宝の槌(たからのつち)(脇狂言 二番目)
▲アト「この辺りの者でござる。この中(ぢゆう)、方々(はうばう)の御宝くらべは、夥(おびたゞ)しい事でござる。又、何(いづ)れも、重ねては、目の前に現奇特のある宝を、くらべさせられうとの御事ぢや。まづ、太郎冠者を呼び出し、申し付けう。
{と云つて、呼び出す。出るも常の如し。}
この中(ぢゆう)、方々の御宝くらべは、夥しい事ではないか。
▲シテ「御意なさるゝ通り、事長じた儀でござる。
▲アト「扨、重ねては、目の前に現奇特のある宝を、くらべさせられうとの事ぢや。身が道具の内に、その様な物があるか。
▲シテ「御道具は、悉く存じて居りまするが、目の前に現奇特のある宝と申すは、覚えませぬ。
▲アト「汝が知らずば、無いであらう。何と、都にはあらうか。
▲シテ「何が扨、都にないと申す事はござるまい。
▲アト「それならば、汝は大儀ながら都へ行(い)て、宝を求めて来い。
▲シテ「畏つてござる。
{これより、この類、同じ意(こゝろ)なり。扨て扨て云つて、都へ着き、「宝を買はう」と呼ばゝる。小アト出て、色々しかじか云ふまで、「咲嘩」の類、同断なり。違はず。}
▲小アト「田舎者を、まんまと騙してはござれども、何を宝ぢやと申して、売つてやらう物がござらぬ。こゝに、古い太鼓のばちがござる。これを、面白可笑しう申して、売つて遣はさうと存ずる。なうなう。田舎人、居さしますか。
▲シテ「これにをります。
▲小アト「何と、手は綺麗なか。
▲シテ「随分、手は綺麗でござる。
▲小アト「それならば、宝をお見あれ。
▲シテ「心得ました。
{と云つて、手に取り、見て、}
いや、この様な物は入りませぬ。その、宝を見せて下され。
▲小アト「あゝ、南無宝、南無宝。扨々、そなたは麁相な人ぢや。これが、宝でおりある。
▲シテ「して、それを宝と云ふには、何ぞ仔細がござるか。
▲小アト「成程、仔細がある。《語》昔、鎮西八郎為朝といふ御方があつた。さる仔細あつて、鬼が島へ渡らせられたれば、鬼どもが、取つて服(ぶく)せうと云うたを、いやいや、むさとは服せられまい、何なりとも力勝負をして、負けたらば服せられうず。勝つたにおいては、蓬莱の島の宝を渡せ。との御約束で、色々力勝負をなされたれども、皆、為朝殿がお勝ちなされて、鬼神に横道なし。と、蓬莱の島の宝、隠れ蓑に隠れ笠・打出の小槌、三つの宝を我が朝に渡した。蓑と笠とは、さる御大名にあり、又、この槌は、都の重宝にとあつて、残し置かれたれども、余りそなたが欲しさうに仰(お)せあるによつて、売つてもやらうかといふ事でおりある。
▲シテ「謂(いは)れを聞けば、尤でござる。して、目の前に現奇特がござるか。
▲小アト「奇特と云つぱ、この槌から、何でも欲しい物を打ち出せば、出(づ)る事でおりある。
▲シテ「扨々、それは調法な物でござる。それならば、早う打ち出して見せさつしやれ。
▲小アト「いやいや。宝は主(ぬし)を思ふもので、わごりよが求めようと仰(お)せあれば、早(はや)、この宝はそなたに備はつてある。そなた、打ち出してお見あれ。
▲シテ「それならば、私、打ち出して見ませうか。
▲小アト「一段と良からう。
▲シテ「して、何を打ち出したものでござらうぞ。
▲小アト「されば、何が良からうぞ。
▲シテ「何が良うござらうぞ。
▲小アト「見れば、そなたは丸腰ぢや。腰の物を打ち出してお見あれ。
▲シテ「幸ひ私も、腰の物は、かねがね望みでござる。腰の物を打ち出しませう。
▲小アト「それも、只は出ぬ。これには呪文がある。
▲シテ「それは、難しい事でござるか。
▲小アト「別に、難しい事ではない。蓬莱の島なる、蓬莱の島なる、鬼の持つ宝は、隠れ蓑に隠れ笠、打出の小槌。諸行無量常、諸行無量常。くわつしこくに、くわつたり、くわつたり。と、左右へ廻つて、我を忘れて打ち出す事でおりある。
▲シテ「成程、覚えました。それならば、打ち出しませう。
▲小アト「一段と良からう。
▲シテ「蓬莱の島なる、蓬莱の島なる、鬼の持つ宝は、隠れ蓑に隠れ笠、打出の小槌。諸行無量常、諸行無量常。くわつしこくに、くわつたり、くわつたり。
{と云つて、仕舞ありて、正面にて打ち出す。その内に小アト、小さ刀持ち出し、シテの内股より向かうへ投げ出すなり。}
