあ▲シテ「《詞》初春の、よき緋威のきせながは、皆小桜縅と成りにけり、扨又夏は卯の花や、垣根の水に洗河、秋に成ての其色は、毎も軍に勝つ色の、紅葉にまがう錦川、冬は雪気の空晴て、甲の星も菊の座も、皆はなやかに縅毛の、思ふ敵を打糸の、我名を高く上巻や、後ろを敵に見せざれば是ぞ嘉例の御鎧、扨家路に帰りつゝ、大づゝしゆかいすへならべ、一家一族内の人、謡酒盛舞遊、扨物の具はからびつや、釼は箱に納むれば、弓は袋を出さずして、国も豊に民栄へ、納まる御代とぞ成にける、秘すべし秘すべし猶是口伝あり▲アト「やいやい其口伝ありとは何事ぢや▲シテ「畏て御座る▲アト「是は何とする▲シテ「あまりおさはぎ被成な、此様に所々へ当まするに依つて、甲頬当臑当外に道具はないと申まする▲アト「さてざつく{*14}と着ておどす{*15}物は▲シテ「中々夫も御座る、追付けお目にかけませう、はつちやこは物、扨も扨もすさまじひ{*16}物で御座る▲アト「扨々そちは臆病なものぢや、其内に有程な物が深敷事が有うか、早う見せい▲シテ「いやごらうじますな、夫は夫は恐敷物で御座る▲アト「何をぬかしおる早う見せい▲シテ「いまだしますぞや▲アト「何をして居る早う出さぬかいやい▲シテ「果、せはしない今出しますはいの▲アト「早う見せい▲シテ「とつてかまふとつてかまふ▲アト「是は何とする▲シテ「かやうに致すが、ざつく{*17}と着ておどす物ぢやと申ました▲アト「あのやくたいもないしさりおれ{如常留て入也}
校訂者注
1:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
2・14・17:底本は、「さつく」。
3:底本は、「あるけな」。
4・6:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
5:底本は、「過急(くわきふ)」。
7:底本は、「すれは」。
8:底本は、「是はいなか事」。
9:底本は、「明(あく)る」。
10:底本は、「明(あけ)さしませ」。
11:底本は、「ざつと埒が明いて」。
12:底本は、「頼(たの)うたお方(かた)」。
13:底本は、「急いて」。
15:底本は、「おとす」。
16:底本は、「すさましひ」。
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