連歌盗人(れんがぬすびと)(二番目)

▲シテ「この辺りに住居(すまひ)致す者でござる。某(それがし)、初心講を結んで、近日、連歌の当(たう)に当たつてござる。さりながら、身上不如意にござるによつて、この当を勤めよう手段(てだて)がござらぬ。又こゝに、誰殿と申して、相当(あひたう)がござる。今日は、これへ参り、談合致さうと存ずる。誠に、内に居らるれば良うござるが。これも、身共に劣らぬ貧者でござるによつて、何とあらうぞ。心元ない事でござる。いや、何かと申す内に、これぢや。
{と云ひて、案内乞ふ。出づるも常の如し。}
私でござる。
▲アト「えい、こゝな。何と思し召しての御出でござる。
▲シテ「何と、内々(ないない)の当も、近付いたではござらぬか。
▲アト「仰せの通り、当は近付きまする。何となる事ぢやとばかり、存じて居りまする。
▲シテ「扨、こなたには、何ぞ御用意でござるか。
▲アト「かつて、用意致さぬでもござらぬ。要る物ぢやと存じて、杉楊枝を二十本ばかり、削つて置きました。
▲シテ「何(いづ)れこれは、無うて叶はぬ物でござる。して、その他は、何でござる。
▲アト「まづ、この分でござる。
▲シテ「何。その分でござるか。
▲アト「中々。
▲シテ「《笑》この度の当が、杉楊枝二十本ばかりでは、勤まりますまいぞや。
▲アト「して、こなたには、何ぞ御用意でござるか。
▲シテ「いや。私も、かつて用意致さぬでもござらぬ。要るものぢやと存じて、杉葉や南天の葉を用意してござる。
▲アト「何(いづ)れこれも、無うて叶はぬ物でござる。して、その外は、何でござる。
▲シテ「いや。まづ、この分でござる。
▲アト「あの、その分でござるか。
▲シテ「中々。
▲アト「《笑》身共がのを笑はせらるゝによつて、何ぞ、一廉(いつかど)の御用意もあるかと存じたれば、何と、この度の当が、杉葉や南天の葉で、勤まる事ではござるまいぞや。
▲シテ「それに就いて、ちと御相談を致したい事がござれども、こゝは、余り端近(はしぢか)でござる。苦しうなくば、奥へ通りませうか。
▲アト「随分、苦しうござらぬ。ついとお通りなされい。
▲シテ「心得ました。
▲アト「まづ、下にござれ。
▲シテ「はあ。
▲アト「扨、御相談なされたいとは、いかやうな事でござる。
▲シテ「別の事でもござらぬが、さりながら、この事を申し出して、御承引あれば良うござれども、もし御承引ない時は、異なものでござる。
▲アト「何が扨、この度の当さへ勤まる事ならば、同心致さいでなりませうか。
▲シテ「それならば、申して見ませうか。
▲アト「さあさあ、早う仰せられい。
▲シテ「則ち、これも当でござるが、かの誰殿と申す人は、この辺りでの有徳人ではござらぬか。
▲アト「何(いづ)れ、この辺りでの手前者(てまへしや)でござる。
▲シテ「今宵、これへ秘(ひそ)かに忍び入つて、案内なしに、道具をひと色ふた色借りて参り、それを代(しろ)なして。
{と云ひさして、笑ひ、}
いや。も、申しますまい、申しますまい。
▲アト「あゝ、これこれ。皆まで仰せられな。どうで、その様な事でなくば、この度の当は勤まりますまい。
▲シテ「扨は、こなたにも、御同心でござるか。
▲アト「同心致さいでなりませうか。
▲シテ「やれやれ、嬉しや。この事を申し出して、御承引なれば良うござれども、もし御承引ない時は、異なものぢやと存じてござる。それならば、このやうな事は、宵からつけたが良いと申す。いざ、参りませうか。
▲アト「一段と良うござらう。
▲シテ「いざ、御出なされい。
▲アト「まづ、案内者のため、こなたからござれ。
▲シテ「案内者とは、迷惑でござる。
{と云ひて、二人とも笑ふ。}
さあさあ、ござれ。
▲アト「心得ました。
▲シテ「扨、何と思し召す。身上がならねば、色々の思案が出(づ)る事でござる。
▲アト「いや。又、身上ともかう致してござらば{*1}、元々へ返済致しませうわ、扨。
▲シテ「何(いづ)れ、仰せらるれば、その様なものでござる。いや、何かと云ふ内に、これでござる。
▲アト「誠に、これでござる。
▲シテ「この中(ぢゆう)、普請をせられたと聞いたが、中々厳しい体(てい)でござる。
▲アト「これでは入られますまいぞや。
▲シテ「まづ、裏へ廻つて見ませう。
▲アト「良うござらう。
▲シテ「裏も、この体(てい)ならば、気の毒でござるが。
▲アト「いや。確かにまだ、裏は半造作(はんざうさく)とやら、聞きました。