▲小アト「そりあ、出たわ、出たわ。
▲シテ「誠にこれは、見事な腰の物が出ました。扨も扨も、奇特な事でござる。まづこれは、私が差しませう。
▲小アト「あゝ、これこれ。まだ、求めもせぬ先から、その腰の物を差すといふ事が、あるものでおりあるか。
▲シテ「これは尤でござる。求めませうが、代物(だいもつ)は何程でござる。
▲小アト「万疋でおりある。
▲シテ「それは、余り高直(かうぢき)にござる。もそつと負けて下され。
▲小アト「いやいや。宝に限つて、負けはない。嫌ならば、置かしめ。
▲シテ「それとても、求めませう。則ち代物は、三條の大黒屋で渡しませう。
▲小アト「成程、大黒屋。存じて居る。あれで受け取るであらう。
▲シテ「も、かう参る。
{常の通り、暇乞ひして行くなり。}
なうなう、嬉しや、嬉しや。ざつと、埒があいた。まづ、急いで帰らう。誠に、隙(ひま)がいらうかと存じたれば、重畳の宝屋に出合うて、この様な悦ばしい事はござらぬ。頼うだ御方へ申し上げたらば、さぞ、御満足なさるゝであらう。いや、何かと云ふ内に、戻つた。まづ、この宝は、この所へ置いて。
{と云つて、大鼓座に置き、常の如く呼び出す。}
▲アト「えい。太郎冠者、戻つたか。
▲シテ「只今帰りました。
▲アト「やれやれ、太儀であつた。して、宝を求めて来たか。
▲シテ「成程、求めて参つてござる。
▲アト「それは、出かいた。急いで見せい。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、大鼓座より持ち出て、}
何と、御手は綺麗にござるか。
▲アト「成程、綺麗な。
▲シテ「ちと、御手水でもお遣ひなされませぬか。
▲アト「はて扨、綺麗なと云ふに。
▲シテ「さらば、宝を御目にかけませう。
▲アト「はあ。汝は、身共が小鳥に好くと思うて、餌擂粉木(ゑすりこぎ)を求めて来たさうな。まづ、その宝を見せい。
▲シテ「あゝ、南無宝、南無宝。扨々、御前(おまへ)は麁相な御方でござる。これが、宝でござる。
▲アト「何ぢや。それが宝ぢや。
▲シテ「中々。
▲アト「して、それを宝と云ふには、何ぞ仔細があるか。
▲シテ「成程、仔細がござる。《語》昔、鎮西八郎為朝といふ御方がござつた。さる仔細あつて、鬼が島へ渡らせられたれば、鬼どもが、とつて服せうと云うたを、いやいや、むさとは服せられまい。何なりとも力勝負をして、負けたらば服せられうぞ。勝つたにおいては、蓬莱の島の宝を渡せ。との御約束で、色々力勝負をなされたれども、皆、為朝殿がお勝ちなされて、鬼神に横道なしと、蓬莱の島の宝を、隠れ蓑に隠れ笠・打出の小槌、三つの宝を我が朝へ渡した。蓑と笠とは、さる御大名にあり、又、この槌は、都の重宝にとあつて、残し置かれたを、色々と申して、やうやうと求めて参りました。
▲アト「謂(いは)れを聞けば、尤ぢや。して、目の前に現奇特があるか。
▲シテ「奇特な。
▲アト「中々。
{シテ、小さ刀を見するなり。}
▲シテ「これを御覧(ごらう)じませ。
▲アト「汝は、都へのぼつた時は、丸腰であつたが、その腰の物は、求めて来たか。
▲シテ「いかないかな。この腰の物を、則ち、この槌から打ち出しましてござる。
▲アト「あの、その腰の物をや。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「扨も扨も、それは、重宝な物を求めて来た。それならば、何なりとも打ち出して見せい。
▲シテ「都の者が申しまするには、宝は主を思ふもので、御前がお求めなされた物でござるによつて、早(はや)この宝は、御前に備はつてござる。御前、打ち出して御覧(ごらう)じませ。
▲アト「成程、尤なれども、汝、太儀ながら、身共が名代(みやうだい)に打ち出してくれい。
▲シテ「左様ならば、私、御名代に打ち出しませう。
▲アト「一段と良からう。
▲シテ「して、何を打ち出しませうぞ。
▲アト「されば、何が良からうぞ。
▲シテ「長柄(ながゑ)を五十筋ばかり、打ち出しませうか。
▲アト「いや。その様な物は、当分いらぬ物ぢや。
▲シテ「それならば、鉄砲を百から、打ち出しませう。
