盆山(ぼんさん)(二番目)

▲シテ「この辺りの者でござる。この中(ぢゆう)、世間に盆山の流行(はや)るは、夥(おびたゞ)しい事でござる。又、こゝに誰殿と申して、盆山をあまた所持致された人がござる。常々、所望致せども、一つもくれられぬ。今宵、秘(ひそ)かに忍び入つて、案内なしに一つ二つ、取つて参らうと存ずる。誠に、吝(しは)い人でござる。あの沢山な内を、一つなどくれられたというて、大事ない事を、何のかのと云うて、くれられぬ。さりながら、今宵は是非、取つて参らうと存ずる。何かと云ふ内に、これぢや。この中(ぢゆう)、普請をせられたと聞いたが、これは中々、厳しい体(てい)ぢや。これでは入られまい。裏へ廻つて見よう。裏もこの体ならば、気の毒なものぢやが、何とあらうぞ。心元ない事ぢや。あゝ、これこれ。表に似ぬ裏ぢや。この葭垣(よしがき)を破れば、あなたは坪の内ぢや。この様な事もあらうと存じて、鋸を用意致した。さらば、葭垣を破らう。
{と云ひて、正面へ出て、鋸にて引く真似をする。左の手を出し、右にて引くとき、「ズカズカズカ」を云ひて引く。扨、手を掛けて、「メリメリ」と云ひて破る。驚き、耳を塞ぐ。この類、何(いづ)れも同断なり。}
扨も扨も、鳴つたり、鳴つたり。夥しう鳴つた。今のめりめりに驚いて、身共が耳を、ちやつと塞いだ。あゝ。しつけぬ事とて、狼狽(うろた)ふるものぢや。身共が耳を塞いだというて、人が聞くまい事は。さりながら、誰も聞きつけはせぬか。いやいや。聞きつけもせぬやら、人音もせぬ。いざ、葭垣を越えよう。やつとな。これさへ越せば、心安い。さればこそ、早(はや)、この辺りに夥しう盆山がある。これに致さうか。これが良からうか。あゝ、これも見事なり。
{と云ひて、色々取り上げて居るうち、アト、出る。}
▲アト「やあやあ、何と云ふ。盗人(ぬすびと)が入つた。裏へも表へも、人を廻せ。こゝは身共が防ぐぞ。松明を出せ。やるまいぞ、やるまいぞ。
▲シテ「南無三宝、聞き付けたさうな。
{と云ひて、狼狽へ逃ぐるうちに、アト、}
▲アト「がつきめ、やらぬぞ。
{シテ、盆山の蔭に隠れる。}
これはいかな事。あの大きな態(なり)をして、盆山の蔭へ隠れたというて、見えまい事は。あれは確かに、誰でござる。常々、盆山を所望致せども、やらぬによつて、今宵、取りに参つたと存ずる。散々嬲(なぶ)つて、帰さうと存ずる。はあ。盆山の蔭へ隠れた者を、人かと思うたれば、人ではないわいやい。
▲シテ「やれやれ、嬉しや。まづ、人でないと云ふ。
▲アト「あれは、犬ぢや。
▲シテ「犬ぢやと云ふ。
▲アト「犬ならば、人音を聞いて、嚇(おど)しさうなものぢやが。
▲シテ「これは、嚇さずばなるまい。
▲アト「嚇さうぞよ。
{シテ、犬の真似して、「ビヨウビヨウ」と鳴く。}
《笑》さればこそ、犬の真似をした。もそつと嬲(なぶ)らう。はあ。犬かと思うたれば、犬ではないわいやい。
▲シテ「犬でないと云ふわ。
▲アト「あれは、猿ぢや。
▲シテ「猿ぢやと云ふ。
▲アト「山へは遠し、何として、猿が来た知らぬ。猿ならば、身ぜゝりをして、啼きさうなものぢやが。
▲シテ「これも、啼かずばなるまい。
▲アト「啼かうぞよ。
{シテ、身ぜゝりをし、「きやつきやつ」と啼くなり。}
《笑》扨も扨も、面白い事ぢや。この度は彼奴(きやつ)が、えせぬ事を、云ひたいものぢやが。いや、致しやうがある。はあ。今、良う見れば、あれは猿でもないわ。
▲シテ「又、猿でないと云ふわ。
▲アト「あれは、鯛ぢや。
▲シテ「鯛ぢやと云ふ。
▲アト「鯛ならば、鰭を立てさうなものぢやが。
▲シテ「鰭を立てずばなるまい。
▲アト「鰭を立てようぞよ。
{シテ、扇を広げ、背中へ当て、真似する。}
さればこそ、鰭も立てた。扨、鰭を立て、必ず鳴くものぢやが。鳴かうぞよ。
▲シテ「身共は終に、鯛の鳴いたを聞いた事がない。
▲アト「おのれ、鳴かずば、鉄砲を持つて来い。打ち殺してのけるぞ。
▲シテ「これは、鳴かずばなるまい。
▲アト「鳴かうぞよ。
▲シテ「鯛々。
▲アト「何の、鯛々。
▲シテ「鯛々。
▲アト「おのれは憎い奴の。
▲シテ「鯛々。
▲アト「まだそのつれを云ふか。
▲シテ「あゝ。許してくれい、許してくれい。
▲アト「あの横着者。やるまいぞ、やるまいぞ。
{と云ひて、追ひ込み入るなり。}

底本:『和泉流狂言大成 第三巻』(山脇和泉著 1918年刊 国会図書館D.C.