▲シテ「あゝ、これこれ。表に似ぬ裏ぢや。
▲アト「その通りぢや。
▲シテ「この葦垣(よしがき)を破れば、あなたは坪の内ぢや。いざ、葦垣を破りませう。
▲アト「一段と良うござらう。
▲シテ「して、こなたは何ぞ、御用意がござるか。
▲アト「いや。私は何も、用意はござらぬ。
▲シテ「私は、かやうの時のためぢやと存じて、鋸を用意致してござる。
▲アト「これは、良い御嗜みでござる。
▲シテ「あゝ、これこれ。御嗜みとは、迷惑でござる。
{と云ひて、両人笑ひて、ちやつと口へ手を当て、}
いざ、葦垣を破りませう。
▲アト「一段と良うござらう。
{鋸を扇にてする。「づかづか」と云ひて、引く心にて、三度あり。「しい」と云ひて呼ぶ。アト、心にて頷(うなづ)き寄り、扨、両人、手を掛け、「めりめり」と云ひて引き破り、驚き逃げる。仕様、口伝。}
▲シテ「誰殿。
▲アト「誰殿。
{と云ひて、互に二探(ふたさぐ)り、行き当たり、驚き、互に透かして、}
▲シテ「誰か。
▲アト「誰か。
▲シテ「何と、鳴つたではないか。
▲アト「夥(おびたゞ)しう鳴つた。
▲シテ「身共は、今のめりめりに驚いて、ちやつと耳を塞(ふさ)いだ。
▲アト「身共も、耳を塞いだ。
▲シテ「しつけぬ事とて、狼狽(うろた)ゆるものぢや。身共らが耳を塞いだというて、人が聞くまい事は。
▲アト「その通りぢや。
{と云ひて笑ひ、ちやつと口へ手を当てる。}
誰も、聞き付けはせぬか。
▲アト「いやいや。聞き付けもせぬやら、人音もせぬ。
▲シテ「いざ、葦垣を越えう。
▲アト「一段と良からう。
▲二人「やつとな。
{と云ひて、両人とも、葦垣を越ゆるなり。}
これさへ越せば、心安い。
▲アト「その通りぢや。
▲シテ「これこれ。この戸をあくれば、あなたは座敷ぢや。いざ、戸をあけう。
▲アト「一段と良からう。
▲シテ「ごろごろごろ。
{と云ひて戸をあけ、二人とも驚き、逃げる。}
南無三宝、火が点(とも)つてあるわ。
▲アト「誰も起きては居ぬかの。
▲シテ「いやいや。亭主が念者(ねんしや)ぢやによつて、有明(ありあけ)をかな、置かれたものであらう。
▲アト「身共は、見付られうばしか、胸がだくだくする。
▲シテ「その様な気の弱い事があるものか。身共についておりあれ。
▲アト「余り奥へは、無用でおりある。
▲シテ「はあ。これは、宵に客があつたと見えて、大分、道具が取り散らしてある。
▲アト「何(いづ)れ、夥しい道具ぢや。
▲シテ「幸ひの手燭ぢや。ちと見物致さう。
▲アト「一段と良からう。
▲シテ「はあ。これは、茶の湯の道具ぢや。
▲アト「誠に、茶の湯の道具ぢや。
▲シテ「風炉釜。
▲アト「茶碗、茶入。
▲シテ「水こぼし。
▲アト「扨も扨も、結構な道具ぢや。
▲シテ「これ一色(ひといろ)あれば、この度の当は、楽々と勤まるといふものぢや。
▲アト「宝の山といふは、この事ぢや。
▲シテ「床(とこ)か。
▲アト「誠に、床ぢや。
▲シテ「懐紙。
▲アト「何とあるぞ。
▲シテ「水に見て、月の上なる木(こ)の葉かな。扨々、面白い事ぢや。
▲アト「これはたしか、亭主が屋固めの時の、出来発句かと存ずる{*2}。
▲シテ「誠にそなたは、良い覚えぢや。成程、その様な事であつた。何と、これに添へ発句をせうと思ふが、何とあらう。
▲アト「扨々、そなたは、むさとした事を仰(お)せある。その隙(ひま)に、何なりともひと色ふた色取つて、すかさうではあるまいか。
▲シテ「尤なれども、今宵これへ忍び入つたも、連歌故ではないか。
▲アト「いかさま、それもさうぢや。
▲シテ「まづ、下にお居あれ。
▲アト「心得た。
▲シテ「何とあらうぞ。
▲アト「されば、何とあらうぞ。
▲シテ「かうもあらうか。
▲アト「何と。
▲シテ「梢散り。
{アト、吟ずるなり。}
顕(あらは)れやせん下紅葉(したもみぢ)。
▲アト「はあ。こりあ、ちと差し合ひがある。
▲シテ「いや。発句に差し合ひはないものでおりある。
▲アト「いや。発句に差し合ひはないものなれども、今宵の座敷にこの、顕れやせん。が、耳に障つて悪い。
▲シテ「これは、尤ぢや。それならば、顕れやせぬ。に致さう。
▲アト「これは、早う直つた。身共が、脇を致さう。
▲シテ「一段と良からう。
▲アト「かうもあらうか。
▲シテ「何と。
▲アト「時雨の音を盗む松風。
▲シテ「又、悪い。
▲アト「どこでおりある。
▲シテ「この、盗む。が悪い。