▲アト「いやいや。それも、いらぬ物ぢや。この中(ぢゆう)、馬に好いて乗れば、馬に事を欠く程に、馬を打ち出してくれい。
▲シテ「これは、御尤でござる。左様ならば、馬を打ち出しませう。さりながら、これも、只は出ませぬ。呪文がござる。
▲アト「さうであらうとも。
▲シテ「追つ付け、打ち出しませう。
▲アト「早う打ち出せ。
▲シテ「畏つてござる。《カゝル》蓬莱の島なる、蓬莱の島なる、鬼の持つ宝は、隠れ蓑に隠れ笠・打出の小槌。諸行無量常、諸行無量常。くわつしこくに、くわつたり、くわつたり。
{と云つて、立ち廻り、正面にて振るなり。口伝。}
▲アト「出たか、出たか。
▲シテ「いや。只、馬とばかり仰せられたによつて、出ませなんださうにござる。毛色は、何が良うござらう。
▲アト「されば、何が良からうぞ。
▲シテ「連銭葦毛は、何とでござらうぞ。
▲アト「いや。それは、気に入らぬ。
▲シテ「左様ならば、月毛か、河原毛は。
▲アト「それも、気に入らぬ。只、黒の馬を打ち出せ。
▲シテ「はあ。黒の馬でござるか。
▲アト「中々。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、以前の如く云つて、仕舞、色々あつて、振るなり。}
▲アト「出たか、出たか。
▲シテ「いや。追つ付け出まするが。申し、この馬に、足を八本付けたらば、何とでござらう。
▲アト「それは又、どうした事ぢや。
▲シテ「はて、四本でさへ早うござるに、まして八本付けたらば、猶、早うござらう。
▲アト「これはいかな事。足の八本ある馬が、何の役に立つものぢや。只、黒の馬を打ち出せ。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、又、打ち出す。しかじかの内、仕様あるべし。口伝。}
▲アト「出たか、出たか。
▲シテ「もう出(づ)る筈でござるが。いや、申し。この馬に、後先(あとさき)へ頭(かしら)を付けたらば、何とで宜しうござらう。
▲アト「それは又、どうした事ぢや。
▲シテ「細道・仮橋などをお通りなさるゝ時、向かうからも御馬の参つた時に、後じさりをする様に、後先へ頭を付けたらば、良うござりませう。
▲アト「扨々、むさとした事を云ふものぢや。後先に頭のある馬が、何の役に立つものぢや。只、黒の馬を打ち出せ。
▲シテ「畏つてござる。
{と云つて、又、しかじかあり。その内、ばちを振り、叩きなどする、同断。仕様、口伝。}
▲アト「出たか、出たか。
▲シテ「あゝ、忙(せは)しない。今、出(づ)る所であつたものを、こなたが喧(かしま)しう仰せられたによつて、引つ込みました。
▲アト「隙(ひま)のいる事ぢや。早う打ち出さぬかいやい。
▲シテ「成程、打ち出しませうが、さりながら、この御座敷へ打ち出しましたらば、荒馬の事でござるによつて、はね廻つて、御座敷の戸障子も、たまりますまい。まづ、今日(こんにち)は御宝蔵(おたからぐら)へ収めて置きまして、又近日、打ち出しませう。
▲アト「こりやこりや。それが何と、待たるゝものぢや。汝が今、この所へ打ち出せば、その儘、身共が乗りしづむる事ぢや。
▲シテ「扨は、こなたが召しまするか。
▲アト「中々。
▲シテ「それならば、打ち出しませう。
▲アト「急いで打ち出せ。
▲シテ「心得ました。
{と云つて、仕方、前に同断。その内、主、扇差し、身構へする内に、シテ、正面へ出て打ち出す。アト、太郎冠者に至る。}
▲アト「どうどう、どう。
▲シテ「あゝ、申し申し。私でござる、私でござる。
▲アト「えい。太郎冠者か。
▲シテ「左様でござる。
▲アト「して、馬は何とぢや。
▲シテ「馬は、只今出まするが、それについて、おめでたい事がござる。
▲アト「それは、何事ぢや。
▲シテ「追つ付け、御立身をなされて、御普請をなされう御瑞相に、あそこやこゝに、鍛冶・番匠の音が、くわつたり、くわつたりと聞こえまする。
▲アト「それこそめでたけれ。行(い)て休め。
{と云つて、常の如く、留めて入るなり。}
底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.)