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盆山(ボンサン)(二番目)

▲シテ「此辺りの者で御座る、此中世間に盆山の流行るは夥多しい事で御座る、又爰に誰殿と申して盆山をあまた所持致された人が御座る、常々所望致せども一つもくれられぬ、今宵秘かに忍び入つて案内なしに一つ二つ取つて参らうと存ずる、誠に吝い人で御座る、あの沢山な内を一つ抔くれられたと言ふて、大事ない事を何のかのと言ふてくれられぬ、去りながら今宵は是非取つて参らうと存ずる、何かといふ内に是ぢや、此中普請をせられたときいたが是は中々厳しい体ぢや、是では這入られまい、裏へ廻つて見やう、裏も此体ならば気毒な物ぢやが何と有らうぞ、心許ない事ぢや、あゝ是々表に似ぬ裏ぢや、此よし垣{*1}を破ればあなたは坪の内ぢや、此様な事も有らうと存じて鋸を用意致した、さらばよし垣{*2}を破らう{と云ひて正面へ{*3}出て鋸にて引く真似をする、左の手を出し右にて引くとき、ズカズカズカを云ひて引く、扨手を掛けてメリメリと云ひて破る、驚き耳を塞ぐ、此類、何れも同断なり。}{*4}扨も扨も鳴つたり鳴つたり、夥多しうなつた、今のめりめりに驚いて身共が耳をちやつと塞いだ、あゝしつけぬ事とて狼狽たゆる者ぢや身共が耳を塞いだと言ふて人がきくまい事は、去りながら誰もきゝつけはせぬか、いやいやきゝつけもせぬやら、人音もせぬ、いざ{*5}葭垣を越やう、漸つとな是さへ越せば心易い、さればこそはや此辺りに夥多しう盆山がある、是に致さうか、是がよからうか、あゝ是も見事なり{と云ひて色々取上げて居るうちアト出る}▲アト「やあやあ何と言ふ盗人がはいつた、裏へも表へも人を廻はせ爰は身共が防ぐぞ、松明を出せやるまいぞやるまいぞ▲シテ「南無三宝聞き付けたさうな{と云ひて狼狽え逃るうちにアト}▲アト「がつきめやらぬぞ{シテ盆山の蔭に隠れる}{*6}是は如何な事、あの大きななりをして盆山の蔭へ隠れたと言ふて見えまい事は、あれは慥かに誰で御座る、常々盆山を所望致せどもやらぬに依つて、今宵取りに参つたと存ずる、散々嬲つて帰さうと存ずる、はあ盆山の蔭へ隠れた者を人かと思ふたれば人ではないわいやい▲シテ「やれやれ嬉しや先人でないといふ▲アト「あれは犬ぢや▲シテ「犬ぢやといふ▲アト「犬ならば人音をきいておどしさうな者ぢやが▲シテ「是はおどさずばなるまい▲アト「おどさうぞよ{シテ犬の真似してビヨウビヨウと鳴く}{*7}《笑》さればこそ犬の真似をした、もそつとなぶらう、はあ、犬かと思ふたれば犬ではないはいやい▲シテ「犬でないといふは▲アト「あれは猿ぢや▲シテ「猿ぢやといふ▲アト「山へは遠し、何として猿がきたしらぬ、猿ならば身ぜゝりをしてなきさうな者ぢやが▲シテ「是も啼かずばなるまい▲アト「啼かうぞよ{シテ身ぜゝりをしきやつきやつと泣也}{*8}《笑》扨も扨も面白い事ぢや、此度は彼奴が得せぬ事をいゝたい物ぢやが、いや致しやうがある、はあ、今よう見ればあれは猿でもないは▲シテ「又猿でないといふは▲アト「あれは鯛ぢや▲シテ「鯛ぢやといふ▲アト「鯛ならば鰭をたてさうな者ぢやが▲シテ「鰭をたてずばなるまい▲アト「鰭をたてやうぞよ{シテ扇を広げ背中へ宛て真似する}{*9}さればこそ鰭も立てた、扨、鰭を立て必ず泣くものぢやが泣かうぞよ▲シテ「身共は終に鯛の泣いたを聞いた事がない▲アト「おのれ泣かずば鉄砲を持つて来い、打殺してのけるぞ▲シテ「是は泣かずばなるまい▲アト「泣かうぞよ▲シテ「鯛々▲アト「何の鯛々▲シテ「鯛々▲アト「おのれは憎い奴の▲シテ「鯛々▲アト「まだ其連をいふか▲シテ「あゝ宥るしてくれい、宥るしてくれい。▲アト「あの横着者やるまいぞやるまいぞ{と云ひて追込み入るなり}

校訂者注
 1・2:底本は、「よし桓(がき)」。
 3:底本、「へ」の一字、カスレて不鮮明、判読困難。
 4:底本、ここに「▲シテ「」がある(略す)。
 5:底本は、「いさ」。
 6~9:底本、全て「▲アト「」がある(全て略)。