▲アト「尤なれども、まだ今宵、これへ忍び入つて、楊枝一本盗みはせぬによつて、苦しうあるまいが。
▲シテ「何(いづ)れ、それもさうぢや。まづ、吟じて見よう。
▲アト「一段と良からう。
{と云ひて、二人、「水に見て」より段々、吟ずる。この内に、小アト出る。二人とも、その声を聞き、うろたへるなり。}
▲小アト「やあやあ。何、盗人(ぬすびと)が入つた。やいやい、盗人が入つた。裏へも表へも、人を廻せ。こゝは身共が防ぐぞ。松明を出せ、松明を出せ。
▲シテ「南無三宝、聴きつけたさうな。
▲小アト「やるまいぞ、やるまいぞ。
▲アト「苦々しい事ぢや。
▲小アト「がつきめ、やらぬぞ。
▲シテ「あゝ、聊爾をなされますな。盗人ではござりませぬ。
▲小アト「おのれ、夜中(やちゆう)に人の内へ忍び入つて、盗人でないとは。
▲シテ「御座敷が綺麗なと承りまして。なあ。
▲アト「おゝ、おゝ。
▲二人「見物に参りました。
▲小アト「何の、見物とは。
▲アト「申し申し。今のは違ひました。ありやうは、なあ。
▲シテ「おゝ、おゝ。
▲二人「道(だう)に迷ひましてござる。
▲小アト「まだ、そのつれをぬかしをるか。
▲二人「お許されませ、お許されませ。
▲小アト「扨、最前から、何やら吟ずる様な声がした。何であつたぞ。
▲シテ「いや。もう、お聞きなさるゝ様な事ではござりませぬ。
▲小アト「いやいや。何やら、面白さうな事であつた。早う云うて聞かせ。
▲シテ「左様ならば、申しませう。御床の懐紙に、水に見て、月の上なる木の葉かな。とござつたによつて、慮外ながら、添へ発句を致しましてござる。
▲小アト「して、それは、何とした。
▲シテ「これ。わごりよ、云うてくれい。
▲アト「はて、そなた、仰(お)せあれ。
{と云ひて、互にせり合ふなり。}
▲小アト「早うぬかしをらぬか。
▲シテ「あゝ。申しまする、申しまする。梢散り、顕れやせぬ下紅葉。と致してござれば、こゝな小盗人が、脇を致しましてござる。
{と云ひて、アトを向かうへ突き出す。}
▲小アト「それは、何とぢや。
▲アト「これこれ。そなた、序(ついで)に云うておくれあれ。
▲シテ「はて、そなたの句ぢや。わごりよ、仰(お)せあれ。
▲小アト「早う云はぬか。
▲アト「あゝ、申しまする。時雨の音を盗む松風。と致してござれども、未だ楊枝一本、盗みは致しませぬ。
{と云ひて、シテを突き出す。}
▲小アト「むゝ。盗みをする程の奴なれども、小賢しい事を云ふ。身共が、第三をせう程に、四句目を付けい。付け得たらば、命を助けうず。付けねば命を取る程に、さう心得い。
▲シテ「これは、お出来なさるゝでござりませう。
▲小アト「かうもあらうか。
▲二人「御句、早う。何と。
▲小アト「闇の頃。
{吟ずるなり。}
月を哀れと忍び来て。
▲シテ「したり。
▲アト「天神も上覧なれ。
▲二人「扨々、面白い事でござる。
▲小アト「付けをらぬかいやい。
▲二人「あゝ。付けまする、付けまする。
▲小アト「早う付けい。
▲シテ「さあ。わごりよ、付けてくれい。
▲アト「はて。そなた、付けさしめ。
{と云ひて、互に争ふ。}
▲小アト「早う付けい。
▲シテ「あゝ。付けます、付けます。かうもござりませうか。
▲小アト「何と。
▲シテ「醒むべき夢ぞ。
{小アト、吟ずる。}
許せ、鐘の音。
▲小アト「一段と出来た。命を助くる。もと入つた所から、出て行け。
▲シテ「ありがたう存じまする。さりながら、左様になされてござつては、何とやら窮屈にござる。ちとお寛(くつろ)げなされて下されい。
▲小アト「成程。これは、尤ぢや。さあさあ、太刀も鞘に収めたぞ。
▲シテ「それは、ありがたう存じまする。
▲小アト「早う出て行け。
▲シテ「さあ、そなたからお行きやれ。
▲アト「まづ、そなたからお行きあれ。
{互にせり合ふなり。}
▲小アト「早う行かぬかいやい。
▲シテ「はあ。左様ならば、お許されませ、お許されませ。
{と云ひて、両人、顔を隠して行く。行き違ひさまに、二人の袖をのけ、名を云ふ。}
▲小アト「誰々。
▲二人「面目もござりませぬ。
▲小アト「これはいかな事。面目ないどころでは、あるまい。これはまづ、どうした事でおりある。
▲シテ「いや。私は、参るまいと申してござれども、あの者が、参れば良い事があると申したによつて、参りました。
▲アト「あゝ、申し。それは、あちらこちらでござる。私は、参るまいと申してござれども、あの者が、参れば何やら良い事があると申して。あれ、鋸まで用意致してござる。