宝の槌(タカラノツチ)(脇狂言 二番目)
▲アト「此辺りの者で御座る、此中方々のお宝くらべはおびたゞしい事で御座る、又何れも重ねては目の前に、現奇特のあるたからをくらべさせられうとのお事ぢや、先太郎冠者を呼出し申付う{ト云て呼出す出るも如常}{*1}この中方々のお宝くらべは、おびたゞしい事ではないか▲シテ「御意被成るゝ通り事長じた儀で御座る▲アト「扨重ねては、目の前に現奇特のある宝をくらべさせられうとの事ぢや、身が道具の内に其様な物{*2}があるか▲シテ「お道具は悉く存じて居りまするが、目の前に現奇特のある宝と申は覚えませぬ▲アト「汝がしらずば無いで有う、何と都には有らうか▲シテ「何が扨都にないと申事は御座るまい▲アト「夫ならば汝は、大儀ながら、都へいて宝を求めて来い▲シテ「畏つて御座る{是より此類同意なり扨て扨て{*3}云て都へつき宝をかはうとよばはる小アト{*4}出て色々しかしか云ふ迄咲嘩の類同断也不違}▲小アト「田舎者をまんまとだましては御座れ共、何を宝ぢやと申て、売つてやらう物が御座らぬ、爰に古ひ太鼓のばちが御座る、是を面白おかしう申して売て遣はさうと存ずる、のふのふ田舎人いさしますか▲シテ「是におります▲小アト「何と手は綺麗なか▲シテ「随分手は綺麗で御座る▲小アト「夫ならば宝をお見あれ▲シテ「心得ました{ト云て手に取見て}{*5}いや此様な物{*6}は入ませぬ、其宝を見せて下され▲小アト「あゝ南無宝南無宝、扨々そなたは麁相な人ぢや、是が宝でおりある▲シテ「してそれを宝といふには何ぞ仔細が御座るか▲小アト「成程仔細がある《語》むかし鎮西八郎為朝といふお方があつた、去るしさいあつて鬼が島へ渡らせられたれば、鬼共が取てぶくせうといふたを、いやいやむさとはぶくせられまい、何成共力勝負をして負たらばぶくせられうず、勝つたにおいては、蓬莱{*7}の島の宝を渡せとのお約束で、色々力勝負をなされたれども、皆為朝殿がお勝なされて、鬼神に横道なしと、蓬莱の島の宝隠れみのに隠れ笠、打出の小槌、三つの宝を我朝に渡したみのと笠とはさるお大名にあり、又此槌は、都の重宝{*8}にと有つて残し置れたれ共、余りそなたがほしさうにおせあるに依つて、売つてもやらうかといふ事でおりある▲シテ「謂をきけば尤で御座る、して目の前に現奇特が御座るか▲小アト「きどくと云つぱ、此槌から何でも欲しい物を打出せば出る事でおりある、▲シテ{*9}「扨々夫は調法な物で御座る、夫ならば早う打出して見せさつしやれ▲小アト「いやいや宝はぬしを思ふもので、わごりよが求めやうとおせあれば、早此宝はそなたにそなはつてある、そなた打出してお見あれ▲シテ「それならば私打出して見ませうか▲小アト「一段とよからう▲シテ「して何を打出した物で御座らうぞ▲小アト「されば何がよからうぞ▲シテ「何がよふ御座らうぞ▲小アト「見ればそなたは丸腰ぢや、腰の物を打出してお見あれ▲シテ「幸ひ私も腰の物はかねがね望みで御座る、腰の物を打出しませう▲小アト「夫も唯は出ぬ、是には呪文がある▲シテ「夫は六づか敷い事で御座るか▲小アト「別に六づか敷い事ではない、蓬莱の島なる蓬莱の島なる、鬼のもつ宝は隠れみのに隠れ笠、打出の小槌、しよぎやう無量常しよぎやう無量常、くわつしこくにくわつたりくわつたりと、左右へ廻つて我を忘れて打出す事でおりある▲シテ「成程おぼえました、それならば打出しませう▲小アト「一段とよからう▲シテ「蓬莱の島なる蓬莱の島なる、鬼の持宝は隠れみのに隠れ笠打出の小槌、諸行無量常諸行無量常、くわつしこくにくわつたりくわつたり{ト云て仕舞ありて正面にて打出す其内に小アト小サ刀持出シテの内股より向ふへなげいだす也}▲小アト「そりあ出たは出たは