▲シテ「しい。そのやうな事を、云はぬものでおりある。
▲小アト「いやいや。互に論は無用。定めてこれには、様子があらう程に、その様子を、早う仰(お)せあれ。
▲シテ「さればの事でござる。内々の当は、近付きまする。御存じの通り、身上不如意にござつて、この当を勤めう手段(てだて)がござらぬによつて、今宵、こなたへ秘(ひそ)かに忍び入つて、案内なしに、道具をひと色ふた色借りて参り、それを代(しろ)なして、この度の当を勤めうと存じて、ふと参つて。なあ。
▲アト「おゝ、おゝ。
▲二人「面目もござりませぬ。
▲小アト「その様な事を仰(お)せあつたらば、どうなりともならうに。まづ、互に怪我なうて、満足した。夜寒にもある。酒を一つ振舞はう。暫くお待ちあれ。
▲シテ「忝うはござれども、命をお助けなさるゝ上の事でござる。これは、御無用になされませ。
▲小アト「いやいや。暫く待たしめ。
▲アト「申し申し。
▲シテ「あゝ。これは、騙しはせぬかの。
▲アト「二つ取りならば、早う往(い)にたいものぢや。
▲小アト「さあさあ。一つ、呑ましめ。
{と云ひて出る、二人驚き、下に居る。}
▲シテ「これは又、御自身に、御苦労にござりまする。
▲小アト「身共が酌を致さう。
▲シテ「それは、慮外でござる。
▲小アト「苦しうない。丁度お呑みあれ。さあさあ、そなたもお呑みあれ。
▲アト「これは、ありがたう存じまする。
{引き違へて、三献づゝ呑ます。この類、同断。}
▲シテ「御陰で、胴の震ひが已(や)みましてござる。
▲小アト「扨、誰へ申す。何がなと思へども、もはや、下々(したじた)も寝静まつて居る。これは近頃、持ち古びたれども、そなたへ贈る程に、これを代(しろ)なして、この度の当を勤むるやうに召され。
▲シテ「あの、これを私へ下さりますか。
▲小アト「中々。
▲シテ「まづ以て、忝うはござれども、命をお助けなされた上に、御酒(ごしゆ)まで下されて、まだその上にこの様な物が、何と申し受けられませう。これは、御斟酌を申し上げませう。
▲小アト「それは、いらぬ辞儀ぢや。取つて置かしめ。
▲シテ「これは、どうござらうとも、御斟酌申しまする。
▲小アト「はて、身共が志ぢや。取つて置かしめ。
▲シテ「幾重にも、御斟酌申しまする。
{と云ひて、互に云ふ。アト、気の毒がる。}
▲アト「あゝ、これこれ。あなたから下さるものを、その様にお辞儀申すは、結句、慮外ぢや。戴いて置かしませ。
▲シテ「左様ならば、戴いて置きませう。
▲小アト「それが良からう。
▲シテ「ありがたう存じまする。
▲小アト「扨、誰へ申す。何がなと思へども、只今申す通りの事ぢや。これは近頃、差し古びたれども、そなたへ贈る程に、これを代りになして、今度の当を勤むる様に召され。
▲アト「あの、これを私へ下さりまするか。
▲小アト「中々。
▲アト「まづ以て、ありがたうはござれども、只今あの者へ下された御太刀で、この度の当は、楽々と勤まりまする。これは、御斟酌を申しまする。
▲小アト「はて、いらぬ辞儀ぢや。取つて置かしめ。
{と云ひて、以前の如くにせり合ふ。}
▲シテ「あゝ、これこれ。あなたは、おゝやけ殿ぢや{*3}。戴いて置かしませ。
▲アト「左様ならば、戴いて置きませう。
▲小アト「それが良からう。
▲アト「これは、ありがたう存じまする。
▲小アト「扨、両人へ申す。お知りある通り、身共も連歌好きぢや。この後は、節々(せつせつ)、御出あれ。さりながら、今宵の様に、案内なしに裏からは、無用ぢや。重ねては案内を乞うて、表から御出あれ。
▲シテ「《笑》御尤に存じまする。さりながら、私共が参りませずば、他に参る者はござりますまいによつて、背戸も門(かど)も、なあ。
▲アト「おゝ、おゝ。
▲二人「あけ放して置かせられませ。
▲小アト「これは、尤ぢや。扨、身共もこれに居ようなれども、結句、窮屈にあらう。勝手へ行く程に、ゆるりと休息してお帰りあれ。
▲シテ「それは、忝う存じまする。
{と云ひて、小アト、大小の前に、下に居る。}
▲シテ「何と、これは、夢のさめたやうな事ではないか。
▲アト「いかさま、これは、夢のさめ果てた様な事ぢや。
▲シテ「これと云ふも、日頃、連歌に好く故の事ぢや。この様な時は、いざ、どつと和歌をあげて往(い)なう。
▲アト「これは、一段と良からう。
▲シテ「そなたも謡へ。
▲アト「心得た。
▲シテ「げにや、和歌のその道、鬼神(おにかみ)までも納受とは、かゝる事をや申すらん。
《上》{*4}げに世の常の習ひには、げに世の常の習ひには、盗人を捕らへては、切るこそ法と聞くものを、この盗人は、さはなくて、連歌に好ける優しさに、呼び入れて見参(げんざう)し{*5}、酒一つ呑ませて、太刀。
▲アト「刀。
▲二人「賜(た)びにけり。これかや、事のたとへに、盗人に追いといふ事は、かゝる事をや申すらん、かゝる事をや申すらん。
▲シテ「なう、そなたと。
▲アト「そなたと。
▲シテ「五百八十年。
▲アト「万々年。
▲シテ「それこそめでたけれ。ちやつと渡しめ。
▲アト「心得た、心得た。
{と云ひて、二人留めて入るなり。}

校訂者注
 1:「身上ともかう致す」は、「家の経済状態をどうにか維持できている」というほどの意。
 2:「出来発句(できぼつく)」は、「よくできた発句」の意。
 3:「おゝやけ殿」は、「金持ち、資産家」の意。
 4:底本、ここ「げに世の常のならひには」から「斯かる事をや申すらん、斯かる事をや申すらん」まで、傍点がある。
 5:「見参(げんざう)」は、「対面する」意。

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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連歌盗人(レンガヌスビト)(二番目)

▲シテ「此辺りに住居致す者で御座る、某初心講を結んで近日連歌の当に当つて御座る、去りながら身上不如意に御座るに依つて、此当を勤めやう手段が御座らぬ、又爰に誰殿と申して合当が御座る、今日は是へ参り談合致さうと存ずる、誠に内にゐらるればよう御座るが、是も身共に劣らぬ貧者で御座るに依て、何とあらうぞ心許ない事で御座る、いや何彼と申す内に是ぢや{ト云ひて案内乞出ずるも如常}{*1}私で御座る▲アト「えい爰な、何と思召してのお出で御座る▲シテ「何と内々の当も近付いたでは御座らぬか▲アト「仰の通り当は近付まする、何となる事ぢやと計り存じて居りまする▲シテ「扨こなたには何ぞ御用意で御座るか▲アト「嘗て用意致さぬでも御座らぬ、要る物ぢやと存じて杉楊枝を二十本計り削ツて置きました▲シテ「何れ是は無うて叶はぬ物で御座る、してその他は何で御座る▲アト「先づ此分で御座る▲シテ「何その分で御座るか▲アト「中々▲シテ「《笑》此度の当が杉楊枝二十本計りでは勤まりますまいぞや▲アト「してこなたには何ぞ御用意で御座るか▲シテ「いや私も曽て用意致さぬでも御座らぬ、要るものぢやと存じて杉葉や南天の葉を用意して御座る▲アト「何れ是も無うて叶はぬ物で御座る、してその外は何ンで御座る▲シテ「いや先づ此分で御座る▲アト「あのその分で御座るか▲シテ「中々▲アト「《笑》身共がのを笑はせらるゝに依つて、何ンぞいつかどの御用意もあるかと存じたれば、何と此度の当が、杉葉や南天の葉で勤る事では御座るまいぞや▲シテ「それに就て、ちと御相談を致したい事が御座れども、爰は余り端近で御座る、苦うなくば奥へ通りませうか▲アト「随分苦しう御座らぬ、ついとお通りなされい▲シテ「心得ました▲アト「先づ下に御座れ▲シテ「ハア▲アト「扨、御相談なされたいとは如何様な事で御座る▲シテ「別の事でも御座らぬが去りながら、此事を申し出して御承引あればよう御座れども、若し御承引ない時は異な物で御座る▲アト「何が扨、此度の当さへ勤る事ならば、同心致さいでなりませうか▲シテ「それならば申して見ませうか▲アト「さあさあ早う仰せられい▲シテ「則、是も当で{*2}御座るが、彼誰殿と申す人は此辺りでの有徳人では御座らぬか▲アト「何れ此辺りでの手前者で御座る▲シテ「今宵是へ秘かに忍び入つて、案内なしに道具をひと色ふた色借りて参り、それを代なして{ト云ひさして笑ひ}いやも申しますまい申しますまい▲アト「あゝ是々、皆迄仰せられな、どふで其様な事でなくば此度の当は勤りますまい▲シテ「扨はこなたにも御同心で御座るか▲アト「同心致さいでなりませうか▲シテ「やれやれ嬉しや、此事を申出して御承引なればよう御座れども、若し御承引ない時は異な物ぢやと存じて御座る、それならば此のやうな事は宵からつけたがよいと申す、いざ参りませうか▲アト「一段とよう御座らう▲シテ「いざお出でなされい▲アト「先づ案内者の為めこなたから御座れ▲シテ「案内者とは迷惑で御座る{ト云ひて二人とも笑ふ}{*3}さあさあ御座れ▲アト「心得ました