▲シテ「誠に是は見事{*10}な腰の物が出ました、扨も扨も奇特な事でござる、先是は私がさしませう▲小アト「あゝ是々、まだ求めもせぬ先から、其腰の物をさすといふ事が有物でおりあるか▲シテ「是は尤で御座る、求めませうが代物は何程で御座る▲小アト「万疋でおりある▲シテ「夫は余り高直に御座る、最卒都負て下され▲小アト「いやいや宝に限つて負はない、いやならばおかしめ▲シテ「それ迚も求めませう、則代物は三條の大黒屋で渡しませう▲小アト「成程大黒屋存じて居る、あれで請取で有う▲シテ「最かう参る{常の通り暇乞して行くなり}{*11}のふのふ嬉しや嬉しや、ざつと埒があいた、先急いで帰らう、誠に隙が入らうかと存じたれば、重畳{*12}の宝やに出合うて、此様な悦ばしひ事は御座らぬ、頼うだお方へ申上たらば、嘸御満足被成るゝで有う、いや何かといふ内に戻つた、先此宝は此所へ置いて{ト云て大鼓座に置如常呼出す}▲アト「えい太郎冠者戻つたか▲シテ「唯今帰りました▲アト「やれやれ太儀であつた、して宝を求めて来たか▲シテ「成程求めて参つて御座る▲アト「夫は出かいた急いで見せい▲シテ「畏つて御座る{ト云て大こ座より持ち出て}{*13}何とお手は綺麗に御座るか▲アト「成程綺麗な▲シテ「ちとお手水でもお遣ひなされませぬか▲アト「はて扨きれいなと云ふに▲シテ「さらば宝をお目にかけませう▲アト「はあ汝は身共が小鳥にすくと思ふて、餌すりこ木を求めて来たさうな、先其宝を見せい▲シテ「あゝ南無たから南無たから、扨々お前は麁相なお方で御座る、是が宝で御座る▲アト「何ぢや夫が宝ぢや▲シテ「中々▲アト「してそれを宝といふには、何ぞ仔細があるか▲シテ「成程仔細が御座る《語》むかし鎮西八郎為朝といふお方が御座つた、さる仔細あつて鬼が島へ渡らせられたれば、鬼共がとつてぶくせうといふたを、いやいやむさとはぶくせられまい、何なり共力勝負をして負たらばぶくせられうぞ、勝つたに於ては、蓬莱の島の宝を渡せとのお約束で、色々力勝負を被成たれ共、皆為朝殿がお勝ち被成て、鬼神に横道なしと、蓬莱の島の宝を、隠れみのに隠れ笠打出の小槌三つの宝を、我朝へ渡した、みのと笠とは去る御大名にあり、又此槌は、都の重宝にとあつて、残し置れたを、色々と申して、漸と求めて参りました▲アト「謂をきけば尤ぢや、して目の前に現奇特があるか▲シテ「奇特な▲アト「中々{シテ小さ刀{*14}を見するなり}▲シテ「是を御らうじませ▲アト「汝は都へのぼつた時は、丸腰であつたが、其腰の物{*15}は求めて来たか▲シテ「いかないかな、この腰の物を、則この槌から打出しまして御座る▲アト「あの其腰の物をや▲シテ「左様で御座る▲アト「扨も扨も夫は重宝な物を求めて来た、夫ならば何なりとも打出して見せい▲シテ「都の者が申しまするには、宝はぬしを思ふもので、お前がお求めなされた物{*16}で御座るに依つて、はや此宝はお前にそなはつて御座る、お前打出して御らうじませ▲アト「成程尤なれども、汝太儀ながら身共が名代に打出して呉い▲シテ「左様ならば、私御名代に打出しませう▲アト「一段とよからう▲シテ「して何を打出しませうぞ▲アト「されば何がよからうぞ▲シテ「長柄を五十筋ばかり打出しませうか▲アト「いや其様な物は当分いらぬ物{*17}ぢや▲シテ「それならば鉄砲を百から打出しませう▲アト「いやいやそれもいらぬ物{*18}ぢや、此中馬にすひてのれば、馬に事を欠く程に、馬を打出してくれい▲シテ「是は御尤で御座る、左様ならば馬を打出しませう{*19}去り乍ら、是も唯は出ませぬ、呪文が御座る▲アト「さうであらう共▲シテ「追付け打出しませう▲アト「早う打出せ▲シテ「畏つて御座る《カゝル》蓬莱の島なる蓬莱の島