▲シテ「扨何と思召す、身上がならねば色々の思案がづる事で御座る▲アト「いや又身上ともかう致して御座らば、元々へ返済致しませうわ扨▲シテ「何れ仰せらるれば其様な物で御座る、いや何彼といふ内に是で御座る▲アト「誠に是で御座る▲シテ「此中普請をせられたときいたが、中々厳しい体で御座る▲アト「是では這入られますまいぞや▲シテ「先づ裏へ廻つて見ませう▲アト「よう御座らう▲シテ「裏も此体ならば気の毒で御座るが▲アト「いや慥かにまだ裏は半造作とやら聞きました▲シテ「あゝ是々、表に似ぬ裏ぢや▲アト「其通りぢや▲シテ「此よし垣を破ればあなたは坪の内ぢや、いざよし垣を破りませう▲アト「一段とよう御座らう▲シテ「してこなたは何ぞ御用意が御座るか▲アト「いや私は何も用意は御座らぬ▲シテ「私は斯様の時の為ぢやと存じて、鋸を用意致して御座る▲アト「是はよいおたしなみで御座る▲シテ「あゝ是々、おたしなみとは迷惑で御座る{ト云ひて両人笑てチヤツと口へ手をあて}{*4}いざよし垣を破りませう▲アト「一段とよう御座らう{鋸を扇にてする、づかづかと云ひて引く心にて三度あり、シイと言ひて呼ぶ、アト心にて肯き寄り扨、両人手を掛けメリメリと云ひて引破り驚きにげる{*5}仕様口伝}▲シテ「誰殿▲アト「誰殿{ト云ひて互に二さぐり行当驚き互にすかして}▲シテ「誰か▲アト「誰か▲シテ「何と鳴たではないか▲アト「夥敷う鳴つた▲シテ「身共は今のめりめりに驚いてちやつと耳をふさいだ▲アト「身共も耳を塞いだ▲シテ「しつけぬ事とて狼狽たゆる者ぢや、身共らが耳を塞いだと言うて人がきくまい事は▲アト「其通りぢや{ト云ひて笑ひ、ちやつと口へ手をあてる}誰もきゝ付けはせぬか▲アト「いやいやきゝ付けもせぬやら人音もせぬ▲シテ「いざ、よし垣を越う▲アト「一段とよからう▲二人「やつとな{ト云ひて両人共よし垣を越るなり}是さへ越せば心易い▲アト「其通りぢや▲シテ「是々此戸をあくればあなたは座敷ぢや、いざ戸をあけう▲アト「一段とよからう▲シテ「ごろごろごろ{ト云ひて戸をあけ二人とも驚き逃る}{*6}南無三宝火が点つてあるわ▲アト「誰も起きては居ぬかの▲シテ「いやいや亭主がねんしやぢやに依つて、有明をかな置かれたものであらう▲アト「身共は見付られうばしか{*7}胸がだくだくする▲シテ「其様な気の弱い事があるものか、身共についておりあれ▲アト「余り奥へは無用でおりある▲シテ「はあ是は宵に客があつたと見えて大分道具が取ちらしてある▲アト「何づれ夥敷い道具ぢや▲シテ「幸ひの手燭ぢやちと見物致さう▲アト「一段とよからう▲シテ「はあ是は茶の湯の道具ぢや▲アト「誠に茶の湯の道具ぢや▲シテ「風炉釜▲アト「茶碗、茶入▲シテ「水こぼし▲アト「扨も扨も結構な道具ぢや▲シテ「是れ一と色あれば此度の当はらくらくと勤まるといふものぢや▲アト「宝の山といふは此事ぢや▲シテ「床か▲アト「誠に床ぢや▲シテ「懐紙▲アト「何とあるぞ▲シテ「水に見て、月の上なるこの葉かな、扨々面白い事ぢや▲アト「是はたしか亭主が屋固め{*8}の時の出来発句かと存ずる▲シテ「誠にそなたはよい覚えぢや、成程その様な事であつた何と是にそへ発句をせうと思ふが何と有らう▲アト「扨々そなたは無差とした事をおせある{*9}、その隙に何なりとも一と色二た色取つてすかそうではあるまいか▲シテ「尤なれども今宵是へ忍び入つたも連歌故ではないか▲アト「いかさまそれもさうぢや▲シテ「先づ下にお居あれ▲アト「心得た▲シテ「何と有らうぞ▲アト「されば何とあらうぞ▲シテ「かうもあらうか▲アト「何と▲シテ「こずえちり{アト吟ずるなり}{*10}あらはれやせん下紅葉▲アト「はあこりあちと差合がある▲シテ「いや発句に差合はない物でおりある▲アト「いや発句に差合はない物なれども、今宵の座敷に此あらはれやせんが耳にさはつて悪い▲シテ「是は尤ぢや、それならば顕はれやせぬに致さう▲アト「是は早うなほつた、身共が脇を致さう▲シテ「一段とよからう▲アト「かうもあらうか▲シテ「何と▲アト「時雨の音を盗む松風▲シテ「又悪い▲アト「どこでおりある▲シテ「此盗むが悪い▲アト「尤なれどもまだ今宵是へ忍び入つて、楊枝一本盗みはせぬに依つて苦しうあるまいが▲シテ「何れそれもさうぢや、先づ吟んじて見やう▲アト「一段とよからう{ト云ひて二人水に見てより段々吟ずる此内に小アト出る、二人とも其声をきゝうろたへるなり}▲小アト「やあやあ何に盗人が這入つた、やいやい盗人が這入つた、裏へも表へも人を廻はせ、爰は身共が防ぐぞ、松明を出せ松明を出せ▲シテ「南無三宝聴きつけたさうな▲小アト「やるまいぞやるまいぞ▲アト「苦々しい事ぢや▲小アト「がつきめやらぬぞ▲シテ「あゝ聊爾をなされますな、盗人では御座りませぬ▲小アト「おのれ夜中に人の内へ忍び入つて盗人でないとは▲シテ「お座敷が綺麗なと承りましてなあ▲アト「おゝおゝ▲二人「見物に参りました▲小アト「何んの見物とは▲アト「申し申し今のは違ひました有様はなあ▲シテ「おゝおゝ▲二人「道{*11}に迷ひまして御座る▲小アト「まだ其連れをぬかしおるか▲二人「おゆるされませおゆるされませ▲小アト「扨最前から何やら吟ずる様な声がした、何んで有つたぞ▲シテ「いやもうお聞きなさるゝ様な事では御座りませぬ▲小アト「いやいや何やら面白さうな事であつた早う言うてきかせ▲シテ「左様ならば申しませう、お床の懐紙に、水に見て、月の上なる木の葉かなと御座つたに依つて、慮外ながらそへ発句を致しまして御座る▲小アト「してそれは何とした▲シテ「是わごりよいうて呉れい、▲アト{*12}「はてそなたおせあれ{ト云ひて互にせり合うなり}▲小アト「早うぬかしをらぬか▲シテ「あゝ申しまする申しまする、梢ちり、顕はれやせぬ下紅葉と致して御座れば、爰な小盗人が脇を致しまして御座る{ト云ひてアトを向うへ突出す}▲小アト「夫は何とぢや▲アト「是れ是れそなた序に{*13}言ふておくれあれ▲シテ「はてそなたの句ぢや吾御料おせあれ▲小アト「早う言はぬか▲アト「あゝ申しまする、時雨の音を盗む松風と致て御座れども、未だ楊子一本盗みは致しませぬ{ト云ひてシテを突き出す}▲小アト「むゝ盗をする程の奴なれどもこざかしい事をいふ、身共が第三をせう程に四句目をつけい、付け得たらば命を助うず、つけねば命を取る程にさう心得え▲シテ「是はお出来なさるゝで御座りませう▲小アト「かうも有らうか▲二人「お句早う何と▲小アト「闇の頃{*14}{吟ずるなり}{*15}月をあはれと忍びきて▲シテ「したり▲アト{*16}「天神も上覧なれ▲二人「扨々面白い事で御座る▲小アト「つけをらぬかいやい▲二人「あゝつけまするつけまする▲小アト「早う附けい▲シテ「さあわごりよ附けてくれい▲アト「果そなたつけさしめ{ト云ひて互にあらそう}▲小アト「早うつけい▲シテ「あゝつけますつけます、かうも御座りませうか▲小アト「何と▲シテ「さむべき夢ぞ{小アト吟ずる}{*17}ゆるせ鐘の音▲小アト「一段と出来た、命を助くる、もとはいつた所から出て行け▲シテ「有難う存じまする去りながら、左様に成されて御座つては何とやら窮屈に御座る、ちとお寛げなされて下されい▲小アト「成程是は尤ぢや、さあさあ太刀もさやに納めたぞ▲シテ「それは有難う存じまする▲小アト「早う出て行け▲シテ「さあそなたからお行きやれ▲アト「先づそなたからお行きあれ{互にせり合うなり}▲小アト「早う行かぬかいやい▲シテ「はあ左様ならば御ゆるされませ御ゆるされませ{ト云ひて両人顔を隠くして行く{*18}、行き違ひさまに二人の袖をのけ名を言ふ}▲小アト「誰々▲二人「面目も御座りませぬ▲小アト「是はいかなこと、面目ない所では有るまい、是は先づどうした事でおりある▲シテ「いや私は参るまいと申して御座れども、あの者が参ればよい事があると申したに依つて参りました▲アト「あゝ申しそれはあちらこちらで御座る、私は参るまいと申して御座れども、あの者が参れば何やらよい事があると申して、あれ鋸まで用意致して御座る▲シテ「しい、そのやうな事を言はぬ物でおりある▲小アト「いやいや互に論は無用、定めて是には様子が有らう程に、其様子を早うおせあれ{*19}▲シテ「さればの事で御座る、内々の当は近付きまする、御存じの通り身上不如意に御座つて、此当を勤めう手段が御座らぬに依つて、今宵こなたへ秘かに忍び入つて、案内なしに道具を一と色、二た色借りて参り、それを代なして、此度の当を勤めうと存じて不図参つてなあ▲アト「おゝおゝ▲二人「面目も御座りませぬ▲小アト「其様な事をおせあつたらば{*20}、どうなりともならうに、先づ互に怪我なうて満足した、夜寒にもある酒をひとつ振舞ふ。