なる、鬼の持つ宝は隠れみのに隠れ笠打出の小槌、諸行無量常諸行無量常、くわつしこく{*20}にくわつたりくわつたり{ト云て立廻り正面にてふるなり口伝}▲アト「出たか出たか▲シテ「いや唯馬と計りおほせられたに依つて、出ませなんださうに御座る、毛色は何がよふ御座らう▲アト「されば何がよからうぞ▲シテ「連銭あし毛は何とで御座らうぞ▲アト「いやそれは気に入らぬ▲シテ「左様ならば月毛か、かわら毛は▲アト「夫も気に入らぬ、唯黒の馬を打出せ▲シテ「はあ黒の馬で御座るか▲アト「中々▲シテ「畏つて御座る{ト云て以前の如く云て仕舞色々有てふるなり}▲アト「出たか出たか▲シテ「いや追付け出まするが、申し此馬に足を八本付けたらば何とで御座らう▲アト「夫は亦どうした事ぢや▲シテ「はて四本でさへ早う御座るに、まして八本つけたらば、猶早う御座らう▲アト「是はいかな事、足の八本ある馬が何の役に立つものぢや、唯黒の馬を打出せ▲シテ「畏つて御座る{ト云て亦打出シカシカの内仕様あるべし口伝}▲アト「出たか出たか▲シテ「もふずる筈で御座るが、いや申し此馬に、跡先へかしらを付けたらば何とで宜敷御座らう▲アト「夫は又どうした事ぢや▲シテ「細道仮橋などをお通り被成るゝ時、向うからもお馬の参つた時に、{*21}跡じさりをする様に、跡先へ頭を付けたらばよう御座りませう▲アト「扨々むさとした事をいふ者ぢや、跡先に頭のある馬が、何の役に立つ者ぢや、唯黒の馬を打出せ▲シテ「畏つて御座る{ト云て亦シカシカ有其内ばちをふりたゝき抔する同断仕様口伝}▲アト「出たか出たか▲シテ「あゝせはしない、今出る所であつたものを、こなたがかしましう仰られたに依つて、引込みました▲アト「隙の入事ぢや早う打出さぬかいやい▲シテ「成程打出しませうが、去り乍ら、此お座敷へ打出しましたらば、荒馬の事で御座るに依つて、はね廻つてお座敷の戸障子も、たまりますまい、先今日は御宝蔵へおさめて置まして、又近日打出しませう▲アト「こりやこりや、夫が何とまたるゝものぢや、汝が今此所へ打出せば、其儘身共がのりしづむる事ぢや▲シテ「扨はこなたがめしまするか▲アト「中々▲シテ「夫ならば打出しませう▲アト「急いで打出せ▲シテ「心得ました{ト云て仕方前に同断其内主扇さし身構へする内にシテ正面へ出て打出すアト太郎冠者に至る{*22}}▲アト「どふどふ、どふ▲シテ「あゝ申し申し、私で御座る私で御座る▲アト「えい太郎冠者か▲シテ「左様で御座る▲アト「して馬は何とぢや▲シテ「馬は唯今出まするが夫についてお目出たい事が御座る▲アト「夫は何事ぢや▲シテ「追付御立身を被成て、御普請を被成う御瑞相に、あそこやこゝに鍛冶番匠の音が、くわつたりくわつたりと聞えまする▲アト「夫こそ目出たけれ、いて休め{ト云て如常留て入るなり}
校訂者注
1:底本、ここに「▲アト「」がある(略す)。
2・6・15~18:底本は、「者(もの)」。
3:「扨て(二字以上の繰り返し記号)云て」は、底本のまま。
4:底本は、「小アド」。
5・11・13・19:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
7:底本は、「宝来(ほうらい)」。
8:底本は、「都の調法(てうはう)」。
9:底本、ここに「▲シテ「」はない。
10:底本は、「美事」。
12:底本は、「重々(てうでう)」。
14:底本は、「小さか」。
20:底本は、「ぐわつしこく」。
21:底本は、「参(まゐ)いた時(とき)に、と跡(あと)」。
22:「アト太郎冠者に至る」は、底本のまま。
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