暫くお待ちあれ▲シテ「忝うは御座れども、命をお助けなさるゝ上の事で御座る、是は御無用になされませ▲小アト「いやいや暫く待たしめ▲アト「申申▲シテ「あゝ是はだましはせぬかの▲アト「二つ取ならば早ういにたい者ぢや▲小アト「さあさあひとつのましめ{ト云ひて出る二人驚き下に居る}▲シテ「是は又御自身に御苦労に御座りまする▲小アト「身共が酌を致さう▲シテ「それは慮外で御座る▲小アト「苦しうない、丁度お呑みあれ、さあさあそなたもお呑みあれ▲アト「是は有難う存じまする{引違へて三献宛呑ます此類同断}▲シテ「お陰で胴の震ひがやみまして御座る▲小アト「扨、誰へ申す、何がなと思へども、最早や下々も寝鎮つて居る、是は近頃持ちふるびたれども、そなたへ送る程に是をしろなして此度の当を勤むるやうに召され▲シテ「あの是を私へ下さりますか▲小アト「中々▲シテ「先づ以て忝うは御座れども、命をお助けなされた上に御酒まで下されて、まだその上に此様な物が何と申し請けられませう、是は御斟酌{*21}を申上げませう▲小アト「夫はいらぬ辞儀ぢや、取つて置かしめ▲シテ「是はどう御座らうとも御斟酌{*22}申しまする▲小アト「果身共が志ぢや取つて置かしめ▲シテ「幾重にも御斟酌{*23}申しまする{ト云ひて互に云ふ、アト気毒がる}▲アト「あゝ是々{*24}、あなたから下さる物を、其様にお辞儀申すは結句慮外ぢや戴いておかしませ{*25}▲シテ「左様ならば戴いて置きませう▲小アト「それがよからう▲シテ「有難う存じまする▲小アト「扨、誰へ申す、何がなと思へども、唯今申す通りの事ぢや、是は近頃さしふるびたれどもそなたへ送る程に、是を代りになして今度{*26}の当を勤むる様にめされ▲アト「あの是を私へ下さりまするか▲小アト「中々▲アト「先づ以て有難うは御座れども、唯今あの者へ下されたお太刀で、此度の当は楽々と勤りまする、是は御斟酌{*27}を申しまする▲小アト「はていらぬ辞儀ぢや、取つておかしめ{ト云ひて以前の如くにせりあふ}▲シテ「あゝ是々、あなたはおゝやけ殿ぢや戴いておかしませ▲アト「左様ならば戴いて置きませう▲小アト「それがよからう▲シテ「是は有難う存じまする▲小アト「扨、両人へ申す、お知りある通り身共も連歌好きぢや、此後はせつせつお出あれ、さりながら今宵の様に案内なしに裏からは無用ぢや、重ねては案内を乞ふて表からお出であれ▲シテ「《笑》御尤に存じまする、去りながら、私共が参りませずば外に参る者は御座りますまいに依つて、せどもかど{*28}もなあ▲アト「おゝおゝ▲二人「明け放して置かせられませ▲小アト「是は尤ぢや扨、身共も是に居やうなれども結句窮屈に有らう、勝手へ行く程に、ゆるりと休息してお帰りあれ▲シテ「それは忝う存じまする{ト云ひて小アト大小の前に下に居る}▲シテ「何と是は夢のさめたやうな事ではないか▲アト「如何様、是は夢の覚め果てた様な事ぢや▲シテ「是と言ふも日頃連歌に好く故の事ぢや、此様な時はいざどつと和歌をあげていなう▲アト「是は一段とよからう▲シテ「そなたも謡へ▲アト「心得た▲シテ「実にや和歌のその道、おにかみまでも納受とは、斯かる事をや申らん{*29}《上》げに世の常のならひには、げに世の常のならひには。盗人を捕へては切るこそ法と聞くものを此盗人はさはなくて連歌にすける優しさに呼び入れてげんぞうし酒ひとつ呑ませて{*30}太刀▲アト「かたな▲二人「たびにけり、是かや事のたとへに盗人においといふ事は斯かる事をや申すらん、斯かる事をや申すらん▲シテ「なう、そなたと▲アト「そなたと▲シテ「五百八十年▲アト「万々年▲シテ「それこそ目出たけれ、ちやつと渡しめ▲アト「心得た心得た{ト云ひて二人留て入るなり}

校訂者注
 1・3・4・6・10・17・29・30:底本、全て「▲シテ「」がある(全て略)。
 2:底本は、「当て」。
 5:底本は、「にける」。
 7:底本は、「見付られうはしか」。
 8:底本は、「矢固め」。
 9:底本は、「仰言(おほせあ)る」。
 11:底本は、「どうに」。ここは意味がとり難い。
 12:底本、ここに「▲アト「」はない。
 13:底本は、「次手(つぎて)に」。
 14:底本は、「比(ころ)」。
 15:底本、ここに「▲小アト「」がある(略す)。
 16:底本は、「▲シテ「天神も上覧なれ」。
 18:底本、「顔」「隠」の二字、判読困難。
 19・20:底本は、「仰言(おせあ)」。
 21~23・27:底本は、「御酙酌(ごしんしやく)」。
 24:底本は、「あゝ是(二字以上の繰り返し記号)」。
 25:底本は、「おかしめせ」。
 26:底本は、「此度(こんど)」。
 28:底本は、「せどもかとも」。